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60代に近づくと自分が分かってくる? [MyOpinion]

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60代に近づくと自分が分かってくる?

90年代に「自分探し」というのが流行ったが、自分のことはなかなか分からない。何ができるのか? どんな人間なのか? 何をするべき存在なのか? 高校時代からずっと考えていた。

僕の場合は高校時代から「映画を作りたい」という思いがあったので、ある意味幸せだったかもしれない。多くは自分が何をすればいいのか?何をするべきか?考えるが、それが見つからず、普通に大学に行き、バイトして、コンパして、4年間遊んで卒業して、就職。サラリーマンになる。もちろん、その間にも「何かしたい!」という思いがあり、皆、趣味に、芸術に挑戦するのだが、多くは青春の思い出として終わる。

当時の僕はそんな友人たちを見て「根性がない!」と思ったが、今考えると、日本の教育システムがそれを許さない状況があったように思える。戦中に教育勅語を教えると同時に、世間が「戦争で勝つ」という流れになっていたことで、「一億総火の玉」みたいな狂った状態に陥った。

同じように「受験戦争」の中で「趣味にうつつを抜かしている場合ではない!」という思いが植え付けられて、誰もが勉強をし、サラリーマンになるという目に見えないベルトコンベアに乗せられていた。かなり強い意志の力を持って、そこから降りないと、社会に組み入れられてしまう。

また、そこから落ちこぼれると生きていけない。生活していけないかも?という不安も植え付けられている。「会社員にならないと安定した生活が送れない。不安な年月を送る」という恐怖に縛られているので、ベルトコンベアから降りるのは勇気というより、無謀と思えてしまう。バブル崩壊までは実質、そんな状況だっただろう。

今はベルトコンベアに乗っていると大変なことになってしまうことが実感されるが、まだまだ世の親たちはそれに気づかず、過去の価値観から離れられずにいる。日本の経済はすでに後進国レベルなのに、今も「ジャパン・アズ・ナンバー1」経済大国!と思い込んでいる大人たちがいる。

好きな仕事をしても、会社に就職しても、昔と違ってどちらも大変。いつ失業するか?分からない。また、どちらもスキルを持ってないと生き残れない。芸能人は個性が勝負だが、サラリーマンも同じように自分しかないスペシャルがないと生き残れない時代に入ってきたと思える(いや、すでにそうなっているだろう)話が逸れてしまったが、長くなったので続きはまた。


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学生時代に見たロックコンサート。映画の仕事をする上でとても役に立っている? [思い出物語]

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学生時代に見たロックコンサート。映画の仕事をする上でとても役に立っている?

映画監督業をやっていて思うことだが、若い頃からやっていたこと。親や教師から「そんなことばかりやってないで、勉強しなさい」と言われた「そんなこと」が今、とても役に立っている。学生時代に映画を見ていたのはもちろん。新旧名作、話題作は見ていないと映画界では話もできない。日本、アメリカ、ヨーロッパ、趣味に偏らず見ていないと世間話もできない。

それは当然であり、それだけでは足りない。僕の場合、役に立っているのは音楽。特にロック。中学時代のビートルズ、高校時代のローリングストーンズに始まり、横浜時代はBスプリングスティーン、LA時代はもう、あれこれ聴いた。コンサートもかなり行った。

スプリングスティーンの4時間半の

「ボーンインザUSA」ツアーから、エルトン・ジョン、スティング、ジョンリーフッカー、BBキング、ピンク・フロイド、マドンナ、マイケル・ジャクソン、レイチャールズ、チャック・ベリーと、それらをアメリカで観れたことは大きい。

そんなせいか、僕はよく自分の監督作を歌に例える。「朝日のあたる家」はアニマルズの歌からタイトルをもらったが、物語はスプリングスティーンの「マイホームタウン」だ。原発事故の映画を作ると決めた時、どんなスタイルがいいか?を考えて、あの歌詞を思い出した。まさに原発事故の街から去る家族のことを歌ったようで、あのラストシーンが生まれた。

