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「営利主義」と批判する愚かな日本人=金を取ることは「悪だ」と思い込むがオリンピックは大好き? [映画業界物語]

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「営利主義」と批判する愚かな日本人=金を取ることは「悪だ」と思い込むがオリンピックは大好き?

一部の日本人は金を取るとすぐに「営利主義だ!」と批判する。僕がよくお手伝いする町おこし映画でも、完成披露試写会で入場料を取ると(取らないとできない)「営利主義だったのね!」となじる地元の人がいる。前売り券、ポスター、チラシの印刷代、会場費、映写機代、ゲストの交通費。どこかの大企業から出ていると思っているのか?

委員会メンバー(地元有志。一般市民)は皆、自腹を切り、交通費も食費も取らず、ボランティアで働き、故郷の魅力を全国に伝えようと、市民から寄付を集め映画を作る。上映会をする予算は残らない。公営のホールでもレンタル料を取られる。でも、まずは地元でお披露目!応援してくれた人たちに一番に見てもらいたいと頑張っているのに、何もしな人たちが「金取るのか?営利主義だ」と批判する。

もし、入場料を取らずに上映すれば、先の費用ー会場費や宣伝費等を全て、委員会メンバーが自己負担せねばならない。上映会が満員でも多くの利益はでず、それらも彼ら彼女らの利益にはせず、全国公開のための宣伝費に回す。

言い換えれば、地元の映画を見ることは、故郷映画を全国に発信するための応援であり、支援なのだ。いくら故郷をアピールする映画を作っても、宣伝費がなければ全国で見てもらうことはできない。つまり「営利主義だ」と言う人たちはプロが作った映画をタダで見せろというのと同じ。それはスーパーで「大根をタダで配れ」本屋で「雑誌はタダでくれ」と言うのに等しい。なぜ、タダで映画を見せねばならないのだ。

もし「営利主義」と批判するなら見に来なければいい。家でタダのテレビで地上波を見てればいい。パンを買うのにお金を払うのは、パンを作った人たちはそれを小麦代、水代、光熱費、家賃、そして人件費に当てる。それを個人が作ると大変だ。だから金を出してパンを買う。パン屋はそれで生活をする。それを営利主義と批判する人はいない。どうもプロが金を取るのはいいが、一般が取ると「営利主義」と批判するおかしな人がいる。

プロでない市民が町おこしのために映画を作るのは大変なことだ。それを「営利主義だ」と批判するのなら、金を使わずに映画を作り、無料で上映会をしろ!と言うことか?そんなこと不可能。プロの俳優、プロのスタッフを呼ぶには金がかかる。それでなくても地方の、市民の映画なので、プロの人たちはかなり安い額で参加してくれている。その映画を全国に発信するにはさらに宣伝費が必要。そのためにも入場料を取り捻出する必要がある。「営利主義」と言う人はその辺のことをまるで理解せず、見当はずれな批判をしているのだ。

全国発信というイメージもできず、実行委員会の人たちが収入で飲み会でもすると思っているのだろう。メンバーの皆さんに残るのは赤字だけ。それでも故郷の魅力をアピールしようとボランティア(彼らに一切収入はない)で頑張っているのだ。それを「営利主義」と批判するのは、「映画をタダで見たい」「おいしいものをタダで食べたい」と言う、怠け者の発想でしかない。

ただ、その種の人はそこまで考えてはいないだろう。「素人が入場料を取る」=「営利主義」=儲け主義=金に汚い!という発想。だが、人が時間も労力も費用もかけて作った映画をタダで見ようとする方が余程、根性が腐っている。営利主義と因縁をつけて金を払わずに楽しみたというだけではないか?その種の人たちはそこに気付いていない。そんな無知な人たちが、目標持って頑張る人たち=故郷のために頑張る人たちの足を引っ張る。そして、その種の人たちはなぜか「オリンピック」や「愛は地球を救う」が大好きなことが多い。それらこそが営利主義の代表なんだけどね。


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30年前はSF設定のラブストーリーなんて「ありえない」と映画会社で言われた。 [映画業界物語]

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日本映画もようやく、ここまで来たか。

30年前はSF設定のラブストーリーなんて「ありえない」と映画会社でよく言われた。



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映画監督の仕事は娯楽作品を作るだけではないーマスコミが伝えない真実を伝えるのも仕事? [映画業界物語]

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映画監督の仕事は娯楽作品を作るだけではないーマスコミが伝えない真実を伝えるのも仕事?

僕はジャーナリストではない。映画監督だ。映画館で2時間の間、ドキドキ、ワクワクして、感動。泣ける作品を作る。文芸作品と言っても退屈なものは作りたくない。テーマは「親子に伝える大切なこと」「幸せって何だろう」というもの。題材はエンタテイメントでも、そのテーマを毎回語っている。

原発事故の悲劇を描いた映画「朝日のあたる家」を作ってからは社会派作品も手がけるようになった。昨年公開の「ドキュメンタリー沖縄戦」もその路線。劇中で紹介したエピソードは新しく発掘したスクープではないが、多くの人が知らない衝撃の事実が多数あった。いかにマスコミが報道しないか?伝えないか?ということ。毎年、夏になると終戦記念日前後にいろんなドキュメンタリー番組が放送されるが、多くが上部だけ。政権に都合の悪いことには触れない。悲しい歴史の1ページ的なノリで、責任追及や原因解明はしない。

映画でも沖縄戦で有名な作品は「ひめゆりの塔」と「沖縄決戦」しかない。他にも少しばかりあるが、多くの人は知らない。「沖縄決戦」でさえ映画ファンでも知らないことが多い。広島、長崎の原爆。東京大空襲。真珠湾奇襲、ミッドウェイ海戦。多くが映画やドラマ、漫画になっているのに、沖縄戦が描かれないのはなぜか? だから現在も続く沖縄の苦悩に多くの人が無頓着なのだ。

その背景にあるのがマスコミも、映画も、ドラマも、漫画も、沖縄戦を伝えないということ。伝えると都合の悪い人たちがいるということでもある。当時、軍は沖縄で何をしたのか? その軍に命令した大本営は何を考えていたか? それを多くに知られたくない人たちがいる。封印しておきたい団体がある。再び戦争をしたい勢力にとっては、その辺を知られることを危惧する。歴史を書き換え、日本軍は素晴らしかった!としたい人たちもいる。

だから映画も、ドラマも、漫画も、沖縄戦に触れずらいのだろう。テレビや大手映画会社はしがらみがある。基地問題にも繋がる。だから慰霊の日も上部だけしか報じない。「ドキュメンタリー沖縄戦」はそれを破る作品を目指した。実はかなり危険な作品。テレビでは絶対に作れないドキュメンタリーだ。それを映画館で全国公開すれば、嫌がる人たちも出てくるだろう。邪魔もされるはず。

ましてDVDにして全国でレンタル。地上波、ケーブルで放映されたら堪らない。映画館公開どころでない反響がある。多くの日本人が沖縄戦を知ってしまう。実際、見てくれた人のほとんどが「知らなかった。ここまで酷いことが行われていたなんて...」と驚愕したという。そして誰もが「多くの人が見るべきだ!」という。逆に「これを見せてはヤバイ」と思う人たちもいるだろう。「主戦場」も未だにDVDになっていない。あちらはあれこれ事件になり、話題になったが、内容的にはこちらも近いものがある。よく、特殊な団体が街宣車で来なかったなあ?と内心思っていた。

公開をほぼ終えたとき考えた。映画監督の仕事はエンタテイメントでお客を楽しませることだけではなく、封印された、多くが知らない現実を全国に伝えるという仕事もあるのだと。本来、それはジャーナリズムの仕事だが、テレビ、新聞はすでに、その使命を果たすことができない。巨大組織は管理され、政府の広報機関でしかない。が、フリーの映画監督がインデペンデントで作るなら、真実を伝える作品作りがまだ可能だ。

そんな仕事も、今の時代は映画監督の仕事の一つなのだろう。幸い、僕は失うものはない。妻も子もいない。コンクリート詰にされて東京湾?ーーでも、止める気はない。「朝日」のときから、その覚悟でやっている。だが、敵は様々な手で足を引っ張り、真実を伝えるのを止めようとする。心なき人たちがあれこれ、陰口を振りまいている。でも、心ある人たちの支援や応援があれば出来る! 戦いは続く。



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「スクリーンX」という上映方式をご存知か?  [映画業界物語]

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「スクリーンX」という上映方式をご存知か? 

