「インフィニティ・ウォー」再見して分かったこと=いろんな融合。うまくいってないのも? [アベンジャーズ]
「インフィニティ・ウォー」再見して分かったこと=いろんな融合。うまくいってない?
これで「アベンジャーズ」シリーズを全て2回ずつ見た。すでにここの作品については書いたが、DC コミックの方が好きで、どちらかと言うと元気な優等生的イメージが強いマーベルのヒーローにはあまり好感が持てなかったが、見直すとそうではないことが分かった。
キャプテンも、アイアンマンも、ブラックウイドウも、悲しみを抱えており、その中で真実を探す戦いを続けていることが分かる。その辺の伏線はシリーズをバラバラに見たのでは分かり辛いものがあった。が、それらが全て「エンドゲーム」で完結するのだ。
ただ、その意味では「インフィニティ・ウォー」はそれら伏線がほとんどなく、ひたすらサノスとの戦いに時間が割かれている。言い換えればネタ振りは前作の「シビル・ウォー」で済んでいて、「インフィニティ」はエピローグのための前半としての物語に徹底したのかもしれない。
とは思うが「悲しみ」がないことで単なる「SFアクション」に見えてしまう側面もある。クライマックスのワカンダの戦いは派手だし、スケール大きいし、「スパルタカス」の現代版で、面白く見れる。ソーの登場は拍手喝采。
対して、他の惑星の戦い、ソーの斧作りの星が絵本の世界に見えたのは僕だけか? 「スターウォーズ」では惑星タトウインはチェンジニア。惑星ホスはノルウェーでロケされいたが、こちらはスタジオでCG合成だ。そのせいで絵本のような世界に見える。「スターウォーズ」で言えば「帝国の逆襲」のダゴバ星(ヨーダの星)の感じで、やはりスタジオ感が強く、現実味が薄くなる。
つまり「インフィニティ」ではワカンダのみがロケ。そのために派手な戦いをしても、もう一息盛り上がらない。「エイジ・オブ・ウルトロン」の時は韓国ロケもしている。1作目はニューヨークだ。知った街が出てきて、そこで建物が壊れ、爆発が起こるとおーーと思うが、絵本のような惑星ではその現実味がかなり弱くなる。
そして何より「悲しみ」で言うと、キャプテンが愛するカーターは前作で死んでいるし、親友のバッキーは元気になり、味方だし、アイアンマンの両親の話は出て来ない。ブラック・ウイドウとハルクの恋も全く描かれない。(もちろん、それらを描く余裕もないだろう)唯一、ワンダとビジョンの恋だけが泣かせてくれる。
プラスして「ガーディアン・オブ・ギャラクシー」のメンバーもここから登場。コメディテイストの強い作品なので、「アベンジャーズ」世界とうまくマッチしていない気もする。ガモーラは重要なキャラとなるので、浮いている訳ではないが、コミック・リリーフがたくさんいると、ドラマ自体を停滞させることも感じる。その意味でほとんどが消されてしまい、アライグマだけが残ってコミックリリーフをするのは正解で「エンドゲーム」でそれは生きていた。
そんな意味でも一番出来が良くないのが、「インフィニティ」かもしれない。ただ、このシリーズは全部を繋げて初めて物語が出来上がるので、その1つだけ取り上げても意味はないかもしれない。そして、このエピソードがあるからこそ、完結編の「エンドゲーム」が盛り上がるのは確かだ。
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