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題材の取材をせずにシナリオを書く人たち=その背景と事情? [映画業界物語]

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シナリオの話をもう一つ。依頼には2通りある。会社で企画が通ってからシナリオ依頼が来る場合と、企画を通すためのシナリオ書きを依頼して来る場合だ。前者はすでに予算が通っているので脚本料が支払われる。映画化され映画館で公開される。

後者はスポンサーサイドや会社上層部が企画にまだ賛成をしておらず、「シナリオを見た上で製作を決めよう」という状態。pが脚本家(あまり売れていない人)に執筆依頼。それを企画会議に提出して承認されれば映画化。却下だと予算はつかないので脚本料は支払われない。

後者の場合。pは「承認されない場合はノーギャラ」とは言わずに頼んでくる場合が多い。シナリオを書くのは最低でも1ヶ月かかる。却下されればギャラは出ない。1ヶ月タダ働き。なのに、ギャラの説明はほとんどされない。あとで事情を知る若手も多い。詳しい中堅なら、なるべく時間をかけず、お手軽なものを書いて提出する。万が一、企画が通ればラッキーというレベルで考える。

こんなことをしているから、上質なシナリオが出来ない。これが製作決定済みの作品でも近いことがある。脚本料が安い。経費が出ない。取材するほどにギャラが減る計算だ。それも自腹で立て替え。ギャラはシナリオ完成後。だから、ライターはなるべく取材をせずに書く。ネット検索のみで資料を探す。また、ギャラはそこそこでも時間がない。来月までに上げて欲しいと言われたら、執筆だけでタイムアウト。遠方に取材に行く余裕がない。だからネットでしか調べられない。いいものを作るのは難しい。

そんな環境に毒されたのか? 元々が怠け者なのか? 最近は取材をしない若手が多い。同じ題材の漫画本を読んでおしまい。作品の題材に関わる話になるべく触れないようにして物語を作る。そうすれば取材をせずに済む。しかし、原発事故、戦争、政治等を題材にすれば調べなければ書けない。なのに、それをせずにシナリオを書いてしまうライターがいる。想像と聞きかじった情報でお手軽に作る。取材が重要と考える僕から見ると許せない。食材の知識がないのに料理を作る調理師のように思える。


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物語を作る難しさ=意外に知らないシナリオ以前の作業? [映画業界物語]

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物語を作る難しさ=意外に知らないシナリオ以前の作業?

シナリオを書く時。どんな物語にしようかな?と考えるが、それ以前にどんなスタイルの物語であるか?考えなければならない。例えば原発事故の映画だとする。テーマは「事故の悲しみを伝える」では、誰の視点で描くか? どの立場の人で描くか? を考える。官邸を舞台にする? 福1が舞台? それとも住民か? あるいは官邸と住民。福1と官邸という組み合わせ。全部と言うのもありだ。

さらに官邸を舞台にするなら、視点は総理か? 官房長官か? それとも秘書官か? いろんなパターンが考えられる。福1なら吉田所長か? 職員か? 住民の場合なら年齢?性別?職業? 福島の人? 他県の人? 東京の人?いろんなパターンがあり得る。それらの中で作家が描きたいテーマを描く上で、一番効率的であり効果的な設定を選ぶことが大事。

周防正之監督が冤罪を題材とした映画「それでもボクはやってない」では、3通りのシナリオを書いたという。電車で痴漢に間違えられ、訴えられる主人公を、青年、サラリーマン、そしてもう1パターン。それぞれ年齢と職業の違う男性を主人公にして、一番、冤罪事件がリアルに、いかに酷いものであるか?が伝わるものを選んだと聞く。

基本は同じなのだが、主人公の年齢や仕事によって、周りの反応が違ってくる。学生なら周りから批判は浴びる。会社員ならそれだけで済まずクビになるかもしれない。違った展開。観客が一番共感しやすい主人公であること。より冤罪のメカニズムが分かりやすいこともポイントだ。

戦争映画の場合も同じ選択がある。視点を、指揮官にするか? 兵隊にするか? 民間人にするか? 同じ戦闘を描いても違ってくる。岡本喜八監督の「沖縄決戦」は指揮官である牛島中将らの目線で描かれた。「連合艦隊」は指揮官である山本五十六の視点で進むが、同時に若い軍人である中井貴一や永島敏行の視点でも描かれる。「この世界の片隅で」は民間人の若い女性が視点。誰の視点にするか?こちらも決められたテーマを一番明確に描けるものを選ぶ。

そのテーマの決め方も難しい。原発事故、戦争、悲しみを伝えることがテーマだとしても、どのように伝えるか? 「被害者」を描くのか? 「加害者」を描くのか? 個人に絞るのか? 複数を描くのか? いろんな手法がある。そんな風にシナリオを書くまでにあれこれ考えることが多い。従来のパターン。刑事物なら「はみ出し刑事が犯罪者を追う」と言う風にすれば、あとはどんな犯罪者で、どんなアクションがあるか?を考えればいいので楽だが、これまでとは違ったスタイルで描くなら、その前段階から考える必要がある。

パソコンに向かいシナリオを書き出すのは、それらが全て決まってからだ。でも、テーマ、スタイル、視点、等を考えるには何ヶ月も、時には何年もかかる。周防監督のように数パターンのシナリオにしないまでも、いろんなパターンを考える。時間をかけることが大事。頭がいいからと、すぐに思いつくものではない。毎日、あれこれ、長期間考え続けて「あー!」と言うアイディアが浮かぶ。

だが、依頼の場合。連絡があって「数週間後にプロット見せて!」とか言われるので時間がなく、パターンのものになりがち。日本映画はそこに時間がかけない。だから監督や脚本家は日頃から考え続ける。映画を見たり、街をぶらついたり、毎日DVDを見たりしながら考える。ただ、それを見た人は言う。「映画監督はいいなあ。毎日、ブラブラしていられて、いつ仕事するんだよ?」物語作りは理解され辛い...。


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俳優はどんな芝居に燃えるのか?=彼らはチャレンジャーだ。 [映画業界物語]

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俳優はどんな芝居に燃えるのか?=彼らはチャレンジャーだ。

シナリオを書く前にすること。前回紹介した。では、シナリオを書くときに大事なこと。書いてみる。もちろん、ハラハラドキドキする展開にして。最後は感動して涙!と言うストーリーを考えること、と言うのはある。映画はまず娯楽。あまりに説教臭くなると観客は見てくれない。と言って、面白いだけでは映画館を出たら筋を忘れる作品では困る。テーマがしっかり伝わるからこそ、一生忘れない作品になる。

この辺はよく言われるし、シナリオ学校とかに行けば教えてくれること。それ以外の太田組スペシャルを内緒で紹介する。僕のシナリオは毎回、オリジナル。原作のないものだ。僕自身が物語を考えて自身で執筆、自分で監督する。その際に考えるのは俳優のこと。どうしても監督といいう立場にいると、俳優はチェスの駒になったり、操り人形的な存在になりがち。ストーリー展開に都合のいい台詞を言わせたり、主人公を引き立てるためだけに登場するキャラを作ったり。

だが、ストーリーのため、他人のために存在する役を演じる俳優は気分が悪い。「いや、どんな役でも、もらった役は全力で演じます」と言う真面目な人もいるが、どうせなら「やる気」が出る役がいい。と言って、誰もが主人公を演じられる訳ではない。そこでシナリオを書く時に、できる限り、俳優の力が入る設定を作る。と言うのは、俳優はチャレンジャー。カッコいい役をやりたいとか、可愛い役を演じたいとか思うのは素人で、プロは難しい芝居に挑戦したがる。