映画館。通常は正面にあるスクリーンに映画が映し出されるが、この方式は左右の壁にも映写されて、180度。観客を取り巻く視野全てに映画が映される。昔のシネラマ方式のようなもので、3台のカメラで撮った映像を映写するという感じだ。スクリーンが真ん中、右左と横長に3つ並ぶという感じ。超シネマスコープなのだ。

なので、主人公が走る場面でも、正面に走る主人公。左右は流れる風景。観客は物語の中にいるような感覚に包まれる。特にカーチェスやアクションシーン。スペクタクルシーンでは絶大な効果を上げる。Imaxとか(画面がバカでかい)4DX(椅子が揺れ、水が出る)3D(立体に見える)とか新しいシステムがあるが、イマイチ効果を感じられなかったが、このスクリーンxはかなり凄い。

ただ、映画の全編がそれではなく正面のスクリーンのみの場面もある。また、「この場面は3面でなくてもいいのに〜」という見辛い場面もある。が、アクション映画、パニック映画ではその場所にいるようなリアル感があり面白い。

しかし、撮影する方は大変だろう。通常より広い場面を撮影して、従来の映画館にも対応するいつもの絵作りをしながら、周りの風景も入れ込む映像も撮らねばならない。こちとら、作る立場なので、その苦労を想像してしまう。

とはいえ、プライムがどんどん普及して、映画館と同時公開みたいなことをディズニーは始めている。これは映画館の首を締めることになる。だから、このようなテレビ画面では体験できない上映方式を推し進めることは大切なのだと思える。

「ブラックウイドウ」はこの方式で上映する映画館あり。ぜひ、一度、体験してほしい。


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一発屋をバカにしてはいけない=が、それで終わらずロングランするにはどうすればいいのか? [映画業界物語]

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一発屋をバカにしてはいけない=が、それで終わらずロングランするにはどうすればいいのか?

お笑いや歌手の世界では「一発屋」と呼ばれる人たちがいる。少し馬鹿にした呼び方。「あいつは1発ヒットを飛ばしたが、あとは鳴かず飛ばず。結局、1発屋だったんだなあ〜」という言い方をする。が、それは一般社会で暮らす人が他人事として言うことであり、その世界を知る人なら、とてもそんなことは言えない。1発ヒットを飛ばすだけでも、物凄いことなのだ。

お笑い芸人なら毎日、起きてから寝るまでギャグを考える。それを事務所の勉強会で披露。番組オーディションで見せる。認められてテレビ出演。ウケれば次回も出演。ダメならそれで終了。また、アルバイトをしながらギャグを考える。何年考えても、数えきれない数のギャグを考えても、オーディションに受からず、テレビ出られない芸人もいる。

歌手も同様。昔ながらのパターンを紹介すると、歌唱力があり、ルックスもよく、芸の王事務所に所属。厳しいレッスンを経てデビュー。作詞家と作曲家の先生に書いてもらう。それを練習して、CD販売イベント。いろんなところで歌う。よほどでないとテレビには出れない。大手の事務所の力で、先輩歌手のバーターで出演。あるいはCMソングに採用。それらがきっかけでヒット。でも、次にもらった曲はパッとしなかった。テレビの歌番組には出たが、あまりウケず。次回のオファーなし。そこまでしても世間は「1発屋」と呼ぶのである。

歌手でも最近は自分で曲を作り、自分で歌う。これはお笑い芸人のギャグ作りに近いスタイル。メディアに登場する人々は、長い長い戦いの上に多くのライバルに勝ち抜いて来た人たち。甲子園大会に出場した野球部のようなもの。そう説明すると「1発屋」なんてバカにした言い方はできなくなる。そして甲子園と同じで出場しても1回戦で敗退することもある。それを勝ち抜いて優勝を目指す。野球は優勝すると、一応のゴールだが、芸能界はそれを何年も勝ち続けなければならない。ウケるギャグ、売れる歌なんて、そう量産できるものではない。

その意味で10年以上、芸能活動を続ける芸人、歌手というだけで凄いことなのだ。もう努力だけでは足りない。実力は必要だが、それだけでもダメ。運もある。大手事務所に所属すれば....と言うことだけでは行かない。映画界で映画を1本、監督する=1発ヒットを出すと同じ。全身全霊をかけた戦い。もちろん、テレビ局のドラマ部にいて上から「次、映画作るから監督して!」と言われてやる人もいる。しかし、一方では自分で資金を調達したり、借金をして映画を監督する人たちもいる。監督経験のない人に大金を出す映画会社はない。

監督になると、俳優選び。スタッフ集め。製作会社を決め、配給を決め、撮影現場を仕切り、推進して、観客が喜ぶ映画を作る。と言うより、1作目は完成させるだけで精一杯。出来不出来は置いて、ある程度のレベルで完成させるだけで死闘。俳優やスタッフがいうことを聞かない。プロデュサーが邪魔をする。ベテランスタッフがあれこれ言い出す。製作会社が製作費を抜く。そのために撮影日数が短くなる。「監督料が出せない」と言い出すPもいる(要は監督料を巻き上げたいのだ。監督はそれで辞めると言わないことを知っている)そんな人たちをねじ伏せて、我慢して、胃が切れる思いをしながら期日内、製作費内に完成させる。クオリティは二の次。

そんな状態。だが、観客にとって「初監督だからな」というエクスキューズはない。ベテランでも新人でも映画の入場料は1800円。その価値があるか?が問われる。ある程度、面白く話題になり、ヒットすれば、第二弾という話も出てくるが、惨敗すれば、もうどの会社も監督依頼なんてして来ない。「初めてなんだから〜大目に見て〜」という言い訳も聞いてくれない。自身で借金した場合は、返済できなくなり、アルバイト等をして返す。か、夜逃げ。ただ、映画界では「1発屋」とは呼ばれないが、第1回監督作品で終わる人も多い。映画作りは「死闘編」であり「最終回」の戦いなのだ。

そう考えていて、ふと自分を振り返る。僕は5本の劇映画と1本の長編ドキュメンタリー映画を監督した。映画監督デビューして、もう17年だ。10周年はお祝いしよう!と思っていたのに、気づくと17年経っていた。まだメガヒット作はないが、どれもヒットしている。評判もいい。お陰で監督依頼もある。そのためか、最近は批判もある。会ったこともない先輩監督が「あいつはダメだ。才能ゼロだ」とか「まだ、監督やってんのか? 信じられないなあ」とか言っている。が、彼らのプロフィールを調べると、もう10年以上監督していない。その人たちの言葉は評価と取るようにしている。

