ムラ社会ルールに縛られ続ける地方の人たち。なぜ、未だに江戸時代からの習慣を? [ムラ社会ルール]
ムラ社会ルールに縛られ続ける地方の人たち。なぜ、未だに江戸時代からの習慣を?
ムラ社会ルール5か条は以下の通り
①「トラブルが起こっても、見て見ぬふりをする。何事もなかった顔をする」
②「問題を起こした責任者を追求しない」
③「被害に遭った人が責任者を責めると、みんなで被害者を叩き、トラブルには触れず、無かったことにする」
④「トラブルを避け、問題を起こさないこと。人と違うことをしない。新しいことを受け入れず、協調を大事にする」
⑤「実質的なメリット。街全体のプラスより、個人のメンツや付き合い平穏を大切にする」
これらは全て江戸時代あたりからの地域社会でいかに平穏に暮らして行くか?揉め事を避けられるか?という思いから生まれて来た習慣だと思える。それが明治、大正、昭和、平成。そして令和時代にも引き継がれて行こうとしている。
不思議なのは、昔々なら田舎町から出ることは難しかった。交通も通信も不便。その村の中で交流するしかない。だが、今は交通の便も良くなり、通信手段も多様化。ネット時代でもある。隣町には車やバスで簡単に行ける。関所なんてないし。都会にも電車やバスで出られる。地元との交流がないからと生きて行けない訳ではない。
ただ、仕事が地元なら同僚。得意先としがらみができる。商売なら街の人たちが顧客だ。狭い世界で生きて行かねばならない。だが、そんなしがらみがなければ、トラブルを見て見ぬ振りをしなくても済むのではないか?と思える。なのに小さな田舎町ならいざ知らず。政令指定都市でも同じようなことを経験した。
時代が変わっているのに、江戸時代から(もっと前?)習慣から逃れられないでいるのはなぜか? 一つには長年に渡り、代々引き継がれたものはなかなか止めることができないということがあるだろう。ただ、都会では、その衛星都市では、その種の習慣はないとは言わないが、あまり見聞きしない。つまり、長年に渡って顔を合わせて生活している地区でその習慣が続いているということだ。
地方が活性化されないという問題がよく言われるが、その背後にムラ社会ルールが今も根付いていることで、新しい試みができない。あれこれ否定する人が出ても、誰も説得しないということがあるのではないか? それを多くの人は「ムラ社会ルール」に縛れているのではなく、「みんなと仲良くやらないといけない」「嫌われたくない」という思いにすり替えてはいないか?
役所も会社でもそうだが、狭い世界に長くいると、そんなルールに縛られてしまい、何もできなくなる。中から腐って行く。令和時代はその結末が見られるのではないか?と思える。では、どう考えればいいか? 別の機会に書かせてもらう。
2019-05-06 18:10
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