SSブログ

沖縄戦の編集。いよいよ最後の週ー思い出すのはバカなPが編集室に来た時のこと。 [編集作業]

51325605_2447019742038982_2750111677532864512_n.jpg


沖縄戦の編集。いよいよ最後の週ー思い出すのはバカなPが編集室に来た時のこと。

作業は28日できっかり終わる訳ではなく、MAの前日まで作業は続ける。目安として28日としただけで、その日に完成というわけではない。できた!と思っても、数日後に見直すと、あーーということもある。毎日、編集していると気づかぬ問題点もある。その世界に入り込んでしまし客観的な視点をなくすこともある。そんな部分は時間が経たないと気づかない。あとで、大直しというのもある。

編集作業はかなり出来てきたので、本日からは各カットをチェック。カットの入れ替えを行う。当初はまず進めることが大事なので、「海」の映像でも、とりあえず見つけた海を入れて置いたりする。が、全体が出来上がってくると、もっと「広い海」がいいかな?とか、「曇り空の海がいいな!」とか、見えてくるので、それを探す。

膨大な映像があるので、そこから「海」一つを探すだけでも30分、1時間ということがある。なので初期段階では「とりあえずの海」にしておく。なのに、昔はPが途中で映像を見たがって、「この海、違うんじゃないの〜?」とか言い出すのでムカつく。

「後で入れ替えるの!」

というと、冷笑して「本当は気づいてなかったんだろ? 俺が言わないと気づかなかったくせに...」という得意顔。だが、それを替えるだけで1時間かけるなら、作業を少しでも進めた方がいい。その方が全体像が早く見えるし、締め切りまでの段取りも分かる。編集をしたことのない人はそれが分からない。今、ある映像が全てだと思い込む。

「まだ、途中ですよ」

といっても、分からない。

「テロップ入れないの? これじゃ分からないだろ?」

とか口を出す。テロップは最後!! そんなことも分からない。分からないのだから、「テロップはどうするんです?」と聞けばいいのに「入れないと分からないだろ?」とこちらが忘れているかのような言い方をするのでまた腹が立つ。

そんな輩を相手に「これはこうなる。後でこうする」と説明するだけでも時間を取られ、ムカつくだけ。結局、その日は集中できず作業中止ということになる。バカに時間を取られただけ。Pが邪魔しに来たようなものだ。その種の連中は「自分が無知。不勉強であることに気づかず。順番を無視して先の作業ができてないというようなことを言いがち。編集段階で

「色がおかしいんだよなあ〜」

とかよく言う奴がいるが、それは最後の最後にカラコレという作業がある。そんなことも知らずに

「この色。鮮明じゃないなあ。安物のカメラ使っだろう? 撮り直したら?」

とか言い出す。説明すると

「先に言ってくれないと分からないじゃないか?」

とくる。こちらは彼がどこまで無知か?は分からない。知らないなら教えてもらうという態度で来い!

と結局、激怒して、数日間は作業が手に着かずということもあった。pというのは無知な奴が多く、編集に関しては特に不勉強なことが多く、問題を起こす。だから、見せない。見せると問題が起こる。そんなことを思い出しながら、カットの入れ替えをする。

たった1つの「海」という映像でも、8回ほど沖縄に行っているので、その時のいつの海というのを記憶で辿る。膨大な量なので、覚えていないものもある。映像を1から見直して探すこともある。そうなると、1時間では見つからない。2時間、3時間見て、最後の1巻にいい海!があったりする。たった5秒ほどの映像を探すだけで、そんな苦労がある。

昔はディゾルブは本編集でしかできなかったが、ノンリニア編集が普及。FINAL CUTを使うようになってからは、編集作業中にできるのでありがたい。そんなディゾルブの直しも現在、行っている。2秒のダブりか、3秒か? 1秒の差で印象が変わる。

それを編集続行中にやると、リズムが崩れる。とりあえずは進めて、細部はあとというのが基本。まあ、Pというのはそんな時に「細部ができてませんね?」と言い出したりするので、殴りたくなる。

