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横浜=青春プレイバック⑥ ヤクザが経営するレストラン?!怖い噂。 [横浜青春プレイバック]


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横浜=青春プレイバック⑥ ヤクザが経営するレストラン?!怖い噂。

今から41年前。僕は横浜のある街に住んでいた。映画監督を目指して映画学校に通う。が、あまりにも退屈で、数ヶ月で登校拒否。同じ不良生徒?と毎日、宴会をしたり名画座通い。当時はまだシネコンがなく、映画館はロードショー館と、少し遅れて2本立て(3本立て)で上映する名画座があった。

特に名画座はロードショーされた映画を遅れて上映するだけでなく、古い名画の上映もした。まだ、レンタルビデオもない時代。昔の映画はテレビ洋画劇場で見るしかない。なのに都会では名画座でそれらを見ることができた。特に東京には多い。横浜には横浜日劇、大勝館、横浜名画座、紅座があり、よく行った。当時は学生500円の劇場もあり、それで2本立て3本立てだった。退屈な映画学校に通うよりよほど勉強になった。

そんな名画座で映画を見て戻ると、腹が減る。午後9時10時を超えると飲食店はほぼ閉まる。当時はセブンイレブンさえも11時で営業終了。ファミレスもなかった。20歳前だった僕は自分で料理するのも面倒で、外食ばかり。遅い時間の食事は困る。横浜は都会と思われがちだが、僕の住むあたりは観光地でも都会でもなく、普通の田舎街と変わりない。

そんな中で1軒だけ。午前2時まで営業している喫茶店があった。定食メニューもある。生姜焼き定食とか、ハンバーグ定食とか。深夜営業のせいか、少し値段が高く750円くらい。普通の食堂で食べれば600円くらいの時代。でも、深夜に食事できるのはありがたい。

ただ、その店。少し怪しい。店内に入ると何かヤバいものを感じる。ウエートレスのお姉さん。最初は笑顔で感じいいのだが、月日と共に表情が暗くなり、笑顔がなくなる。そしてお腹が大きくなり、やがて店からいなくなる。そしてまた別の若い愛想のいい子がウエートレスが来る。それの繰り返し。ウエイターは常時、愛想が悪い。目つきも悪い。

同級生の友人が近所に住んでいた。彼もよくその店に行っていたのだが、あるとき、こんな話をしてくれた。「どうも、あの店はヤクザが経営しているようなんだ。それで若い子を連れて来る。でも、ヤクザと付き合っているから荒れて来る。組員が妊娠させてしまったら、別の子を連れて来るそうだよ」筋の通る話。だが、妊娠した子はどうなったのだろう? 組員と結婚したのか? それとも故郷に送り返されたのか?

表情が暗くなるのは暴力を振るわれるから?稼いだ金を取り上げられる? 他に何かやばい仕事をさせられていた?その辺は分からないが、その話には非常にリアリティを感じた。もしかしたら、田舎から出て来た女の子を騙して働かせていた? ただ、店でトラブルがあったとか、ぼったくられたということはなかった。

そして、その後も新人で笑顔が眩しいウエートレスのお姉さんも、次第に表情が曇り、いつしかいなくなる。今から41年前の話。その場所に10年前に行ってみた。店がないだけではなく、建物ごと建て替わっていた。その店では事件はなかったが、近所の別の店では大きな騒動になったことがある。そして、僕の友人たちも巻き込まれる大事件に発展する。とても笑える? 別の機会に紹介する。横浜青春プレイバック。お楽しみに。



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横浜=青春プレイバック⑤ 朝一番早いのはパン屋さん。思い出の店 [横浜青春プレイバック]

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横浜=青春プレイバック⑤ 朝一番早いのはパン屋さん。思い出の店

映画学校のクラスメート。たまり場になっていたのが先に紹介したM荘。そこで毎日、朝まで映画の話をした。先に酔い潰れて寝ている奴もいるが、起きている者はこのパン屋に行く。

何と、朝5時から営業している。歌でも♫「朝一番早いのはパン屋のおばさん」というのがあるが、あれば事実だった。この店に行き、出来たてのカレーパンやアンパンを買う。サンドウィッチは少し高いので敬遠。それを店の表で立ったまま食べる。「じゃあ、また、明日な!」と言って別れ、M荘の友人は部屋に戻り、僕は徒歩で15分かけて自分のアパートに戻る。

