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人の忠告を聞いてはいけない。耳を塞いでこそ、夢は叶う? [MyOpinion]

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人の忠告で夢を諦めてはいけない。耳を塞いでこそ、道は開ける?

昔から僕は「変わってるなあ」と言われる。以前にも書いたが、このところ書いている「ムラ社会ルール」のことを考えると、その謎が解けるような気がした。小学生時代から話を始める。当時、僕は4年生くらいから長髪で

「ヒッピーだ!」

と同級生に言われていた。時代を感じさせる。高校時代は規則がうるさく、短い髪をしていたが、その後は現在に到るまで長髪。1990年代にキムタク人気でロン毛(これも時代を感じさせる言葉)が流行って、ブームの後追いと思われたかもしれないが、こちとら年季が入っている。小学生からだ! 関東にある映画学校に通った頃は

「関西人はやっぱ変だよな〜」

と言われたが、大阪の高校時代も「お前は変わってるで〜」と言われていた。関西は関係ない。LA留学時は「日本人は変わっている」と言われることもあったが、これも外れだ。

アメリカ映画、ドラマ、音楽にはかなり詳しいので、よく驚かれ、英語学校の先生には「You are a American boy!」と言われたりもした。といって英語力は大したことない。帰国してしばらくして映画の仕事を始めた。業界は変人が多い。特に監督と呼ばれる人は本当に変わっている。個性的を超えて変人。奇人。あるいは狂人。変態?という人種だ。その中では僕なんて真面目な方なのだ。昔から酒癖が悪いとか、金使いが荒い、女癖が悪いということはなく、約束を破ったり、時間に遅れたりということはない。

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映画界で仕事をするようになっても、一般からは「変わっている」と言われ続けた。一つには「高校卒業」=>「大学」=>「就職」=>「会社員」というコースに乗らなかったことがある。人からすれば、それだけで十分に変わっていると思うだろう。あるいは

「よほど成績が悪かったのだろう.....」

と考える。ただ、変人が集まった映画学校でも「変わっている」と言われ、映画の世界でも異端児扱いされることになる。

「製作費を集めて映画を撮る!」

と言い出したからだ。「監督になりたい!」という人たちは多いが「どこの会社も撮らせてくれないなら、自分で製作費を集める」という奴は少ない。それはプロデュサーの仕事だということもある。先輩たちが忠告しに来る。

「お前なあ。Pの経験もないのに、金なんて集められる訳がないだろう?」

高校時代も「将来、映画監督になる!」と言ったら、同じように大人たちが入れ替わり立ち代り来て、説教された。「監督になるなんて簡単じゃないぞ」ーそんなことは分かっている。でも、一流大学を目指すというと大人たちはいう

「いいぞ!頑張れよ〜」

ーそれも簡単なことじゃない。なぜ、大学は応援して、映画監督だと「簡単じゃないぞ!」になるのか? 映画界でも「監督したい!」という人はごまんといるのに、製作費を集める!」というと、あれこれ言われた。どちらの時も、同世代からも多くの批判を受けた。

「できる訳がない!」「無理!」

「甘い!」「現実は厳しい!」

どちらの時も、経験がある人は1人もいない。「映画監督を目指そうとして失敗した。製作費を集めようとしてうまくいかなかった。だから忠告する」なら分かる。挑戦したこともない連中が「世の中甘くない!」という意味が分からない。


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ここまでは以前にも記事にした。そして最近「ムラ社会ルール」の記事を続けて何本も書いた。詳しくはバックナンバーを読んでほしいが、僕はこの歳になるまで、そんな習慣が今も日本に根強く残っていることに気付かなかった。

詳しくはこちら=>https://okinawa2017.blog.so-net.ne.jp/2019-03-08-2

というのも、同じ地方で長年暮らしたことがない。会社員をやったことがない。限られた場所で周りと協調して生活、仕事する機会がなかったからだ。それが地方で映画を撮るようになり、事件が起きる。なのに地元の人たちは見て見ぬ振り。責任が誰にあるか気づいているのに、何も言わない。それどころか問題ある人と笑顔で接する。