あと、これまでは短くすることを頭に置いてやってきた。僕の劇映画はいつも2時間超えだが、ドキュメントは2時間以内にしたいと思った。1度、2時間10分まで縮めたが、これ以上無理?だが、そこからさらに作業して今は2時間内。でも、今度は短くしすぎた感がある。短くても説明不足はダメ。ということで、そこも直していく。


沖縄戦ビジュアル(宣伝用.jpg
nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:映画

日本は大きな田舎③ 田舎の習慣=悪辣な政権を止められないのも同じ。どうすれば皆で「違う!」と言えることができるのか? [MyOpinion]

IMG_3942.JPG

日本は大きな田舎③ 田舎の習慣=悪辣な政権を止められないのも同じ。どうすれば皆で「違う!」と言えることができるのか?

次第に見えてくるものがあるので書く。多分、先に書いた記事を田舎で育った友人たちなら

「何を今更、田舎はそういうもんだよ!」

というかもしれない。なので、僕も後輩たちと同じように地方で仕事をする時に戸惑うことがある。ま、彼らほど純粋ではないので、シビアな対応もして、批判され嫌われることもある。そう言えばFacebookでも共通するものがあった。

Facebookは田舎のコミュニティという記事を書いたことがある。都会の1人暮らし。1日誰とも話さないで仕事する人も多い。そんな時、Facebookで「いいね」をもらうと嬉しい。

「ランチ。美味しそうだね」

とコメントが来ると微笑んでしまう。それは田舎暮らしと同じ。都会では誰も声をかけてくれないが、田舎なら近所の人が話しかけてくる。淋しくならない。

だが、近所に住んでいるというだけで、よく知らない大人たちが

「学校は面白いか?」「大学はどこに行くんだ」

とも訊いてくる。大きなお世話だ!と僕なんかは思うが、それが田舎のいいところ。都会では倒れていても知らん顔されることがある。部屋で死んでいても誰も気づかない。けど、田舎暮らしは

「就職は?」「結婚は?」「子供は?」

とプライベートに踏み込まれることが多い。どちらが幸せか?という記事を書いた。「日本は大きな田舎」説のそれらが表裏なのだ。何も言わなくてもあれこれ聞いてくる。でも、問題を起こすと、皆、知らん顔をして、見て見ぬ振り。新しいことはしない。しない方がいい。特別なことをしない。皆と同じ生活する。それが地方でトラブルを起こさずに生活する知恵なのだ。

それまさに日本人。少し前の日本。何かが流行すると皆、それを買いに行く。

ダッコちゃん。コンバースのスニーカー。

ヘブンのTシャツ。セーラーズの衣装。

みんなと同じ! 今のファンションはそれほど横並びではないが、変わったことをすると、クラスではイジメの対象となる。これって村で人と違ったことをして、嫌われるのと同じではないか? 

横並び、問題を起こさない。新しいことをしない。皆と同じ。問題を起こしても批判しない。見て見ぬ振りをする。前回までにあげたこと。多くの日本人に当てはまる。原発で事故が起きても、内心危険だと思っていても批判しない。推進派の顔色を伺う。福島で大変な思いをしている人がいても、知らん顔。知らない振りする。沖縄が基地で困っていても、知ろうとしない。触れないようにする。

前回までに挙げた地方での行動が、日本全土に当てはめてもハマることに気づく。政治家が暴走しても、批判しない。知らない振りする。知ろうとしない。ただ、原発でも、政府批判でも、都会ではそれなりの人が行動する。反対しデモする。それは都会生活は周りを気にせずに暮らせるから、いけないものはいけないと言える背景があるからだろう。田舎に行くと、デモといっても20人しか集まらないというのは人口のせいだけではなく、

「批判する」「反対する」

ということを日頃から避けているからだろう。小さな村で、農業をして自給自足できれば、昔々なら、そんな習慣で生きていけただろう。でも、過疎化。経済難。様々な困難が地方を襲っている。地方の時代と長年言われながら、今だに主役は都会だ。それは地方の習慣やルールが時代からズレているからではないか?

