仕事でドキュメンタリーを作っているつもりはない。これは誰かがやらなければならないこと。沖縄戦を知ること。それが日本人が未来を考えること。 [編集作業]
仕事でドキュメンタリーを作っているつもりはない。これは誰かがやらなければならないこと。沖縄戦を知ること。それが日本人が未来を考えること。
編集は本当に自分との戦いだ。外部を遮断。連絡を取らず、自分を追い詰め、題材と向き合う。食事と食材の買い出し以外は外出しない。が、モニター画面を見つめてもなかなか作業できないこともある。
何がいけなのか? 体調か? 作業の問題か? それとも精神的な疲れか? あれこれ考える。体調なら寒さのせいかもしれない。昼でも暖房を入れてみる。熱いお茶を飲んでみる。
作業の問題なら、具体的に何が問題か?考える。今、作業しているところを後回しにして、やりやすいところから作業するのも一つ。気分が乗らないのなら、戦争映画の音楽を流しながらやる。もう一度、資料を読んでみる。自分を沖縄戦に送り込む。
昔はPがよく電話してきた。「調子はどうですか?」それが何よりも邪魔だ。乗って編集していたのに、それで数日作業が止まったこともある。今は誰も連絡して来ない。友人も僕が編集をしていると知ると電話はかけて来ない。ありがたい。
でも、誰からも何も言われないという状態もそれはそれで厳しい。人は何も言われないと、なかなか動けない。自分に火の粉が降りかからないと行動しない。会社に行き、デスクに着き、上司から指示があるから仕事をする面がある。それを何も言われない。何も指示されない。自分で考えて、自分で計画して、作業するのもなかなか大変。
サボろうと思えばいくらでも、サボれる。「今日はお休み!」と決めれば休める。ただ、締切だけは変わらない。そこでクオリティの低い、手抜き作品を見せるか? 「おー流石だ」と言わせる作品を見せるか?それだけなのだ。そのためには、あと2ヶ月あれば、いつ頃までに、何を片付ける!と大雑把な予定を立て作業する。
本来、3ヶ月必要な作業を2ヶ月でやらねばならない。作業に専念できればいいが、仕上げ作業の連絡を各位にもしなければならない。交渉もある。事実上のPは僕なので、誰も代わりに連絡してもらえない。雇うことができた。が、そうなると人件費が派生。沖縄取材7回が6回か5回に減っただろう。
決してギャラが良い訳でもない。しかし、これはやり遂げなければならない。沖縄戦を伝える作品を完成させねばならない。仕事という枠ではない。それならギャラ安すぎ。時間無さ過ぎ。でも、仕事ではなく、やらなければならないことだ。
今、日本人に必要なこと。沖縄戦を通して、戦争を知ること。アメリカを知ること。日本を知ることだと思う。その中で僕ができること。それがこのドキュメンタリーなのだと思えている。
何を削除し、何を加えるか? どれが一番、観客に分かりやすく、戦争の悲劇が伝わるか?=ドキュメンタリー手法につて [編集作業]
何を削除し、何を加えるか? どれが一番、観客に分かりやすく、戦争の悲劇が伝わるか?=ドキュメンタリー手法につて
昨日の作業。「渡嘉敷島」編。なかなかの苦戦。というのも、このエピソードはさらに「渡嘉敷島」編②がある、①だけを先に編集してもダメなことに途中で気づいた。なので本日②を作業。その上で編集していく。
山登りと同じで、5合目は楽に到着したが、4合目は風が強くて通常の2倍時間がかかった。というのと似ている。「渡嘉敷編」は本日もアタック。
もう一つ難しいところは、インタビューは狙いを決めて、ただ短くすればいいというものではない。というのは、戦争体験を話してくれた方は皆、一般の方。つまり、アナウンサーやレポーターではない。見たことを分かりやすく伝えることが仕事ではない。なので、お話を聞いていて意味が分からない。状態が分からないということがある。
例えば、海外旅行に行ってきた。感動的な体験をした。同じ経験をしたことのある友達に話せば、すぐに共感してもらえる。が、その国に行ったことのない人は、国の状況から説明する必要がある。なぜ、そのことが感動的なのか?も説明せねば、分かってもらえないかもしれない。
話す本人はその場にいたので、自分の思いだけを説明しがちだが、周りの状況。客観的な説明。その国の状況&習慣なども説明しないと相手に伝わらない、想像してもらえないということがある。言葉だけで体験を伝えるのは考える以上に難しいもの。
僕の友人でも、日本語で話しているのに、何を言わんとするのか?ときどき分からない奴がいるが、主観で自分が見たことしか話さないからだ。
アナウンサーという仕事はラジオで、リスナーが見ることのできない光景を言葉を使って説明したりする。古舘伊知郎さんは、若い頃、みのもんたさんと車に乗っていて、急に「今、見ている車窓を中継してごらん!」と言われたという。
「前方に見えて参りましたのが、長野県***市の市役所です。近代的なコンクリート建設で、そのおしゃれなデザインが印象的。例えれば花鳥風月花の舞という感じでしょうか? その向こうに見えてきたのは長野県名産の***の工場であります...」