何度もそんなことがあった。その背景にあるものこそが「ムラ社会ルール」=問題を見て見ぬ振りをし、トラブルはなかったことにする。責任者を責めない。同じ地区で生活しているので、あとあと揉めたくないからだ。問題を解決するのではなく、トラブルをなかったことにする。被害者は泣き寝入り、責任を追及したら、その被害者をみんなで叩く。そんな習慣が日本には根強く残っている。

原発事故の対応もまさにそれ。「ムラ社会」だけでなく政府や企業も同じなのだ。揉めない。トラブルを起こさない。そのために日本人はなるべく目立たないことを心がける。人と同じ行動をし、自己主張をしない。周りと協調する。新しいこと。これまでになかったことを始めると、みんなで止める。過去の例に従い、あちこちから批判されないように振る舞う。

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それが日本という国なのだ。役所も同様。会社でも同じ。学校でもそうだ。目立つことをするとイジメという形で粛清される。会社員は皆、紺のスーツ。似たような髪型。大学=>就職=>会社員というコースを皆が進む。さあ、それに対して困ったちゃん(私です!)は子供の頃からヒッピー。大学には行かず(結局、アメリカで行ったけど)就職もしない。会社員にもならない。

人がやらないことをする。当然、周りは困惑し、止めにかかる。僕には意味が分からなかったが、要は「人がしないことをすると止める!」のが日本人なのだ。個性派、変わり者が多い映画界でさえ、あれこれ言われた。

結局、高校時代に「映画監督になる!」と宣言。年月はかかったが、実現した。「製作費を集めて映画を撮る!」それも、3回やり遂げた。両方ともに「世の中甘くない!」「不可能だ!」と何人からも言われたが、実現できた。僕が特別な才能があるからではない。「新しいこと。例のないことをやるのは危険。不安。怖い!」と言う無意識があり、潰すことで安心したい。その圧力に屈するか?屈せずに進みかどうかなのだ。

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もう一つ。付け加えるならば、僕はわがままだ。自分の思いを抑えて我慢して暮らすことができない。世間は

「それを我慢するのが大人ですよ〜」

という。もちろん、何の努力もせずに「金持ちになりたい!」というのは違うがもし、自分が願うことがあるなら、どうすれば実現できるか?を考えて足掻いてみる。それで可能になればオーケーではないか?なのに日本人の多くは、世間体を気にし、新しいことを不安がり、よってたかって潰そうとする。賢い人たちはそんな周りの空気を読んで、大人しくしている。

でも、日本人も捨てたものではなく、時々、そんな習慣に縛られず、空気を読まないで大暴れする人たちが出て来る。織田信長とか、本田宗一郎とか、黒澤明とか、円谷英二とかは、それを実践したのではないだろうか?アメリカ人にはそういうタイプは多いが、日本にあるあのルールが人を縛り、押さえつけてしまうのだ。

ただ、これからの時代は自分にわがままでいいのではないか? 真面目に大学に行き、会社員になり、周りを気にして自分を殺して生きていても、リストラされたり、倒産したりする時代。それなら、習慣に縛られず、本当にしたいことをするべきではないか? 

どうにか食って行ければ、自分が好きな仕事をする方が楽しい。世の中、厳しいばかりではない。やれば何とかなる。「変わり者」がチャンスを掴む時代なのだ。そんな風に思えている。


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キャスティング権を欲しがる業界人=製作費をエサに近づいて来た怪しい人物? その魂胆は? [映画業界物語]

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キャスティング権を欲しがる業界人=製作費をエサに近づいて来た怪しい人物? その魂胆は?