日本の政治が停滞(いや、混迷)しているのも田舎のルールでやっているからではないか? 狭い世界では仲良くしないと暮らし辛い。問題が起きても見て見ぬ振り。新しいことをして目立たなうようにしていて、改革や革新はできない。必ず反対する人が出てくる。それを押しやってどう進めていくか?が鍵なのに、過去の習慣やルールから逃れられない。

それが地方の状態、日本の政権ではないか? 

政権に関して言えば、今は周りのことを考えずに暴走している。弱いものを踏みにじり、一部のものだけが豊かになる道を進んでいる。にも関わらず、国民の方が田舎の習慣から抜け出せず。悪事を知りながら見て見ぬ振り。知らない振り。批判せず。我慢を続ける。先に書いた頑張る監督を批判し、ギャラを払わないという土建屋のオヤジを誰も批判できないのと同じ構図だ。先の件でも、地元の誰かが

「映画作ってくれたんだから、ギャラ払おうよ」

と言えばいい。それに多くが賛同すればいい。オヤジも考えるはずだ。政権だって同じ。なのに多くが黙ってしまう。それこそが田舎の発想であり、習慣。我々を今も縛っている。では、どうすれば日本人は田舎者から脱皮できるのだろう? そんなこと考えてしまう。



沖縄戦ビジュアル(宣伝用.jpg
nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:映画

日本は大きな田舎② 別の思い出から検証する=町のプラスより顔を潰さぬこと? [MyOpinion]

IMG_9283.jpg

日本は大きな田舎② 別の思い出から検証する=町のプラスより顔役の顔を潰さぬことが大事?

日本という国は大きな田舎説で思い出したことがある。田舎説はもともと感じてはいたことだが、そのメカニズムを論理的に説明しづらいものがあり、あれこれ考えたいたが、友人の経験談と映画「セルピコ」を対比することで、それを明確に把握できるような気がした。さらに、もう1歩進めるために、思い出した件がある。

彼は40代。フィルムコミッションの中心メンバー。故郷愛もあり、金銭のためでなく、地元のために頑張っている。ご存知の通り、フィルムコミッションとは映画撮影のお手伝いをするノンプフォフィットの組織。手数料は取らない。エキストラ集め、ロケハン協力等をすることで、映画撮影を誘致。町のPRに繋げようとする団体。現在は日本各地にある。

ただ、多くは自治体の観光課職員が兼任していることが多く、本来の仕事があるために、職員が面倒臭がり、依頼があっても断ったり、他の団体に振ったりして機能していないところも多い。市長のトップダウンでフィルコミはできたものの。やる気ゼロで、せっかくの撮影依頼を不意にしてしまう地域もある。そんな中、C君は地道に実績を作りつつ頑張っていた。

そんな彼と後輩監督が仕事をした。しかし、後輩はため息交じりでこんな話をする。

「最初、C君の印象は良かった。若いし、やる気あるし、頭もいいし、故郷愛もある。評判通りだと思った。それが、撮影準備でトラブルが起こって、地元の方との問題なんだけど...色々あって...」

要約すると、そのトラブルをC君がなんとかすると言ってくれたのだけど、何の報告もない。まだ揉めているのかな?と聞きづらかったと後輩はいう。監督は作品に専念すべきで、あれこれ制作的なことは他に任せることも大事。でも、C君から何ら報告はない。心配で聞いてみたが、はっきりと答えない。どうも、1度、当事者とは話したがそれっきりのようだった。

で、気づいたのはC君は若くてやる気はあるけど、トラブル収集が苦手のようで、問題が起きると、自分で抱え込んでしまい、何もせずに黙ってしまう。聞かれても「まだ、ちょっと」とか報告せず。皆が忘れるのを待つようなところがあった。結局、問題は解決せず。迷惑がかかった当事者は怒ったまま。

でも、C君は若いし、年上のおじさんたちに厳しく言えないところがあるようだった。後輩は分からないではないと思ったが、また似たような問題が起こる。今度はC君。その人を庇う。その原因を追求せず「僕から話します」と言うだけ。

その後、何の報告もして来ない。聞かないとその件に触れない。後輩監督が怒る。「期待していたのに!」この時、後輩はC君がトラブル解決能力が低いのだと思ったらしい。が、今、その話を思い起こしてみると、そして先の「日本人は田舎者」論で考えると、彼も揉めたくなかったのではないか? 