では、難しい芝居とはどんなものか? まず、長台詞。「渡る世間は鬼ばかり」を見ていると、やたら長いセリフがある。あれ、トチると最初から、共演者も最初から付き合う。スタッフも同じ。二度三度、トチったら、撮影自体が延びる。撮り残しを出すかもしれない。多くの人に迷惑をかける可能性がある。すごいプレッシャーなのだ。自分のせいでベテランの先輩俳優まで付き合わせることになる。その上、長台詞は難しい。どこで上げて、どこで下げて、どう着地するか? 俳優の実力が問われる。また、個性を出せる部分でもある。だから、プレッシャーだがとてもやりがいがある。

あるいは、芝居の中で芝居をする?!そもそも、俳優は自分でない他人を演じる。が、例えば刑事もので潜入捜査をする。刑事の役だが、暴力団に潜入。ヤクザの振りをする。これは芝居の中で芝居をすることになる。非常に高度な演技が必要。その切り替えが難しい。観客に「本当は刑事なのに、ヤクザのフリをしているんだ」と思わせることが必要。これもやりがいのある役。

あと、いい人より、悪役の方がいいと言う俳優さんがいる。板尾創路さんが以前「沈まぬ太陽」で悪役を演じた時、とても楽しかったと話してくれた。他にも陣内孝則、高嶋弟、とか有名どころが出ているが、皆、ノリノリで演じていた。俳優さんは基本的にいい人が多い。そしてスタッフにも気を遣う。そのせいか、毒付いたり、怒鳴ったり、と言う日常ではできないことをするのが楽しいのではないか? そして、ワルというのは優等生より、いろんなバリエーションができるので演じがいがあるのだろう。

他にも、涙を流す。物を壊す。暴れる。等、難しいがやりがいのある芝居というのがある。そんな場面を作っておくと、俳優さんのテンションが上がり、「どんな風にやろうかなあ〜?」とシナリオを読んだ瞬間から、役作りが始まる。また、過去にやったことのない役というのも喜んでくれる。俳優たちはチャンレンジャー。新しいこと、難しいことに挑戦したい人が多い。なので、挑戦しがいのある設定や役を用意する。

そのことで感動の名シーンが生まれたり、予想外の笑いが起こったりもする。俳優たちはいつも以上の力を出してくれるので、映画のレベルも上がる。俳優の力は大きい。その力を引き出すのが、監督の仕事ではあるが、その前のシナリオ段階で、彼ら彼女らをやる気にさせることも大切。俳優頑張る!=映画が面白くなる。ということなのだ。そんな思いで、毎回、シナリオを書いている。


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映画作りに大切なもの=「題材を熟知」「作品への思い」それがない日本映画も結構あるが... [映画業界物語]

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映画業界。楽して映画を作ろうとする奴がいる。監督依頼を受ける。と、その原作やシナリオを読むだけでなく、題材となるものを調べる。刑事ドラマなら警察、マスコミ、暴力団。犯罪者。それらの実態を知った上で撮影に挑む。学園ものなら、学校、教師、今時の生徒、校則、日本の教育、とそれらを把握した上で、フィクションを描く。物語なので全てが事実である必要はないが、現実を知らずに描くと一般の客でも、それを感じ取り、全てが嘘であるように感じてしまう。

だから、題材となるものを徹底して調べる。勉強することは大切なのだ。にも関わらず、その辺をやらず安易に映画を作る人たちがいる。以前、書道を題材とした映画を監督したので、同じ書道ネタのシナリオを見せられ意見を聞かれたことがある。全く書道について調べず、物語は巧妙に書道に触れない学園ものになっていた。これなら書道でなく、囲碁でも、絵画でも成立する。調べずに楽して書いたシナリオの典型だった。

ただ、作家に聞くと、こういう。「あのプロダクションはギャラも出さずにシナリオを書かせる。スポンサーがゴーサインを出したら製作する。その段でギャラを払うていうんだ。ゴーしなきゃノーギャラだろ?なのに書道を勉強して、時間かけて、経費かけてたら馬鹿見るだろ。だから、調べずに書いたのさ!でも、書道に賭ける青春になってるだろ?」そんな製作会社は多い。シナリオを書くだけでも1ヶ月以上かかる。それでノーギャラだと翌月の家賃も払えない。ビッグネームの作家でない人は自転車操業。タダ働きはできない。

そのために調べずに書く。確かに調べると大変。僕は書道を4年勉強した。それでもまだまだ足りない深く広い分野なのだ。ただ、それを調べて物語にするからこそ観客に伝わる。それをせずにシナリオを書いても観客が感動する作品にはならないだろう。何より「思い」がない。題材を把握すると同じくらいにそれは大切。「書道題材ですね?了解〜」みたいなことではダメ。書道を知り、書道の意味を理解し、これは若い人に伝えるべきものがある!と監督や脚本家自身が強く思わなければダメ。感動作にはならない。

同じことは原作ものにも言える。「デビルマン」「カムイ外伝」を撮った監督は依頼をもらって初めてそれらの原作を読んだという。それまで読んだことがなかったのだ。そんな人たちに依頼する会社も悪い。作品に対する「思い」がない監督では、観客に伝わらない。それら作品は原作とは完全な別物となり、原作ファンからは大ブーイング。興行的にも惨敗した。監督の選び方が間違っていたのだ。

そして人気原作を利用して、別の作品を作る人たちはよくいる。監督には作りたい作品がある。でも、マニアックで企画が通らない。だから、人気原作の映画化の時に、それをやってしまう。やりたいものができない辛さも分かるが、それは観客や原作者、ファンへの裏切りだ。話が逸れた。要は題材を熟知すること。「思い」があること。それらがないと作品は輝かないし、観客に届かない。映画を作る時に一番大切なことだ。


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過労死と後輩ー映画屋の宿命。「毎回、遺作」という思い [映画業界物語]

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過労死と後輩ー映画屋の宿命。「毎回、遺作」という思い。

過労死という言葉を聞いたことがあるだろう。元気いっぱいの会社員。朝、妻に見送られて家を出る。午後になって会社から電話。「ご主人が亡くなられました」途方に暮れる妻。朝、あんな元気に家を出たのに...。しかし、考えてみると夫は土日も休まず、何ヶ月も、いや、1年以上も仕事を続けている。病院に行き遺体と対面。医者に言われる。「過労死です」そんなニュースを聞いたり、見たりしたことがある人もいるだろう。

その過労死に至るのが過労。休まずに働き続け、壊れてしまう。そんな話を友人にすると「働き過ぎで死んだりするもんかな?」というが、彼は会社員。仕事中はエネルギーをセーブして、仕事後の居酒屋で全力発揮するタイプ。だが、映画業界、広告業界を見ると、いつ過労で倒れてもおかしくない人たちがいる。1年どころか2年以上休みなしで働くp。1日数時間の睡眠で働く助監督。いつも局に寝泊りしているAD。制作部スタッフは映画でもテレビでも本当に大変。

長年の夢が叶い映画監督デビューした後輩がいる。家も近所でよく会っていた。僕はよく「毎回、遺作!」という。今、かかっている作品は遺作のつもりでやる。そういうと「太田さん。そんなこと言わずにいっぱい映画を撮ってくださいよ」と言われた。僕の作品を高く評価してくれていて

