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日本映画はなぜ面白くないか?=「デビルマン」事件を思い出す。 [映画業界物語]

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日本映画はなぜ面白くないか?=「デビルマン」事件を思い出す。

「フォードVSフェラーリ」を見ていて、自動車会社も映画業界と同じだなあと感じた。いや、映画業界だけでなく組織というのはどこも似たようなものかもしれない。同作品ではフォードがルマンに参戦のために、その道のプロフェショナルを雇い。外部チームでレーシングマシン開発に挑むのだが、上層部が邪魔してばかり。敵はフェラーリなのに、一番の敵はフォードと言うバカな構図になってしまう。

その背景にあるのは先日から書いている「仲良しクラブ」であり「ムラ社会」だ。アメリカでも同じような環境か?と思えるほど(実はかなり違うが、それは別の機会に)日本の映画業界でもこんなことがあった。漫画の金字塔「デビルマン」を原作に映画を製作しようとした大手映画会社。当然、監督はその漫画を熟知し愛がある人が担当すべき。少なくてSFや漫画に精通している人だ。が、会社は自社でよく仕事をする忠実な存在。コントロールできる監督を選んだ。彼の得意なジャンルは高校生の喧嘩もの?

さらに何と「デビルマン」を読んだことがなく、依頼を受けてから急いで本屋に行ったと言うから大変。完成した作品は批判の嵐。原作ファンからも、原作を知らない人からも非難轟々。「何だあれは!」と言う出来だった。難しい原作なので完成度が低くなるのは分かるが、明らかに愛がなく、物語を理解していない。そもそも原作も読んでいない(その段階で近代を生きる監督として失格)そんな監督を起用すること自体がアウト。

だが、会社は原作を理解し、素晴らしい作品を作る監督より、自社でよく仕事をする。コントロールの効く存在を選んだのだ。フォードの場合は優秀な外部チームに任せながら、委員会を設置、あれこれ無意味な指示をし、チームをコントロールしようとした。「デビルマン」と似たような構図。が、まだ、フォードは専門家に依頼しただけマシなのかもしれない。

日本映画会社の場合は、その監督が相応しいかどうかより、自社に関係しているか? コントロールできるか?を優先しがち。特に最近の委員会システムはいろんな会社が入るので、それぞれが勝手なことをいい、監督がまとめて、皆の顔を立てるいう形が多い。そんなことで面白い映画が出来る訳がない。ど素人であるスポンサーたちの最大公約数的な物語しかできない。

日本映画の大作が詰まらない背景はそこにある。映画でも、車でも、その道のプロフェッショナルが担当し、周りがあれこれ言うべきではない。まして会社の都合を優先してはいけない。黒澤明の映画が面白いのは会社が何を言っても聞かず、黒澤が本当に作りたい映画を作ったから。映画も車も同じ。巨大組織から新しいものが生まれない。時代を変えていけない理由はそこにあるのだ。




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「フォードVSフェラーリ」はまさにゴーン事件の日産を思わす。=大企業の上層部は腐りやすく、優秀な外部人材を排除? [映画&ドラマ感想]

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「フォードVSフェラーリ」はまさにゴーン事件の日産を思わす。=大企業の上層部は腐りやすく、優秀な外部人材を排除?

予告編を見ると「プロジェクトX」的な事実を描いたノンフィクション・ドラマ。ル・マンの耐久レースであのフェラーリを負かしたフォードのプロジェクトチームの汗と努力の物語だと感じ興味を持った。もともと、車やレースには興味ないが不可能に挑む人たちの生き様には強い共感がある。

が、映画を見ると少々違った。名門フェラーリに挑む、量産型自動車を作るアメリカチームの戦いではあるが、物語はフォード2世からの依頼を受けて頑張る外部プロジェクトチームを、フォード上層部がどれだけ邪魔をして、足を引っ張り、ルマンで勝てないようにしたか?の物語である。

僕もほぼ同じ経験がある。ある団体が素晴らしい目的を掲げる。が、自社ではできない。外部に依頼。僕らが参加したチームが様々な困難を超えて前へ進む。が、次第に組織上層部が邪魔を始める。踏みつけてくる。「依頼したのはお前たちだろ!」まさにそれを経験した。この映画の場合はフォード側はまず、外部委託したチームの上に数百人の委員会を設置。そこが精査、計画したものを押し付ける。

そもそも、フォード内部では勝てる車が作れないので、優秀な外部チームを雇ったのに、その上に無能な上層部の委員会を置くなんて本末転倒。彼らが考え計画したことは、良かれと思ってしても、マイナスばかり。また、発想自体が「勝つこと」「優秀なエンジンを作ること」より、フォードのイメージ。評判を損なわないことを優先。勘違い甚だしい。

会社内には仲良しクラブも派閥もある。それらを差し置き外部チームが優遇、賞賛されることを彼らは好まない。まるでゴーン事件の日産だ。社の業績が上がることより、手柄を外部の者に持っていかれることが許せない。映画でもフォードがすることはそんなことの連続。それに耐え、戦いながら外部チームはル・マンに出場。見事に優勝するのだが.....と言う物語。

もう、他人事とは思えず、イライラの連続。ヘンリーフォード2世に諛う取り巻きたち。小賢しく、取り入ることしかできない。そんな連中にチヤホヤされ載せられる2世。映画製作でもそんな光景を何度も経験した。そんな体制でいいものはできない。実際、この映画の後日談として、外部チームが抜けた後フォードは1度も優秀していない。そして、80年代に入ると日本車に追い越されて行く。

大組織ではトップに諛うだけの取り巻きばかりが集まり、ご機嫌取りを始め、社の方針を間違い、崩壊して行く。組織も政府も同じ末路を辿ること痛感する。



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