人生最後の戦いがスタートしようとしている?! [映画業界物語]
人生最後の戦いがスタートしようとしている?!
先にも紹介した矢沢永吉のインタビューでは、昨年で彼は70歳になり、再来年はデビュー50周年という。そういう節目というのは、アーティストにとって大切。僕は1990年帰国。なので今年でちょうど30年。映画監督デビューからは15年。
あー文章にして気づいたけど、帰国してからの30年。その半分を映画監督として仕事をしている。でも、別の見方をすれば帰国してから15年も映画監督デビューができなかったということだ。
監督デビューは1997年。なので監督生活で言えば23年とも言えるが、やはり1作目の「ストロベリーフィールズ」から数えたい。それでいうと今年は戦後75年。そして再来年が沖縄返還50年だ。なんだかいろいろ、感じるものがある。
このところ毎日聴いているカセットテープ。LA時代にFM放送を録音したもの。今、聴くと鮮烈にLAの留学時代が蘇る。あの頃、南カルフィル大学の映画科に通いながら、夢破れ、どうすればいいのか?自問自答する毎日だった。詳しくは以前に書いたから省略するが、当時日本はバブル真っ盛り。アメリカの映画会社を二つを買収する勢い。
それなら帰国して!と戻った途端にバブルが弾けて....レンタルビデオや居酒屋でバイトしながらシナリオを書き続けた。今、考えると、よく諦めずにここまで辿り着いたな〜と思うことも多い。数々の葛藤と戦いと、失望と怒涛の日々が10年以上も続くのだが、今回は省略。それがデビューから15年。先にも書いたが来年から60代。もちろん、黒澤明や大林監督は80代でも映画を撮っていたが、同じように行けるとは限らない。むしろ同じようにいけないと考えておかないと!
そうすると70代まであと10年。75歳まで頑張って15年。だとすれば、監督デビューから今年で15年なので、ちょうど折り返し地点になる。その15年が勝負。次回作を撮ったとしても大ゴケして、それで終了!ということもあり得る。だからこそ、観客を感動させ、評価されるものを作らねばならない。ま、それはこの15年も同じ。毎回遺作。それで死んでもいいと思っていた。
が、後半戦をどう戦って行くか? これまでの反省を踏まえてより良質の作品を作ることがテーマとなる。コロナ禍であれこれストップしたのは、そんな人生最後の戦い、スタート前の休養期間だと思える。本当にこの15年間休んでいない。休むのは過労で倒れて起きれない時だった。ただ、60代は今までのように若さで無茶するだけでは乗り切れない。その準備期間が今なのかもしれない。
そう言いながら「沖縄戦」の宣伝で4ヶ月も奮闘してしまった。いやいや、準備時間はまだある。後半戦に備えたい。人生最後の戦いだ。そんな10年、15年だ。
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