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戦争法案に反対しない日本人が多い背景=危険を察知できない人たち? [MyOpinion]

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戦争法案に反対しない日本人が多い背景=危険を察知できない人たち?

アメリカ留学をしている時、何人もの友人が訪ねて来た。街の案内をしたり、通訳をしたり、そんな中でいかに日本人は危機意識がないか?痛感することが何度もあった。ご存知の通りロスアンゼルスは犯罪都市。日常に危険が溢れている。それは映画でも紹介されているし、ガイドブックにも書いてある。にも関わらず多くの友人たちは東京にいるのと変わりない気分で旅行していた。

犯罪者に私を狙って下さい!といわんがばかりの行動。人混みの中、周りを気にせず高価なカメラで撮影する。レジで財布から多くのドルを出して、数えて渡す(映画「グリーンブック」でもそれで怖い目をする場面があった)。カフェでカバンを席に置いて料理を取りに行く。車に乗ってもドアをロックしない。いずれも非常に危険な行為。

僕は長年LAに住むことで、それらの危険性を覚えた訳ではない。日本にいる時から、聞こえて来た情報。映画から学んだことが多い。実際、LAに来てみると、それらの注意が必要なことを痛感。日本と違い、明らかに貧しい人たちが多い。日本人は皆、金持ちだと思われている。小柄で弱そうな日本人は格好のターゲット。

日本人はセカンドバッグを持って歩く(LAではカバン類はほとんど持たない)「狙って下さい!」とアピールしているようなもの。なぜ、彼ら彼女らは「ここは日本ではない。LAなんだ」と言う意識がなかったのだろう?

日本にいても情報はある。出発前に経験者から注意を受けたと言う連中もいた。にも関わらずセカンドバッグをテーブルに置いてハンバーガーを買いに行く、人前で財布を開いてドル札を数える。僕が注意すると「うるさいなあ〜」と言う表情。一度、怖い目に遭えばいいのだが、LAでは下手すると殺されるかもしれない。

うるさく言うことで、危険な目に遭わず帰国するのだが、お陰で怖い目に遭うことがなかったという感謝はなく、うるさく言われたという記憶しかないようだった。留学生でもLAに来たばかりの若い連中は、あえて危険なエリアに行こうとする。肝試し感覚。が、それは勇気ではなく、無謀なだけだ。サファリーパークのバスを平原で降りるのと同じ。勇気ではなくバカ。

想像力がない。危険なエリアには日本人が行くだけで目立つ。必ず狙われる。殺されるかもしれない。金を取られるだけでは済まない。相手は銃を持っている可能性もある。そんな計画をするのは、リアリティがないから。まさか、殺されることはないだろうと考える。

旅行に来た友人たちも同じ。知識としては危険なことを知っているが、経験がない。犯罪は映画でしか見たことがない。現実に起こり得ることなのに、映画の世界だと考える。長年、安全な日本で生活していて、その習慣から離れられない。東京と同じようにレジで財布を出して、札を数えて支払う。バッグをテーブルに置いてハンバーガーを買いに行く。

つまり、情報は持っているが、それが現実のこととは思えず、いつもの日常を繰り返してしまう。だが、実際に犯罪に遭えばこういうだろう。

「何で私がこんな目に遭わなければならないの! こんなことになるとは思わなかった!」

同じことは今の日本にも言える。集団的自衛権、特定秘密保護法、安保法制、日本が戦争ができる国になるための法案が、次々に強行採決されている。が、多くは会社や学校に通い、飲み会をして、デートして、美味しいものを食べて、テレビを見て、お笑い番組で笑い、国会よりも明日着て行く服を心配する。

LAに来た友達は同じだ。身近な危険を全く想像しない。リアリティを持てない。日本が戦争するなんて思えない。だって、70年も戦争してない。戦争は映画やテレビの中でしか見ない。バカな留学生が危険な地区に行きたがるように「戦争始まったら行ってみたい」という輩も出てくるだろう。だが、戦争が始まり、徴兵制が敷かれ、多くの日本人が戦場で死ぬと、こういうだろう。