「もっと太田監督の作品。見たいですから....」

と言ってくれた。が、その彼がデビュー作の映画館公開直後に死んだ。過労死だった。低予算の作品。監督である後輩が何人分も働いていた。宣伝も自分でやる。監督作だけでなく、生活のために小さな仕事もいくつもこなした。見ていて、そんな仕事までしなくても....と思うようなものもやっていた。薄利多売。睡眠時間を削り、1年以上も休みなしに働き続けた。監督業のギャラは本当安い。でも、念願の映画監督デビュー。その舞台挨拶の夜に彼は逝ってしまった。僕のモットーである「毎回遺作」を本当に実践してしまった。

僕も似たようなもので、毎回7人分くらいの仕事をする。数年がかかり映画を完成。公開が終わるとダウンする。半年間寝込んだこともある。計算すると数年の間休まなかった土日祝日を全部足すと6ヶ月になった。週末は休むというのは大事なのだ。が、映画作りではそんなこと言ってられない。毎回、医者に言われる。

「休みなさい。過労をなめてはダメだよ。本当に死ぬよ」

しかし、止められるものではない。後輩もそんな気持ちだったのだろう。「沖縄戦」公開終了後からダウンしている。今回は大丈夫だと思ったが、自宅入院生活となった。考えてみると「沖縄戦」は3年がかり。映画館公開中止の危機もあった。劇映画も1本撮っている。そして「沖縄戦」はヒットしたこともあり、5ヶ月のロングランとなり、宣伝に全国を走り回った。その間に休まなかった土日祝日の仕返しが来た。

「毎回、遺作」だが、今回を遺作にする訳には行かない。まだ、やらなければならないことがある。会いに行かねばならない人、報告に行きたい人、いろいろ聞きに行きたい人もいる。が、コロナ禍もある。先方も迷惑。もう少し静養することにする。まだ、DVDを見るのも苦痛。集中力が戻らない。でも、また戦いの呼び声が聞こえて来たら、次なる場所に飛んで行こう。それが監督業のさだめじゃ。


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映画の設計図を書くのが脚本家=彼らはどんな人で、どんなことに関心があるのか?! [映画業界物語]

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映画の設計図を書くのが脚本家=彼らはどんな人で、どんなことに関心があるのか?!

映画監督業は体力と勢いが勝負。「いくぜーおー!」というノリも大事。冷静沈着な監督もいるが、体育系タイプが多い。対して脚本家は文化系。集団で何かをするより、1人で本を読むようなタイプ。いつもあれこれ考えている。監督はスタッフや役者を引き連れて、戦わねばならないが、脚本家は1人で物語を構築するのが孤独な仕事。それに向いた人たちが多い。

脚本家の友人、先輩たちを見ていると、本当に何でもよく知っている。(監督がものを知らないという意味ではないですよ)専門家か研究者か?!というような人も多い。知識だけでなく洞察力、分析力も高い。論理的。知的(監督がアホという意味ではないので、よろしく!)文学青年が大人になったような感じだ。

彼らは人の思考、心理にも敏感。なぜなら、シナリオを書くときに「心理」というのが大切だからだ。主人公を設定するー例えば刑事。熱血漢。正義感強い。一匹狼。そんなキャラ。体育系。格闘技が得意。そんな履歴書も作る。その上で物語を作るのだが、作家が「主人公に***をさせたい」と思っても、できない場合がある。「作家なんだから何でもござれじゃないの?」と思うかもしれないが、その主人公の心理を考えたときに、できないことをさせる訳にはいかない。

例えば「賄賂をもらう」「犯罪を見逃す」ー正義感で熱血の刑事がそんなことをやるはずがない。もし、物語上でどうしても、させるなら囮捜査とかいう展開にせねばならない。というのも、映画だけでなく人間の心理はたいてい一貫している。行動は心理の反映。例えば「私は女優になりたい」という若い女性。でも、レッスンもせず、劇団にも入らない。毎日、遊んでいる。口では「女優になりたい」というが、夢を語っているだけで、現実的に目指している訳ではないのだ。それが心理。

心理=行動は伴う。たまに、思ってもみないことをする友達もいるが、あなたが想像できない何か理由がある。無秩序に行動しているわけではない。そんな「心理」を脚本家はとても重要視する。学生のシナリオを読むと、よく主人公の心理からあり得ないセリフが書かれていたりする。ストーリーを進めるために無理やり都合のいいセリフを言わせているのだ。プロはそんなことをしない。

僕は映画監督だが、一応は脚本家でもある。自分の監督作品は全て僕自身が書き、全て原作のないオリジナルストーリー。だから、僕も「心理」には関心がある。人はどのようにして物事を理解し、学習し、行動に移すのか? いろんな場面で気になる。今回の大統領選のような大きな事件だとワクワク。特に、いつも鋭い意見を発信する心ある著名人たちが、あり得ない指摘や批判をしている。彼らはどのように状況を把握し、判断したのか?聡明な彼らはどこで誘導されたのか?興味がある。

逆に一般の主婦、あるいは会社員なのに、真相を見抜き、鋭い指摘をしている人もいる。真相に辿り着いた過程に興味がある。その人たちを無神経に批判する人たち。その心理も知りたい。悪意がないのに人を傷つける言葉をぶつけている。「実に面白い」(<=ガリレオか!?)

さらに言えば、太平洋戦争中も同じだったのではないか? 「戦争反対」と言えない時代。人々の心理はどうだったのか? 文献ではあまり知ることができない。が、今の状況を見つめることで、その謎も解き明かせるのでは?と感じている。



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映画監督になる前、実は出版の世界にいた! [映画業界物語]


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映画監督になる前、実は出版の世界にいた!

「真実を探す方法」という短い記事を7つあげた。「ジャーナリストでもないのに、映画監督が偉そうに何だ!」と思うかもしれない。が、監督業を始める前に僕はライター業をやっていた。雑誌に記事を書く。ジャーナリストではないが、自分で取材、インタビューして書いていた。

「韓国ヤクザの首領のインタビュー」「日米合作ドラマ中止の真相」等の記事を連載したこともある。当時、お世話になったある大手出版の編集者さんから厳しく指導を受け、記事を書くとはどういうことか?を学んだ。帰国したばかりの僕は世間知らずで、無知の極み。物凄く勉強になり、お陰でこうして、毎日Facebookに文章が書ける。だから、自分の書いたものを「記事」と呼ぶ。

どうしても「書く」勉強をしていないと、文章が日記のようになり、他人に読んでもらうのが厳しいものになる。客観性、時世、場所、視点、文章を書くには様々なことが必要。そんな経験があるので、映画監督らしからぬ意見やコメントー大統領選や原発や沖縄戦についての記事が書けている。

その時に学んだジャーナリストや記者、ライターに必要なこと。真実の探し方を上げてみた。フェイクニュースが溢れる時代。とても有効だ。それを意識していろんな情報を精査して欲しい。きっとフェイクと真実を見分けられるはずだ。


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「ドキュメンタリー沖縄戦」4ヶ月のロングラン=太田組式宣伝活動? [映画業界物語]

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「沖縄戦」4ヶ月のロングランと太田組式宣伝活動?