だから一度話してダメなら封印。相手を責めたり追求したりしない。自分が抱え込み、皆が忘れるのを待つ。迷惑がかかった方にも何も言わない。だから解決もしない。皆が忘れて何事もなかったように仲良くする。自分が何とかするといい、誰も行動させないことでトラブルを大きくしない。それが彼の方法論なのだ。

後輩は怒っていたが、分かる部分もある。田舎で問題を起こした人を誰も責めないのは、今後も同じ町で付き合っていかねばならないから。C君も同じ発想なのだ。狭い田舎で育ったので、そんな手法を知らず知らずに学んだ。でも、彼が少し違うのは、先の人たちと違って、知らない振りをするのではなく、相手と話す。

相手が納得すれば解決。でなければそのまま封印。それは少し努力していると言える。その町でできる限界なのかもしれない。狭い社会ではそのくらいしか出来ない。年配の実力者に睨まれたり嫌われたりしたくない。封印しても、皆、察してくれて「どうなった?」とは訊かない。そして忘れてくれる。ただ、それでは新しいことはできない。トラブルのたびに封印しては前へ進むことは難しい。

だから地方では新しいことがなかなかできない。そんな中でC君は彼なりに頑張っているということだろう。批判は簡単だが、フィルコミで街を活性化したい気持ちは本当なのだ。でも、田舎ではそんな方法を取らざるを得ないのだ。

地方の友人に聞いた話だが、彼の村には長老が3人いる。皆、仲が悪い。何かをする時、3人の顔を潰してはいけない。村のためになることをするより、3人の顔を潰さないことが大事。なるほど、C君の手法は有効だ。地域社会が閉鎖的になり、都会から遅れていく背景なのだろう。その後、後輩は町の人に言われた。

「C君とうまく行ってないんだって? ダメだよ。仲良くしなきゃ!」

後輩はかなり厳しい進言をしたらしい。でも、それは映画を進めるため、より良い作品にするため。なのに仲良くしていないと解釈されたようだ。

「地元の人から見て、映画ができて町がPRされるより、仲良くやること。皆の顔を立てること。問題を起こす人がいても見て見ぬ振りをすることが大事なんだろう」

そう感じたという。仲良くするーという聞こえはいいが、町のプラスより、揉めない。顔を潰さないということなのだ。

この構図。少し前の自民党と同じだ。国民のためになる政治より、実力者たちの顔を潰さないこと。顔を立てること。会社でも派閥があり、それぞれへの根回しが大事だったりする。会社の利益より、顔を潰さないこと。どちらの世界も結局、誰のための政治であり、ビジネスなのか?と思える。

しかし、政治も会社もそんなことをやってられないほど、ヤバい状況になっている。生き残りを賭けて、エゲツない生存競争をしている。それがいいかどうかは別にして、地方ではそんな今でも、揉めないこと。仲良くやることを大事にし、結局、そこから前に出れない状態が存在するのだ。いろんな面で。そんなことを考えている。



沖縄戦ビジュアル(宣伝用.jpg
nice!(2)  コメント(0) 
共通テーマ:映画

日本は大きな田舎① 田舎者根性がこの国をダメにしてはいないか? [MyOpinion]

IMG_5647.jpg

後輩監督のB君。僕と同じように地方で映画を撮る事が多い。そんな彼もこんなトラブルに遭った。映画完成後、地元がギャラが払わない。理由は同じ。

「俺たちはボランティアでやったのに、お前だけなんで金をもらう。金のためにやっているのか?」

そう言われたそうだ。事情は同じ。頑張れば頑張るほど「B君はいい人」だと思われた。監督料を要求すると「失望した!」とい言われた。しかし、そう言うのはリーダーの土建屋オヤジだけで、あとのメンバーは「監督はよくやった。ギャラを払うのは当然だ」と思っていたらしい。ただ、誰も、その場でオヤジには言わなかった。B君は言う。

「会議では皆、黙ったまま。僕が1人。オヤジに怒鳴られて、ーお前には失望した!ーと罵倒されて。でも、誰も弁護してくれない。皆、下を向いたまま。その後も声をかけてもくれない」

