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日本をダメにしたもの。この2つに尽きるんじゃない?=教育とムラ社会ルール? [MyOpinion]

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日本をダメにしたもの。この2つに尽きるんじゃない?=教育とムラ社会ルール?

ここしばらく、あれこれ書いてきて気づいたのは日本と日本人が抱える問題だ。なぜ、日本は不況から脱することができないか? なぜ、極悪な政権を止めることができないか? なぜ、日本は経済大国から極貧国に落ちてしまったのか?テレビ&新聞で毎日書かれる問題の背景に気づく。

①詰め込み教育。②ムラ社会ルール。

この2つがとても大きなことを感じる。この2つが連携して日本をダメにしているのだと思える。まず、教育。何度も何度も書いたが、日本の教育は優秀なサラリーマンを育てるもの。上からの指示に逆らわず、疑問を持たず、従順に、理不尽を感じても、意味がなくても、言われたことをする。与えられたことを確実にこなす能力を計り、成績のいい順にキャリア官僚、一流企業から順に採用した。

優秀な製品を作り売る。そのことで貿易黒字を増やし日本は経済大国になった。が、バブル崩壊以降、不況街道まっしぐら。他の国々は立ち直り、経済成長を続けているのに日本だけがなぜ? それは新しい時代に即した展開ができないから。与えられたことしかできない人たちが国や企業の上にいるから、対応できないのだろう。

1970年代。フジテレビも一流大学を中心に新人採用をしていた。そんな中で大学は大したことないが、面白い。ユニークな人材がいた場合。本社ではないが子会社で採用した。80年代になり、その時の個性的な面々が現場に出て大活躍。彼らが作ったのが「THE MANZAI」であり「ひょうきん族」「笑っていいとも!」だった。高視聴率を取りフジは業界のトップに躍り出る。

ところが日本の企業はそれをしてこなかった。だから海外から呼ぶしかない。なのにムラ社会ルールで追放。それがゴーン事件だろう。ムラ社会は「仲良しクラブ」本来の目的を忘れて、仲良くすることを優先。組織を腐られせて行く。教育によって考える力がない人たちは、嘘に振り回され、支持率が高い政権と考え、諦めてしまう。ネガティブキャンペーンにすぐ乗せられてしまう。

以前に書いた「議論」の授業がない日本の教育も問題。自分の意見が持てない。伝えることもできない。そして議論ができない。与えられた情報を鵜呑みにするだけ。だから、テレビ報道を盲信してしまう。
おまけにムラ社会では議論してはいけない。意見をいうとトラブルになる。仲間が問題を起こしても見てむぬふりをする。加害者ではなく被害者を叩くのもムラ社会。日本が抱えるほとんどの問題は①教育 ②ムラ社会ルール。この2つが背景にあると思えてくる。


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「皆んなと仲良くする」ことで会社がダメになる?=映画業界も考えてみた。 [MyOpinion]

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「皆んなと仲良くする」ことで会社がダメになる?=映画業界も考えてみた。

「皆んなと仲良くしないこと」が令和時代のテーマだと書いた。が、会社だと、なかなか難しい。同じ部署に嫌な奴がいても、ある程度は仲良くしなければならない。バカな部長がいても、煽てて、褒めて使わなければならない。そうなるので、日本の企業は今、不調なのではないか? 特に大手はこの先の打開案がないから内部留保して金を貯めるしか出来ないのではないか?

日本の企業。優秀な人材はいる。が、その人たちが無能な人たちと仲良くしながら、そんなことにエネルギーや時間を費やしているからこそ。企業は落ち目になって行くのではないか? 日産のゴーン追放劇も同じではないか?

乱暴な推理だが、同社の仲良しクラブの重役たちが「あいつムカつくよな!」と村社会体質でゴーンを引きずり下ろした。それで経営権を奪ったが、能力がないので業績が下がったということではないか? ムカついてもゴーンに経営させた方が会社の業績は伸びた。詰まらぬプライドと、会社本来の目的を見失い、仲良しクラブを優先したのが、今回の事件であるように感じる。

映画作りも同じだ。最初は監督が戦力になると思ってスタッフを集める。入れ替わりがながらレギュラーメンバーが決まる。俳優も顔ぶれが揃う。しかし、その中で甘えが出たり、ワガママを言いだす人もいる。

「俳優の**さん。このところ仕事なくて大変らしいよ。何かの役で呼んであげようよ」

違う。映画作りは職安ではない。その人が必要な時に声をかけるもの。プライベートは関係ない。こんな友人もいた。

「***さん。前回は色々ミスが多くて問題だったけど、次は頑張ると思うので声かけてやれよ」

これも違う。仲良しクラブではない。本人の意図せぬミス。不可抗力なら理解するが、彼女と揉めて現場で力入らないなんて完全アウト。映画スタッフは会社ではないので毎回同じメンバーである必要はない。馴れ合いになり、ミスを許しあうようではダメ。次頑張るはあり得ない。

大切なのは仲良くすることではない。素敵な作品を作ることだ。作品を作る上で仲良くはするが、それは二番目。周りと仲良くすることを最重要視すれば作品のレベルは確実に落ちる。そこから考えると、多くの会社の不調はそこが原因ではないだろうか?古い価値観や方法論を振り回す古参社員と仲良くし、彼らの気持ちを汲み、有能の社員が時間や労力を無駄にしているのが背景にないだろうか?


