何もせずに批判ばかりする人たち。本当に情けない=子供食堂と「朝日のあたる家」 [MyOpinion]
何もせずに批判ばかりする人たち。本当に情けない=子供食堂と「朝日のあたる家」
この記事を読み、憤りを感じた。貧困層の子供たちのために「子ども食堂」を始めたのに、来るのは裕福層の子供たちばかり。塾に行く前に食べに来たり、肝心な貧困層の子供が来ない。なのにこんなことを言う人たち。
「子ども食堂こそ和食の手作りにこだわるべきだ」「無農薬にすべき」「勉強も教えろ」
口うるさく言うのに、金も労力も提供しない人達のたまり場になり、スタッフが1人、また1人と減っていったとのこと。同じことがあった。「朝日のあたる家」で原発事故の悲劇を描いたとき。映画界では「原発映画はタブー。監督は2度と商業映画が撮れなくなる」と言われていた。が、チャレンジ。
企業は一切、金を出さず、全て個人からの寄付で製作費を集めた。地元の協力を得て超低予算で撮影。ようやく完成したら、多くの映画館が上映拒否。途方に暮れていたら、新聞や雑誌がそのことを記事にしてくれた。それを見た心ある全国の映画館からオファー。最終的には27館で公開できた。
宣伝費も少なく、僕が1人で1つ1つの映画館を訪ねて舞台挨拶。地元の新聞社やラジオ局にお願いして宣伝をさせてもらった。街角でチラシも配った。しかし、映画を見た客にはこんなことをわざわざ言いに来る人がいた。
「この映画はダメだよ。描かれていることは全部知っていた。初心者向けなんだ」「内部被曝が描かれていない。これでは意味がない!」「311で原発問題に関心を持ったんだろうけど、遅いんだよ。俺はチェルノブイリ事故から関心を持っているよ」「不勉強な映画だね〜もっと勉強して作らないと」
そんなことを伝えに来る人たちがいた。でも、その人たちは何ら行動を起こしていない。反対運動をする若者さえ否定。先の子ども食堂であれこれ言う人たちと同じ。なぜ、何もしないくせに、行動する者を批判するのか?子ども食堂反対、原発賛成と言うのなら分かるが、どちらも子供のことを考えている。にも関わらず、頑張る人をわざわざ批判しに行く。
結果、記事の子ども食堂はやめてしまった。僕も行き先々であれこれ不満をぶつけてくる観客に嫌気がさした。「文句を言うなら、お前が金集めて、理想の原発映画を作れ! いちいち俺に言ってくれるな!」と言う感じ。記事を読んで、そんな人たちはどこにでもいると言うことが良く分かった...。
記事=> https://citrus-net.jp/article/90752?fbclid=IwAR205erGKH6GMXEzF9sDpXZr75pRR7-lISyQ71d0ZVGkfL1kptSnBVs1PUQ
僕がやるべきこと。僕がやれること。今は沖縄を見つめたい。 [沖縄の現実]
僕がやるべきこと。僕がやれること。今は沖縄を見つめたい。
311以降に思ったことだが、小出裕章さんがなぜ、京大で原子力を研究しているのに、原発に反対をし、危険性を伝え続けたか? 原発に貢献すれば支援や助成金がもらえ、「教授」にも成れたのに?
山本太郎さんがなぜ、俳優なのにデモの先頭に立ち、議員にまでなって、今は政党を立ち上げてまで日本を良くしようとするのか? 皆、同じ。金や名誉のためではない。本当に大切なものは何か? いけないことは何か? 子供たちを守りたい。そんな思いで、圧力や体制と戦いながら、活動を続けている。いや、彼らだけではない。SNSでマスコミが報じない事実を伝えて続けている人たち。沖縄で戦い続けている人。福島で情報発信を続ける人もいる。
そんな中で僕ができることは何か? 理不尽な世の中で、やるべきことは何か? ただただ、酒場で文句を言うだけではいられない。本質を知りながら、我慢しているわけには行かない。でも、何もできない。最初はそう思ったが、できることがある。映画を作ることだ。
それら問題を考えるきっかになる映画を作ること。それが僕の「仕事」ではなく、やるべきことだと思えた。そのためにはギャラに見合う仕事をしていてはダメ。だから7人分の仕事して、生活費まで製作費に注ぎ込む。どうにか最低限の生活ができればいい。
先に挙げた人たちのような知名度や情報量。そして能力はないけれど、僕ができることで誰かが気づいたり、ハッピーになったりしてくれれば意味ある行動だと思える。この時代を生きている意味があると考える。
今は沖縄戦だ。単に過去を振り返るだけでなく、そこには現代の沖縄に繋がる問題が隠されている。基地問題、日米地位協定、その答えが沖縄戦にある。さらに、日本で唯一、地上戦が行われた沖縄を見つめることは「戦争」とは何か?を身近に感じることができる機会でもある。多くの映画では美化され、カッコよく描かれる戦争。現実はそうでないこと。今こそ伝えるべきだ。
「祖国を守る」「愛する人のために戦う」と美しい言葉に誤魔化されて「戦争は必要かも?」と考える若い人も増えている。戦争に行かない年寄りたちが煽り、美化し、煽動する。でも、戦争の本質は金儲けだ。国のためと言いながら、国=金持ちと大手企業だ。それを隠して、言葉を言い換えて、日本は今、戦争ができる国に戻った。
だからこそ、戦争とはどういうものか? それも多くの日本人が犠牲になった沖縄戦を知ることで、現実を知ることができると考えている。
デビューから15年。ネクスト・ゲイトを目指すためには? [映画業界物語]
デビューから15年。ネクスト・ゲイトを目指すためには?
