明日にかける橋ー6月15日 北海道の映画祭で上映! 太田監督と俳優・栩野 幸知さんによるトークショーあり。 [2019]
俳優になるために見た方がいい映画=でも、名優の芝居を見ても勉強にはならない?その理由は? [映画業界物語]
俳優になるために見た方がいい映画=でも、名優の芝居を見ても勉強にはならない?その理由は?
「演技のために見た方がいい映画」をよく聞かれる。その方向でいうなら名優と呼ばれる人たちが出ている映画。ということになる。
ロバート・デ・ニーロ、アル・パチーノ、ダスティン・ホフマン、メリル・ストリープ、ダイアンキートン。
彼らが出ている映画で言えば
「タクシードライバー」「レイジングブル」「狼たちの午後」「ゴッドファーザーPART1&2」「レインマン」「クレーマークレマー」「ミスターグッドバーを探して」等々
もちろん、本当に凄い人たちの芝居は観ておいた方がいいが、だからと言って、それは俳優にとってさほど勉強にはならない。なぜなら、凄すぎて真似ることができない。常人ではない俳優がいることを知ることは勉強だが、真似しても、同じことをしても、近づくことさえできない。厳しい話だが、それが現実。
僕もいろんな俳優さんと仕事するが、凄い人は本当に凄い。超人タイプの代表的な俳優を挙げてみる。
「ストロベリーフィールズ」の谷村美月、佐津川愛美、三船美佳。「青い青い空」の長門裕之、「向日葵の丘」の津川雅彦、烏丸せつこ。「明日にかける橋」の鈴木杏、みんな物凄い。(俳優は超人タイプばかりではダメ。個性、カリスマ性、人間的魅力。いろんなタイプがある)
スポーツ選手でいうなら、オリンピック級だ。ウルトラCができる人たち。撮影現場で演技を見つめるスタッフもが涙する。観客を泣かすのは、演技だけでなく、カメラ、照明、編集、そして音楽があって初めて泣ける。それらなしで現場で泣かされるというのはもの凄いこと。スタッフはいつも冷静沈着。現場で泣くことはまずない。
ただ、彼ら彼女らの演技を見て勉強しようとしても、真似できない。同じように台詞を言い、同じ動きをしても天と地の差が出る。何が違うか? 分からない。それが才能?と思いがちだが、才能なんて存在しない。昔からそう思っている。
「資質」と「努力」。あとは「センス」。
それが俳優の力の内訳。その意味で僕の映画には、そんな超実力派の俳優たちがかなり出ているので、見てもらえば勉強にはなる。が、本当に意味で勉強になるのは名優の芝居を見ることより、別の形がいい。
「自分が好きな俳優の作品を全部見ること」
例えば大竹しのぶさんが好きなら、彼女の出演映画を全部見る。樹木希林が凄い!と思ったら、彼女の出演映画を全部見る。できたら舞台も観にいく。よく
「***さんの出演作見たけど、素敵だった。あんな俳優になりた〜い!」
という人がいるが、2〜3本見ただけ。「全作見ています!」という俳優の卵に会ったことがない。それはその俳優に憧れているだけ。その段階でアウトだ。
「好き!」「あんな風になりたい!」
という思いの背景にあるもの。それは自分と似た何か共通点を発見した時。身近に感じる。感情移入する。それが「好き」の理由。だとしたら、その俳優が演じた役を徹底して見れば、そこに自分にもできる表現が見つかるはず。それこそが技術になる。
ただ、俳優としてスタートすれば、その好きな俳優がライバルになる。だから、次に考えるべきことは
「その俳優には演じられない役」「でも、自分には演じられる役」
を、映画を見ながら考えること。それを見つけた時に、それを実践する。舞台でやってみる。その表現を自分のものにすれば、自分しか出来ない役が演じられる俳優になれる。