監督業も先の芸人さん達と同じ。努力は必要だが、努力だけでは行かない。そしてロングランするには、物凄い戦いがある。その意味で僕がここまで来れたのは、優秀なスタッフに恵まれたこと。(低予算映画でもギャラが安い!と文句を言われたことはない)そして、なぜか?第一線で活躍する有名俳優達が数多く出演してくれたことが大きい。当初はテレビ映画でよく見る人たちは面倒だと思えていたが、全く違って、第1線で活躍しているのは、小さな仕事でも、低予算の映画でも手を抜かずに全力でかかるからだと気づいた。そんなスタッフと俳優の力に支えられることで、いい作品が出来る。観客に支持される。それが次回作に繋がる。

こんな側面もある。世間では言う「好きなことばかり、やってられないんだよ!仕事なんだからよ」だが、僕は嫌な仕事、無意味に思える依頼は受けない。本当にやりたいものしかやらない。「世の中、甘くないぞ!」とよく言われたが、それで17年来てしまった。もちろん、そのことで仕事がなくなり、経済的にジリ貧の時期も長かったが、心に響かない作品は撮らなかった。ただ、「これはやらねば!」と思った時はギャラや予算。体調。健康に関わらずやる。そのために1年以上取材する。その間のギャラはないが、取材する。サラ金で生活していた時代もある。だから、映画が完成した時は借金の山?!けど、いいものができた。

あと、映画会社が喜びそうな企画を考えて売り込んでも、なかなか仕事に繋がらない。なのに本当に作りたい映画を作ろうとすると、苦労は多いが出来てしまう。そして評価され、ヒットする。「一発屋」の話に繋がる。ヒット曲を出そうとすると、ヒットしない。が、自分が歌いたい歌を歌い続けるとロングランできてしまったりするのではないか? 小室哲哉が作った歌もメガヒットしたのは、彼の人生を叩きつけたものであることが多い。美しい言葉を並べてヒットを狙ったものは、そこそこヒットだった。自身が関心のある課題と真剣に戦い、ヒットや儲けを考えずにやると、いいものが出来る。結果、ロングランする。映画でも、お笑いでも、歌でも、そこは同じなのかもしれない。


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いつでも来い!ロケハン。新型バッグ登場=でも、当分は出番なし? [映画業界物語]

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通常、映画製作ではロケハンに行くのは製作部だ。が、太田組では僕が行く。その前にシナハンにも行く。シナリオを書く前に撮影する街を見たいからだ。その際にはいろいろカメラ機材を持って行く。資料写真と資料動画を撮る。それを下にしてシナリオを書き、スタッフにロケ地を紹介する。

今まではカメラをタオルでぐるぐる巻きにして、デイバッグに入れて運んでいた。が、現場で取り出すのが面倒。また、バッグの中でゴロゴロしてぶつかり傷つくかもしれない。

持って行くのは一眼レフカメラ。コンパクトカメラ。ビデオカメラ。三脚、一脚。充電器。かなりな量になる。なんとか対策を考えたいと思っていた。が、余裕なく今日まで来てしまった。現在はコロナ禍。余裕があるので、あれこれ考えてリュックタイプのカメラバッグを用意。これなら全部入る。仕切りがあるので安定。ゴロゴロしない。すぐに取り出せる! 三脚は入らないが一脚は入る(三脚は底に括りつけることができる)なぜ、これに早く気がつかなかったのか?

節明しよう。左上ービデオカメラの充電器とバッテリー予備。右上ーパソコンの充電器。左上ー携帯、ルーター。一眼レフの充電器。右上から2つ目ーsdカード。右上から3番目ーコンパクトカメラ(暗闇に強いタイプ)。左下ービデオカメラ。右下ー一眼レフ。一番下ーヘッドフォン 。右の長いスペースー一脚とタオル、黒い財布。このバッグの背面にはノートパソコンが入る。

かなりな重さになるが、リュックタイプなのでさほど苦にならない。これですぐにでもロケハンに行けるが、コロナ感染で緊急事態宣言中。すぐにバッグが活躍することはないのか?


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芸術家を助ける制度が芸術家を苦しめる?=いい加減にセーや! [映画業界物語]

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芸術家を助ける制度が芸術家を苦しめる?=いい加減にセーや!

芸術支援基金というのがある。昨年の夏。申請し承認されたが、未だに振り込みがない。もう8ヶ月が経つ。芸術家のプロジェクトを応援するというもので、ありがたい!と思った。この国は文化芸術に対する理解がないと思っていたので、かなり感心したのだが、そうでもないようだ。まず、手続きが非常に面倒。僕が一番苦手とする書類作成。申告時もいつも苦労するが、そんなレベルではない。申請書に書かれてある文章の意味が分からない。日本語なのに意味不明だらけ。あれこれ調べて想像して推測して書類に書き込み。役所で申請ならまだスタッフに質問できるが、パソコン申請のみ。

かかった費用から何から全部調べてようやく申請。すると数日後に「***がない」「**の記述がない」と問題箇所を指摘してくる。直して再送付。また、問題点を指摘。その繰り返しを数週間。最後は「**の記述は赤字で書いてください」との指摘。「黒字で何の問題がある!!」と思うが、そこはお役所仕事。決められた通りにしなければということだ。それも直して、また申請。ようやく「承認しました」との通知。ムカつくこと多かったし、苦手な作業だが、これでそこそこの支援金がもらえれば助かる。今、映画の撮影はほとんどが延期か中止。無理してやっているのはテレビドラマだけだ。

ところが、数週間後に振り込まれた金額は一部。全額ではない。問い合わせると、事業が完了した時に残額を支払うとのこと。つまり、こちらが全額を建て替えて支払い。その一部を後で支払うということなのだ。それって純粋な支援ではなく、ある程度の金がある奴に後でその一部を支援してやるよ!という制度。そもそも金のない者は建て替えができないので対象とならない。これで支援と言えるのか?

計画していたプロジェクトを完結。終了の報告。するとまた「***の記述がありません」「***が抜けています」との指摘。それらを直して再申請。これでいいだろう?と思っていたが、振り込みがない。1ヶ月も経ってから「***を直してください」とまた指摘が来た!

一度、承認したのに何だ! でも、まあ、実際は何もせずに、支援金だけせしめようとする輩もいるのだろう。と我慢して修正返信。すると、その段になって「交通費の明細がありません!」とのこと。Suicaの領収書では無効というのだ。確かにSuicaは交通費以外にコンビニでも使える。それは分かる。が、それは一番最初に申請した時に言えよ!もう、1年前の交通費。いつ、どこからどこへ行ったか?なんて分からないだろ。

でも、僕は細かいことが気になる困った性格なので、スケジュール表にその日どこに行ったか?を記録している。だが、新宿と書かれていても、その後、笹塚に行く。代々木に寄るということもある。がメインの訪問場所しか書いていない。そんなこんなで、他の記録も見返して、昨年夏の交通費を調べた。が、Suicaの全額分は探しきれず、分かったところだけ書き込む。しかし、最後の最後に1年前の交通費詳細なんて、嫌がらせとしか思えない。もう、これでいいだろう?と申請したが、1週間経つが返事なし。

hpを見ると今月31日で全ての作業を終了と書かれている。後、10日ほどで審査して、残額を振り込んでくれるのか?最後になって、その額を削ったりするんじゃないの? 時間切れで「残念」とか言ってきたら殴り込みに行くぞ!そもそも芸術家相手に、この申請内容はどうなの? そういう作業ができない、はぐれ者だからアートやってんだよ。税金は税理士に相談できるけど、これは誰に聞けばいいの? 申請にかかった時間。どこかでバイトすれば同じ額がもらえたのではないか?と思ったりしている。


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スピルバーグが被るキャップ。どこの帽子かな? [映画業界物語]

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スピルバーグが被るキャップ。どこの帽子かな?