「何で私がこんな目に遭わなければならないの!こんなことになるとは思わなかった!」

戦争は映画の中のことと思い込む、想像力の欠如した人たち。いつもの日常が延々と続くと思っている人たちがとても多い。それが戦争法案を可決させても政権の支持率が落ちない背景なのだろう。



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過労ホテル=ヘドロの海で目が覚める。 [健康]

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過労ホテル=ヘドロの海で目が覚める。

前にも書いたが過労で倒れた時は「過労ホテル」の法則?を思い出す。過労が良くなる経緯は大きなホテルの清掃と同じ。一つ一つの部屋の扉を開けて、掃除。最初は大した汚れではないが、しばらくすると扉を開けた途端にヘドロが吹き出して、ホテル中を汚してしまう。

まさにそんな感じ。少し良くなったな。と思っても後半戦の扉を開けてまた寝込むことが毎回ある。もう、いいだろう?と思っても、またヘドロが吹き出す。今回がまさにそれ。朝、起きる時の疲労感が酷く、まるでヘドロの中で起き上がるような不快感。

静養3週間目にそれが来たりもする。それを繰り返して「外に出たい!」と思えるようになれば回復なのだ。過労は病院に行っても治らない。医者も「できる限り休養するように」としか言わない。薬もダメ。栄養のあるものを食べて、しっかり睡眠時間を取る。仕事をしない。リラックスする。それしかないのだ。

簡単に言うと休まずに働いた土日、祝日分を改めて休むと言う感じだ。1年なら80日くらい? まあ、そんなには休めないが、毎回、最低1ヶ月は寝込む。以前は理解されなかったが、過労死やブラック企業での自殺が増えて、少し理解されるようになった。


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人は経験のないことが理解できない。=そのためにトラブルが解決できず、皆が悲しい思いをする? [MyOpinion]

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人は経験のないことが理解できない。=そのためにトラブルが解決できず、皆が悲しい思いをする?

先に犯罪の多いLAで無防備な行動を続ける日本人観光客の話を書いた。犯罪は映画の中の出来事を思っているので、自分が巻き込まれるというリアリティを持てない。レジで財布からドル札を取り出して数えたり(危険!)セカンドバッグをテーブルに置いてハンバーガーを買いに行ったり(置き引きされる)ということを平気でしてしまう。日本とLAは違うことを知りながら、日本での生活習慣を続ける。危険を察知、想像できない。

同じことは精神病にも言える。多くの人は精神病というと、気が狂った状態で、刃物を持って暴れると考えがちだ。また「シャイニング」のJ・ニコルソンのように同じ文字を、例えばブログに「死ね、死ね、死ね、死ね、死ね」と延々と書き続けている人と考えたりするが、精神病には多種多様な症状がある。それらをテレビの健康番組は絶対に伝えない。必ず人権問題だ!差別だ!と批判を受けるからだ。

そのことで精神病の知識を持つ日本人は少なく、精神病患者によって引き起こされた事象を理解できない。患者に悪意はないが、彼らのいう嘘や妄想を真に受けてしまう人がいる。そのことで騒動になる。多くの人が振り回される。そして罪のない同士が争ったり、憎みあったりしがち。

精神病については以前から何度も書いているので、そちらを読んでもらいたい。(「朝日のあたる家」監督日記ーカテゴリーにいくつもあります)今回、伝えたいのは、周りの対応だ。LAの場合、犯罪については知っていても、リアリティを持てずに危険な目に遭うケースが多い。が、精神病の場合は知識も情報もないので、余計に分かり辛い側面がある。例えば知識のある人が「あの社長が横暴なのは精神病のせいですよ」と伝えても、周りは理解しない。