「青い青い空」は「ハングリーハート」

だし、「向日葵の丘」は「ザ・リバー」だ。皆、スプリングスティーンだが、そこからスタートしている。歌だけではない。映画の構成はコンサートを模している。ストーンズのコンサートのクライマックスは「ブラウンシュガー」「サティスファクション」アンコールで「JJF」という構成。そのつるべ打ちを映画に取り入れたり。言葉では説明しづらいが。

現在、ヒット中の「ジョーカー」の監督はシナリオを読み「これはタクシードライバーだ」と感じて作ったはず。映画監督が映画からインスパイヤーされるのは当然だが、こちとら歌から来ているところがスペシャル。

そんな風に若い頃の経験があれこれ役に立っている。「あの頃、真面目に勉強しなくてよかった!」という感じだ。数学や化学をいくら教科書で勉強しても、映画作りには役立たない。いや、本当の数学や化学なら意味もあるだろうが、教科書のあれは「優秀なサラリーマンを選別するために触媒」にしか過ぎず、役に立つというものではない。検査液のようなものだ。

結局、授業で教わったことではなく、

親や教師に言われてやったことでないことが生きている。これ、映画の仕事でなくても、他でも同じような気がするのだが、続きはいずれまた。


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捻くれ者、我慢ができない。同じが嫌。ー日本社会からはみ出す?(下) [思い出物語]

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捻くれ者、我慢ができない。同じが嫌。ー日本社会からはみ出す?(下)

村社会ルールとは、

狭い村でトラブルを起こさずに、みんなと仲良く(表面的でいい)やっていくためのもの。1人だけ勝手なことをしない。周りの人と協調する。耕運機や田植え機がない時代。農家は皆の力を借りなければならなかった。だから、仲良くすることは大事。村八分にされると大変。自分だけ特別なことはしない。目立つこともしない。批判されることを避ける。そのためには皆と同じにする。

そんな村社会の風習が今も日本に

根付いている。ただ、都会では隣近所と付き合わなくても生活ができる。逆にうっとおしい。会ったら挨拶する程度の付き合いが可能。田舎はそうは行かない。よく田舎の近所のおばさんが「学校面白い?」「大学はどこにいくの?」「就職は?」「結婚は?」と声をかけるが、それは内部調査のようなもの。異分子がいないか? おかしなことはしていないか? と無意識に探っているのだ。

問題があればおばさんネットワークであちこちに連絡。事前に抑え込む。触れないようにする。村社会ならでは構図。僕が高校時代に「映画監督を目指す!」というそぶりをしたら、学校、親、親戚が寄ってたかって邪魔をしようとした。それも同じ構図だ。多くの人がしないことをすれば、みんなで潰す。それが日本社会。が、あれこれ言われて従うのが嫌だし、納得できないことをしたくなかった。

多くの子供たちは、日本社会に馴染み、従い、

その一員となっていく。それが大人になることだと考えた。だが、僕はひねくれ者というだけでなく、適応力もなかった。一度「おかしい!」と思うと、目をつぶって従う、我慢するということができない。そう、我慢強さも欠けていた。そう考えると、日本社会では落ちこぼれていくのが当然。ようやく、思う方向に進んで来たが、続きはまた。


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捻くれ者、我慢ができない。同じが嫌。ー日本社会からはみ出す?(上) [思い出物語]

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捻くれ者、我慢ができない。同じが嫌。ー日本社会からはみ出す?(上)

昔から人と同じが嫌だった。

それを世間ではひねくれ者と呼ぶ。1970年〜80年代は流行を追いかけることがカッコいい時代。最先端のファッションを身につけることで注目された。古くはだっこちゃん。パンタロン、ヘブンのTシャツ、コンバースのスニーカー、セーラーズのシャツ。制服は嫌だと言いながら、私服で同じファッションという日本人が多かった。

僕は捻くれ者なので、当時、角川映画も見なかった。あれだけテレビで宣伝されると「絶対に見ない!映画館へ行くもんか!」と思った。が、日頃、映画を見ないクラスメートの多くは映画館に行った。そんな背景から2つのことが見える。日本人は乗せられやすいということ。「今、***がブーム」とかいうと、それを追いかけ、遅れまいとする。

その背景には、「自分がない」「個人の主義主張がない」「志向性がない」だから乗せられやすい。加えて「皆と同じでないと不安」という村社会的な思い。そんなことが背景にあったはずだ。つまり、日本人は今も村社会ルールに縛られ、依存している。村社会ルールとは何か?説明する?