B君は思い出す。こんな事件もあったそうだ。撮影前の準備で問題が起きた。ある人が無責任でやるべきことをやらなかった。映画は小さなことから大きな事件になることがある。プロジェクト自体が崩壊することだってある。遊びではない。だのに地元の人は誰も注意しない。だから、B君があえてそのメンバーに厳しく言った。すると他のメンバーが彼を庇う。

「可愛そうだ」「彼も一生懸命だ」「そこまで言う必要はない」

おかしい。と、B君は感じた。

「事件を起こしたのは彼だ。その彼を誰も注意せず、注意した自分を批判する。どう言う人たちだ?」

けど、それ以外では皆、頑張っていたし、B君を支持、応援してくれていた。僕も似たような経験もあった。地方出身の友人に意見を聞いた。

「いかにも田舎である話だね。その人たち監督はよくやったと思っている。オヤジの勝手な思い込みだ。そう思っているはず。でも、反論しない。批判もしない。

問題を起こした奴を庇うのも同じ。つまり、ギャラを払わないと言うオヤジ&問題を起こしたメンバー。に対して何も言わない。沈黙。あるいは庇う。つまり田舎というのは問題を起こした奴を庇い、その問題を公にしたものを攻撃するのさ」

おかしいな話だ。いい大人が非常識。でも、友人はいう。

「被害者が事件を公にするからトラブルになる。お前が黙っていれば問題はないって考えるんだ。秩序を乱すな。静寂を破るなってことかな?」

なんじゃそれ!と思うが、地方は狭い世界だ。多くが顔見知り。今後も長く生活せねばならない。トラブルを避け、平穏に過ごそうとする。だから、問題があっても知らん顔する。解決したり、責任を追及すると揉め事になるからだ。恨まれたりする。恨んだりもする。

この先、同じ町で何十年も嫌な思いをして過ごす。その人が黙っていればトラブルは発覚しない。言い出したから揉める。だから、その人が悪いーという感覚。だから、ギャラを払わないというオヤジがいても、反論して、B君を庇って、彼と対立したくない。今後も地域で付き合っていく。問題起こすメンバーがいても、注意しない。それを注意したから地元のトラブルになる。注意しない方がいい。

いい悪いではなく騒ぎを起こした奴が悪い。そして、できるだけ関わらないようにする。知らん顔する。それが地域社会の世渡りルールなのだ。

昔「セルピコ」という刑事映画があった。アル・パチーノ主演。シドニー・ルメットが監督。ニューヨーク市警の腐敗を訴えた刑事セルピコの物語。賄賂漬けになっていた警察署。犯罪を見逃す。マフィアの手先になりショバ代を取りに行く。麻薬の密売。そんな中、1人だけ賄賂を受け取らなかったのが刑事セルピコ。でも、仲間の不正を告発はしない。見て見ぬ振りをしていた。

先の地方の構図と近いものがある。悪いのは分かっている。それに加担はしたくない。でも、注意はしない。改善しようともしない。波風を起こさずにいたい。トラブルや事件を見て見ぬ振り。セルピコは狭い警察署という世界で生きている。余計なことをすると周りが全て敵になる。村八分にされる。だから何もしない。ここも同じ。

しかし、セルピコは決意して、悪事を告発する。それから同僚警官たちから敵対され、命の危険にさらされるという展開なのだが、地域社会でも同じことになるはずだ。B君が映画を撮った町。腐敗している訳ではないが、誰かがトラブルを起こしても、問題を起こしても、見て見ぬ振りをするのは、やはり狭い世界で顔突き合わせてやっていかないとならないからだ。

ただ、気の毒のはB君。熱い男で「この街で死んでもいい!」と思って頑張っていた。「いい人ばかりだし、街も美しい。引退したらこの街で暮らそうとさえ考えた」という。でも、その事件後も、

「B君はあんなに頑張ったんだから、ギャラ払わないなんて酷いよね」

という人はいなかった。誰もが無言だったことがショックだったという。彼は都会育ち。田舎のその種の習慣に馴染みがない。裏切れた気持ちになった。多くのメンバーは彼に感謝していたが、最後まで口にしなかったという。土建屋オヤジと揉めたくなかったかららしい。真面目なB君は