「いくら酷い社長でも精神病というのは酷すぎるよ〜」

「精神病なら刃物を振り回して暴れるはず。社長は単なる嫌な奴!」

という取られ方をする。当然、患者は自分が病気であるという意識はない。病状による判断能力の欠如で、社員を振り回しているのだが、それに誰も気づかず。結局、社員は辞めていくばかり。社員にしても社長がなぜ、あんな無謀なことをするのか? 理解できず。我慢する。そして辞めて行く。

例えばある社長は双極性障害の患者、皆で会議で決めたことを後になり、独断で180度別の方向にしてしまい、皆の合意なしに進めてしまう。新しい判断をしてしまうのだ。先の社長がまさにそれだった。決定されたプロジェクトを社員は進めているのに、あとになり中止させて、誰も賛同してない別のプロジェクトをやれ!というのだ。費用も時間も無駄になる。何より社長への信頼が失われる。

が、それが症状。患者は根拠のない万能感を持つことが多く、経験のないことでも自分はできると思い込む。そして誰が見ても無謀と思えることに多額の資金をつぎ込んでしまいがち。周りが反対しても、理屈にならない主張を続け、質問にも答えない。周りが「質問に答えろ!」と怒り出すと「何度も答えているだろう。お前らこそ同じ質問ばかりするな」と逆ギレする。

もちろん、成功することはなく、会社はどんどんダメになる。個人の場合は貯金を使い果たし、借金までして、家族は大変なことになる。ただ、常識を超えた行動はなく、一見仕事熱心な人、やり手に見られることが多く、医者でも診断が難しい。その症状を知っている人が指摘しても、周りは理解しない。

「それ精神病じゃなくて、単なる馬鹿だよ!」

「おかしいのは社長じゃなくて、お前じゃないの?」

そんな反応になりがち。人は自分が知らないものを理解できない。知らないものを「ありえない」と思いがち。こうして患者も周りも救われることなく、誰も悪意がないのに騒動を続けてしまう。

犯罪都市LAを旅行するのに、安全な東京と同じ感覚で無防備に過ごしてしまう人でも、一応、危険があることは知っている。それでもリアリティがなく、犯罪者に狙われることをしてしまう。だったら精神病を全く知らない人に精神病患者の行動を説明しても、理解できないのは当然かもしれない。

人は知識や情報ではリアリティを持てないということ。まして知識がなければ余計にダメだ。自分が酷い目に遭った経験を持ち、初めて理解する。それでは動物と同じ。人も愚かな生き物だと思ってしまう。戦争法案が可決されても騒がない人たちが多いのも当然かもしれない。戦争が始まって初めて「嘘だろ?」というのだろう。

「朝日のあたる家」双極性障害について=>https://cinemacinema.blog.so-net.ne.jp/archive/c2305969587-1




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「アベンジャーズ」シリーズが新しい時代をスタートさせた。解説する。(下) [アベンジャーズ]

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「アベンジャーズ」シリーズが新しい時代をスタートさせた。解説する。(下)

例えば、「ウォーキングデッド」シリーズ。主人公はリック(今は違うが)だが、別のキャラが中心になるエピソードもある。

「Zネーション」では主人公でないアディがめい一杯出演。他のキャラがほとんど出てこない話もあった。僕らの世代で言えば「ウルトラセブン」だ。モロボシダンが主人公だが、「北へ還れ」はフルハシ隊員が主人公、「V3から来た男」はキリヤマ隊長が主人公。「遊星より愛を込めて」はアンヌ隊員だ。

これがシリーズものならでは表現。それによって脇のキャラクターの背景や歴史。思いが理解できて、ドラマがより面白くなる。ダメなドラマというのは主人公に都合のいい脇役がいて、それらのキャラの人生が描かれていない。「機動戦士ガンダム」のカイ・シデンも最初は嫌な奴だと思えているが、ミハルのエピソードから、応援したくなった。