写真は今年撮影した者だが、41年後の今日もパン屋は存在する。あの当時は木造の建物だったが、立て直し鉄筋のお洒落ものになっていた。あの時のパンの味、もう一度!と何か買いたかったが休業で残念。しかし、この店はあの頃、毎週のように僕らが訪れた後も、営業を続け。今もパンを作り続けている。職人さんは代替わりしたかもしれない。いや、変わったはずだ。

あの時に30代だとしても今は70代。そして僕らは店頭でおばちゃんからパンを買っていたが、あのおばちゃんは元気だろうか? あの当時40代なら今は80代。もう、亡くなっているかもしれない。ただ、僕がこのパン屋に来たのは80年〜81年の2年。その後、少し離れた街に引っ越したので来ることはなかった。そしてLA留学。さらに帰国して東京で30年近く。

その41年間。このパン屋は営業を続け、パンを売り続けて来たと思うとなぜか嬉しくなる。というのも、当時のお店。この界隈で訪ねてみたがほとんどがなくなっていた。20年を超える不況で潰れたものもあるだろう。あるいは後継者がいなくて店を閉めたところも。そんな中で今も営業している店があると嬉しくなる。

20歳前の青春時代を過ごした思い出の店が今も存在すること。本当に嬉しい。41年の年月を噛み締めてしまう。


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横浜青春プレイバック④ この場所に仲間たちがいた。「学校なんて退屈なだけ! [横浜青春プレイバック]

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横浜=青春プレイバック④ この場所に仲間たちがいた。「学校なんて退屈なだけ!」

横浜駅から横浜線で数駅。そこから徒歩で15分くらいのところにある公園。41年前はここに下宿アパートがあった。木造の二階建て。1階に年老いた母と20歳を超えた息子が住む。管理人さん親子。その奧の部屋と2階が全てアパート。玄関は1つ。そこから上がり各部屋に行く。トレイは共同。風呂はなし。4畳半と6畳の部屋がある。各部屋には小さなキッチンがある。そこに映画学校の同級生たちが住んでいた。

最寄駅は違うが、僕の住むアパートからも徒歩で15分くらい。ここの6畳に住む友人の部屋がたまり場になり、一時は毎日のように飲み会をしていた。始まりは何だったのか?そうだ。学校帰りにクラスメートたちと良く飲みに行っていたのだが、連日それはきつい。皆、貧しい学生。授業も朝から夕方まであり、アルバイトする余裕もない。

そこで誰かの家に行き、近所で柿の種やポテトチップスを買い、ビールや焼酎で宴会!という形を取るようになった。安く済むし、酔っ払えば、そのまま泊まれる。終電を気にする必要もない。その下宿アパートこそが、僕の横浜物語、第1章の舞台。 M荘である。

当時は「メゾン・ド・代々木」とか、そんなお洒落な名前はなかった。高橋さんちの2階なら「高橋荘」山田さんなら「山田荘」。あの手塚治虫をはじめとする漫画家たちが住んでいたのが「ときわ荘」時代は違うが、その習慣が引き継がれていたのだろう。それが1980年。そのM荘を中心に数々の事件が起こり、波乱万丈、荒唐無稽、爆笑必至の青春が繰り広げられた。

そのアパートの住人。僕を含めてほぼ全員が落ちこぼれ。と書くと惨めな話?と思うかもしれないが、そうではない。映画学校の授業は退屈を極めた。日本映画の歴史。外国映画の歴史。シナリオの書き方。等の授業。確かに大事なことではあるが、生徒たちは映画監督を目指している。評論家になりたい訳ではない。過去の名作を見ることは大切だが、それだけではクリエイティブは育たない。

あとで知ることなるが、要はその学校。金儲けが目的。食えない映画人を集めて講師をさせて、大して必要でもないことを教える。高い授業料で講師たちの生活を支える。あるクラスメートが入学式にこんな光景を目撃した。集まった生徒たちを見ていた学長先生、「おー今年も金づるが集まったなあ。この中でものになるのはまあ1人かな?」将来の映画監督を育てようという気はなかったのだ。

そんなこと。かなり後になって聞いたが、役にも立たない授業の連続。僕は不満が募っていた。ただ、学校に行けばクラスメートと映画の話ができる。当時、ヒットしていた映画は「地獄の黙示録」「クレーマークレーマー」「影武者」。夏にはスピルバーグの「1941」「スターウォーズ」の第二弾「帝国の逆襲」角川映画の大作「復活の日」の公開が控えていた。

