「ドキュメンタリー沖縄戦」映画館公開中止問題=「我々で自主上映をしよう!」という人たち。それでは多くに沖縄戦を伝えられない?! [映画の行方?]
「ドキュメンタリー沖縄戦」映画館公開中止問題=「我々で自主上映をしよう!」という人たち。それでは多くに沖縄戦を伝えられない?!
「ドキュメンタリー沖縄戦」映画館公開中止問題=「我々で自主上映をしよう!」という人たち。それでは多くが見られない!
「映画館公開が中止でも、自主上映をして草の根で広げていけばいい。映画館でもいつか上映できるかもしれない!」
という意見を頂いた。映画を多くに見せていきたいとの思いを感じ、嬉しい。が、その方法では無理だ。説明する。映画館公開にこだわるのは桁違いの人に見せることができるから。自主上映だとホールを借りて、皆がボランティアで宣伝。集まる観客はせいぜい数百人。1日2?3回上映が精々。1週間上映なんてできない。
でも、映画館公開だと最低でも2週間上映。ホールと違い探さなくても映画館の場所は多くが知っている。ヒットすれば何ヶ月でもロングラン。何万人という観客が見る。その後はテレビ、ケーブル、衛星、ネット、DV D展開も可能。世界の映画祭にも出せる。数百万の人が見ることができる。
そんなチャンスがあるのに、なぜ、自主上映を訴える必要があるのだろう? おまけに何度も映画が上映されると、もう映画館ではかけてくれない。一番に上映するのが映画館。なので自主上映を続けたら、輪が広がる前に映画館上映はできなくなる。自主上映からテレビ、ケーブル、衛星という展開もまずない。マスコミも自主上映を扱うことはまずない。
でも、映画館で公開の新作映画ならこぞって紹介してくれる。そのことで多くの人が映画の存在を知る。「映画館」か「自主上映」かの選択は全然違う展開となる。沖縄戦を多いに知ってもらうという目的からすると、誰がどう考えても映画館公開を選ぶだろう。
通常、自主上映は映画館がやってくれないので、仕方なくホールを借り上映するもの。今回は配給会社も映画館もすでに手をあげている。スポンサーが決意すれば実現できる。そんな状況の中で「自主上映をしよう!」ということに意味はないだろう。映画館公開が何万人にも何十万人にも見せらる場所。それが大切なのだ。
あけましておめでとうございます。僕の年始年末は?-2020 [2020]
あけましておめでとうございます。僕の年始年末は?
今年もよろしくお願いします。
さて、昨日というか、昨年の31日。モスバーガーで申告用の領収書整理をしていたら、午後8時閉店とのこと。仕方なく部屋に戻る。何年か前なら、部屋でK1(格闘技です)見ながら仕事していたが、近年は見たい番組もなく、まして紅白は絶対に見ない(NHKはぶっつせ!)テレビ見ないと正月感ゼロなので、何か年末らしい映画を見ようと考えamazonプライムを調べる。
「昭和残俠伝 破れ傘」
これは正月らしい!昔、正月にはテレビでヤクザ映画が放送されていたので、なかなか正月気分。そのあとは「仁義なき戦い」第1部。焼酎を飲みながら見ていると腹が減り。あれこれ食べると、年越しそば用に買っていた緑のタヌキを食べるのを忘れた。
さて、日本人は大晦日に寺に行き、元旦には神社に行く。(クリスマスはキリスト教徒になる?)が、僕はどの宗教も大嫌い。神も仏も信じない。仕事柄いろんな宗教団体と接することがあるが、本当にクソのような連中が多い。そもそも宗教なんて「証明できぬ詐欺」のようなものだ。が、意外にも、どの団体にも必ず心ある人がいて、真剣に平和や幸せを考えている。
あの戦争賛成の平和団体でさえ、れいわ新撰組の野原善正さんのような素敵な人がいる。「ドキュメンタリー沖縄戦」完成披露上映会@那覇にも来てくれて、お話した。彼が選挙時の街頭演説で語ったように学会も上にいる人たちが組織を私利私欲に利用。権力を独占。暴走している。そのために教団自体が腐ってしまうということだ。
あの強大な宗教団体も同じ。トップがクソだ。そのために教団自体が大いなる信頼を失おうとしている。そんな事情も分かって来たが、捻くれ者の僕は本来、宗教嫌い。正月でも寺や神社には行かない。特に神社は神社庁という組織があり、あの日本会議と繋がっている。寺も神社も戦争推進派が多いのだ。
そんなことで元旦から仕事。領収書整理パート2。部屋の大掃除。「沖縄戦」資料の整理。やることは山積みだ。さて、今年も戦いが始まる!