キャスティング権を奪おうとする輩の話。前回書いた。簡単におさらいすると、そもそも俳優選びは監督の仕事。撮影現場で俳優と対峙するのは監督だ。自分のイメージする役柄を最大限に演じてくれる人を選ぶ。それが素晴らしい作品になることに繋がる。

にも関わらず、その権利を奪い。俳優事務所対して「お宅の俳優を起用してもいいよ〜」とチラつかせて、接待されたり裏金をもらったり、あるいは恩を売って次に繋げたり、ずる賢く業界を泳いで行こうとする連中がいる。大手事務所にそれは通用する。多くの新人を抱えているので、小さな作品でも自社タレントを出演させるのは魅力なのだ。あるとき、こんな連絡が来た。業界の人間である。

「スポンサーを探していると聞きました。貴社が希望している***社はよく存じているので紹介できます。代わりにそちらの映画のキャスティング権をこちらに頂きたく思います」

プロデュサーは「いい話じゃないですか!」と喜んだが、ちょっと待て!これは怪しい。そもそも、「キャスティング権をくれ」ということ自体が怪しい。それを欲しがるのは俳優事務所に対して優位に立ちたい。恩を売りたい。接待されたいという輩がほとんど。

「スポンサーを紹介する」

という。もし制作費を出資してくれると決まれば、ありがたい。でも、紹介はされたが出資は断られた。それでもキャスティング権をその人に渡さなければならないのだろう。「無事に出資が決まったら、キャスティング権を」とは言っていない。

「紹介する代わりに」

と言っている。その上、スポンサーにアプローチする方法が皆無という訳ではない。相手は大手企業だ。いろんな繋がりを見つけることができるはず。その怪しい人物だけがコンタクトできるということではないだろう。何より「キャスティング権」をよこせ!だ。それを与えてしまう監督というのは映画人失格だ。自分ではない誰かが選んだ俳優と一緒に作品を作りをして、いいものができない。

「この人に主人公を演じて欲しい。この俳優こそ***役だ!」

そう思う役者と仕事することが大事。「製作費を出すから!」と言われても与えてはいけない。ましてスポンサーを紹介するだけで、譲渡するのは最悪だ。Pは「それでも製作費が出れば...」と言ったが、断ることにした。

後日、別経由でその大企業にはアプローチできた。残念ながら製作費は無理だったが、別の形で大きな協力を頂いた。誘いに乗らなくてよかったと思える。キャストはオーディションで僕が全員を選んだ。皆、本当に頑張って素晴らしい作品になった。もし、あの怪しい人に任せていたら、

「何で、この役がこの俳優なの!!!!」

と撮影中、イラつき。後悔し、作品は不満足のまま完成。全てが終わっていただろう。監督が満足できない現場で、素晴らしい作品は絶対に生まれない。俳優の力は物凄く大きい。新入社員を部外者に選ばせるのと同じ。そんな社員が活躍できるはずがない。キャスティングは監督が選ぶこと、とても大事なのだ。甘い餌につられてはいけない。



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映画界に蠢く生き血を吸う連中=笑顔で近づいてくるが、入り込まれたら大変なことになる!? [映画業界物語]

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映画界に蠢く生き血を吸う連中=笑顔で近づいてくるが、入り込まれたら大変なことになる!?

太田組は毎回、素晴らしいスタッフが参加してくれる。お陰でどの作品も、多くの人に評価される感動作になるのだが、昔は色々と苦労があった。業界に知り合いがたくさんいる訳ではなく、スタッフの良し悪しも、ギャラの額も、技術のレベルも分からない。そして何より、ロクでもない奴が潜り込もうとするからだ。

そんな奴らに潜り込まれたらトラブルが続き、費用も、時間も、労力も無駄になる。敵国の破壊工作員が政府中枢に入り込むようなもの。彼らは国のためではなく、国を混乱させる使命を帯びて行動する。それと同じ輩が映画の世界にも存在する。スパイでも、工作員でも、

「私は怪しいですよ!」

という顔はしていない。また、詐欺師や知能犯と同様に、言葉巧みに近寄ってきて取り込もうとする。一度、チームに入り込まれると、他のスタッフに接触。親しくなり、言いくるめて、自分の行動に賛同させたり、反対しづらい環境作りをする。

その手の人々の目的は何か? 