昨日の記事でなんと!90「いいね」をもらった。これ実は南カルフォルニア大学ーUSCー映画科の帽子。スピルバーグはUSCではなくUC ロングビーチ校。下写真右に映るルーカスがUSC映画科。「レイダース 失われたアーク」(81)撮影の時にルーカスがスピルバーグにプレゼントしたのだろう。

10年以上も愛用している? 下の写真は僕のキャップ。87年に映画科に合格。その後、購入した。同じものをルーカスがUSCで買いスピルバーグにプレゼントしたと思うと、少し嬉しい。僕もこれかぶって撮影しよう。


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クリエーターとはどんな人たちなのか?=才能あふれる立派な人ではないことを知ってほしい。 [映画業界物語]

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クリエーターとはどんな人たちなのか?=才能あふれる立派な人ではないことを知ってほしい。

小説、漫画、ドラマ、映画、音楽等の創造の仕事をするクリエーターというのは常識に縛られない人が多い。別の言い方をするなら変人であることが多い。ただ、あまりに非常識なことをすると仕事ができなくなるので、一般の人に対しては「常識がある振り」をする。

本来、常識に縛られるのをとても嫌い、最低限のことしか従わない。人が右と言えば、左に行きたくなる捻くれ者。でも、だからこそ多くの人が気づかないことに気づき、感銘を与える作品ができる。

業界を見回すと変人ばかり。そして、変人の方がいい仕事をしている。世間で言われているようなことを言ってる奴は、大した仕事をしていない。しかし、世間の人は「クリエーターである映画監督というのは立派な人だ」と勘違いすることが多い。そりゃ立派な人もいるが、そうでない人もいる。単なる変人も多い。

僕と接する人。最初は間違って「感動できる映画を何本も撮った立派な人」と思うことがある。僕も最初から非常識なことはしない。が、映画製作を始めるとつまらぬ常識に関わり合ってはいられない。すると一般の人は「裏切られた!」「あんな人とは思わなかった!」「許せない!」と怒り出すことがある。暴力を振るとか、金を騙し取るということではない。一般の人がよくやる「空気を読む」とか「周りの顔色を伺う」とかいうことはしない。

いい映画を作るより、街の実力者の顔を立てるとか、事前に根回しするとかを優先する人たちからすると「とんでもない!」ということなのだ。こちらは変人で常識がなので、その辺に気が回らない。作品を作ることしか考えない。だから、批判される。つまり、勝手に「立派な人」だと思い込み、同調圧力に従わないからと「裏切られた」と騒がれる。世間の人たちとはそんなことで時々、トラブルが起こる。映画制作時以外は一般の人と接することを避けるようにしている。

その辺の無意味な習慣や風習に従えるようなら、カタギの会社員になっている。理不尽や同調圧力に我慢できない。つまらないルールに縛られたくない、大人しくできないから、こんな仕事をしている側面が強い。そんな協調性のない人を世間では「変人」と呼ぶ。僕もそんな人たちがたくさんいる世界の片隅にいる。


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シナリオを書くときに心がけていることがある。 [映画業界物語]

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シナリオを書くときに心がけていることがある。3つだ。

① ロケ地を生かした物語にする

② 俳優の力を発揮できる役を考える

③予算とスケジュールを考えた物語にする。

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①は制作依頼が地元から来たものであることが多いからだ。基本は地元の魅力をアピールすること。ただ、観光案内映画になっては意味がない。地元の方は喜んでも、観客は入場料を払ってPR映画を見たくはない。そして、地元の希望する観光地、売り出したい場所で、そのまま撮影しても映画として面白くならないことが多い。

むしろ、地元の人が気づかない場所。建物で魅力あるものを描くことが大事。地元にいると当たり前になっている場所が、他の街から見ると魅力的であることが多いからだ。それらの場所をシナハンで探し、見つけ、把握して、物語に入れ込む。ロケ地が単なる物語の背景になってはいけない。ロケ地はもう一人の主役でもある。その場所が生きる設定で、物語でなければならない。

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②通常は作家があれこれ考えて、キャラクターを作り、物語を進める。基本はテーマを描くために相応しい年齢、性別、職業を考える。犯罪ものなら警察官をメインにするとドラマを進めやすい。が、それに加えて、太田組レギュラー陣の俳優さん。あるいはこれまでに出てもらった役者に皆さんをイメージして役を作る。あるいは出て欲しい俳優さんで考える。

先に役を考えてから、依頼した場合。俳優はその役に近づこうと努力してくれるが、どうしても出来ない部分もある。しかし、その俳優さんをイメージして役を作れば、その人以外はできない役になる。「太田組作品に出る俳優さんが輝いている」とよく言われるのは、そんな手法で物語を作るからだ。もちろん、その人をイメージしながら、出演してもらえないこともある。

あるいは、今まで知らなかった俳優さんが演じる。その時は本人に合わせて役を直す。オートクチュールと同じ。その人に合わせて、丈や裾を直すのだ。ただ、その人がいつも演じるタイプの役にはしない。それではご本人もやる気が削がれる。新しい、演じたことのない役だからこそ挑戦したくなるのが俳優なのだ。だから、高めのハードルを用意させてもらう。

「向日葵の丘」の常盤貴子さんも依頼する前から、彼女のイメージでシナリオを書いた。出演を快諾してくれたから良かったが、ダメなら大変だった。が、彼女のイメージで行きたかった。だから、役名も「貴子」ならぬ「多香子」にしていた。

「明日にかける橋」の田中美里さん。藤田朋子さんも同様。あの方々もご本人に合わせて役を書かせてもらった。それぞれの魅力が120%出る役を考え抜いた。「青い青い空」の波岡一喜さんも同じ。八代先生の役は彼しかできない。前作「ストロベリーフィールズ」に出演してもらった時の印象をベースに書いた。

「朝日のあたる家」の山本太郎さんも同様。彼が本当に言いたいことを想像してセリフにした。シナリオを読んだ時、「俺が言いたいことが全部書いてある!」と言ってくれた。彼が言いたいだけではない。それは僕の思いでもあった。そんなふうに俳優の思いが篭る。そして作家の思いがダブる役柄やセリフがとても大切。

こんなこともある。シナリオを書く時、この物語であの俳優さんに出てもらうとすると、どんな役がいいかな?と考える。お姉さん。お母さん。近所のおばさん。先生。OL。女性警官。あれこれ役柄を考えながら、その役が物語を紡いで行けるかどうか? 検討する。単に出るだけでは意味がない。テーマを紡ぎ出す役割を担わなければ、その役は無意味になる。そして、単なる脇役というのも良くない。どんな役でも意味がある。

そして見せ場を作りたい。そのことで物語も面白くなるし、俳優も演じがいが出てくる。ある時は、エピソード5つ。主人公はいるが、それぞれのエピソードでゲスト主役的な役を考える。それぞれの俳優さんを当てはめてみる。そんな方法論も使う。