7月に東京でスタートした「ドキュメンタリー沖縄戦」全国各地で上映。現在10月もまだ3館で上映が続いている。

7、8、9、10月と4ヶ月ものロングラン。でも、11月の上旬でそれらの上映も終了する。宣伝もそれに伴い11月上旬まで続ける。毎日、朝、昼、晩と3回宣伝ツイート。朝1回。昼1回ではない。何通ものツイートをする。朝は皆、通勤電車。スマホを見ている。なので、7時〜9時の間に10回くらいツイート。同じものばかりだと嫌がられるので、記事、インタビュー、動画、予告編、映画館紹介といろんなものを発信する。

次は昼。お昼休みで皆、ランチしながらスマホを見る。夜は帰りの電車。その他の時間でも余裕があればツイートするが、先の3つの時間帯は多くの人がTwitterを見るので効果的なのだ。ただ、3分の間に10通告知しても逆効果。「この映画の宣伝。また流れてきたよ!」と反感を買う。なので、1通出したら、少し時間を置いて出す。

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さらにfacebookとブログ。ブログは「ドキュメンタリー沖縄戦・監督日記」と「朝日のあたる家・監督日記」の2つに記事をアップする。「朝日」はもう7年も続けているブログ。通常、映画の公開が終了し、DVDが発売されるとブログも完結させるのだが「朝日」は人気で、いまだに1日1000件アクセス近い。

「朝日」ブログ  https://cinemacinema.blog.ss-blog.jp


他の作品と違い「朝日」は映画のことだけでなく「原発」「政治」「社会」「安倍政権」「トランプ」「123便墜落事件」等についても書くので人気があるのだろう。固定読者がいてくれるようで、連載を続けている。その「朝日」ブログでも「沖縄戦」を宣伝。「沖縄戦」ブログと同じ記事だが、「朝日」は読んでも「沖縄」を読まない人も多い。

「沖縄」ブログで書いた記事を「朝日」にもコピー。写真も同じものを貼る。Facebookを入れると3つ。内容はほぼ同じだが、それぞれに読者が違うので大事(通常は別の記事)これらは1日1回更新。忙しいとブログの方は更新できないこともあるが、facebookは毎日何か書く。書けない時は過去のものを再アップ。「沖縄戦」がどんな映画で、どこで上映されているか?伝える。

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その作業に朝8時から正午頃までかかる。本来、宣伝会社の仕事ではあるが、彼らはいくつもの映画を抱えている。1本に全ての時間を使えない。Twitterも1日1回。いや、多くの宣伝会社は公開時に1回「明日、公開」とツイートして終わりということが多い。無料ツールなのだから毎日発信すればいいのにしない。多くの作品を抱えているだけではなく「そこまでできねえよ〜」という思いもあるようだ。

「1人でも多くの人にこの映画を見てほしい!」と思う宣伝会社は少ない。また、Twitterは街でチラシを配るよりは効果があるだろうが、それでもテレビCMや新聞広告に比べると効果は微々たるもの。会社は効果的な宣伝を選ぶ。でも、CMする予算なければTwitterやるか?というと、何もしないところが多い。

今回、お願いしている配給会社はよくやってくれている。が、そもそもの宣伝費が少ない。できることは限られる。だからこそ、僕も宣伝活動をすることで1人でも多くに「沖縄戦」を伝えられたら!と思っている。


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映画の宣伝は監督の仕事じゃない?=でも、やるしかない。監督が宣伝することの意味! [映画業界物語]

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映画が公開される時。監督は宣伝に協力するのが慣例だ。マスコミの取材を受ける。舞台位挨拶に登壇する。ま、そのくらいだが、取材は何十社にもなることがある。が、公開がスタートになれば自由。次回作にかかる。しばらく休養。そんな感じだ。が、太田組。僕の場合はそこからが本番。宣伝員の一員として走り回る。

通常、舞台挨拶は東京のみと言うことが多い。多くても都市部だけ。でも、僕はいろんなところに行く。毎回、舞台挨拶ツアーだ。10箇所上回る。「朝日のあたる家」のときは、ある映画館で2週間連続トークイベントをさせてもらった。

Facebook、Twitter、ブログでは当然、毎日宣伝する。昔の角川映画のようにテレビのゴールデンタイムに映画のCMをバンバン流してくれるのならいいが、低予算映画の場合はCMなんて夢のまた夢。だから無料で発信できるSNSを使わない手はない。

友人の店を訪ねポスターを貼らせてもらう。「朝日」のときは原発反対集会でチラシを配らせてもらった。東京では毎日、映画館の客入りを確認に行く(今回はコロナ禍で止めたが)他にもイベントに誘われればゲストで出る(もちろんノーギャラ)とにかく出来る限りの宣伝をする。が、あるとき、先輩に言われた。

「宣伝は監督の仕事じゃないだろ? 何やってんだ。早く次の仕事をしろ!」

昔気質の先輩が見れば「監督なのに宣伝なんかして情けない」と思うだろう。ある田舎のおじさんにはこう言われた。「太田監督は作品に自信がないから宣伝してんだよ。自信があればどんと構えているはず。いい映画なら宣伝なんかしなくても口コミで客が来るんだよ」ーだが、2人とも頭が昭和。時代錯誤甚だしい。

今は映画に関わらず、なかなか人が来ない。大企業が作った大作映画でも、監督や俳優がテレビの番組に朝から晩まで出て宣伝している。そうしないと多くの客が来ない。まして低予算の作品。自信があろうがなかろうが、大人しくしていては映画の存在さえ知ってもらえない。

昔は映画館の前を通ればポスターや看板があり「お、この見てみよう!」と思ったものだが、シネコンに貼られているのは次回上映の映画ポスター。上映中のものは基本ない。つまり、客はそれ以前にマスコミを通じた宣伝を見て映画館にくる。シネコンはそれが前提。宣伝ができていないと、映画館には来てくれない。

昔の映画はヒットしなくても系列館なら1ヶ月ほど上映してくれた。ヒットすればロングラン。でも、今は2週間が基本。客入らないとそこで打ち切り。イオンシネマはさらに過酷、1週間でダメなら終了。さらに口コミというのは広がるのに1ヶ月以上かかる。「その映画見たいなあ」と思った頃には上映は終わっている。つまり公開前にしっかりと宣伝しない映画はアウトということ。

低予算映画は当然、宣伝費も安い。配給会社が宣伝をするのだが、ひどいところも多い。経費をなるべく抑えて宣伝費を残し自社の利益にする。チラシとポスターだけ作り「予算がないのでこれ以上できません!」と何もしない会社もある。「金かけなくても出来ることあるだろ!」と言いたくなる。僕の作品も最初の頃はそんな会社が配給を担当したことがあり「大人しくしていたら映画が大コケする...」と思えて自分でも宣伝を始めた。

今は本当に心ある努力をしてくれる配給会社が担当してくれているが、やはり予算の問題がある。僕が動けば少しでもプラスになると走り回っている。マスコミから取材を受けなくても、僕自身が撮影現場の裏側を紹介する記事を書けば、映画に興味ある人は読んでくれる。facebookやブログでアップできる。日本では1年に400本以上の映画が作られる。が、その中でタイトルを覚えてもらうだけで大変なこと。映画館まで足を運んでもらうのは並大抵ではない。そのための宣伝だ。

トムクルーズのあのスパイ映画。宣伝費は39億円。それを低予算映画は数百万円で宣伝する。「それなら、監督も宣伝すればいい!」というのが僕の発想だ。「宣伝は俺の仕事じゃない」なんて言っていたら消えていくだけ。今は映画黄金期ではない。過去と同じ方法論では前には進めない。そんなことを考えながら週末は舞台挨拶とzoomイベントに頑張る。


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映画宣伝の難しさ。=映画賞をもらった時は?! [映画業界物語]

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映画宣伝の難しさ。=映画賞をもらった時は?!

