「ドキュメンタリー沖縄戦」予告編 ー沖縄戦を正面から見つめる長編ドキュメンタリー。知られざる悲しみの歴史 [予告編]
次回作は何ですか?とよく聞かれる=沖縄戦が舞台の劇映画は撮れないものか? [2019]
次回作は何ですか?とよく聞かれる=沖縄戦が舞台の劇映画は撮れないものか?
3年かけて沖縄戦を取材。1時間45分のドキュメンタリーを製作。沖縄戦の決定版というべき内容で、専門家からの評価も高い。12月には那覇で完成披露上映会がある。そんな時、映画好きの友人から言われた。
「『ひめゆりの塔』の今井正監督、『沖縄決戦』の岡本喜八監督もすでに亡くなっている。他に沖縄戦を題材に映画撮った監督はいない。当時を知る世代は次々に鬼籍に入っている。今、日本で沖縄戦に詳しい映画監督は太田さんしかいませんよ」
ハッとした。戦争映画が好きな監督はいる。太平洋戦争を舞台に撮る監督もいる。だが、沖縄戦に興味を持ち、その事実を把握している監督は多分いないだろう。それも本で読んだだけでなく、実際に戦争体験者と会って話し、専門家の解説や指摘もあれこれ聞かせてもらった。戦地跡も訪れ、記録フィルムもかなり見た。友人は言う。
「次回作は沖縄戦ですよ!『ひめゆりの塔』も『沖縄決戦』もよくできているけど、『ドキュメンタリー沖縄戦』を見ると、戦争の一部を描いただけ、背景となる部分をあまり描いていないことが分かる。当時はそれができなかったのかもしれないけど。今後、本格的な沖縄戦の映画が出てくるとも思えない。そう考えると、太田さんが今、作るしかないですよ。本当の沖縄戦映画を」
確かに一理ある。それは僕でなくても作るべき作品だろう。沖縄戦は全ての日本人が知るべきものだし、それを伝えたるべきだ。ただ、問題は戦争映画は金がかかると言うこと。通常の青春映画でさえ、メジャーで製作すれば1〜2億円。僕はその半分くらいの額で毎回作るが、戦争映画となると4〜5億はかかるだろう。そんな額が僕の作品で集まる訳がない。その意味でいくら他の監督に撮れなくて、僕がいくら沖縄戦に関心を持っても実現は無理だ。
それからも、いろいろ考えた。戦争に怒りを持ち続けるベテラン監督たちは次々に亡くなっている。そんな中、僕は不思議な縁で沖縄戦を徹底して取材。すでにドキュメンタリーを作ったが、やはりドラマでないと伝わらないものもある。「朝日のあたる家」を作ったのも同じ理由。報道では伝えられない福島の悲しみを描きたかった。
何とか低予算で沖縄戦を描く映画ができないか? 実は沖縄のある町で地元映画を撮って欲しいと言われている。戦争映画ではない。いつもの僕のパターン。ふるさと映画であり、家族映画。それもずっと考え続けていた。が、何かプラスαが必要。タイムスリップとか、書道とか、映画研究部とか、そう考えていて家族物語の背景に、沖縄戦があるのはどうか?
あの映画のような感じ。「ディアハンター」ベトナム戦争の映画と思われがちだが、戦場シーンは意外に短く、ほとんどはアメリカの田舎町の話。あのスタイルを使えばできるかも? 戦場シーンは5分の1ほど。あとは現代にすればいつもより少し多めの製作費があればできる。「朝日のあたる家」以来の社会派ドラマであり、家族物語ができるかもしれない。もう少し考える。
宣伝会社と打ち合わせ。チラシの表面はほぼ出来ているが、 [沖縄上映会への道]
宣伝会社と打ち合わせ。チラシの表面はほぼ出来ているが、
あとは裏面。そしてポスター。12月上旬に沖縄上映会なので、その1ヶ月前、11月上旬には現地に送らねばならない。が、もう、10月も今週で終わり。間に合うのか? 本来なら3ヶ月前に宣伝準備を始めるのに、今回は2ヶ月切ってからのスタートだったので、バタバタを超えている。
宣伝担当から提案「沖縄の各所に宣材を送るとかなりの料金になる。特にポスターは折らずに送るので高くつく。それで数万円かかるのなら、監督が持って直接、沖縄に行ってもらった方がいろんな意味でプラスでは?」とのこと。「必要なら行きます!」ただ、当初の郵便代では足りないことも分かっており、他の何を削るかだ。そして僕のギャラや食事代は当然でない。
あと僕の作業としては、パンフレット用の原稿。沖縄戦の年表。米軍の進撃に合わせた地図、登場人物紹介、等。焦る!