が、多くのクラスメートはその辺のメジャー作には興味がなく、池袋文芸座で上映される。ルキノビスコンティ監督特集。イングルマル・ベルイマン監督特集に通うなど、高級?映画志向の者が多かった。「お前、ハリウッド映画なんか見ているの? 馬鹿になるよ」というお高く止まった者も多かった。「俺はその辺の映画ファンとは違うんだ」という感じ。だが、彼らは真面目に授業に出ていた。

そんな校風に合わないのか?あるいは単なる怠け者なのか? 授業が退屈というのもあるが、授業に出ない生徒が増えていく。クラスでは「落ちこぼれ」と言われた。先のM荘の住人。約1名をのぞいて全員がそれとなった。そして登校拒否。連日、部屋で宴会。朝まで飲みながら映画の話。授業は出なくても皆、映画好き。それは至福の時間だった。

特に僕は大阪の進学校だったので、喜びが大きかった。高校は「映画なんて見てる奴はバカ!」というところ。「お前は映画ばかり見ているから成績が上がらないんだ」と教師にも言われた。ただ、学校の授業より、映画館で見る外国映画の方が数倍勉強になると思っていた。当然、それは理解されず、クラスで映画の話をすることはなかった。学校帰りに隠れて映画館に行き、一人で映画を見て、家に帰る。誰とも語り合えない。そんな日々が3年間。それがM荘に行くと、同じ思いの仲間が何人もいた。

これまでに見た映画全てについて語り合ったのではないか? ただ、そんな日々もやがて終わる。何ヶ月もすると、語り合うことがなくなる。相変わらず、僕らは学校には行かない。やがて、あの学校を卒業しても映画の仕事を紹介される訳でもないことが分かる。単位を取ったからと監督になることはなかった。卒業して映画監督になった人もいないと聞く。さらに学校に行くことがなくなった。

行く場所がなく、M荘の6畳部屋に集まる。一緒に飯を食う。テレビを見る。誰も何も話さない。僕は何のために横浜に来たのか? 学校も無意味。友達と集まっても話すことがない。その内に夏休みがやって来た。こんなことでいいのか? どうすれば映画の仕事ができるのか? どうすれば映画監督になれるのか? 横浜の空を見上げながら毎日、考えていた。

そんなM荘があったのが、この公園。今は児童公園になっている。41年前。18歳だった僕らは、ここで青春時代を過ごしていた。そんな秋のある日、僕は行動を起こす。このまま大人しくしてられない。それが映画監督への道の第一歩となった。


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横浜ー青春プレイバック③ スマホも、PCも、DVDもない時代。風呂もエアコンもなし! [横浜青春プレイバック]

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横浜ー青春プレイバック③ スマホも、PCも、DVDもない時代。風呂もエアコンもなし!

アパートを出て、目の前の階段(2つ前の写真)を降ると国道に出る。歩道橋を渡ると前に大きな建物。これは41年前。僕がこの街に住んでいた頃からある。昔は自動販売機がある左側に大きな入り口があり、中は広い市場になっていた。まあ、スーパーのようなものだが、名前は**市場だった。いろんな店が店舗を借りて出店しているタイプ。

そこには肉屋、魚屋、酒屋とあれこれあって、よくコロッケと食パンを買って帰った。が、その市場も今はない。入り口さえコンクリートで塞がれている。10年前にきた時は、まだ細々と狭くなった市場が営業していたが、今回はなくなっていた。

ちなみに、生活に必要なもの鍋とか包丁は実家から持って来たのだが、唯一忘れたものがあった。爪切りだ。長くなってから気づいた。親元にいると当たり前に使っていたものなので、気が回らなかった。で、この市場で買った。その爪切り。実は今も使っている。何だか不思議な気がする。

この建物の右側を奥に行くと、昔は小さな食堂があった。爺さん婆さんがやっている6畳もない店。ただ、朝の6時から営業して夕方には閉まる。経営者の生活パターンに合わせていたのだろう。当時はコンビニもまだまだ少なく、セブンイレブンも7時から11時までしか営業していなかった。吉野家も近所にはない。自炊もあまりせず外食が多い。いろいろあって朝まで起きていることも多く、朝飯食って寝るということも多かった。