「あと、LAの映画祭が終われば終了かな?」と思ってZOOMによる映画祭イベントに参加。そのために自身の部屋の背景に「沖縄戦」ポスターを立てかける作業。変形の窓なのでポスターを貼れない。で、大きなダンボールにポスターを貼り、窓に立てかけたり。そんな作業で半日。

映画祭終えたら、緊急事態宣言中にしていた作業の続き!と思ったら受賞。そのことですごい数のお祝い連絡。facebookでも、twitterでも、メールでも! 著名人、文化人、アーティストの方からもお祝いを頂いた。そのお礼連絡をするだけで2日! さらに「沖縄戦」でお世話になった方々にもお礼連絡。それでもまだ連絡できていない方々もいる。

と言うのも、受賞を伝え感謝することも大事だが、受賞したことでニュースにもなり、ネット記事になった。そのことで多くの人が「ドキュメンタリー沖縄戦」と言う映画を知った訳だ。現在、上映中であることを伝える必要がある。「見たい!」と思っても、どこでやっているのか?分からない。それを発信する。

facebook、twitter、ブログ等で告知。よく、映画人は1度、その手のものに告知したら。「はい。終了!」と日常に戻る。ちょと待て! お前のフォロワーは何人いるんだ! 例えば3千人いたとしても1度ツイートしただけでは3千人は読まない。朝しかツイッターを見ない人。夜だけの人」。3日に1回の人。いろいろいる。だから、大切な情報は朝昼晩と少なくても1日3回以上。数日に渡って発信することが大事。

え? そんなことをしていたら他のことができない? その通り。だから、僕はお世話になった方への連絡もまだ全部できずにいる。お礼は後でも言えるが、映画館上映が終わってから「沖縄戦」**市で上映中ですよ〜と告知しても意味がない。そちらを優先するべきなのだ。ただ、ガンバってくれたスタッフには出来るだけ早く伝えることが感謝に繋がる。全部終わってから伝えても「もう、知ってるよ〜」と言われてしまう。それに監督から直接、伝えることで喜んでもらえる。

いろんな考え方や論法。方法論がある。何を優先するか? 何を後にするか? 仁義、筋、義理、興行、宣伝、と様々な価値観がある。その選択が難しい。本日は「沖縄タイムス」が論説コーナーで受賞と上映中@沖縄市と書いてくれた。ありがたい。いろいろあるが、もう少し宣伝活動が続く。お返事できない皆様。もう少しお待ちください。

記事1=>http://eigajoho.com/189147...
記事2=>https://mirtomo.com/okinawasen-award/...

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真夜中の向こう側=みんなが寝ている間に仕事するのは楽しい? [映画業界物語]

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真夜中の向こう側=みんなが寝ている間に仕事するのは楽しい?

珍しく真夜中に目が覚め眠れない。午前3時半。外は当然、真っ暗。でも、こんな時間は好きだ。若い頃は昼過ぎに起きて、夜中あれこれ作業して夜明けと共に寝るような生活もしていた。

夜は頭が働く。あれこれ考えることができる。本を読む、映画を見る。集中できる。人生を考えるのにも最適。なのに、この10年くらい? 寄る年波で徹夜をすると体調が崩れる。遅く起きても朝は早くに目覚めてしまう。年寄り特有の体質?そのために真夜中に起きていることが少ない。

ああ、久々にドラキュラのような、ゴキブリのような、真夜中の生活をするといいのかも? シナリオ書くにも、編集するのも能力が上がる。あれこれDVDも見れる。見なければならない映画がたくさんある。と書いている内に眠気が.....この歳では真夜中生活は難しいのか?


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映画監督業って想像以上に理解されないこと。時々感じる。 [映画業界物語]

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映画監督業って想像以上に理解されないこと。時々感じる。

カタギの人と夜、飲みに行く。「今日も撮影だったんですか?」と聞かれたりする。いえいえ、撮影なら夜こうして飲みに行ったりできないですよ〜!と思う。撮影のあとは翌日の打ち合わせ。準備。とても街に飲みに行くなんて出来ないのだが、それを想像してもらえない。

いや、違う。そんな状態がカタギの方に理解してもらえないことを僕が想像できなかったのだ。その人は「撮影」をサラリーマンの仕事のように考え、朝から撮影。夕方に終了。夜は飲みに行く。また、明日撮影。という自分が会社で働くようなパターンでイメージしたのだ。撮影現場は戦場のようなもの!とは想像しないのが普通なのだろう。

ある人にはこう言われた。「映画監督って日頃は働かずに、ダラダラしているだけなんだって? 気楽な仕事だよね?」これは明らかに嫌味であり、嫌がらせだったが、全てが間違っている訳ではない。日頃、映画製作をしていない時。大抵は次回作は何をやるべきか?考えている。あるいは次回作が決まり、シナリオを書く前(自分で脚本を書く監督もいる。僕はそれ)にあれこれ考える時期がある。

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部屋に籠ってシナリオを書く訳ではない。まだ、その前の段階。あれこれ考えている最中。そんな時はパソコンに向かうのではなく、映画を見たり、ビデオを見たり。あるいは街をブラブラしたりしながら物語を考える。作業はしない。頭の中で考え続ける。「主人公はどんなタイプだろう?」「どんな女性を好きになるのか?」「どんな仕事をさせると展開にプラスになるか?」「巻き込まれる事件は?」あれこれ考える。1日中、朝起きてから寝るまで考える。時には夢に見る。

だが、その姿を第三者から見ると、何もせずにダラダラしているように見えてしまうかもしれない。いや、そう見える。机に向かわない。何か書いている訳でもない。まさに先の人が言った「働かずにダラダラしているだけ」に見えてしまうのだろう。カタギの人から見ると遊んでいる。いや、ただ、ブラブラしている。生産性のない日々を送っている。ダメな奴と思えてもおかしくない。

しかし、その期間が一番大切。その時期にいかに深く考えるか? あらゆる角度から考えて物語作りをするか? そしてその期間をいかに長く取るか?はとてもとても重要なのだ。企業映画ではよく企画が上がると脚本家に依頼。「来週、一度見せてよ!」とかPがいう。そんな簡単に書けるものではない!ハリウッドでは1年かけて考え、最後に1年かけてシナリオにする。それを数週間、1ヶ月でやることが多いのが日本映画。

「考える」ということに時間をかける大切さを映画会社ですら理解していない。なので、カタギの人が「物語を考える」という行為が分からないのも当然。なのでブラブラしている。遊んでいると解釈する。働き者の日本人。パソコンに向かう。カバンを持って営業する。工場で機械を使う。目に見えて人が動いていることを「働く」と思っている。だから、頭の中で「物語を作る」という見た目に動きのない作業が理解できない。

が、それを説明しても理解しない人もいる。また、説明すること自体が面倒だ。「私は遊んでない!働いている!」と親しくもない人に説明する必要はないだろう?と思ってしまう。だから、会ったことのない人たちと出会う飲み会とか次第に出なくなった。人は理解できないことなのに自分の価値観に当てはめて解釈、比較しがち。批判し、否定したがる。歳を取るごとに顕著になり、新しいもの。知らないものを理解しづらくなる。そんな人に説明しても始まらないと思ってしまう。

ただ、そんな人たちでも完成した作品は伝わる。感動したり、ハラハラしたり、泣いたりしてくれる。だから、その途中段階を理解してもらう必要はない。それが映画作りなのだと思えている。


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人は理解されたい。が、理解されないから悲しい=どうすればいい? [映画業界物語]

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人は理解されたい。が、理解されないから悲しい=どうすればいい?