そんな風に先輩に鍛えられ、アナウンサーやレポーター。あるいは記者や雑誌ライター、編集者等。言葉で何かを伝える仕事をする人たちは日頃からその表現力磨いている。が、一般の人はそこまですることはなく、特別な状況を伝えるのは、なかなか難しい。
ただ、沖縄でお話を伺った方々はもう何十年も、沖縄戦の体験を伝えている方が多かったので、基本的にはよく分かる。が、こちらの想像力も貧しく、また、沖縄戦の知識が分からないと理解できない部分もあり、証言映像を見いるだけでは分からない部分もある。そこで、証言の一部を要約してナレーターが説明するという手法を使う。
そして証言の多くは理路整然と進まないことも多く、話があちこちに飛んだりもするので、それを整理してナレーションとする。ただ、あまりにその手法を使うと「体験談」ではなく、「情報」になってしまい、リアリティがなくなる。悲しみや辛さが伝わらない。例え証言者が何を言っているか?分からないパートがあっても、そのまま収録した方が戦争というものが伝わることもある。
その判断。とても難しい。昨日はそれで苦戦した。単に重要な部分だけ切り出して繋いでもダメ。どこをそのまま使い、どこをナレーションにするか? そしてナレーションのバックにはどんな映像を使うか? テレビ番組では再現映像を作る挿入することが多いが、今回はそんな予算もなく、また、その種のものではない表現にしたい。
それを考えなながら証言映像を見ていると、神経が切れそうになる。一つの側面だけでなく、3つも4つも面があり、それをどう繋げ、何を削除し、何を加えるか? その内のどれが一番、観客に分かりやすく、戦争の悲劇が伝わるか? 方法は何百通りもある。それをまず、あれこれ考えて、その中から選ばねばならない。本日も作業を続ける。
「Zネーション」シーズン2に突入! ハラハラドキドキ、時々感動?! [映画&ドラマ感想]
「Zネーション」シーズン2に突入! ハラハラドキドキ、時々感動?!
アメリカの連続ドラマは通常。人気がないと、シーズン1で終わる。なので、最終回では一応、物語が完結するようになっている。が、「Z」は「続く」で終わる。
それもめっちゃいいところで終わる。シーズン1の人気が出たので、放送中にシーズン2製作が決定したということ。完結させずに、続くにしたのだ。「ストレンジャー・シングス」も同じ構図で、最終話にはあれこれシーズン2の伏線が貼られていた。
さて、「Z」シーズン2だが、物語というのは同じ繰り返しだと視聴者は飽きてしまう。新しい何か?を加えなけれならない。しかし、その作品の定義からはみ出したらアウト。例えば「007」シリーズの定義。
①主人公はJボンド=イギリスのスパイ。
②悪役は敵国のスパイか、国際的な秘密結社。
これを次回作では地球を狙う宇宙人が悪役!というのはアウト。007の定義から外れてしまう。SFではない、スパイものなのだ。それでいうと「Z」の定義は、
①ゾンビが溢れる未来世界。
②目的はゾンビに噛まれても平気なマーフィーをLAに連れて行き、ワクチンを作ること。
③行く先々でゾンビに襲われるのを、どうやって切り抜けるか?
④支援するのは遠く離れたNSAの基地に一人立て籠もる市民Z
❺「WD」のウォーカーは走らないが、「Z」のゾンビは走る!
主にこの5点だ。「ウォーキングデッド」は①と③は同じだが、②と④❺が「Z」のオリジナル。その違いがないと、単なるパクリになり、先にスタートしたものを追い抜くことはなかなかできない。そこが作品の個性になるのだ。
さて、シーズン2。強化策を考えたようだ。まず、市民Zがマーフィーを捕まえると賞金を出すと宣言。告知してしまう。そのことで、主人公たちはゾンビだけでなく、生き残った市民、賞金稼ぎの連中にも狙われることになる。つまり敵がもうひとグループ増えたのだ。
確かに面白くなる。ゾンビはただ追ってくるだけだが、賞金稼ぎは頭を使い、銃を使い、車に乗り、追ってくる。敵が増えれば2倍面白くなるというアイディアだ。もう一つの新設定はマーフィーの変化。ゾンビを操る能力が備わる。
これはどうかなあ? つまり、ゾンビを味方につけることができるということ。見ていてハラハラすることが面白さに繋がるわけで、主人公たちが強すぎるとドラマは詰まらなくなる。敵を2倍にしても、これでは魅力が半減するのでは? と心配。
ただ、面白くなる展開もありえる。これまではただ、文句を言いながら、同行していただけのマーフィーが力を得てしまった。そのことで主人公グループと対立して、敵に回るという展開。ゾンビを操るのだから、大きな力を手にしている。それでいてワクチンのことがあるので、マーフィーを殺すことはできない。
まあ、見る方はあれこれ想像する。脚本家がその上を行くアイディアを持ってくれば「面白い!」になり、下を行けば「なーーんだ」になってしまう。物語とは作家と読者(観客)の戦いだ。その意味でも「Z」シーズン1はなかなかの展開だったので、今後も楽しみ。今夜はシーズン2の第3話を見る。