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数日前から急に寒くなった。もう10月。夏ではないよなあ。 [2019]

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数日前から急に寒くなった。もう10月。夏ではないよなあ。

が、例年なら12月上旬までTシャツにパーカーでいられたと思える。「沖縄戦」上映会宣伝のための作業で朝から晩までバタバタ。実は今日が土曜日だと気づかなかった。ずっと金曜だと思っていた。忙しすぎる。

夏中、寝込んだ自宅入院生活。考えるとあっと言う間に終わってしまった。あれこれ溜まっていた本も読んだが、読めなかったものも何冊かある。DVDも何年も前から見なきゃ!と思いつつ、途中になっているのも多い。ま、あまりにも詰まらない作品だからだが、見ておかないと文句も言えない。それと、その種の映画が生まれてきた背景もあるはず。それを分析したいということもある。

山本太郎さんの話も書きたいが、なかなか時間がない。不器用なので何か1つするのに集中せねばできない。長時間考え、書いて、何度も書き直す。雑誌のライターをしていた頃。映画界で仕事を始める前だ。その時も編集者から言われた。

「太田さんはフットワークが重い。ライターは動きが早くないとダメなんです。ある映画がヒットしたら、それを取り上げ、ワールドカップが始まればすぐ、そちらを取材する。そんなフットワーク大事ですから」

確かにそうだ。「ジョーカー」がヒットしているからと、いつまでもジョーカーの話を書いていてはいけない。ラグビーが始まればすぐそちらに行く。でも、それができないので、ライターには向かなかったのだろう。むしろ、1作に何年もかける作家タイプだろう。

では、映画監督はどうか? 監督もいろいろいて、黒澤明監督は1作の準備に何年もかける。が、次々に仕事をする監督を見ていると、1本終わると、すぐに次の作品。同じ題材の漫画を読むだけで撮影に入ってしまう。当然、たいしたものはできないのだけど、予算内でまあまあのものを作るので、また次の依頼が来る。撮影中の休憩時間に次の映画の打ち合わせをするベテラン監督もいる。

僕にはいずれの真似もできない。良い悪いでなく、そんな器用には出来ない。と言って黒澤監督のように1本取ると監督料1000万円ということはないので、生活が大変。会社員と違い、どれだけ残業しても、何をしても、監督料は変わらないのだ。

ブラック企業を超えた仕事。でも、映画は多くの人を応援し、癒し、支えることがある。大切なことを伝えるものだ。だから手抜きは出来ない。手を抜いた作品は人を感動させられない。しかし、今日も寒いなあ。寒さで暗い内に目が覚めてしまった。


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どうすれば沖縄戦に関心を持ってもらえるか? この方法だ! [沖縄の現実]

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どうすれば沖縄戦に関心を持ってもらえるか? この方法だ!

1日に何度も記事を上げると「監督、寂しいのかもしれないなあ」と同情されたり「誰かに構って欲しいのかもね」と言われたりする。が、僕は何かを考えるとき、文章にすることが多い。頭の中で考えると、どうしても論理性が失われる。文章にすれば整合性や繰り返し、矛盾があってもすぐに気づくからだ。あれこれ勘違いなコメントがないようにという、前置きはこのくらいにして、沖縄戦のPR問題だ。

人は自分に被害が及ばないことには無関心。原発事故でも都民が「福島の人たち気の毒ね」という。お前ら都民が使う電力のために原発建てたんだぞ!と苛立つが、自身が被害がないとすぐに忘れる。

まして沖縄戦は74年前。遠く離れた沖縄だ。リゾート地としか考えていない人がほとんどだ。が、何とか完成披露上映会@沖縄を大成功させて、全国に世界に発信したい。その第1歩が盛り上がらないと全てが終わってしまう。


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この数ヶ月。「ドキュメンタリー沖縄戦」の見所、魅力を記事にしてきた。理解してくれる人たちもいて「上映会。沖縄まで行きます!」という方もおり感激した。が、相変わらず関心のなさを痛感することばかり。どうすればいい? 自身を振り返る。事故の前の原発への関心。どうだったか? 