そんな時に便利なのが朝6時から営業のこの食堂。定食で納豆、味噌汁、ご飯、焼き魚というようなもの、400円とかだった。その店の存在がとてもありがたかった。朝5時になり腹減って仕方ないとき「後、1時間の我慢」とか思い耐えたのを思い出す。今なら近所のコンビニに行き、パンでも弁当でも簡単に買えるが、1980年当時はそんな便利はまだなかった。ただ、今の時代。便利にはなったが、別の何かが失われたような気がする。

当時はレンタルビデオもない。DVDもない。ネットもない。携帯もない。部屋に電話がある奴すら、ほとんどなかった。電話どころか風呂もない。エアコンもない。テレビはあったが、持ってない奴が多かった。それでも学校をサボってクラスメートと飲みに行った。朝まで映画の話で盛り上がった。そんな横浜20歳前。仲間たちは誰もが映画監督を目指していた。おかしな奴らばかり。いや、一番おかしいのは、僕だったのかもしれない。青春物語のプロローグ。また、続きを書く。


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横浜の思い出。青春プレイバック② 41年前、ここに住んでいた。 [横浜青春プレイバック]

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横浜の思い出。青春プレイバック② 41年前、ここに住んでいた。

ラブホテルのようなデザインにも見えるこのアパート。何だか地面に沈み込んでいる。この場所は急激に低くなっていて、手前の階段との差がかなり激しい。小さな崖と言っていいくらいだ。この窪地にあった家の2階に41年前に住んでいた。

一階は普通の民家。二階を改造して下宿アパートにしている。僕らの世代以前は下宿と言って民家の二階を学生に貸して、食事付き。と言うことがあったが、1980年代は一階の家に入らず、そのまま裏から二階に上がり部屋に直行できるスタイルが主流だった。4畳半。トイレ共同。風呂なし。小さなキッチンが付いている。家賃は1ヶ月1万円。

その家も10年ほど前に訪ねたときに、すでに建て替わって新しいものになっていた。そして今回、その家も取り壊し、お洒落なアパートになっていた。昔は手前の階段を降りて建物の一階から入るようになっていたが、今は自転車が見える場所から建物に小さな橋が作られ、直接二階へ行けるようになっている。当時は考えもしなかったことだ。

右側の建物の一番奥が僕の住んでいた四畳半があったスペース。そこでは今、どんな人が住んでいるのか? 大学生か? サラリーマンか? 何か夢を持ってこの街にやってきたのか? それとも就職先への通勤の便だけが理由か? この建物がある場所は小高い丘になっていて、坂道が多い。行きはいいが帰りは大変。駅まで歩きで20分。近所にコンビニもない。繁華街も商店街もない。今もない。いろいろ不便が多い。ただ、駅まで行けば横浜も川崎も20分ほどで行ける。会社がそこなら悪くない場所だ。

高台なのに景色は良くない。ご覧の通り、窪地に建っている。駅も遠いし家賃も今だって、そんな高くないはず。きっと若い人が住んでいるのだろう。それが理由でデザインもラブホテルのようなモダンなものにしたと思える。そんな場所に41年前は日本家屋。二階建ての古い家が立っていた。そこに僕は2年間住んだ。横浜には5年いたが、最も濃い時代。その部屋から僕の人生が始まったと言ってもおかしくない。

そんな思い出話。もう少し続ける。


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横浜の思い出。あれから41年。青春の日々が蘇る。 [横浜青春プレイバック]

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今から41年前。毎日のようにこの場所に立った。僕は高校を卒業したばかりの18歳だった。この写真は住んでいた下宿アパートのすぐそば。駅に行く通り道。高台になっているので、横浜の街が眼下に見える。写真では見づらいが中央の上部から少し左にベイブリッジが微かに見える。その向こうは海。夜になると汽笛が聞こえた。でも、あの頃、この橋はまだなかった。

その右側の大きなマンションのような建物。それも以前はなく、横浜の街が一望できた。あの頃「この街で戦い。何を掴むのだろう? 映画監督になる夢を実現できるのだろうか?」と18歳の僕は毎日、この場所で考えた。それから41年後。同じ場所に立っている。当時、生まれた子供でさえ今は40歳だ。僕は目標の映画監督になっていた。が、「夢を実現した!」という満足感はない。