天才的な俳優の演技は見た方がいい。でも、真似ることはできない。近づくこともできない。それより「好き」な俳優であれば、共通点がある。そこからは学ぶことあるはず。これはワークショップでしか話さない、とっておきの話なのだが、今回特別に披露した。ただ、この方法。一つだけ注意点がある。それに気づかないと意味を成さない。長くなるのでそれは別の機会に書かせてもらう。
勘違い。逆恨みで嫌われる=それも映画人の宿命か? =毎回残る辛い思い。 [映画業界物語]
勘違い。逆恨みで嫌われる
=それも映画人の宿命か? =毎回残る辛い思い。
先に書いたが、ロケ地に選ばれなかったことで逆恨みしたレンストランの店長。最初から見え見えの応援。「わが町のアピールのため応援したい」と言いながら、店の宣伝に映画を利用しようとした。なるべき身銭を削らず、ロケ地と決めていないのに
「友達に言ってしまったから、撮ってもらわないと困る!」
というようなことを言い出し、撮影せざるを得ない状況に持って行こうとする。ロケされないと、事実とは違うデマを流して、批判。そんな人には嫌われても仕方ないと思える。
その記事=>https://cinematic-arts.blog.so-net.ne.jp/2019-05-09
ただ、その店と繋がりのある人たち。映画を応援したい人たちまで、店長の目を気にして撮影の手伝いに来れなかった。あるいは一緒になって悪口を言ってるのは悲しかった。これも「ムラ社会ルール」だ。問題を起こした店長を悪くいう人はいない。見て見ぬ振りをする人が多数。あとは
「それは酷いなあ〜」「あの監督ってそういう人なのね?」
撮影に参加できない人たちの気持ちも分かる。今後も付き合いのある店長と映画を天秤にかければ、店長との付き合いを優先したくなるのは当然だ。撮影隊はいずれいなくなる。その時は撮影に参加できても、あとあと何年も店長から嫌味を言われることになる。
しかし、映画を作ったことで喜んでくれた人の方が圧倒的に多い。町のアピールにも役立った。とは言え少数が嫌な思いをしても多数が喜んだのだからよかったとは言いづらい。その店長だけではない。映画製作をすると必ず、批判する人がいる。
「隣の店は撮影されて話題になったが、うちは関係ないので全然アピールされなかった。不公平だ!」
「女優さんにサインをもらえなかった!」
「俳優の写真を撮ったら怒られた!」
そんなことで気分を害したり、怒ったりする人たちもいる。が、上記は迷惑を被ったのではない。俳優の写真を無断で撮るのは違法行為。注意されるのは当然。サインも現場ではもともと禁止だ。撮影の邪魔になるから。俳優が芝居に集中できない。ボランティア・スタッフなのに、後で
「お金をくれなかった!」「騙された!」
「利用された!」「酷い!」
と言ってくる人。言って回る人もいる。
「前売券をくれない!」「DVDをくれない!」
と怒る人もいる。ボランティアは何ももらわないのが常識。前売券は映画館扱い=米を植えるのを手伝ったからと、コンビニで米をタダでもらえないのと同じ。DVDも同等。事前に説明しても、聞いてなかったり、忘れて批判したり、恨んだりする人もいる。「私は被害者だ」と訴える。ごく少数ではあるが、撮影中は本当にガンバって手伝ってくれた人もいるので、勘違いとは言え怒らせたまま終わるのは辛い。
近年まで、あれこれ悩んだ。迷惑をかけるのはいけない。が、迷惑ではなく、本人が違法行為、あるいは常識から外れたことをしている。勘違い。逆恨み。映画製作の範疇ではないことを求める人たちもいる。彼らは決して悪気はなく、善良な市民。そんな人たちから誤解であっても嫌われること。覚悟せねばならない。
ま、それでも大半の市民が喜んでくれて、映画は全国に発信。何億円分もの宣伝となるのだが、毎回、苦いものも残る。
「嫌われること」の大切さ。映画界と会社を比較してみる。 [嫌われる大切さ?]