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皆んなと仲良くしないこと! 令和時代のテーマはそれだ?=今、日本人に必要なこと。 [MyOpinion]

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皆んなと仲良くしないこと! 令和時代のテーマはそれだ?=今、日本人に必要なこと。

学生時代。グループが出来て、そのどこかに属することが多い。何かにつけ一緒に行動する。不良は不良で集まり、女の子たちもそれぞれにグループを作る。が、これが結構、面倒臭い。「今度の日曜日。***へ行こう」とか誰かが言い出したら、嫌でも参加しなければならない空気がある。1、2度ならいいが、それが続くと「あいつ、何だよ!」ということになる仲間外れにされる。だから嫌でも付き合う。

最初は気が合う者同士の集まりだったのが、次第に強制的なグループになりがち。それが嫌だった。「日曜にバッティングセンターに行こう」とか言われても興味ないし、休みの日は映画に行きたい。他のことで金使いたくないし!まあ、10代から捻くれ者だったので、次第にクラスでも孤立して行った。それでなくても意味を見出せない高校の授業。さらに友達の付き合いで、興味ないことに時間を使いたくなかった。

今、考えてみると、これって村社会と同じ構図だ。近所の人たちと仲良くする。勝手なことをしない。協調性を持つ。嫌なことでも我慢する。ムカつく人とも穏やかに接する。僕には絶対に出来ない。つまり、グループというのは何か目的があって作られる。それがいつしか、目的が忘れられ「仲良くすること」が重要視され、我慢を強いられる。

20歳前後に学生映画を作っていた時も同じだった。仲間が集まり、プロになるのを目指して8ミリ映画を作った。が、次第に映画撮影の厳しさに音を上げる仲間が出てくる。真夏の撮影は厳しい。ギャラはない。飯代も自腹。遅刻してくる奴も出る。そのために撮影開始が遅れる。さらに金と時間が必要になる。

にも関わらず、遅刻して来る友人を「かわいそうだから待ってやろうよ」と言いだす仲間が出る。時間ないから置いて行こうというと「それでも友達か!」と怒りだす。しかし、そのグループの目的はプロを目指して映画を作ることであり、仲良しごっこではない。目的が違っている。村社会と同じ構図。どうも日本人の多くは、そんな体質が染み付いており、本来の目的を失い、仲良くすることに固執しがち。

しかし、仲良くするということは我慢すること。批判し合わないこと。本来の目的を失うこと。単なる仲良しクラブ化することが多い。見ざる。聞かざる。言わざる。ということだ。何だか今の日本を象徴しているようだ。だから日本は前に進めない。やはり、令和のテーマは「皆んなと仲良くしないこと」だと思えて来る。


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日本人の体質。意見を言わない。強い者には逆らわない?=なぜ、そうなったの? [MyOpinion]

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日本人の体質。意見を言わない。強い者には逆らわない?=なぜ、そうなったの?

映画の勉強がしたくてアメリカの大学に行った。ロスアンゼルスにある南カルフォルニア大学。「スターウォーズ」のジョージ・ルーカスが学んだ映画科がある。そこに運良く合格したが、あれこれ映画以外の勉強もしなければならないのには参った。

そんな一つにディスカッションのクラスがあった。アメリカはハイスクールから議論をする授業がある。決められたテーマを2つのグループで討論。どちらが正しいか?意見を戦わせる。これは日本の教育にはなかった。

僕の高校時代、学級会。誰も意見を言わない。不満があっても、疑問があっても黙っている。議論しない。教師には逆らわない。理不尽なことを言われても従う。一度、とんでもない教師がいて、僕は職員室に抗議に行ったことがある。どう考えても筋の通らない。説明を求めた。ら、その教師は逆ギレして「だったら俺の授業にはもう出るな!」と言い出した。

今、考えると、20代後半のお坊ちゃん教師だったのだと思える。が、僕から見れば大人。それも責任ある教師が「授業に出るな!」でいい訳ないだろう? 多分、彼は議論するという教育を受けておらず、反論されると論理的に説明できず、感情的になってしまう未熟な大人だったのだ。

ただ、問題は周りの反応だ。同級生は「あいつ教師に逆らってバカだ。内申下がる」と陰口。その理不尽教師は担任に告げ口。僕は担任に呼び出されて説教される。要は内容ではなく、教師に逆らったことを注意された。

注目すべきは僕のことではなく、周りの対応だ。理不尽な教師を批判せず、それに従わず反抗した僕を同級生たちは「バカだ」と評した。つまり、理不尽があっても我慢する。教師には逆らわない。大人しくして目をつけられないようにする。と言うのが、処世術だよ!と言わんかのような態度。ここから2つのことが分かる。

1つは意見を言わない。戦わせない。そのことで揉めたくない。という体質。日本の田舎ではよく見られる光景。だから、選挙でも誰を支持するか言わない人が多い。どの政党を支持するか公言しない。2つ目は強い立場の人と議論しない。抗議したり、意見を言ったりしない。僕の場合は教師だが、上司とか、政治家とかも同様。

ここから日本社会が見えてくる。40年前の高校時代。10代の子供達が、意見を言わない。討論しない。強い者には逆らわないと言う体質を身につけていた。また、教育の中で意見を言う。議論するということを教えない。だから、余計に意見が言えない。議論も苦手。結果、意見を言わず、多数に従う。強者に逆らわない。その2つが最大限に蔓延っているのが現在ではないか?

どんなに悪政が続いていも批判しない。我慢する。意見を言わない。政治家たちは調子に乗って悪政を続ける。ただ、その背景は今に始まったことではなく、僕が10代の頃からの延長線上にあるということなのだ。



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