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③予算とスケジュールを考えた物語にする。これも大切だ。シナリオ学校では「予算を考えずに自由に書け」とよくいうが、そんなことをして、後で予算に合わせて縮小すると、小粒の作品になってしまう。1億かかるシナリオを1千万に直して撮っても面白くならない。なら、最初から1千万で物語を考えた方がいい。また、スケジュールも大事。シナリオでいろんな場所が登場すると、その数だけ、撮影のために移動せねばならない。機材積み込みに1時間。移動に1時間。積み下ろしに1時間。それで3時間必要。それなら場所を集約した方がいい。移動せずに撮影ができる場所にする。

また、俳優も、シーン1、シーン5、シー28 に登場とすると、それらをまとめて撮影する。俳優を呼んだり帰したりも大変。しかし、それらの撮影場所がバラバラだと先と同じ問題が起きる。そこで、俳優の出番、ロケ地を同時に考えて、効率よく撮影できるように物語を考える。

そして、全部撮り切るのに最高でも3週間で済むように書く。ただ、そんな制約があると、物語を成立させるだけで精一杯。面白さがなくなることが多いのだが、そこがプロの腕。それでいてハラハラドキドキできる物語を作るのが技術であり、実力なのだ。

だから、太田組作品は製作費の3倍近いことができる。例えば3千万で撮っても1億円かかることができる。もちろん、シナリオだけでなく地元の皆さんの応援があってのことだが、3倍の予算がないとできないことを毎回、やっている。その第1歩がシナリオ。

ルービッキューブの6面を同時に合わせる作業に近い。「俳優」「予算」「ロケ地」「物語」「時間(スケジュール)」「スタッフ」この6面。全部はなかなか揃わない。どこかで歪みが出ることもあるが、スタッフの皆さんがカバーしてくれ、いつもクオリティを下げずに完成させる。毎回、そんな電撃作戦。不可能実行指令?その第1歩が先の3つを抑えたシナリオなのである。


 
 
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ベテランのスタッフさんが亡くなった。 [映画業界物語]

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 以前、ご一緒したベテランスタッフさんが亡くなった。

 僕より10歳近く上なので、70歳前後。昨年は同世代が3人も亡くなったので

 自分より上の世代が亡くなるのも、時代の流れとも思える。

 彼は映画屋らしく、酒が好きで、浴びるほど飲んでいた。

 撮影時でも飲みすぎて、低迷状態で宿に戻ってくることもあった。

 結婚もしておらず、職人気質。現場の人だった。

 最近はどうしているのか?と映画界で回ってくる「スタッフ稼働表」を見ても名前がない。

 僕もこの10年ほど忙殺されていて、誰かを心配する余裕すらなく、

 同じ映画界。どこかでまた出会うだろう。と、戦場をさまよう者のように思えていた。

 実際、親しい友人に電話する余裕もなく、同級生が入院。訪ねることもできなかった。

 1本の映画が始まるとまさに戦争。全ての余裕を失う。終わると数ヶ月で過労でダウン。

 何もできなくなる。毎回、過労死してもおかしくない状態。

 映画撮影は過酷だ。そんな彼が報道の取材スタッフをやっていると聞いた。

 体が悪いので、長丁場のドラマではなく、単発で働ける取材の技術スタッフをやっているだろうと想像する。

 そして、ある日の撮影に彼が来なかった。心配でスタッフが自宅に行くと、室内で倒れているのが発見。すでに亡くなっていたという。

 葬式もすでに済んだそうだ。連絡をくれたスタッフが「しのぶ会」でもしたいが、コロナ禍で緊急事態宣言も延長と言われている。そんな中で会もできない。

 昨年、亡くなった師匠の「お別れ会」もいまだに出来ておらず、1年が経とうとしている。次は僕の番かもしれない。映画屋の末路は寂しいものがある。



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映画屋が人と親しくなってはいけない理由=結局、相手を傷つけてしまう? [映画業界物語]

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映画屋が人と親しくなってはいけない理由=結局、相手を傷つけてしまう?

先日、「親しくならないことが大事」と書いたら「悲しいですね」とコメントする人がいた。確かに悲しい。ただ、純粋に応援してくれている人ばかりではない。最初から悪意を持って寄ってくる人。利用したくて近づいてくる人もいる。最初は笑顔。あれこれ応援する振りをして、親しくなると、恩を売り、断り辛いのをいいことに、あれこれ要求が始まる。甘い汁を吸おうとする。見返りを求めるということがある。

ただ、それらのタイプを僕は見破る。こちとら天才的な俳優たちの演技を見ている仕事。本音を隠しても見抜く。が、そうでないケースがある。こちらが問題なのだ。最初は純粋に好意。だが、そこからまさかの問題が生まれる。後輩監督のケースを紹介する。

「地元で撮影したあの監督。頑張っている。何か協力したい」そう思って寄付する。差し入れする。お手伝いする。エキストラで出演。ネットで宣伝する。あれこれ頑張る。見返りは求めない。20代。地元農家の男性。後輩は何度か会って親しくなる。ネット上で何度もやりとりをした。

映画人は別世界の人だと思われている。「イメージしていた怖い人ではない。冗談もいう。偉そうにもしない」彼はそう感じる。その内に友達、近所の兄ちゃん的な存在に思えてくる。この辺から問題が始まる。彼はいう「今回出た10代の俳優の***さん。ぜひ、次回作も出してあげてください。絶対いい芝居します!」でも、理由があり、後輩は次回作でその俳優は依頼しなかった。配役を発表すると、また連絡が来た。「何で出演させなかったんです?撮影現場であんなに頑張ってたのに、酷い!」そう言われる。

気持ちは分からないではない。キャスティングの希望をする人はいる。が、それが通らないからと、抗議するのはどうか? 後輩は気になり、何度かメールしたが返事はなかった。彼は撮影中にその俳優と何度も話し、アルバイトしながら頑張ってることをしる。おまけに母子家庭。次も役をあげるべきだ。なのに、、、そう思っていた。

この問題。分析すると、会社に手伝いに来てくれる若者がいた。社員とも仲良くなった。次の人事異動でお気に入りだった社員は別の部署に移動した。「それは可哀想だ。元に戻してあげてほしい」と社長に直訴したのと同じ。要は人事に対して意見を言った。それが通らないと憤慨した。人事は会社内のこと。外部からは分からないことが多い。それを「頑張ってたから」と外部の人間があここれ言うのは違う。

これ会社なら分かりやすいが、映画になると分かりづらい。俳優の技量、特性は一般の人には分からない。そして憧れで見てしまいがち。ファンとして応援するのはいいが、その人事を会社側に進言する。本来ならできないが、監督やスタッフと仲良くなるとそれができてしまう。そのことで「可哀想だ」「酷い」と憤慨する。優しい気持ちは分かるが、それをビジネスに持ち込むべきではない。でも、後輩は彼に本当に感謝しており、申し訳ないと思っている。が、キャストは変更できない。

どうすればいいのか? プロならそれは理解する。スタッフや俳優が監督やプロデュサーに「あの人がいい」「あの子はダメ」とは絶対に言わない。人気投票ではないことを理解している。が、業界外の人には分からない。人情で見てしまう。親しくなるとダイレクトに言い出す。「監督さんは優しいから、きっと分かってくれる」だが、仲良しクラブではない。可哀想だからと役に選ぶのはアウト。だが、後輩はその人には恨まれた。その後、彼は「あんな人だとは思わなかった。2度と応援しない」とあちこちでいい触れ回ったらしい。