僕の場合は高校時代に映画「チャイナシンドローム」を観ていたので、日本の原発はどうだろう?という興味があった。が、だからと言って独自に勉強したり、原発を見学に行ったりはしていない。沖縄戦も同様。リゾート地に興味がないこともあり、行ったこともなかった。

それと同じだろう。僕は商売柄、事件や事故に興味を持つが、多くの人は自身が巻き込まれないと関心を持たない。被害のない多くの人が原発反対を言い出したのも事故の後だ。次は自分たちも被害に遭うかもしれないという不安、子供達を守るための行動。だとすると、沖縄戦はより難しい。遠い島。過去のこと。同じような沖縄戦がもう一度起きることはない。被害には遭わない。

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では、僕自身は最初から興味津々だったか? 否。いつから真剣になったか? かなり沖縄戦が分かってきてからだ。最初は祈念館でも、戦跡でもピンと来なかった。つまり、食べたことのない料理を「健康にいいから食べなさい」と言われても、なかなか食べようと思わない。「将来役に立つから勉強しなさい」と親や教師に言われるのと同じ。

物凄くいい映画がある。でも、物語は陰鬱。関心が持てない。どうすれば見たくなるか? 答え=誰かよく知る人が、信頼できる人が見て「凄かったよ。絶対に見た方がいいよ!」と言われること。そうすれば「だったら、見てみようか?」と思うはずだ。それで思いついたが先のマスコミ試写会である。本来はマスコミだけだが、一般の観客にも見てもらおう。思いのある人に観てもらおうと考えたのだ...。



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大学に行かず、専門学校を中退。好き勝手したことが今、生きている? [MyOpinion]

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大学に行かず、専門学校を中退。好き勝手したことが今、生きている?

「これからの日本人に必要なこと。生き残るために大事なこと?」と言う記事を書いた。その中で事情通の知人は「これからの日本は大学の4年間でバイトとコンパ以外に何をしたか?で決まる」と言う。自身を思い返してみた。僕は高校時代に「この教育はおかしい!」と感じ「勉強しても意味ねえじゃん!」と結論づけた。日本の大学には進学しなかった。のちにアメリカの大学に入学するが、それは数年後。

高校時代に「映画監督になる!」と決めた。

そのために必要なことをしようと、関東の映画学校に進む。授業料が高い割には学ぶことがない。夏前に登校拒否。同じドロップアウト組と毎日、宴会していた。その頃、日本映画に新しい風が吹いた。20代の若い監督が続けてデビュー、大森一樹さんと石井聰互さん。ともに学生映画をやっていた。8ミリ映画ブームが始まる。僕もカメラを手にした。ドロップアウト組と映画を作った。

今、考えるとそれが勉強になっている。

学校でいくら日本映画史を学んでも、シナリオの書き方を教わってもダメ。実習で監督できるのは50人のクラスで3人。そいつのために高額の授業料を払うようなものだ。8ミリ映画なら自分で監督できる。講師たちは「君たちはプロを目指すんだから、8ミリなんてやってちゃダメだよ」と言っていたが、その後、8ミリ映画を撮っていた連中が続々、プロの監督になる時代が来た。

机の上で「映画監督になる方法」と言う本を読んでもダメ。名作映画ばかり見ていてはダメ(見ることも必要だけど、他も大事)実際に映像を撮ってこそ勉強になる。カメラ、照明、録音、音楽、効果音、演出、編集、オーアバーラップ。本で書かれていることを暗記しても役には立たない。実際に撮影して体で覚えることが大事。

カメラのメカニズムを覚えた。

俳優(ま、友達だけど)とのコミニュケーション。監督の役割の大きさ、重さ。シナリオ、撮影、編集。宣伝も、全て自分でやるので、色々分かる。なぜ、プロのカメランのように撮れないか? 考えて研究する。機材か? 腕か? いや、レンズだ! 友人からは「いつまでフラフラ映画なんかやってるんだ? いい加減に現実を見ろ」と注意された。が、それらがベースとなり、今は映画監督業で生活している。