ひと昔前。いろんな人がいろんなことを言ってきた。よく「お前は変わっているなあ」と言われるが、昔から友達は多い。ただ、そのせいでいろんな人があれこれ言ってくる。もちろん、僕のことを心配してだが、大きなお世話が多かった。

映画界は変わり者が多い。だから、映画の仕事を始めてからは以前よりは理解されると思った。が、そうでもなかった。僕が何かするたびに先輩や同期からあれこれ言われた。「無茶だ」「無理だ」「前例がない」「やめた方がいい」「可能性は低い」そう言われた。

ある時気付いた。あれこれ相談するから言われる訳だ。僕がやろうとしていることを相談しても多くが「なるほど」というアイデアは出さず、止める。否定する。批判するという意見しか返ってこない。これは相談することが間違いなのだと気付く。業界ではそんな感じだが、カタギの友人からは生活や人生自体の指摘をよく受けた。

映画の仕事がまだ順調でない頃は「お前、まだ、フラフラと映画なんかやってんのか?」と言われた。フラフラと映画の仕事はできない。どんな低予算の作品でも必死だ。が、カタギの友人から見ると映画自体が遊びのようなものにしか思えない。趣味の延長と考える。ただ、彼は嫌味ではなく、僕のことを心配しているのだ。他にも「いい加減。就職しろ」「ちゃんと働け」という人もいた。

要は映画という仕事が理解されていない。僕という存在を理解していないので出てくる言葉。ああ、それなら彼らと会って話す必要はないなと思えた。それが映画を監督するようになり、作品がフューチャーされると「頑張ってるねえ!」とか言われるようになる。ようやく彼らの価値観に準じたので評価してくれた訳だ。それでも「映画監督はいつもブラブラしている。仕事をしないで遊んでいるだろ?」と言ってくる人もいる。

どこまで行っても知らない人があれこれ言いたがる。最近はその種の人とは距離を置き、近づかないことが大事だと考える。理解される必要はない。ひたすら良い映画を作るだけ。人はどうしても「理解されたい!」という思いがあるから、理解されないと傷ついたり、悲しく思ったりする。なら、最初から理解されないものだと考えればいい。クリエーターは孤独だというが、なるほどそういうことか?と感じたり。音楽を作る。物語を作る。シナリオを書くというのはそういう仕事なのだ。そんなことを考える真夜中午前3時過ぎ。


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映画監督は変人で、捻くれ者で、ワガママでなくてはいけない?! [映画業界物語]

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映画監督は変人で、捻くれ者で、ワガママでなくてはいけない?!

世間では映画監督は優秀な人。才能がある人と思いがちだが、それは成功して名前が売れたから、そう言われるのであって、要は変人であることが多い。捻くれ者も多い。先輩や同世代を見回しても、サラリーマン勤が出来る人はまずいない。逆にサラリーマンができる真面目な人はいい映画が撮れない。

僕もかなり変人であり、捻くれ者だ。プラスして、理不尽が許せない。だから会社勤めは絶対に出来ない。3日で上司と衝突して辞めてしまう。納得できないことはできない。それを「甘えている!」「子供だ!」「世間を分かっていない!」と散々、言われたが、納得できないことはできない。会社員はそれに耐えるのも仕事の内。だから無理。

映画界はカタギの世界よりは自由が認められる。ネクタイにスーツで製作会社に行かなくてもいい。ロングヘヤーで破れたGパンでも、さほど批判されない。そんな環境でも僕は何度も先輩たちと衝突。特にPや社長と揉めた。降ろされたり、2度と仕事依頼がなかったりした。逆に言うと、それに我慢して仕事が出来たら会社勤めが出来るだろう。

ギャラが安いとか、労働時間が長いではない。一番は価値観の押し付け。古い価値観でシナリオを直せと言う。古いセンスで編集を変えろと言う。昔ながらの方法論で撮影しろと言われる。まっぴら御免だ。古臭い趣味を押し付けてくる。他にも、癒着した俳優事務所の役者を捻じ込んで来る。やる気のないサラリーマンスタッフを押し付ける。

絶対にNOだ。大事なことはPの価値観に従うことではない。古い伝統を守ることでもない。観客が感動する素敵な映画を作ることだ。それが出来れば古い方法論でもありーだが、古い価値観は現代には通用しないことが多い。だから、これまでと違う価値観や方法論で挑まなければならない。それが理解できない大人たちが慣れ親しんだ価値観や方法論を押し付ける

だから揉める。だからトラブル。若い頃は年寄りに従い、実績を作り、少しずつ自分らしい作品を作ればいいのだが、1作目から我慢できず反発。先輩たちに嫌われ、Pからは否定され、2度と声がかからないことが続いた。が、「違う」と思うことを我慢して従うことができない。小学生の頃から成績表には「協調性がない」と書かれた。「我慢が足りない」「わがままである」と言われた。

でも、監督業にはそれが必要だった。巨匠、先輩監督たちを見ると、僕どころではないワガママ。言い出したら聞かない。僕なんてまだまだ。やはり映画界はカタギの世界とは違う。監督した作品はどれも評判がいい。次第にスタッフにも認められ、否定する人たちがいなくなり、「素敵な作品を作りたい!」と言うスタッフが集まる。より良い作品ができる。以前は「お前は監督じゃない!」とPに言われたが、すでに6本の映画を監督した。この世界。ワガママで、ひねくれ者で、変人であることが大事なのだと痛感している?!


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人生最後の戦いがスタートしようとしている?! [映画業界物語]

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人生最後の戦いがスタートしようとしている?!

先にも紹介した矢沢永吉のインタビューでは、昨年で彼は70歳になり、再来年はデビュー50周年という。そういう節目というのは、アーティストにとって大切。僕は1990年帰国。なので今年でちょうど30年。映画監督デビューからは15年。

あー文章にして気づいたけど、帰国してからの30年。その半分を映画監督として仕事をしている。でも、別の見方をすれば帰国してから15年も映画監督デビューができなかったということだ。

監督デビューは1997年。なので監督生活で言えば23年とも言えるが、やはり1作目の「ストロベリーフィールズ」から数えたい。それでいうと今年は戦後75年。そして再来年が沖縄返還50年だ。なんだかいろいろ、感じるものがある。

このところ毎日聴いているカセットテープ。LA時代にFM放送を録音したもの。今、聴くと鮮烈にLAの留学時代が蘇る。あの頃、南カルフィル大学の映画科に通いながら、夢破れ、どうすればいいのか?自問自答する毎日だった。詳しくは以前に書いたから省略するが、当時日本はバブル真っ盛り。アメリカの映画会社を二つを買収する勢い。

それなら帰国して!と戻った途端にバブルが弾けて....レンタルビデオや居酒屋でバイトしながらシナリオを書き続けた。今、考えると、よく諦めずにここまで辿り着いたな〜と思うことも多い。数々の葛藤と戦いと、失望と怒涛の日々が10年以上も続くのだが、今回は省略。それがデビューから15年。先にも書いたが来年から60代。もちろん、黒澤明や大林監督は80代でも映画を撮っていたが、同じように行けるとは限らない。むしろ同じようにいけないと考えておかないと!