問題は何か?映画の世界に彼は個人的な思いを持ち込み、それを監督に押し付けようとしたのだ。簡単に言うと公私混同。ただ、人は親しくなると、「私が言ってあげないと」「気付いていないかもしれない」と親切で、余計なことを言ってしまうこともある。そして拒絶され傷つき、悲しみ、憤慨することがある。どうすればよかったのか? 親しくしてはいけないのだ。そのことで垣根がなくなり、遠慮がなくなる、別の世界の価値観を悪意なしに持ち込んでしまった。このことで若者も後輩も傷ついた。だから、親しくしてはいけないのだ。互いのために。この件は後輩が悪い。業界のことを知らない若者に、そこまで言わせるまで親しくなったのが原因だ。悲しい話である。


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表現の仕事をする人たちを羨む人。楽な仕事だと批判する人。 [映画業界物語]

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表現の仕事というのは理解されずらい。歌手だと「毎日、楽しく歌っているだけで、生活できるなんて楽な商売だね〜」という人がいる。が、歌で食っていくことがどれだけ大変なことか?を知らず、表面だけを見て羨み嫉妬しただけの言葉。僕もこう言われたことがある。「映画監督っていつもブラブラ、遊んでばかりいるって本当なの?」これは質問形式だが、「お前らロクなもんじゃない?偉そうなこと言って本当は単なる怠け者だろ?」といいたかったようだ。

画家、音楽家、小説家、俳優、歌手、表現の仕事をする人はその手の誤解と偏見と嫉妬に塗れた、的外れの批判をされることがよくある。(実は表現の仕事だけではなく、個人事業者、旅館、映画館、ライブハウス等も一般では知られていない苦労があるが、理解されないことが多い)

隣の芝生は緑。会社員をやっている人は毎日、満員列車で通勤。夜遅くまで残業。給料はもう何年も上がっていない。上がるのは物価だけ。アベノミクスも大失敗。家に帰れば子供に無視。そんな生活を繰り返していると、テレビをつけた時に歌手が楽しげに歌っていれば「気楽な商売だね〜」と感じてしまうのも分からないではない。

でも、毎日、会社に行ってそこそこ仕事をすれば、安定した生活が送れる会社員を、表現の仕事をする人たちは羨やむ場合があること。彼らは想像しない。来月から仕事がない。いくら仕事をしても生活ができない。副業をしないと食って行けない。いや、副業をすると本業ができなくなる。

表現の仕事以外にも人間関係の苦労がある。自分で営業せねばならない。30歳過ぎても食えない。そんな不安が常に付き纏い、手を抜けばすぐに仕事を失う。風邪なので今日は休みますーは通用しない世界。それを多くの人は想像しない。

そして常に偏見にさらされ、「遊んで暮らせる」「気楽な商売」「金が儲かる」「華やかな世界」「羨ましい」と思われ、批判の対象になる。「いい加減にして欲しい。大きなお世話だ。こんな仕事はもう辞めたい!」と思う人も多い。が、面白いのは、いや、悲しいのは、そう思って表現の仕事を捨てて会社員になれるか?というとなれない。そんな生活ができない人が表現の世界に生きているのだ。

逆にいうとカタギの人が歌手や俳優に憧れても、努力でなれるものではない。毎日、真面目に通勤し、会社で働くことができる人には、表現の仕事はできないことが多い。それをある種の人は一般の人が努力し、才能があって、運がよかった人が表現の世界に行き、活躍すると思いがち。だが、もともと別の世界の住人なのだ。どちらが偉いではない。毎日、真面目に会社で働ける人は表現の仕事をする必要がない。何かを表現しなければ生きていけない人がその世界で生きているのだ。

それが分からないからカタギの人が多いので。自分たちの価値観ーつまり、毎日会社に行き、遅くまで働いて、家に戻るともう深夜のような生活をするのがー働くーということ。そう思っているから「毎日、ブラブラ遊んでいるだけだってね?映画監督という人たちは?」と思ってしまう。日本人がアメリカ人の生活スタイルを見て、羨んだり、批判したりしているようなもの。その辺、機会があれば詳しく書く。


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言い訳が難しい。映画監督業は嘘も本当も言えない? [映画業界物語]

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「時間をとって欲しい」と連絡をもらう。通常は忙しければ「忙しい」と伝え、別の機会にしてもらう。あるいはキャンセルしてもらうのが通常。相手も「ああ、年度末だからねえ」と考えてくれる。だが、映画監督業の場合。「撮影をしていないのだから忙しくないはずだ」と思われることがある。監督=撮影が仕事と思われる。だが、撮影なんて映画製作の1部にしか過ぎない。撮影がないから仕事がないにはならない。

また、「撮影が終わったのに監督は何の動きもない。何をしているのか?さっさと上映会をすればいいのに!」と怒っていた人がいる。お会いした時に「海外旅行にでも行ってたんですか?映画の上映が先でしょう!」と言われた。が、僕は缶詰になり3ヶ月。編集をしていたのだ。彼は撮影が終われば完成だと思い、早く映画を見たい。なのに監督は!と思っていたのだ。一般の人は編集作業という工程をご存知ないことが多い。「撮影」=「監督の仕事」「撮影が終わった。仕事も終わった」と思われていたのだ。

シナリオも数ヶ月かけて書く。その時も缶詰状態。ま、自宅だが、電話も出ない。メールも見ない。その作品世界に入り込み執筆する。が、もし、「現在、シナリオ執筆中」というと「今回はどんな映画ですか?」「誰が出るんですか!」と聞かれてしまう。その後もことあるごとに「撮影はいつですか?」「俳優は決まりましたか?」と言われる。その情報が俳優さんたちに伝わると「ぜひ、出演したいです」「役はありますか?」「小さな役でもいいです」と連絡が来る。

それらの対応をするために時間が取られる。何より執筆に集中できない。そして、それらの人は悪気がない、むしろ応援してくれているので無下にはできない。すると、それなりの返事や折り返しの電話が必要になり、時間と労力が必要になる。せっかく入り込んだ作品世界から現実に戻ってしまい、数日間、何も書けなくなる。だから「シナリオで忙しい」とは言えない。言わない。シナリオ書いてないのに、書いていると思われて「出演したいです」「どこで撮影ですか?」と言われるのも困るし、書いている時にあれこれ連絡されるのも困る。

だから、誤解されないように、同時に本当のことも言わないで、忙しいことを伝えるのが難しい。現在は緊急事態宣言で多くの映画プロジェクトがストップ。僕は過労がまだ良くならず、伏せっている。「そう言ってシナリオを書いているんでしょう?」と勘繰らないようにね!