(つづく)


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仕組まれた自由に誰も気づかず、足掻いた高校時代を回想(後編) [思い出物語]

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仕組まれた自由に誰も気づかず、足掻いた高校時代を回想(後編)

「この学校はおかしい。こんな授業は意味がない。教師たちの言うことは変だ」

そう思っていたけど、同級生たちは拒否せず、それに従い、こう言う。

「だったら学校辞めればいいだろ?」

なぜ、教育に間違いや問題点を指摘せず、文句も言わず、ただただ受け入れるのか?「だったら、政治家になって教育を変えろよ」そう言われた。こうも言われた。

「ルールは守らなければならない。嫌なやめればいい....」

「ルールが間違ってんだよ!」

と僕は思ったのだが、これも今考えると彼らは洗脳済み。与えられたことに従い、決して逆らわないロボット・サラリーマン予備軍になっていたのだろう。と言って彼らに不満がない訳ではない。いい成績は取りたい。有名大学に行きたい。一流会社に就職したい。でも、勉強はしたくない。彼女が欲しい。テレビが見たい。でも、我慢して嫌々勉強する。でも、それが大人になること。それが社会に出ると言うことだと考えていた。

けど、それは洗脳教育に屈して、国が定めた教育検定で分けられ、自分の思いや意思とは関係なしに理不尽な指示にも従い働くサラリーマンロボットになることを受け入れたと言うこと。それは大人になることでも、社会に出ることでもない。いろんな道があるのに、国の政策でそう誘導されているだけ。

そう、戦時中に「兵隊になり、お国のために戦うこと」が素晴らしいと思い込まされた国策教育と同じ構図(「ドキュメンタリー沖縄戦」で紹介。沖縄で12月に完成披露上映会!)。今はそのこと理解できるが、当時は「落ちこぼれのダメな奴」とのレッテルを貼られ(戦時中なら非国民)荒れていた。が、実はいろんな道があり、自由な生き方が存在する。それが見えなくなっていた。いや、見えなくする環境が作り上げられていたのだ。続きはまた。


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仕組まれた自由に誰も気づかず、足掻いた高校時代を回想(前編) [思い出物語]

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仕組まれた自由に誰も気づかず、足掻いた高校時代を回想(前編)

先にも書いたが、高校時代は最悪だった。将来、役に立つと思えない授業。そんなことしか教えてくれない学校に1時間もかけて通う。毎日、重い教科書を持っていくのが規則。学校に置きっぱなしにしてはいけないと言われる。なのに、1日で進むのは数ページ。そのために300pの重い教科書を6冊。さらにノート6冊に副読本をカバンにつめて週6日、通学した。「それって罰ゲーム?」みたいな。

初夏で暑くて黒い制服を着て行く。6月まではそれが規則。授業中は隠れて映画雑誌を読む。ノートに落書きをする。窓から外を見ると大阪、天王寺区のビル街が見える。そこで午後3時まで。尾崎豊の歌詞のような生活。

♫「落書きの教科書と、外ばかり見てる俺。超高層ビルの海の中、 届かない夢を見てる...」

僕は当時から捻くれ者で、我慢が嫌い、適応力がなかった。完全に日本の教育から落ちこぼれていた。だが、今、考えると無意味な授業も、重い教科書も、不必要な校則も全て「理不尽を我慢する」という訓練ではなかったのだろうか? 会社員になり、上司から無理な命令を受けても文句言わずに従う。理屈を言わない。そんな練習を高校時代から、いや、小学校からするのが日本の教育なのだろう。

♫「大人たちは心を捨てろ捨てろというが、俺は嫌なのさ
退屈な授業が俺たちの全て、ならばー。
何て、ちっぽけで、何と意味のない、何て無力な15の夜ー」

まさに、そんな感じだった....。

(つづく)


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