そうすると70代まであと10年。75歳まで頑張って15年。だとすれば、監督デビューから今年で15年なので、ちょうど折り返し地点になる。その15年が勝負。次回作を撮ったとしても大ゴケして、それで終了!ということもあり得る。だからこそ、観客を感動させ、評価されるものを作らねばならない。ま、それはこの15年も同じ。毎回遺作。それで死んでもいいと思っていた。

が、後半戦をどう戦って行くか? これまでの反省を踏まえてより良質の作品を作ることがテーマとなる。コロナ禍であれこれストップしたのは、そんな人生最後の戦い、スタート前の休養期間だと思える。本当にこの15年間休んでいない。休むのは過労で倒れて起きれない時だった。ただ、60代は今までのように若さで無茶するだけでは乗り切れない。その準備期間が今なのかもしれない。

そう言いながら「沖縄戦」の宣伝で4ヶ月も奮闘してしまった。いやいや、準備時間はまだある。後半戦に備えたい。人生最後の戦いだ。そんな10年、15年だ。


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アーティストは作品を作りながら、階段を上がって行く? [映画業界物語]

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アーティストは作品を作りながら、階段を上がって行く?

矢沢永吉インタビューが掲載された雑誌を読んだ。アメリカ時代の思い出からニューアルバムまで、いろいろ綴られている。矢沢を分類するとき、SONYレコード時代(正確にはCBS/SONY)移籍後がワーナー・パイオニア時代。その後が東芝EMI時代。そして自身でレーベルを立ち上げた現在。別の分類をすれば、SONY時代は日本。パイオニア時代はアメリカ進出。EMI時代からは活動を日本に戻しながら、イギリスでレコーディングやフェスティバル参加をしている。

SONY時代の代表曲は「サブウェイ特急」「トラベリング・バス」「鎖を引きちぎれ」のような「成り上がり」ロックに代表される(もちろん「時間よ止まれ」等の歌もあるが)。それがワーナーに移籍してからは、ドゥビーブラザースがバックを務めたりして、ウエスト・コースト・サウンドに変化する。音が日本じゃない。LAだ。特に「Yokohama 20歳前」「E'」あたりは完全に洋楽サウンド。「Yes My Love」「LAHAINA」「浮気な午後の雨」そしてインタビューでも触れている「棕櫚の影」...

そんな記事を読みながら、amazon musiで矢沢の歌を聴く。ちょうど、僕が横浜にいた頃からLA留学時代にリリースされた曲。記事を読みながら自身を振り返る。「ストロベリーフィールズ」で映画監督デビューしたのが2005年。あれから15年。今年は3年がかりの「ドキュメンタリー沖縄戦」が公開された。初めての長編ドキュメンタリーであり、題材も「戦争」ー今までとは違う。

「朝日のあたる家」は原発事故を扱った作品なので近いところにあるが、他の作品から「沖縄戦」は想像しづらいかもしれない。ただ、5作目の「明日にかける橋」では戦中を回想する社長(宝田明)が登場。戦争をイメージさせる。その宝田明さんがナレーションを担当してくれた「沖縄戦」は「明日」の延長線上にあるとも言える。

矢沢の歌も、いきなりウエスト・コートになったのではなく、「時間よ止まれ!」「ひき潮」というバラードには、その要素があったような気もする。ビートルズだってデビュー直後はロックン・ロールだが、次第に難解な音楽になり、実験的になり、さらに別の方向に展開して行く。「サージェント・ペパー」や「アビーロード」はもうロックを超えた音楽だ。

映画も同じ。黒澤明も、大林宣彦も、スピルバーグも、皆、作品スタイルが変わって行く。あるスタイルを確立したら、登り詰めたら、また新しい模索が始まる。その意味で、僕の映画も「沖縄戦」を挟んで一つ上のステージへ階段を上がろうとしているのではないか? スピルバーグで言えば「ET」や「シンドラーのリスト」スプリングスティーンなら「Born To Run」や「Born in the USA 」というある時期の頂点となる作品。それが生まれてくるタイミングなのかもしれない。

コロナ禍で強制的に映画製作が中止や延期にされているが、それもまた僕には必要なことだったのかもしれない。焦って、時間も、製作費もない中で、過労で倒れるまで戦いながら作品を作るという過去のスタイルではなく、この時期にしっかりと取材、勉強することで、これまでとは違う奥行きのある、幅のある、作品を作れ!と映画の神様が言っているような気がする。

インタビューで矢沢はアンドリュー・ゴールドやドゥービーとの出会いが大きく影響を受けたと語っている。僕にとってのそれは「沖縄戦」だったのではないだろうか? ドキュメンタリーはあくまでも前哨戦でありプロローグ。本番は劇映画で何か、これまでと違ったものを描く。そんなものを作るべき、時期が来たような気がしている。


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不器用でなければいけない?それが映画監督業? [映画業界物語]

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不器用でなければいけない?それが映画監督?

「俺は不器用だ」というと友人に笑われる。「お前は映画製作で監督をし、脚本を書き、プロデュースもして、編集もするし、宣伝まで担当する。やってないのは出演くらいだ。自分で撮影もするし、文章も書くし、以前は絵コンテまで描いていた。どこが不器用だよ?」と言われるが、こう続ける。

「ただ、人生は不器用だよな? 人にうまく取り入ったり出来ない。偉い人を怒らせたりする。我慢して仕事もらえればいいのに、2度とあいつとは仕事しない!とかすぐ宣言する。確かに生き方は不器用だ」

そうかもしれない。周りに合わせるのは苦手。すぐに「違う!」と言ってしまう。自分の意見を通そうとする。よく誤解される。批判される。でも、監督業をやるなら、それを恐れてはいけない。みんなと仲良くは出来ない。ただ、僕が言いたいのはそういうことでもない。先の友人の言葉で言えば「監督業」と「脚本業」を1人でこなすが、切り替えが難しい。

監督業は対人。「思い」を人に伝える仕事。コミュニケーションが大事。対して脚本業は「思い」を文章にすること。多分、脳の違う部分を使う。だから、脚本を書き出すと話せなくなる。脚本脳が活発に動いているので、言語脳がエネルギーを取られ機能が低下しているのだろう。山下清のような天才画家の脳は、彼はテレビでおなじみ「お腹が減ったんだなあ〜」とか言葉は拙い。が、素晴らしい絵を描く。脳の多くの部分を「絵を描く」部分が占めていて、言語脳が小さくなっている。というような話を聞いた。

天才でなくても似たような現象が起こってもおかしくない。学生時代を思い出しても、運動部の連中はスポーツはできるが理屈ぽくない。文化部は理屈ばかり言っているが、体を動かすのは苦手なタイプが多かった。もちろん両方できる奴もいたが、とても少ない。それぞれに脳が運動や論理部分が他に比べて活発に働く、あるいは機能が高いということではないか?

監督と脚本も運動部と文化部のようなところがある。だから、通常は別々。監督は現場で演出。脚本家は1人でシナリオ書き。もちろん、両方をする人もいるのだが、決して多くはない。皆、どうしているのか?先日見た「テネット」あのクリストファーノーランも両方やるが、今回はシナリオが良くない。映像に気が行ったのか?疎か。日本でも友人が同じ失敗をしているのを思い出す。

自身を振り返る。脚本を書くとき。いや、それ以前の段階。ストーリーを考える時から人とは話さない。会わない。1人であれこれ考える。他のことが出来ない。だから、何か仕事があると「考える」ことが出来ない。その意味で「不器用」なのだ。いよいよ執筆になると力石徹の特訓のように部屋に籠って、霊が降りてくるのを待つ(意味分からない人は深く考えないでね!)

