脳の酷使と体の酷使は両立できない?! [2020]
脳の酷使と体の酷使は両立できない?!
この1週間。本当にいっぱい歩いた。1日10キロの時もあった。休憩はするが、午後10時から夕方6時まで。江戸時代の旅人のようによく歩いた。栄養補給に凄く食べたのに、体重は3キロほど落ちた。穴の空いた靴では余計に疲れるので、スニーカーを変えた。
体力の限界が近づくと脳の働きも落ちるものだと気づく。撮影で佳境に入ると言葉が出て来なくなることがある。単語が出て来ない。扇風機を顕微鏡と言ったこともある。多分、血が体を動かすことに使われるので、脳に十分な血が行かず機能が低下するのだろう。
逆にシナリオを書く時。編集をする時。血は頭を巡ってエネルギーを届ける。だから、何週間も部屋にこもっても体重が減ることがある。脳の栄養は糖分。大量の糖分が脳で消費されたのだ。
なので、この1週間。あまり記事を書けなかった。まあ、外にいたというのもあるけど、部屋に戻ると疲労困憊で頭が働かず、パソコンに向かっても書けない。「体を酷使する」と「頭を酷使する」の両立はできないこと。痛感。
今も疲労困憊で文章を書くのが苦痛。いつもならスイスイと長編5本くらい午前中にアップするのだが、そんなのどこの世界の話?って感じ。あちこちにメールも出さねばならないが、少し休息する。
自宅入院状態の1日 [2020]
アカデミー賞を受賞したカズヒロさん。その言葉に強く共感。日本人の問題点「村社会ルール」を浮き彫りにする。 [ムラ社会ルール]
アカデミー賞を受賞したカズヒロさん。その言葉に強く共感。日本人の問題点「村社会ルール」を浮き彫りにする。
本年度のアカデミー賞を受賞。カズヒロさんはインタビューに答えた。
「日本の教育と社会が、古い考えをなくならせないようになっているんですよね。それに、日本人は集団意識が強いじゃないですか。その中で当てはまるように生きていっているので、古い考えにコントロールされていて、それを取り外せないんですよ。
歳を取った人の頑固な考えとか、全部引き継いでいて、そこを完全に変えないと、どんどんダメになってしまう。人に対する優しさや労りとかは、もちろん、あるんですけど、周囲の目を気にして、その理由で行動する人が多いことが問題。
自分が大事だと思うことのために、自分でどんどん進んでいく人がいないと。そこを変えないと、100%ころっと変わるのは、難しいと思います」
本当にその通りだ。僕がここしばらく何度も書いた記事とほとんど同じことを話している。つまり「村社会ルール」だ。それが日本と日本人をダメにしている。特に地方は強く縛られている。大人たちの言葉にうんざり、若者が都会へ出て行く。戻って来た若者をバカにする。よそ者を排除する。反原発活動でも若手を否定。潰しにかかる。「勉強不足」と批判する。全て「村社会ルール」であり、日本人体質。
映画の世界も同じ。新しい方法論を持ち込むとベテランが否定。潰しにかかる。僕も経験がある。付き合いの長い、信頼するベテランがあれこれ批判を始め、古い方法論を押し付けてくる。さらに高校時代に「映画監督になりたい」と言った時も、親、教師、親戚、同級生。ほとんど全ての人が反対し、批判。止めようとした。カズさんのいう通りだ。
「日本人は集団意識が強い。その中で当てはまるように生きているので、歳を取った人の頑固な考えとか、全部引き継いでいて、そこを完全に変えないと、どんどんダメになってしまう」
そして大きな問題はあれこれ言う人たちに悪意はない。「それじゃダメだ。止めないといけない」という親切心で、頼まれもしないのに言ってくること。そうやって若者を潰す。夢を壊してしまう。新しいことをさせないようにする。結果、金がもらえるわけでもないのに、時間や労力を使い、愛情を持って、夢や新しいことを潰して回るのだ。
その日本人体質が日本をダメにしている。実際、メイドインジャパンを誇っていた電化製品も韓国に抜かれ、映画もアカデミー賞を取るのは韓国映画ということになったのだろう。だが、そういうと、あるいはカズさんの言葉を聞いた人は言う
「でも、日本にはいいところもあります!」