「街は美しいが、市民は信用できない。もう、あの町で映画を撮ることはないです.....」

話はここで終わりではない。僕が興味を持ったのはこの後。この街の人たちの考え方は特別ではない。それは日本全体、日本人全体と共通すると言えるのではないか? 福島で原発事故。多くの人が「気の毒」と思うが、ほとんどは何もしない。何も言わない。沖縄の基地問題。「大変だね」と感じるが、多くが何もしない。知ろうともしない。

もちろん、原発に反対してデモする人たちもいる。沖縄まで座り込みに行く人たちもいる。でも、極々一部。ほとんどは沖縄の実状も知らず。福島の悲劇を知りながら、原発反対と声に出さない。政府に不満を持ちながら、政治家たちが不正をしているのを知りながら、選挙には行かない。知らない振り。解決しよう。原因を探ろうとはしない。

政治家の問題報道より芸能人のスキャンダルを知りたがる。先に紹介した田舎の人々と同じではないか? 狭い地域での話ではなく、日本全体の話だ。ただ、日本も狭い。日本というのは大きな田舎社会なのかもしれない。だから、皆、見て見ぬ振り。事実を告げると「デマ」「偏向報道」と批判する。やはり同じではないか?


沖縄戦ビジュアル(宣伝用.jpg
nice!(2)  コメント(0) 
共通テーマ:映画

ジェームズ・キャメロンに学ぶ。映画導入部のなるほどテクニック? [映画業界物語]

11707467_923064454434526_5062363438452375153_n.jpg


ジェームズ・キャメロンに学ぶ。映画導入部のなるほどテクニック?

「短くせねば!」という思いが強すぎてオープニングの各カットが短すぎる。もちろん、目には見えるが、冒頭はもっとゆったりと見せねばならない。この段階、観客はまだ退屈しておらず「どんな作品かな〜」と興味津々で見てくれる。

あまり急ぐと、作品世界に入ってもらえない。乗り遅れたまま、ラストまでとなると「退屈」ということになる。このパートはいつもの劇映画「明日にかける橋」等でいうと、地元紹介部分だ。「この街である物語が始まります〜」という導入部をいつも見せるが、それに相当する。

「今回は沖縄ですよ〜。こんな場所もあるよ〜。こんな施設もあるぜ〜。沖縄と言ったらここでしょう〜」

と観客を沖縄に連れてくる部分だ。ここで急いで進める意味はない。むしろじっくりと、扉を開いてエスカレーターで二階に連れていくくらいのゆったりさが必要だ。

ハリウッド映画でも、最近はオープニングからドンパチして退屈させないサービスをしがちだが、それをしてしまうと、ドラマ部分に乗ってもらえない。そのテクニックを熟知しているのがJキャメロンだ。実は彼の映画。冒頭30分はほとんど何もおきない。「エイリアン2」以降は船もすぐに沈まないし、エイリアンも出てこない。「アバター」も同様。

そうやってじっくりと、物語設定。キャラクター紹介をする。少しばかり退屈だが、そこを過ぎるとあとは、怒涛の展開。つまり、物語世界に観客を連れ込めばあとは!。だから、クライマックスも興奮、感動となる。

が、冒頭にアクションを見せると、道で喧嘩を見かけたようなもので、足は止めるが、最後まで客観的に見てしまい、感動や興奮が伴わない。キャメロンはそれを熟知している。だから、彼の映画はおもしろい。「007」で感動できないのも同じ背景。物語世界に観客を連れ込み、キャラクターを丁寧に紹介。客が共感すれば、あとは!それがキャメロン流。

ドキュメンタリーも同じだ。まずは現代の沖縄に観客を連れて行く。そこからタイムマシンで太平洋戦争にタイムスリップ!というのが今回の趣向。最初の沖縄を焦って描き過ぎていた。そこでいくつも新しいカットを探し出して追加・3分ほど長めにした。これで1ランクよくなるはずだ。



沖縄戦ビジュアル(宣伝用.jpg
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:映画