ただ、それ以前も近い状態になることを思い出す。と言ってそのまま執筆まで行かないことも多いが、描く前でも霊が降りて来るのは大事。もっと言えば、執筆しているときは物語は出来上がったとき。それを具体的に文章にしているだけとも言える。本当に物語を作るのはそれ以前なのだ。

が、日本の映画の場合。その時間がなかなかない。依頼があって3ヶ月後にクランクインてなこともある。それでハリウッド映画のパクリのようなストーリーや設定が増える。リメイクやシリーズなのにオリジナルに対する愛情がない。ま、愛があるより早く書くライターが重宝されるという背景もあるのだが。だから、日本映画は原作もので、ライターが撮影できるように手直しするというだけの作品が多いのだろう。

ハリウッド映画の場合。依頼があってから1年は題材に対する取材と勉強。2年前が物語の構築。3年目がシナリオ執筆。だから、いいものができる。日本は以来から3ヶ月後にクランイン!? そのシステムを直せ!と言っても古い価値観に縛れ、映画に対する思いのない人たちには届かない。だから、せめて自分の作品はそのスタイルでやりたい。なのに、ここしばらく2年に1本の映画を撮ってた。

幸い。1年も勉強、取材しなくてもいい題材だったので、何とか出来た。が、やはり知らない題材については年月をかけるべきだ。今年はコロナでいろいろストップしたが、そのことを教訓として感じている。「ちゃんと調べろ」「把握しろ」と言われた気がする。だが、緊急事態が解除になった途端に、以前と同じように世間は動き出した。

それに逆らって自分のスタイルで動くと軋轢を生む。でも、いいさ。「変人」と思われれば、うるさく言われない。「嫌われたくない」と思うから常識的な行動を取り、周りに合わせてしまう。「嫌われてもいい」と思えば自由になれるのではないか? そんなこと、あれこれ考えている。


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映画監督業は潜水艦=浮上したときだけ記事にする。いつもは海の底? [映画業界物語]

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映画監督業は潜水艦=浮上したときだけ記事にする。いつもは海の底?

コロナで緊急事態宣言が出たとき。多くの人は外出を控え、家に籠った。映画界では撮影は中止、延期。オーディションも、ワークショップも出来ない。新しいものを毎日提供するテレビドラマさえ、再放送で凌ぐ状態。世間がそんなだから、友人から「監督もお暇でしょうから***をしてもらえないですか?」と連絡が来た。いつも忙しくて頼めないが今なら行けるかも?と思ったのだ。

ところが緊急事態宣言下。僕はもの凄く忙しかった。映画関係の仕事は全て止まっていた。では何が忙しいのか? 日頃、映画制作がスタートするとあれこれ7人分の仕事をする。数年続く。終わると過労で倒れる。その繰り返しでこの15年来た。休暇もバケーションもなし。何もしないときは過労で倒れて自宅入院状態。元気で時間があるのは、15年ぶりのこと!

ここぞと!日頃できないことをしていた。釣りとか、ドライブとか、ジョギングとか、趣味の世界ではない。これまでの資料ー膨大。それを整理。たまっていたDV Dを見る。買ってある本を読む。お世話になっているのに連絡できない人にメール、電話する。いつもは関わっている映画が最優先。興味あることがあっても、なかなか調べたり、読んだり、見たりできない。ニュース番組でさえ、録画しているのに見ていないものがたくさんある。4年前のニュースとかが今もDVDレコーダーに残っている。

それらを一気に片付けよう!と朝から晩まで見たり、読んだり、書いたりしていた。が、宣言は1ヶ月少々で終わり、また日常が始まった。えーーそんな早くーーー。店をやっている人から怒られそうだが、こちらとしてはそんな感じだった。映画界は今も、制作延期や中止。様子見ということが続いているが、昨年完成させた「ドキュメンタリー沖縄戦」の映画館公開が5月決定。そこからこの4ヶ月は宣伝、作業で忙殺されている。

映画館上映は今も続いているので宣伝はせねばならない。英語字幕版はようやく送付したが、次の作業がすでに待っている。そんな風に「今、***をしています」と書かなくても、いろんなこともある。だが、「監督。今、映画撮ってないから暇だろう?」とか「コロナで仕事していないはずだ」とか思われる。「僕が書いたシナリオ読んでもらおう」「私の個展に招待しよう」「この本をお勧めしよう」と連絡をくれる方がいる。でも、貧乏暇なしだ。潜水艦のような生活。Facebookにはたまに浮上したときのことを書いているが、それはごく一部。海の底では常に忙しく何かをしている。


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映画監督は毎日撮影している訳ではない?=カタギの人に聞かれて気づいた謎に満ちた?監督生活? [映画業界物語]

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映画監督は毎日撮影している訳ではない?=カタギの人に聞かれて気づいた謎に満ちた?監督生活?

映画監督業。とても理解されずらい。ある飲み会でお会いした会社員さんから聞かれた。「今日も撮影していたんですか?」もし、撮影中ならこの店に来て一緒に飲んだり出来ない!一瞬「何言っての!」と思ったが、彼は映画監督業とはどんなパターンの生活で、日頃はどうしているのか?分からない。だから

「毎日、撮影しているのかなあ〜」

と考えたのだろう。会社員の生活なら経験がなくても、ドラマを見ているだけでも分かるが、映画監督が主人公のドラマなんてまずないし(全裸監督は別ですよ)日常が想像できないのだろう。

もし、撮影があれば、翌日の撮影のための準備で、とても飲みに出たらい出来ないし、映画と関係のない外部の人とお話する飲み会に参加なんてありえない。だが、そんなことは映画関係でなければ分からないことを痛感した。あとよく聞かれること

「映画監督は綺麗な女優さんと、よく飲みに行ったりするんですよね?」

そんな監督もいなくはないけど、僕はしない。打ち上げとか、撮影絡みのイベントでない限り、俳優とは距離を置くようにしている。つまり、映画監督で女優を誘って飲み会をする人もいるが、そう多くはない。ということ。

僕は個人的なルールを作り、女優だけでなく、俳優とはプライベートで会わないことにしている。facebookでも今は俳優さんからの「申請」はお断りする。良い作品を作るには、親しくなっては行けないから。そんな構図をカタギの人が想像することはなく。「綺麗な女優さんと酒飲めて、いいよな〜」と思われることが多い。そんな風に誤解されてありもしないことで嫉妬されたり、批判されたりもする。また、先の会社員さんの質問のように

「監督って、いつでも撮影しているんだろうなあ〜」

と思われがち。でも、テレビドラマなら1クール12話を撮影するのに何ヶ月もかかるが、映画の場合は約2時間。撮影は3〜4週間ほど。最近では10日とか1週間という作品もある。それも映画は1年に1本撮るのも難しい。準備に何ヶ月もかかる。そのために撮影するのは数年に1度となる。その間は戦場なので、外部の人と飲み会をする余裕は完全にない。

では、準備もない、撮影もない。そんな時はどうしているのか? 次回作の構想を考える。題材を探す。興味あることを探す。当然、その間はギャラは出ない。だから、生活のためにアルバイトをする監督もいるし、映画以外の仕事をすることもある。が、その間にあれこれ考える。どんなことを考えているのか? その辺は次回に書いてみる。


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壁に貼った懐かしの写真。1998年の想い出 [映画業界物語]

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壁に貼った懐かしの写真。1998年の想い出

僕が監督デビューしたテレビドラマのロケ地で撮った写真。

(ちなみに北海道)

書き込みを見るとい1998年。今は2020年だから......22年前?!

えーー監督デビューして、もう22年も経つんだ〜。

いつもは2005年の「ストロベリーフィールズ」での

映画監督デビューから数えてしまうので、

15年と思っていた。が、22年なのか.....驚愕。。。。。。

もう、中堅どころ?ベテランの域?

でも、気分はまだ新人なのに....???


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