そんなことは分かっている。今は自画自賛して現実から目を逸らしていている時期ではない。村社会ルールやその体質が日本を崩壊させようとしていることを考えてほしい。戦時中の軍国主義は大きな村社会だった。今、日本はそんな村社会に再び縛られ、アジアの後進国に落ちぶれている。どうすればいいのか? そのヒントがカズさんの言葉に隠されている。
村社会ルール過去の記事=>https://okinawa2017.blog.ss-blog.jp/archive/c2306188817-1
https://nobiciro.com/person/12431/
カズヒロさんの言葉「日本の教育と社会が、古い考えをなくならせないようになっているんですよね。それに、日本人は集団意識が強いじゃないですか。その中で当てはまるように生きていっているので、古い考えにコントロールされていて、それを取り外せないんですよ。
歳を取った人の頑固な考えとか、全部引き継いでいて、そこを完全に変えないと、どんどんダメになってしまう。人に対する優しさや労りとかは、もちろん、あるんですけど、周囲の目を気にして、その理由で行動する人が多いことが問題。自分が大事だと思うことのために、自分でどんどん進んでいく人がいないと。そこを変えないと、100%ころっと変わるのは、難しいと思います」。
「自分が何をやりたいのか、何をやるべきなのかを自覚して、誰に何を言われようと突き進むこと。日本は、威圧されているじゃないですか。社会でどう受け入れられているか、どう見られているか、全部周りの目なんですよね。
そこから動けなくて、葛藤が起こって、精神疾患になってしまうんです。結局のところ、自分の人生なのであって、周りの人のために生きているんではないので。当てはまろう、じゃなくて、どう生きるかが大事なんですよ」。
名作映画を映画館で見る日々。「ウエストサイド物語」「アラビアのロレンス」「七人の侍」 [2020]
名作映画を映画館で見る日々。「ウエストサイド物語」「アラビアのロレンス」「七人の侍」
今週は毎日、映画を観た。留学時代を思い出す。大学はLAにある南カルフォルニア大学の映画科。映画を見る授業が多かった。朝、早く起きて車で大学へ。大きなホールに行き、まずは映画上映。古い名作を見るクラスから、映画館で公開される前の最新作を見るクラスまで。ホラー映画を見るクラスもあった。
ここ数日、そんな感じ。朝起きて、一番近い映画館へ。この数日は「午前10時の映画祭」ラインナップはほとんど複数回観た映画なのでいかないが、ここ数回は映画館の大スクリーンで見るべき作品。早起きした。「ウエストサイド物語」「アラビアのロレンス」「七人の侍」映画人ならずとも、映画ファンなら必見の大作ばかり。
全て映画館で見ているが、名作は若いうちに見るのと、年取ってから見るのと印象が違う。若い頃は気づかなかったところが理解できたり、その意味を知ったりする。人生経験を経ないと分からないことがたくさんある。「七人の侍」は4Kで画質を良くし、音も直したバージョン。今までは三船敏郎が何を言っているのか?分からない場面がいくつかあった。
LAの名画座で観て、英語の字幕スーパーを読み「ああ、そういうことか」と思ったりした。それが今回は明瞭。ただ、左卜全のセリフは相変わらず変わらないが、それが彼の持ち味だろう。「やめてけれ」♪の方ですから。「七人の侍」は全国の「「午前10時の映画祭」実し映画館であと2週間上映しているのでぜひ!
太田隆文監督によるプロの俳優のためのワークショップ 第2回 ー2月9日(日) 参加者募集中! [告知]
太田隆文監督によるプロの俳優のためのワークショップ!第2回
(昨年、第1回が大好評で第2回を開催)
2月9日(日) 13:30〜17:30
場所、東京、大塚(詳しい場所は参加者に通知)
主催、青空映画舎
資格 演劇経験ありの方。初心者育成の講座ではありません。
通常のオーディションに出すタイプのプロフィールをPDFファイルで添付
(顔写真。名前、住所ー事務所で可ー 所属事務所、身長、体重、3サイズ、学歴、出演作品等)
参加希望理由を書いて、以下のアドレス(青空映画舎)宛にメールしてください。
aozoraeigasya@yahoo.co.jp
参加費5000円(当日払い) 領収書あります。
映画のタイトル。付ける時に大切なこと? あれこれある! [映画業界物語]
映画のタイトル。付ける時に大切なこと? あれこれある!