8ミリカメラとシナリオは高校時代から、編集は専門学校時代に独学。学生映画を5年ほど。3本の長編と数本の短編を作った。もちろん、それだけではない。留学体験。帰国してからのライター業。メイキング時代。それらの経験も大きい。ただ、あのまま専門学校にいたら、普通に大学に行ってコンパとバイトで過ごしていたら監督業には繋がらなかっただろう。

先の記事で事情通の知人が言ったように大学の4年間は大きい。僕がどうにか映画監督業ができているのは、あの時の経験が全てのベースになっているから。これからの時代。映画でなくても、同じことを求められると言う話。ひどく納得した。

その記事=>https://okinawa2017.blog.so-net.ne.jp/2019-09-14-6


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「考える力」が貧しい人が「戦争するしかないでしょう!」と言い出す=それって?あの議員だけではない。 [戦争について]

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「考える力」が貧しい人が「戦争するしかないでしょう!」と言い出す=それって?あの議員だけでなく、あなたかもしれない。

日本人は「考える力」が育っていないこと。

最近、特に感じる。先にも書いたが「考える力」とは「今晩の夕食は何を食べようかなあ?」と考えることではない。洞察、想像、分析、推理することだ。考えることでダマされない。本質が分かる。嘘を見抜く。そうやって自分がやるべきことが見える。家族や仲間を守ることができる。

が、その力を日本の教育は育てない。

伸ばさない。むしろ、「考えない」作業をさせて、上からの指示に逆らわず、疑問を持たず、与えられたことを確実にこなすだけの人間に育つ教育が行われている。そしてテレビも同じ。次々に情報を繰り出して見る者に考えさせない。そんな教育と環境で育った日本人は自分で考えることをしない。与えられたことしか出来ない大人になってしまった。

Facebookのコメント欄を見ていても、「私はそうは思いません」「橋下は嫌いです」「そうとは限らないでしょう?」と書き込む人がいる。だが、なぜ、そう思わないのか? なぜ、嫌いなのか? では、どんな可能性があるのか?とは書かない。もちろん、長々とその理由を書かれても敵わないが、説明不足の短いコメントが目に付く。

その背景にあるのはやはり「考える力」

が貧弱だから。好き嫌いは言える。「嫌いです」「好きです」子供でも判断できる。が、どこが嫌いなのか?何が嫌いなのか?それを言葉にして相手に伝えることが苦手なのだ。なぜ、苦手か?考える力が貧しいからだ。アメリカでは学校教育で意見を言う授業があるが、日本でそんなことは教えない。

例えばホリエモンが嫌いとコメントする人。ならどこが嫌いか考えるべき。彼の発言か?なら、どんな発言で、どう感じ、どうおかしいと思ったのか? それを説明すればホリエモンが嫌いという意見に賛同したり、納得したりもする。

賛同できなければ、相手は別の側面を説明し、自分がホリエモンをどう感じているか?を伝えてくる。それが議論であり、多角的に考えることができる。が、日本人はよく「ホリエモンが好きだと!許せねえ。あんな奴を支持するやつはロクなもんじゃない」と感情的になり、罵倒したり相手をも嫌ったりする。

なぜ、嫌いなのか?を

相手に説明することができない。感情に囚われてしまう。それは幼いということ「考える力」がないから。考えればいろんな側面が見えてくる。結果、嫌いでも構わない。でも、ホリエモンのこんな部分を支持する人もいるんだ?と分かれば相手を感情的に攻撃することもない。

考えずに感情的に攻撃するタイプは利用されやすい。テレビで嫌韓報道があれば一緒になって批判する。考えないので誘導されやすい。「今、日本が攻撃されている」と政府が言えば「だったら、戦争するしかないでしょう」と多くが言い出すだろう。あの発言をした議員。東大出身。それでも考える力が育っていない。そんな風に扱いやすい大人を育てることが日本教育の目的だったのだ。では、どうすれば考える力がつくのか?別の機会に書かせてもらう。



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