不安定な生活。まだまだ知名度も低い。第一線で活躍している訳でもない。監督になれたことは目標達成ではなく、新しいスタートラインに立っただけ。そこからの戦いの方が、この街で過ごした日々より過酷で凄惨なものだ。監督業を夢見て足掻いたこの街での日々こそが青春であり、素晴らしい思い出となっている。あれから41年。横浜時代の思い出を探し、街を歩いてみた。また、続きを書く。



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「あのおじさん。変!」=でも、誰も分かってくれなかった?子供時代。 [思い出物語]

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「あのおじさん。変!」=でも、誰も分かってくれなかった?子供時代。

子供の頃。正月に訪ねてくる親戚のおじさん。皆は「いい大学出ているし、頭のいい人」と一目置いていたが、何か引っかかるものがあった。が、親戚一同誰も僕の指摘に耳を貸さなかった。十年後、彼は大きなトラブルを起こし、まわりに迷惑をかけまくり親戚中から総スカンを食う。皆「あんな人だと思わなかった!」と怒り心頭。だから言ったのに。

ある映画製作前。地元実行委員会に新しいメンバーが加わった。見るからに「出来る!」という感じ。いろんな企業にパイプもあり、誰もが参加を歓迎した。この時も引っかかるものがあった。が、誰も僕の言葉に耳を貸さなかった。あれこれ調べると彼が働く会社に彼がいう部署はなく、映画を利用して限りなく詐欺師に近いことをしていた。僕の指摘だけでは誰も理解しなかったが、鋭いメンバーの1人が気付いてくれ、最後には彼を追放した。その後も他でも偽りの肩書きで入り込み、同じような事件を起こしている。あとあと何度もそんな話を聞いた。

初期段階では気づかなかったが、途中で気付いたこともある。ただ、未だにその人がトラブルの元凶であったことに多くは気付いていない。スタッフだけは、彼が問題だと理解したが、その原因がある病気にあったことは分かっていない。説明しても「はあ?」と言われる。子供時代から推理小説が好きだったせいか?その種の問題点を早い時期に気付き、調べてしまう。第六感とかではない。実はその種の人は発言に問題あるのだ。

その種の人の発言は整合性、論理性がないことが多い。嘘をつくと、どこかで辻褄が合わなくなる。突っ込まれるとまた嘘をつく。さらに糊塗する。何か企んでいる。あるいは、自分にできないことをやろうとしている。自身を大きく見せようとする。トラブルに発展しやすい。今、日本を見ていて、「あれ? どうして?」ということが多い。「まあいいや!」と思わずに考えていくと、何が起ころうとしているか?見えてくる。そんなことを最近はブログに綴っている。



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米国のある大学。キャンパスで生徒の学科を見分け方法。@南カルフォルニア大学 [MyOpinion]

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米国のある大学。キャンパスで生徒の学科を見分け方法。@南カルフォルニア大学

僕が学んだ南カルフォルニア大学ーUSCは総合大学、ユニバーシティだ。いろんな学科がある。特に有名なのは三つ。デンタル科=カルフォルニア州の歯科医の60%がここの出身。ビジネス科=卒業生は多くの有名企業で働く。そして映画科=ジョージルーカスを始め、ハリウッドで活躍する多くの監督が学んでいる。

そんな大学。多くの学生がキャンパスを行き交うが、見分け方がある。高級車に乗り、いかにも金持ちの息子!というのがデンタル科。TシャツにGパンの学生が多い中、スーツにネクタイをしたのが、ビジネス科。見るからに怪しい。ドラッグやってんじゃない?という感じの生徒が映画科と言われた。僕はその映画科で学んだ。



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「ドキュメンタリー沖縄戦」8月13日(金)〜 26日(木)京都みなみ会館 リバイバル公開 最後のチャンス。 [2021]

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「ドキュメンタリー沖縄戦」8月13日(金)〜

京都みなみ会館 リバイバル公開

最後のチャンス。日本の正体が分かる!


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完結したと思っていた「ペリリュー」第11巻が発売。 [戦争について]

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完結したと思っていた「ペリリュー」第11巻が発売。

主人公は日本に帰る船に乗ったのに、続きは?と思っていたら、見事な構成。そして、その後日談に何度も涙する。ファミレスで読んで失敗。

「戦争とはいかに残酷であるか?」を改めて痛感させられる。伝えることの大切さ。でも、日常に苛まれて、下らない人たちに振り回されて、その大切さを忘れていく。どうすればいいのか?



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