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映画監督業。日頃はこんなこと考えている? [映画業界物語]

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時間があるとストーリーを考える。観客を魅了し、ハラハラドキドキして、感動できる物語を常に探している。新宿の高層ビル街を歩いていて、窓拭き掃除をしている人を見たら、その職業を主人公とした映画ができないか?考える。高いビルで窓拭き。いろんな苦労があるだろう。主人公は高所恐怖症というのはどうか?あれこれ考える。

が、素晴らしい物語は簡単には思いつかない。あれこれ何日か考えて、結局ものにならないことがほとんどだが、その間、飯を食う時も、風呂に入る時も、街を歩くときも、その物語を考え続ける。赤信号に気づかず、クラクションを鳴らされたこともある。部屋で考えれば良さそうなものだが、歩くことで脳が活性化される。また、外を歩くことで看板や通行人。建物。いろんなものを見るので、そこからアイディアが閃くこともある。

映画を見るのも大事。全然違うジャンルの映画でも、ある場面で、あるキャラのセリフが大きなヒントになることがある。ある先輩はホラー映画を撮る前はコメディばかり見るという。「笑い」と「恐怖」は表裏一杯なのだそうだ。分かるところがある。そんな風にどこにヒントがあるか分からないので、街をうろつく、いろんな映画を見る。仕事依頼がなくても、そんな作業を続ける。

そして考えだすと、他のことが手に付かない。食事もどうでも良くなる。風呂に入るのを忘れたり。そんな時に約束をするとまずい。さすがにそれも忘れてということはないが、そうなるとストーリー作りに集中できない。物語の世界に入れない。そんな時は予定を入れない。そしてあちこち歩き回る。

もし、そんな姿を見ているカタギの人がいれば、どう思うか?こう言われたことがある。「映画監督っていつもブラブラ、遊んでばかりいるんだって?」確かに行動だけ見ればそうだ。だが、考える。想像する作業ー映画屋にとって仕事。なのだが、カタギの人にとって「仕事」というと会社に行き、デスクに向かうこと。工場で作業することなのだ。街を歩くのはまさにブラブラしている。仕事をせずに遊んでいるとしか思えない。

映画の仕事というのは理解されにくいもの。その誤解によって、あれこれ批判しに来る人。良からぬ噂を吹聴する人。時には「お前、いい加減。遊んでばかりおらずに、真面目に働けよ」と説教する人たちもいる。彼ら彼女らからすると見かねての行動なのだが、大きなお世話であり、そんな人たちを傷つけずに理解させ、放って置いてもらうために使う時間や労力が必要となる。その上、説明しても理解されず「お前は仕事をしたくないだけだ!」「言い訳はするな!」「要は怠け者なんだよ」「心を入れ替えろ!」とか怒り出すことが多かった。

近年はそこそこ知名度のある作品を監督しているし、有名俳優も出演してくれるので、理解されるようになってきた。そこから感じたこと。人は本当に自分を取り巻く価値観が絶対的なものになってしまい、「それを大切にしない者は問題がある。無知である」と考える。「教えてやらねば!厳しく指導せねば!」そしてあれこれ言いに来る。本人は良かれと思うが、こちらは迷惑なだけ。

これはアメリカ人に住むアメリカ人が、自宅に入るときに靴を脱がないのを見て「あいつら本当に常識がない。家に入る時は靴脱ぐのは当然だ。そんなこともわからないのか?説教してやる」というようなもの。そこに気づかない人が意外に多い。日本人は狭い島国で育ち、同じ日本人と付き合うことが多く、価値観も狭くなりがち。難しいなあ。


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作家はテーマと格闘し、血を吐きながら物語を作る=現代や過去を見つめないで観客に伝わる作品はできない。 [映画業界物語]

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「ウルトラセブン」と「超人機メタルダー」のテーマ解説を長々と書いた。子供番組といえども作家(脚本家)は様々な思いを込めて物語を作る。そして、この両作品の背景にあるのが太平洋戦争である。このように多くの作品はテーマがあり、それと作家が格闘することで物語が生まれる。もちろん、ハラハラドキドキして終わり。という作品もあるが、テーマがないものは見終わるとそれまで、後に何も残らない。何年も先まで、歳をとっても覚えている作品というのは、そのように作家の葛藤が描かれているものが多い。

特に映画は社会の反映。それがなければ観客には伝わらない。ある映画人が言っていたが、「これからは311以前と以降に分かれる」その通りだった。311前。原発事故前に作られた映画が事故後に公開されて見ると、何だか他人事に見えた。原発事故を描いているいないではない。東日本大震災。原発事故という未曾有の災害を経験した上で映画を作るのと、知らずに作るのでは全く違うのだ。

その意味で現在のアメリカの動き。それに興味を持たないと、作家は新しい作品は作れないのではないか? 「大統領選、以前、以降」で311以上に時代が変わると感じる。価値観や様々なことが変革を迎える。まだ予感でしかない部分もあるが、江戸幕府が終わってから70年後、太平洋戦争が終わった。それから76年。それが今年である。70年を一区切り、歴史的にも大きな変化があっても不思議でない時期なのだ。ソ連も1922年に始り1991年に崩壊。69年で終わっている。70年は大きな転機の時期なのだ。

そんな時代に作家が「陰謀論だ」「俺は信じない」とか言っているのはとても滑稽。信じなくてもいい。興味を持って見つめることが大事。(Facebookに記事書かなくても、興味ある人はいるだろう。ただ、表現者が陰謀論なんて、、、と他人のコメント欄に書き込むようなら仕事を間違っているだろう)そこに必ず時代の反映が見つかる。同じように現代だけでなく、過去にも目を向ける必要性を感じる。今は「沖縄戦」の延長で戦争についてあれこれ勉強している。すると過去ではなく、逆に現代や未来が見えてくる。特に日本人は「近代史」を知らない。室町や鎌倉より昭和史が大切だ。それを学校で教えないのは大きな理由があるはず。教えたくない背景がある。

近代史は現代に直結するから。ボロが出る人たちがまだまだいるからだ。近代史を学べば自民党も、日本テレビもアメリカが資金を出して作った組織だと分かる。原発を推進したのもアメリカ。担当が中曽根康弘と正力松太郎。正力は読売新聞の社主。そう考えると、先の日テレにも繋がる。戦争で儲けたのは誰か? 処刑されなかったのは誰か? 誰が一番得をしたのか? ミステリー小説の基本で考えていけば日本の裏側が見えてくる。話がそれた。そんな日本が大きく変化しようとしている時。作家はどんな物語を描くべきなのか?子供たちに何を伝えるべきなのか? 考えている。


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「映画監督って毎日、ブラブラ遊んでばかり?」とある人に言われた。へーそう見えるんだ〜。 [映画業界物語]

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何年も前の話だが、ある地方で映画撮影をするために、準備をしていた。地元で年配のオヤジに、こう言われた。

「映画監督って仕事せずに、毎日ブラブラして遊んでばかりいるって聞いたけど、本当なの?」

明らかに悪意のある言い方。「お前らは怠け者だよな」と言いたいようだ。地方ではそんな風に笑顔で、質問する振りをして、辛辣なことをいう人がごくたまにいる。地元で映画を作ることに同意しない。あるいは「どうせ、失敗するだろう?」「ロクな映画はできないんじゃないの?」と思う人がそんなことを言いに来る。彼の住む街から依頼を受け。その街の素晴らしさを伝える映画を作ろうとしているのに....。

そんな時は「日本の監督は貧乏ひまなしで、ブラブラしてられるのはハリウッドの大監督だけですよ〜」とか、笑顔で言い返してやるのだが、監督業がそんなだとどこで聞いたのだろう? 映画監督というと皆、黒澤明をイメージ。怒鳴ってばかりいる怖い人という印象を持つ人が多いのだが、ブラブラしているという人は初めて。そもそも「遊んでばかりいる」監督なんて聞いたことがない。金持ちの家のボンボン(表現が古いなあ)でもないとそんな生活は出来ない。

監督業は撮影のイメージが強いが、映画製作で「撮影」は一部でしかない。映画製作は企画、準備、シナリオ、ロケハン、撮影、編集、ポスプロ、完成、宣伝、公開という流れ、その間、1年から2年。下手すると3年。監督は最初から最後まで付き合う。300万円のギャラをもらっても、3年かかると、1年100万。1ヶ月にすると十万円以下。サラリーマンの初任給より低くなる。その間、ずっと映画に関わる。ブラブラなんて出来ない。

