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「帰って来たウルトラマン」にもある沖縄戦を秘めたドラマ? [沖縄の現実]

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「帰って来たウルトラマン」にもある沖縄戦を秘めたドラマ?

金城哲夫の後輩である脚本家・上原正三。彼もまた沖縄出身。金城と同じく沖縄を作品に反映させている。その1本が「帰って来たウルトラマン」にある。これも見直してみよう。もう何十回と見たエピソードだが、新しい発見があるかもしれない。

ちなみに、そのエピソードと先に紹介した「ウルトラセブン」の「史上最大の侵略」は子供の頃から僕が「ウルトラ」シリーズで一番好きな2ほん。その2本ともが沖縄出身の脚本家の作品と分かり、感じるものがある。「ドキュメンタリー沖縄戦」作るべき運命にあったのかもしれない。この2本こそ、まさに「沖縄戦」なのだ。



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「ドキュメンタリー沖縄戦」を観ると分かる「ウルトラセブン・史上最大の侵略」の本当意味? [沖縄の現実]

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「ドキュメンタリー沖縄戦」を観ると分かる「ウルトラセブン・史上最大の侵略」の本当意味?

BDで「史上最大の侵略」前後編。見直してみる。

沖縄人・金城哲夫はあの作品に何を託したのか?



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「ドキュメンタリー沖縄戦」を作ったことで、あれこれノンフィクションについて考える。 [映画業界物語]

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「ドキュメンタリー沖縄戦」を作ったことで、あれこれノンフィクションについて考える。

いつもは劇映画を作っているが、今回は長編ドキュメンタリー。なのだが、短いのはこれまでも何本もやっている。テレビ・ドキュメンタリーもやった。そもそも、僕の映像作品デビューはメイキング。あれもドキュメンタリーである。師匠・大林宣彦監督の「理由」のメイキングも担当させてもらい、DVDにも収録されている。

ただ、やはり長いものを作ると、いろいろ考える。そのために沖縄戦以外のドキュメンタリー作品も見て勉強した。それで分かったのだけど、例えば深夜や日曜の昼間に放送されるドキュメンタリー番組。地味な題材を長期間取材した優れたものも多いのだが、全体的な傾向を感じる。作り手=監督が取材対象となる人(多くの問題を抱える)に対して同情し、共感していること。

例えば、超極貧の失業中男性のルポ。見ていると本当に気の毒。何とかしてあげたくなる。が、ひたすら同情したくなる日常を描く。失業した理由も分かる。失業手当が打ち切られたのも。職安に通うのも大変。誰か何とかしろよ!と思うのだが、僕は捻くれ者なので、こんなことも考える。「なぜ彼はそうなる前に対策をしなかったか?」「失業した理由も本当に不況によるリストラだけなのか?」でも、その辺は描かれない。突っ込まない。

何年も続く訴訟を取材した作品。大企業を訴える家族。公害訴訟。作品は完全に原告の家族の視点。確かに気の毒。しかし、そもそもの公害問題の説明が足りない。企業側の責任は大きいと思えるが、それだけなのか? 法律、自治体、政府の対策はどうだったのか? そちらにはカメラは向かず、哀れな家族ばかりを追う。この手の作品が多いように思える。番組として考えれば、企業側に同情するものより庶民がかわいそうな方が視聴者は同情。受ける。

だが、それでは時代劇と同じ構図。悪代官とかわいそうな農民。ドキュメンタリーがそれでいいのか? 報道番組でもその手のものが多い。分かりやすい構図に当てはめて、ひたすら同情を誘う。が、背景には深く切り込まない。それをドキュメンタリーと呼んでいいのか? うまく表現できないが「公正であれ」というのではない。被害者の哀れさ。それに同情した監督が描いたのでは本当の意味で、被害者の辛さが伝わらないのではないか?ということ。

監督の立場は被害者を理解しても、あまりにもその立場に近づき過ぎると感情的、情緒的なり、悲しみを伝えることができず。共感を得られないものになりはしないか? ということだ。そんなことを考えている。


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「女帝 小池百合子」要約するとこんなことを伝えている。とにかく凄い! [再掲載]

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「女帝 小池百合子」感想。いくら書いても書き足りたない。

いろんな側面で感じることがある。その前に読んでない人のために簡単に要約する。この本が伝えているのは.....

「小池という女は偽の肩書き(カイロ大学を首席で卒業)と片言でしか話せないアラビア語を武器?にマスコミに入り込む。その後は権力ある男に取り入り、気に入られ、取り立ててもらい。パフォーマンスだけで政治家の階段を上がる。利用できるものは何でも利用。敵はどんな手を使っても叩き潰す。利用価値がなくなれば即、切り捨て。

でも、世渡りはうまく。男を次々に乗り換えて大臣まで経験。ポリシーはなく、主義主張もない。国民受けすることを言うが実行力はない。ビジョンもなく、要はスポットライトを浴びたい。権力を手にしたいだけの人。なのに騙される人は多く、都知事にまで上り詰めた。次の目標は総理大臣。こんな女性をのさばらせていいのか?」

と言うのが本の趣旨だ。先に僕が書いたのは「この本自体の問題」「だが、書かれている内容はほぼ事実」「彼女のようなタイプは芸能界には多い」と言う話。だが、まだまだ伝えたいことがある。本を読めば「小池って本当に酷い女だ!」と思うだろう。だが、それにコロッとダマされた国民はどうなのだ? それをなぜ、見破れない。次の都知事選でも圧勝と言われている。

彼女はこれまで国民のためには何もしていない。パフォーマンスだけ。にも関わらず「緑のタヌキ」(?)として人気沸騰。政権から嫌われ者だったにも関わらず、都知事に転身。さらには総理の椅子まであと1歩というところまで迫った。そこにはパフォーマンスだけでなく、現総理というもっとダメな政治家がいることが大きい。あの人も国民のために何もしていないが、パフォーマンスすら出来ない。

そのためにコロナ感染の中。支持は下がり続け、緑のおばさんはコロナを利用して評価を得た。実際は何もしていないのだが、国民の多くは「頑張っている」と勘違いした。(大阪の人も同様)要はいかに国民がアホか?騙されやすいか?ということが問題のようにも思える。



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