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僕の監督作「朝日のあたる家」監督日記のヘッダーもリニューアル。 [2019]

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僕の監督作「朝日のあたる家」監督日記のヘッダーもリニューアル。

写真多めにして、カラフルにしてみた。かなり前から変えたかったのだが、疲労困憊と時間がなくできなかった。

このブログ。2013年からもう7年も連載しているが、今もSo-netブログ映画の部で第6位の人気。映画の撮影日記のみならず、原発問題、社会問題、政治危機、精神病、森友事件、トランプ問題まで幅広く記事にしている。興味ある方はぜひご覧ください。

「朝日」のイベント上映(7月に滋賀県で)の告知あり。

こちら=>https://cinemacinema.blog.so-net.ne.jp



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高級寿司や天麩羅が好きでも、会食はマイナス?=映画の世界も同じ! [映画業界物語]

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プロデュサーの仕事の一つはトラブル解決だ。

揉め事や事件が起こらないように気を配る。問題が起これば大きな騒ぎにならないように対処する仕事だ。そんなPの1人に風変わりな男がいる。ちゃんと仕事はするが、人を寄せ付けない雰囲気を持っているのだ。聞いてみると、こう言われた。

「僕は結構、気がつく方で事前にトラブルを見抜いて対処してしまうんですよ。若手のスタッフでも、あーこの子は何か悩んでいるなあとか察ししてしまう。昔は、何かあったの? と声をかけたり、相談に乗ったりしていたんです。

けど、その内に大したこともないのに相談に来られたり、それ仕事じゃないだろ?ということまで頼って来られたりして、時間を取られるばかり。それ以降、声をかけ辛い、相談し辛い、態度を取るようにしているんです」

面白い。

僕も昔はお節介で、俳優を目指す若い子たちの面倒を見ていた。熱血青春ものの教師のように、何かあると呼び出して説教していた。意外に嫌われることなく、相談を受けたり、アドバイスしたりしていた。ところが親切にし面倒をみると、Pの状況と同じように、若い連中が親しみを持ち、いつしか兄貴や父親的な存在になってしまう。

何をしても監督は許してくれる。

遅刻しても大丈夫、飯奢ってもらっても平気、勉強のために貸したビデオテープも何ヶ月も見ない。返さない。言われてから返せばオーケー。

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これは彼ら彼女が「人との距離の取り方」を勘違いしているからだ。分かりやすく今風に言うとFacebookだ。「友達申請」をする。「承認される。「友達」になる。でも、それはFacebookの世界内での話。本当の友達ではない。なのに「承認」された途端に本物の友人気分になる。承認早々にこんなコメントが入る。

「このお調子者! 何バカ言ってんだ?!」

お前は誰?って感じ。勘違い甚だしい。それに近い感覚。監督と俳優の卵という関係を勝手に、親子や兄弟、友達に置き換えてしまう。電話しても、メールしても、返事がなかなか来ない。そもそも、仕事関係以外では連絡はしないのだが、

「オーディションあるけど、行ってみる?」

とか知らせても、2日後に「その日、バイトなんすよね」と言ってくる。次のエピソードも別件で書いたが、僕はダチじゃない。同じことは地方で映画を作ってもある。地元の人があれこれ撮影協力をしてくれた。それはありがたいし、感謝している。でも、地元のルールを押し付けらえても困る。

「世話になったんだから、正月に挨拶に来るのが当然だろう?」

と怒られる。僕はその街の住人ではない。そもそも、地元の皆さんは街のために映画を作ったのに、なぜ、僕が地元に感謝することを求める? 低予算なのに評価される、街をアピールする映画ができたんだから、僕が感謝されてもいいんだけど(監督料も水準以下だし)逆に感謝を求めてくる人がいる。本来、映画というのは

「撮ってくれてありがとう[黒ハート]撮らせてくれてありがとう[黒ハート]

という気持ちが大事。地元もプロも一緒に頑張った。それを一方的に感謝を求めてくる人たちもいる。当然、正月に東京からその街まで行く余裕もない。すると

「俺たちは利用された。騙された。酷いやつだ....挨拶もない!」

その辺の話は何度か書いた。先のプロデュサーだ。彼は問題に気づいても、自分から対応しない。問題が起こって誰かが言い出すまで動かない。率先して動くと「Pがやってくれるよね?」と当たり前になってしまうのだという。

その意味でいうと、僕は先の俳優の卵たちにも、街の人たちにも頻繁に接して、親しみを持ってもらえた。そのために監督ではなく「友達」モードになり「ご近所さん」モードになってしまったのだろう。それを逆に利用しているのが今の官邸だ。テレビ局の社長や会長と首相が頻繁に会食する。そのことで「友達」モードにしてしまい、厳しい政権批判がし辛い環境を作っているのだ。