人は(視聴者は)そのキャラの過程や歴史。思いや悲しみを知ることで感情移入したり共感して、応援したくなる。そして、そのキャラの行く末を見つめたくなり、死んでほしくない、幸せになってほしい。どうなるの?とドラマを真剣に見てしまう。それでいうと映画の場合。時間制限があり、2時間の中で何人ものキャラを描くことはできない。

「SW」でもルークの背景や歴史はしっかり描かれるが、ハン、レイアでも、それなりにしか見せてくれない。最近になり若き日のハンソロが映画になったりするが、映画では何人もを詳しく描くことは難しい。時間を取られて全体のレベルが下がってしまうからである。

ところがマーベルは主人公共演という新しい形を作り出した。「キャプテン・アメリカ」「アイアンマン」「ブラック・パンサー」でそれぞれのキャラを描いておけば、他の映画で見ても背景や歴史、思いは分かる。また「アベンジャーズ」は長いシリーズなので、主役ドラマがない人たちのドラマも描ける。

ブラック・ウイドウとハルクの恋。キャプテンとカーターの恋。バッキーとキャプテンの友情。アイ・ホークと家族。スパイダーマンとアイアンマンの親子に似た絆。それらが描かれることで、より深い物語になる。これまでテレビドラマではできたが、映画ではできなかったことだ。これは3部作形式でも無理で、やはり、それぞれのヒーローの主演作を多数制作することで初めて成立する。

ヒーローもののシリーズはこれまでも存在した。三部作もある。でも、このマーベルの方式はない。それによりテレビでしかできなかったメイン以外のキャラの人生や恋、苦悩や葛藤も描けるようになったのだ。その意味でマーベルが「アイアンマン」からスタートしたMCUの発想は素晴らしく、戦略なしではできなかったことだ。同じことをDCコミックもしているが、この方式が今後ハリウッドでも主流になっていくように思える。その意味でマーベルは歴史を映画を進化させ、時代を変えたのである。



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「アベンジャーズ」シリーズが新しい時代をスタートさせた。解説する。(上) [アベンジャーズ]

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「アベンジャーズ」シリーズが新しい時代をスタートさせた。解説する。(上)

一つの時代が終わり、新しい時代が始まったと感じている。「令和」のことではない、現在公開中の映画「エンドゲーム」のことだ。同時に「スターウォーズ」時代の終わりも感じる。趣味嗜好でそう感じるのではない。どちらかというと僕はDCコミック派なのだが、マーベル・ユニバースは映画を大きく前に進めたこと。解説したい。

映画は基本2時間前後。その中で物語は完結する。テレビドラマは1クール。12本で完結。1話完結ものもあるし、連続ものもある。この連続ものというのに映画は勝てなかった。2時間で描けるものもあるが、12時間かけないと描けない物語もある。例えば「ROOTS・ルーツ」はクンタキンテから6代に渡る黒人家族の物語だ。あれは2時間ではできない。

「巨人の星」も2時間では描けない。星飛雄馬の少年時代からジャイアンツでの活躍まで、延々と描くから面白く。その一部を切り出してもダメだ。だが、そんなテレビにしかできないことをやってのけたのが「スターウォーズ」シリーズだ。特に「帝国の逆襲」は「つづく」で終わる。昔々の映画。テレビのない時代。クリフハンガームービー等は毎回「つづく」でを終わり、続きは来週!という形の上映だったが、近代になってからはそれは無くなった。

その意味で「帝国」は画期的。大ヒットシリーズでしかできない冒険だった。興行的に成功しないと続編は作れない。しかし、「SW」はそれをやってのけて、新三部作まで制作した。それに触発された映画界は「ロード・オブ・ザ・リング」等の三部作ものを作るようになった。そのことで2時間で完結しない長編ドラマ。大河ドラマを映画でも見られるようになった。

が、まだ、テレビに敵わないところがある。次回説明。


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