タイトルは映画の顔。とても大事だ。まず、どんな物語であるか?伝える。感じてもらうことが第一。次に「見たいな!」と思わせること。物語だけでなくテイストも伝える。喜劇か悲劇か?アクションか?ラブストーリーか? そして覚えやすいものでなくてはならない。
まだまだ、あるが、とりあえずタイトルだけでいうと以上の点が大事。原作がある場合は、原作通りであることが多いが、オリジナル脚本の場合は脚本家や監督が命名する。黒澤明作品は以上のような点が非常にうまく出来ている。「生きる」物語はまさに、人はどう生きるべきか?という話であるし、短いタイトルで覚えやすい。
「天国と地獄」は原作のタイトルは「キングの身代金」だが、オリジナルと言っていい物語。犯人の家と被害者の家を比較すると、まさに天国と地獄。三船と山崎の個性も対比している。ジブリは「***の***」を付けると大ヒットするジンクスがあるということで、そのパターンが多い。「風の谷のナウシカ」「天空の城ラピュタ」「崖の上のポニョ」「となりのトトロ」
自作も振り返ってみる。太田組作品は有名な歌からもらっていることが多い。ビートルズ、サイモン&ガーファンクル、アニマルズ。そのことで、元々多くが知っているタイトルであるので覚えやすい。そしてタイトルが物語を象徴している。原発事故の映画だからと「原発パニック」とか「恐怖の放射能」ではパニック映画と思われる。
悲しみの物語で、家を失う結末なのに「朝日のあたる家」というところが悲しいし、印象に残る。「向日葵の丘」も歌のタイトル。松田聖子のアルバム「パナップル」の1曲で、「ひまわりの丘」というのがある。それを感じで「向日葵」にした。丘とか、場所とか、家という言葉は文芸作品の香りもある。それで「向日葵の丘」咲き誇るひまわりが過ぎ去りし夏の思い出を象徴させた。
だが、タイトルは難しく。最初はあれこれ反対する人が必ずいる。シナリオを読んでもいないのに「何か違う!」と批判する者もいる。が、タイトルというのは何度も繰り返し口にすることで、馴染み。それ以外にないような気がしてくるもの。そして僕の経験だと批判するほとんどの人がそれ以上の代案を出すことはない。また、タイトルはタイトルのみで判断してはいけない。ポスターの写真。キャッチコピー等とのバランスも大事。
まあ、子供ができた時に名前は何にしようか?というような感じで、色々、苦労が多い。次回作が決まればまたそれで四苦八苦するのだろうなあ...。
何もせずに批判ばかりする人たち。本当に情けない=子供食堂と「朝日のあたる家」 [MyOpinion]
何もせずに批判ばかりする人たち。本当に情けない=子供食堂と「朝日のあたる家」
この記事を読み、憤りを感じた。貧困層の子供たちのために「子ども食堂」を始めたのに、来るのは裕福層の子供たちばかり。塾に行く前に食べに来たり、肝心な貧困層の子供が来ない。なのにこんなことを言う人たち。
「子ども食堂こそ和食の手作りにこだわるべきだ」「無農薬にすべき」「勉強も教えろ」
口うるさく言うのに、金も労力も提供しない人達のたまり場になり、スタッフが1人、また1人と減っていったとのこと。同じことがあった。「朝日のあたる家」で原発事故の悲劇を描いたとき。映画界では「原発映画はタブー。監督は2度と商業映画が撮れなくなる」と言われていた。が、チャレンジ。
企業は一切、金を出さず、全て個人からの寄付で製作費を集めた。地元の協力を得て超低予算で撮影。ようやく完成したら、多くの映画館が上映拒否。途方に暮れていたら、新聞や雑誌がそのことを記事にしてくれた。それを見た心ある全国の映画館からオファー。最終的には27館で公開できた。
宣伝費も少なく、僕が1人で1つ1つの映画館を訪ねて舞台挨拶。地元の新聞社やラジオ局にお願いして宣伝をさせてもらった。街角でチラシも配った。しかし、映画を見た客にはこんなことをわざわざ言いに来る人がいた。
「この映画はダメだよ。描かれていることは全部知っていた。初心者向けなんだ」「内部被曝が描かれていない。これでは意味がない!」「311で原発問題に関心を持ったんだろうけど、遅いんだよ。俺はチェルノブイリ事故から関心を持っているよ」「不勉強な映画だね〜もっと勉強して作らないと」
そんなことを伝えに来る人たちがいた。でも、その人たちは何ら行動を起こしていない。反対運動をする若者さえ否定。先の子ども食堂であれこれ言う人たちと同じ。なぜ、何もしないくせに、行動する者を批判するのか?子ども食堂反対、原発賛成と言うのなら分かるが、どちらも子供のことを考えている。にも関わらず、頑張る人をわざわざ批判しに行く。
結果、記事の子ども食堂はやめてしまった。僕も行き先々であれこれ不満をぶつけてくる観客に嫌気がさした。「文句を言うなら、お前が金集めて、理想の原発映画を作れ! いちいち俺に言ってくれるな!」と言う感じ。記事を読んで、そんな人たちはどこにでもいると言うことが良く分かった...。
記事=> https://citrus-net.jp/article/90752?fbclid=IwAR205erGKH6GMXEzF9sDpXZr75pRR7-lISyQ71d0ZVGkfL1kptSnBVs1PUQ