「嫌われること」の大切さ。映画界と会社を比較してみる。
映画の撮影は、スタッフ&キャストが流動的だ。トラブルを起こす奴。ごまかしをする奴。金に汚い奴。仕事ができない奴。プライベートを持ち込む奴。そんな輩がいれば次回は排除する。仕事ができて、気の合う人間とは次回も仕事を続ける。次第に良い環境となり、仕事を楽しくできる。いいものが作れる。
これが会社だと、部署に1人は嫌な奴がいる。面倒な奴がいる。手抜きをする奴がいる。何より上司がバカだったりする。でも、移動シーズンまで、その中で仕事をせねばならない。仕事には全力を出さず、それなりにしか仕事をしない者も多い。特に役所では1時間でできる仕事を何日もかけてやる習慣がある。
頑張って仕事をしたり、新しい提案をすると疎まれ嫌がられる風潮がある。日頃は努力しないくせに、そんな時には協力し合って、新しいプロジェクトを潰しにかかる職員たちもいる。役所や会社と関わると、そんな側面を目にすることが何度もあった。そんな中にいると「やる気」をなくし、適当にやろうと思えるのも当然だろう。
なるべく嫌われないこと。そのためには頑張らないこと。新しい提案をしないこと。過去を踏襲すること。そのために会社の業績が上がらなくても、市民のためにならなくてオーケー。それが組織の一面であるように思える。
だが、映画製作は違う。仕事を真剣にしないと次から声をかけてもらえない。新しい技術を取り入れず、古い機材や方法論をいつまでも振り回していたら仕事が来なくなる。つまり、一部の公務員のような仕事をしていると排除されるということだ。嫌われないためには、いい仕事をせねばならない。
目の前に問題があっても役所等では「見て見ぬ振り」をせねばならないことも多い。問題点を指摘したり、責任を追及してはいけない。これは映画の世界にも少しある。ベテランで問題のある人を批判しにくい。プロデュサーが誤魔化しをしても仕事が欲しいから指摘できない。だから、それを解決するのも、太田組では僕の役割だと考える。
誤魔化しをする者は二度と呼ばない。問題を感じたスタッフは事前にブロック。スタートしてから問題が起こった場合は徹底的に調べる。その原因は何か?誰か?なぜか? よく「終わったことを言っても仕方ない」と言いがちだが違う! 同じ問題を起こさないためにも徹底して考える。どうすべきだったか?
そして真相が分かり、責任が誰にあるか分かれば改善。本人に否があれば次から呼ばない。長年の付き合いでも許さない。会社でクビにするのはいろいろ大変だが、映画製作では簡単だ。そのことでチームが健全になる。
ただ、排除した人たちからは嫌われる。手抜きをしたくせに「あんなに頑張ったのにクビにされた!」と言って回る奴もいる。古い方法論を押し付けてきたのに「親切にアドバイスしてやったのに」という者もいる。だが、誰とでも仲良くやることが大事ではない。問題ある人には抜けてもらわねばならない。いい仕事をすることが一番大事なのだ。
その意味では監督業は「嫌われること」を受け入れなければならない。みんなと仲良くはできないのだ。これも別の記事で詳しく書くが、監督業、映画界だけではないだろう。「嫌われること」を避けることで、腐敗や停滞が組織内で起こるように思える。
最近、嬉しかったこと。amazon ミュージックの存在。 [2019]
最近、嬉しかったこと。amazon ミュージックの存在。
amazon会員になるとプライムビデオが見られると同時に、amazonミュージックも付いてくる。ショッピングの翌日配達サービスも付いて1年1万円しない。その「ミュージック」の方をさらに月1000円弱払うと、unlimitedというコースがあり、6500万曲聴き放題というサービスだ。
以前にも紹介したが、とにかく凄い曲数。僕は500枚くらいCDを持っているが、その80%を処分してもいいほど充実。本当に聴きたいアルバムは買うなりレンタルするなりするが、ちょっと聴いてみたいだけのアーティストにTSUTAYAレンタルで100円と言えど、払うのは躊躇する。それなら未見の映画を見た方がプラスになる。それが月1000円未満でアルバム聴き放題!