まずは金。大した仕事をせずに高額なギャラを取ろうとする。名目をつけて経費を使う。「打ち合わせ」と称して飲み食いする。要は寄生虫のような奴ら。と言って全く素人ではなく、業界経験は長い。いろんな人を知っている。また、実力者、有名俳優や監督を知っている振りをする。頼りになりそうであり、いろいろ助けてもらえそうな感じがする。

それ以外でも

キャスティング権を奪いたがるというのがある。「それでどんな得があるの?」と思えるが、俳優事務所というのは映画やドラマに自社の役者を出したいと願う。が、小さな役でもなかなか難しい。新人や無名はノーギャラでも仕事がしたいのに、それでも役をもらうのは至難の技。

そんな事務所に対してキャスティング権を持つと優位に立てる。接待されることもある。飲み食いして、裏金をもらえたりもする。大手事務所に対してでも新人を大量に起用すると持ちかけ、恩を売ることができる。事務所からするとキャスティング権を持つ人間は無下にはできない。

本来、キャスティングはその作品に相応しい俳優を探し、候補を上げ監督に推薦。決める。演技事務やキャスティング・プロデュサー(ディレクター)という人たちが探し、最終決定は監督がする。なのに、その権利を奪おうとする輩が多い。

監督以外が、物語を把握していない者

現場で演出をしない奴がキャスティングすること自体がおかしい。にも関わらず、いろんな利権を持てるので、あれこれエサをぶら下げて得ようとする。そんな風にノミ、シラミ。ハエ、蚊のように生き血を吸う輩が業界にはたくさんいる。

そんな連中の正体を見抜き、

ブロックする。排除することが大事。その種の奴らに嫌われても問題はない。それができないと製作プロジェクトはタイタニック号になり、沈没の危険をはらんで航行することになる。映画製作だけではない。友達関係でも、ご近所付き合いでも、仕事でも同じだろう。生き血を吸う連中はどこにでもいる。



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映画監督業=嫌われても、感動できる映画を作るのが仕事。 [映画業界物語]

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映画監督業=嫌われても、感動できる映画を作るのが仕事。

前回書いた映画撮影の話ーある町のレストラン店長が申し出ー「うちの店でロケしてほしい!」それを断ったがばかりに、あれこれ悪口を言って回られた。でも、イメージに合わない場所で撮影して、映画のクオリティを落とせない。店長には嫌われても、物語に相応しいロケ地を選び撮影することが大事。

ただ、映画の応援してくれていた若い兄ちゃん。途中から来なくなった。

「監督がいろいろ口うるさくいので、手伝いを辞めた...」

といってるらしい。確かに僕はうるさい。映画撮影は遊びじゃない。いい加減なことでは困る。が、彼はとてもよくやってくれていた。心配になりメールしたが返事なし。聞くと、例の店長と仕事でつながりがあるらしい。

「あんな監督の応援はしない方がいいぞ! 利用されるだけだ!」

何度も言われたらしい。手伝いに行ったことがバレると

「お前、いい加減にしろ! どっちの味方だ!」

怒鳴られたという。応援しづらくなった。映画を手伝えばすぐ店長の耳に入る。だから、手伝いを辞めた。

「映画の話をすると、店長が怒り出すから辞めた...」

と言うと険悪になるので「監督がうるさいから、もう辞めた」と周りには説明した。そういうことなら、僕が嫌われ役になればいい。映画が終われば街からいなくなる。でも、店長とはこれからも付き合いがあるだろう。そちらを優先するのは当然だ。

他にも数人。映画撮影に来なくなった人たちがいる。やはり店長と何かで関わる人たち。ただ、彼らからはメールの返事があった。

「映画を手伝うと、店長から怒鳴られます。短い期間でしたが映画の撮影、楽しかったです。一生の思い出です。これからも頑張ってください。店長がface Bookを毎日確認して僕らがーいいねーしてないか見ているので、表立ったことはできませんが、遠くから応援しています!」

店長に嫌われたがばかりに、応援団の人たちにも影響が出てしまったので、店長に謝りに行こうとしたことがある。が、会ってくれなかった。そのあとも「許せない!」と言っていたらしい。問題ある人だが本当の悪人ではない。けど、映画撮影での配慮はできなかった。「うちで撮ってほしい!」という人は他にもたくさんいた。

大事なのは映画に相応しい場所で撮ること。嫌われても、それは曲げられない。そのことで両者に気兼ねすることになった人たちには申し訳ないが、監督業は嫌われることも仕事の内。もし、店長にいい顔をしていたら、きっと他の誰かに嫌われたはずだ。あるいは信用を無くしただろう。どんな仕事でも、プライベートでもそれは同じではないだろうか?