が、あるとき気づいた。映画が完成し、次の作品にかかるまで、監督はあれこれ企画を考える。ベストセラー小説を読んだり、流行りの映画を見たり、仲間と飲みに行ってあれこれアイディアを出し合ったり。テレビ、新聞、雑誌をチェックしてネタを探す。先のオヤジはそんな段階での話を聞いたのだろう。この期間は企画を考えるにはとても重要なのだが、映画製作を知らない素人が見ると「遊んでいる」「ブラブラしている」に思えるのだろう。

監督依頼がなくて、2年3年、この状態である人もいる。が、皆、決して遊んでいるのではなく、必死でネタを探し、企画書にして、映画会社に持ち込んだりしている。が、簡単に企画が通ることはなく、数年間、撮影することなく過ごす監督たちも多い。そんな状態だけを見て「遊んでいる」「ブラブラしている」と感じた。自分たちの世界の価値観にはめて、会社に行かない。職場に行かない。「ブラブラしてる」と決めつけた。そんな話を聞いたオヤジは「映画監督なんて、そういう人種なんだ」「信用しちゃいけないなあ」「毎日ブラブラ」「騙されないようにしよう」と考え皮肉を言いに来たのだろう。

芸能や映画の世界。理解は難しい。誤解されることが多い。例えば歌手を見て「毎日、歌ばっかり歌って、それで金になるんだから、いい商売だよ」と思いがち。毎日、歌う大変さを知らない。カラオケボックスで歌うのと、ステージで客を感動させる歌がどれだけ違うか?分かってない。監督業も「女優と飲みに行ったりできる。うらやましいなあ〜」という人がいるが、プロの女優を知らないから、そんなことが言える。また、趣味の延長だと思われがちだが、この世界は「生馬の目を抜く」毎日。賽の河原で石を積むような仕事だ。それが理解されない。ま、仕方ないのだが、そんなことを時々考える。


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考えること。調べること。把握すること。伝えること。ーそれがクリエーターの仕事。 [映画業界物語]

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考えること。調べること。把握すること。伝えること。ーそれがクリエーターの仕事。(短縮版)

映画監督業で大切なこと。いや、監督だけでなく、作家でも、漫画家でも、クリエーター、それらの仕事は皆、同じものが大切ー「考える時間」だ。もちろん、締め切りがあり、それまでに上げなければならず、十分に考えられずに終わることが多い。

「このスピード時代に何、甘えたこと言ってんの?」「俺は短時間でもやれるぞ」とか言う人もいるが、必要な時間をかけた作品には絶対に敵わない。インスタントでは伝わらないのだ。おまけに時代は大きな曲がり角。今までのように時間に追われていては正しい方向には進めない。

そんな疑問を感じている時にコロナ禍。多くの仲間や俳優たちが仕事を失い大変な思いをした。それは悲しいことだが、時間ができた。その間に沖縄戦だけでなく、戦争の勉強を続けた。戦争は数ヶ月だけ勉強、数冊の本を読んだだけでは把握できない。そして過去の悲劇だけではなく、これからも起こる可能性がある。現代も把握せねばならない。

それを学び!考える!大切な機会に転用した。過去を学ぶこと。現在を知るための時間が持てたことは重要。沖縄戦で終わらずに「戦争とは何か?」を見つめ、考えて、「大切なことは何なのか?」を伝えねばならない。それが僕の仕事なのだと思えている。


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1本の映画を完成させた時=監督はその代償を払わねばならない? [映画業界物語]



朝起きる時、ヘドロの沼から這い出すような疲労感がある。これは過労から回復途中で毎回、持ってしまう感覚。睡眠を取ることで悪いものが出た(本当は出たりしないが)ような感じがする。単に肉体的疲労だけではなく、精神的な疲労も大きいかもしれない。

映画製作は一般の会社からすると、かなり別の価値観や習慣があり、理解しがたいものだ。そこに関わった一般社会の人たちは驚き、戸惑う。それを「映画の世界はかなり違うなあ」と思ってくれるといいのだが、映画制作を体験したこともなく、知識がない人が「これじゃダメだろ!」と騒ぎ出すことがある。そして自分たちの会社や団体の価値観を押し付けてきがち。

日本の会社に入社したアメリカ人が「日本人はおかしい!」とアメリカの習慣や価値観を周りに押し付けてもトラブルが起こるばかり。同じように、映画界以外の人たちが自らの習慣や価値観を押し付けて来ることで問題や事件になる。それを説明し、押さえ、いい方向に進むようにするのもかなり労力が必要。「馬鹿野郎、余計なことするな!」というのは簡単だが、相手を傷付けず、理解してもらうのは骨が折れる。

中には映画プロジェクト崩壊に繋がることを「こうしないとダメ何だよ!」と全力で横車を押す人たちもいる。自分たちは正しい、プロジェクトを立て直すんだ!と物凄いエネルギーを使ってねじ曲げようとする人たちもいる。自身が何をしているか?全く気づかない人たちもいる。

そもそもが知らない世界に対して、自分たちの価値観や方法論を押し付けること自体が間違っている。「これヤバイなあ!!」と思っても、それは通常の展開であることに気づかない。映画の無事完成を願う同士がそんなことでぶつかり、争わなければならないこともある。そんなことが何年も続くのが映画製作。体も心もボロボロになる。それ以前、作品を作りあげるだけでも命がけの仕事であり、完成後も映画館公開時にも同じだけのエネルギーが必要。完成したら終わり!ではないのだ。

黒澤明監督は1本の映画を完成させると入院したと聞く。僕はそこまで行かないが、毎回7人分くらいの仕事をするので映画公開が終わると、ダウンして数ヶ月は寝込む。毎回、過労死覚悟、毎回遺作と思っているので不満はない。ただ、それで生き延びたら、神様が「もう1本、作れ」と言っているのだと考える。今はまだ復活まで、もう少し時間がかかりそうだけど。


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映画作りで大切なのは「考える時間」=日米のシナリオ事情 [映画業界物語]

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依頼のとき、1ヶ月後にシナリオをあげて欲しいとか言われることがある。もちろん、大河ドラマとかは1年前から準備するが、数ヶ月前ということが多い。

ハリウッドで映画を作るときは、3年前から準備する。1年目は取材、2年目は構想、3年目が執筆。だから、いい作品ができる。また、脚本家にはその後、3年間は遊んで暮らせるだけでのギャラが払われる。だから、作家も真剣にやる。それが日本の場合。「経費は出さない」「早く書け」「取材せずに書け」それでいて企画が通らなければギャラなし!ということが多い。

そんな事情もあって、日本映画で面白い作品を作るのは難しい。もちろん、ベテランのライターさんたちは素晴らしい物語を書くが、やはりその辺は大手のサポートが大きい。映画会社が酷い!ということではない。素晴らしい脚本を書くには時間が必要ということなのだ。ハリウッドは3年。日本は1ヶ月?!だから原作ものが多い。すでに取材され物語になっているものを映像にしやすいように直すだけ。それを1からスタートするオリジナルは大変なのだ。

ちなみに僕は毎回、そのオリジナル脚本を書く。原作はない。1から取材をせねばならない。だから、時間が必要。取材の時間だけでなく、考える時間が大切。もちろん、時間がなければパターンにはめて書けば書くことは出来る。が、それではクオリティが低くなる。様々な面から考えて、考え抜いて物語を書いてこそ、いいものが出来る。その意味で昨年はあれこれ考える時間があった。コロナで大変だったが、そこはありがたい部分であった。


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