ということは監督業も、いくら応援や感謝の気持ちがあっても、俳優や地元の方々とはあまり仲良くしてはいけないのだ。同じくマスコミのトップもいくら寿司や天麩羅が好きでも、首相と頻繁に飯を食うのは大きなマイナス。ということなのだろう。


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映画監督の夢を追う友人=自分だけの小さな世界に閉じこもり夢見る若者たち [映画業界物語]

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映画監督の夢を追う友人=自分だけの小さな世界に閉じこもり夢見る若者たち。

1980年代。自主映画=学生映画作りが流行った。8ミリフィルムで映画を撮り、プロデビューする。スピルバーグやルーカスのようになりたい。日本でも20代の大森一樹や石井聰亙が監督デビューした時代だ。

後輩の友人A君もそんな1人。8ミリカメラとわずかな衣類だけを持って上京。映画学校に通った。が、生徒の多くはロクに映画も見ていない奴ばかり。授業も退屈なだけ。彼は仲間を集めて8ミリ映画を撮り出した。

「今、リバイバルしているあの映画。すっごい面白いから見た方がいいよ」

学生映画の先輩が言う。でも、A君は見に行かなかった。

「何で、行かなかったんだよ?」

「ええ、忙しくて...」

別の先輩には映画に誘われた。「***を見に行こう」A君は答える

「今、そんな気分じゃないんです」

次第に彼の評価が決まってくる。気分で映画を見に行くのは映画好きの人。嫌なことがあったからコメディでも見たい。気分くらいからアクション映画で憂さを晴らしたい。そんな感じだ。先のお勧め映画も興味を持てなかったので行かなかったようだ。

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つまり、A君は自分の趣味の映画だけ見る。そんな好きな映画の焼き直しを8ミリ映画を作る。趣味のレベルなのだ。アクション映画が好きでも、それ以外も見てこそ勉強。親しい友人が推薦するなら、見て見たいと思うのに、それも拒絶。バイト先では「俺は将来、映画監督になる」と言っていて、大学生から一目置かれてるらしい。

夢を掲げるだけで尊敬を集め、趣味の映画だけ見て、その焼き直しを8ミリで作る。それでいて将来はプロだ!と思う。小さな世界で空回りにしているだけだなのだ。例えば子供が成長するには、肉だけでなく、野菜や魚も食べなければならない。なのにA君は自分が好きな肉だけしか食べていない状態。

また、趣味の映画と同じような、その学生版のような映画を作るのはビートルズのコピーバンドと同じ。よほどでないとプロデビューはない。めちゃめちゃ技術レベルが高くて、ビートルマニア(本物そっくりの演奏をするグループ)クラスなら分かるが、それは当時でいうと「太陽にほえろ」ごっこ「蘇る金狼」ごっこなのだ。大学生の友人にサングラスをかけさせて、

「なんじゃこれは〜!」

と松田優作風に絶叫させる。でも、それは趣味の世界。カメラも、照明も、素人。友人が観れば笑ってくれるが、第三者には厳しい。だが、A君はいう。

「プロの監督になり、プロのスタッフが参加すれば問題ない」

彼は非常に危険なところに堕ち混んでいた。要は自分は努力しない。でも、プロのスタッフがいれば技術は大丈夫。自分の作品はプロで通用するはず。他人の力を借りれば、プロでやって行けるという発想。でも、刑事ごっこの映画しか作らない彼を誰が認めるのだろう?後年、僕も知ることになるが、プロの世界は本当に見る目のない人ばかりなのだ。

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結局、彼はプロデビューすることはなかった。当然なのだが、彼のようなタイプは今も多い。映画監督志望だけでなく、俳優志望にも言えるのだが、

「私は才能がある。見る人が見ればプロデビューできる」

でも、努力はしない。(本人は努力しているつもり。何より才能があると思い込んでいる)映画や舞台で見に行くのは趣味のものだけ。先輩に勧められた作品も見ない。DVDを借りてもそのまま。やってることは実は趣味レベル。

「でも、プロデビューすればプロがやってくれるから大丈夫」

と他力本願。まるで

「いつかは白馬の王子様が私を迎えに来てくれる」

という昔の少女漫画のヒロインのようだ。小さな自分の世界を作り上げ、バリアーを貼り、その中で生きている。「マトリックス」の世界で眠っている。現実を想像する力がない。いや、ありもしないことを夢見る想像力はある。そして、狭い世界にいる自分に気づかない。

「私は違う!」「僕は大丈夫!」

根拠のない自信。そんな子たちを数多く見てきた。どうすれば、その狭い世界から抜け出し、現実の中の戦いをスタートできるのか? 長年、考えて来たが、結局、自身が屈辱的な経験をし、敗退して、未熟さを痛感すること。そこから、もう一度立ち上がってスタートする。それしかないのだろう。でも、そこで終わる子がほとんどなのだ。悲しい...。



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