また、TSUTAYAにあるCDはメジャーのものばかり、なのでLAに言った時にameba MUSIC(シネラマドームの隣。オン・サンセットです)のどでかい店に行ってエッタ・ジェームズやベッシー・スミスを探し購入していた。が、その店舗でさえないようなアルバムがamazonには山のようにある。(写真はビリーホリデーのセクション。見た事のないものがザクザク!)
前にも書いたが高校時代に聴きたくても、買えなかったアルバム(当時は2500円。レンタルレコードはなかった)カンサス、ブームタウンラッツ、ELO、ボストン、カーズ、等はFMで流されるのを探してカセットテープで録音するしかなかった。(FMfanとかFMレコパルを購読していた)
その後も、気になったアーティスト。LA留学してからだと、トム・ペティ、ジョージ・マイケル、デュラン・デュラン、Ha~HaHa、等もすべて網羅されている。毎日聞いても月1000円しない。TSUTAYAまで行かなくてもHa、等もすべて網羅されている。毎日聞いても月1000円しない。TSUTAYAまで行かなくても自宅でゲット。本当に凄い。
最近のカルチャーショック=やはりamazon! 50代は時代について行けるのか? [MyOpinion]
最近のカルチャーショック=やはりamazon! 50代は時代について行けるのか?
若い頃、ウォークマンの登場は衝撃だった。外で音楽が聴ける!凄い!と思った。そのあとはCD。なんて音がいいんだろう!と感動。LDも嬉しかった。映画が高画質で格安で買える! DVDはサイズが小さくなっただけなので、大きな感動はなかった。ビデオにダビングもできなくなったし。
携帯も今もなくていいかな?と思うので感動はない。次はパソコンか? 資料を整理しやす! いや、その前のワープロだ。字が汚い僕には画期的な商品。文章の直しも簡単。これがなければライターの仕事はできてなかっただろう。
今はamazonだ。映画と音楽が月極め価格で観たり聞いたりし放題。Netflixまで契約してしまった。が、映画に関してはまだまだソフト数が少なく、不満は多い。それでも観たい作品はまずまずある。先日もマーベル作品を徹底的に見た。TSUTAYAまで行かずに済むだけでも便利。amazonミュージックの方は前回書いたが、音楽天国だ。本当に凄い。
ラジオ=>レコード=>レンタルレコード=>CD以来の歴史的な革新だと思える。だが、そのサービスを使っている同世代がいない。友人に会うたびに、その魅力を語るのだが、誰も実践してくれない。まあ、それが50代ということかもしれない。新しいものを受け入れられない。懐疑的に思える。CDやDVDで十分だと考える。
若い人たちと話すともう何年も前から使っていると言われる。その意味で僕もかなりスタートが遅い。それでも同世代でamazonやNetflixを使っているのは、、、、あ、1人だけいた。幼い子供がいるので、一緒に観るという。なるほど。
思うのはこれがザッツ老化なのだ。新しいものが苦手になる。なくても大丈夫と思う。若い頃に大人たちの時代感覚が異常に遅れていることを感じたが、僕らの世代もその年齢に到達したということだ。しかし、AIの普及。PCのさらなる進化。時代はいつもテクノロジーで進む。
一時期、パソコンが使えないおじさんたちが会社で邪魔者扱いされたように、メールができないと仕事ができない。携帯がないと仕事にならない。それらは僕の世代も対応して来たが、amazonだけでなく、いろんな技術がどんどん出てくる中、それを使いこなせるか?それが生き残りの条件のように思える。