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嫌われても、いい映画を撮るか? 嫌われないようにして質を落とすか?=嫌われるのも監督業のうち? [映画業界物語]

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嫌われても、いい映画を撮るか? 嫌われないようにして質を落とすか?=嫌われるのも監督業のうち?

嫌われる大切さー記事。予想外に好評。周りに気遣いして自分を曲げ、悩んでいる人が多いということだ。そこで同様の記事をもう一つ。僕は地方でよく映画を撮る。町の魅力を発信する町興し映画が多い。かなり昔の話だが、撮影予定の街であるレストランの店長と知り合った。

「街のアピールになるし、応援するよ!」

と、いろんな人を紹介してくれた。二度ほどランチを奢ってくれた。「俺の店。撮影で使ってもいいよ!」と何度も言ってくれた。が、残念ながらイメージが違う。そのことは伝えた。

映画作りは町のグループが推進している。順調に進んでいた。その内に店長が「俺の店で撮影するんだよ!」と言い回っていると聞く。承諾はしていない。そのことを伝えた。

「えー、もうみんなに言ってしまったし、撮ってもらわないと困るよ〜」

と言いだす。その内に別に古い食堂が見つかる。そちらの方が物語に相応しい。さて、どうするか? 聞き込みをすると背景が見えて来た。

そのレストランの経営は苦しいそうだ。映画で宣伝になることを期待し、店長は近づいて来たのだ。町のアピールではなく、店のことが大事のようだ。撮影された場所や店は今風にいうと「聖地巡り」と呼ばれて観光客が訪れるスポットになることが多い。それを期待しているのだ。

選挙でも、大口の票を集めたから、当選後はお返しをしてもらおうと議員にたかる人たちがいる。それ目当てに選挙応援。それは違う。その候補者の公約が素晴らしいから応援するのだ。見返りを期待するべきではない。それは癒着だ。

映画も同じ。プロデュサーの奥さんがやっている店で撮影したり、町の顔役の家でロケしたりということがよくある。そのロケ地が物語にふさわしければ構わない。が、明らかに違うのに撮影するのは作品レベルが下がる。

だから、店長の店はもう一度、断った。すると彼は手のひら返し「恩知らず!」「応援してやったのによ〜」と怒鳴り付けられた。その後、町のあちこちでこう言い回った。

「監督に利用された。騙された!」

「あいつには気を付けた方がいい」「いいようにされるぞ」

「あれだけ応援したのに撮影が始まっても挨拶なしだ!」

と、店のロケを断ったことを言わず、応援したのに不義理をされたと言い換えて批判を繰り返した。

「それは酷いなあ」「市民を利用して映画作ってんだな〜」「金抜いたりしてるんだろ?」

一部の人は店長の言葉を鵜呑みにして、一緒になって批判をした。でも、それはごくごく一部で、映画は無事に完成。地元支援者たちも店長は問題がある人だと知っていた。ただ、本当の悪人ではない。経営が苦しいので映画でアピールしたかった。でも、だからと言って物語に合わない場所で撮影はできない。例え嫌われても、それはできない。

地方映画の場合。多くは何の見返りも求めず「故郷の魅力を伝える映画を作ろう」と頑張る。そうではなく欲得のため、利益のために近づいてくる人に好かれる必要はない。

「嫌われること」を怖れ、皆にいい顔をする人がいる。でも、この場合。店長と仲良くして、映画のクオリティを落とすより、嫌われる方がいい。全ての人と仲良くはできない。嫌われることを怖れていたら、前には進めない。


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