映画監督業は80、90歳まで仕事をするという話を書いたが、誰もが出来るとは限らない。健康問題があるし、それ以上にヒットを取らないと依頼が来なくなる。80歳どころか現在でも、40代の監督でも多くは副業で生活している。年に1本監督できる人は日本に数人しかいない。そんな厳しい世界で、この先もやっていけるのか?と、不安になる。
今年は2020年。僕のデビュー作「ストロベリーフィールズ」を監督したが2005年。つまり15年目だ。ついこの間、デビュー10周年だったが、全く気づかずにその年を終えた。なのにもう15年。15年で6本。単純計算で2.5年で1本ということ。映画は企画から完成公開まで最低でも1年。下手すれば3年。そう考えると「まずまずね」と言われる。
ま、毎回、宣伝にも参加するので、そのくらいのスタンスになるが、先輩でも1本撮っただけで、その後は監督作品なし。10年間1本も撮っていないという人もいる。それに比べたら恵まれている。にも関わらず僕はワガママで、やりたい作品しかやらない。合わない作品。興味が持てない映画はしない。その代わりやるときは毎回遺作のつもり。過労で本当に死にそうなる。
でも、あまり真剣にやるから「ギャラいらないんじゃないの?」と言われたり、製作会社から「監督料安くても真剣にやるから、もっと下げよう」と思われたりもした。まあ、そんな連中とは距離を置き、いいもの作ろう!というスタッフとだけ仕事をするようにしている。が、そろそろ、もう一つ上のステージを目指し、よりいい作品を撮るにはどうするか?も考えていかねばならない。
現在の太田組スタッフは皆、素晴らしい。俳優部も毎回、素敵な面々が出てくれる。プロダクションと癒着しない。キャスティングも横槍はなし、人気があるからとアイドルを起用したりはしない。金を抜くことしか考えないPも排除。映画作り環境としてはかなりいい。では、次にすべきことは何なのか? あれこれあるのだが、考え中だ。
友人は間も無く定年。映画監督は80歳まで働ける?働かなければならない? [映画業界物語]
友人は間も無く定年。映画監督は80歳まで働ける?働かなければならない?
来年から60代に突入。同じ年の友人は来年で定年。長年勤めた大手企業を辞める。ということはあとは余生?それがカタギの人の人生なのだ。今時の60代はまだまだ若く、大学生の延長のような気もするのであと10年くらい働けそうだが、定年なのか...。僕の友人たちが若く見えるから、そう思うのかもしれない。髪が真っ白なのは僕だけだし。禿げてツルツルという奴もいない。皆、白髪もほとんどない。中年太りは多く、見るからにオジサンではあるが、元気にしている。
が、聞くと、膝が痛い。手術すると仕事を何ヶ月も休むのでそれもできないと嘆く友人。血圧が高いと薬を飲む奴。五十肩で肩が上がらないという者。そう考えると、僕はどこも悪くない。ただ、映画が1本終わると過労死寸前。半年くらい寝込むくらい?!でも、これは年齢のせいではなく、若い頃からである。なので、やはり、年齢を感じることが少ない。
食事の量が減ったのはある。以前は2人前くらいペロ!だったが、今は1人前で十分。あと、朝早く目がさめる。昼過ぎまで寝ていることがない。これは便利だが、体力がないので寝られないということ。もう若くはないということだ。若い頃からエスカレーターより階段。野菜を摂るということにも気をつけていたお陰か?
ただ、友人が定年する年齢だが、こちとら退職金も年金もないので働き続けなければならない。いや、ちょっと違うな。生きるために働くのではなく、まだ撮らねばならない映画があるから生きていかねばならないという感じだ。そして、一般社会なら定年の年齢だが、映画監督業としてはこれからなのだ。黒澤明は80代まで映画を取ったし、イーストウッドは間も無く90歳だ。いろいろと考えてしまう。
久々にテレビを見て感じたこと?=YouTubeしか見ない子供たちが日本を救う? [MyOpinion]
久々にテレビを見て感じたこと?=YouTubeしか見ない子供たちが日本を救う?
テレビを見てもフェイクニュースばかりと分かってはいるが、有益な番組もあるので気付いた時はタイマー録画している。ただ、それを見る時間がなかなかなくて、時には3年前のものを見ることがある。今のDVDレコーダーはかなりの番組を録画保存できるので、見たいときに見られていい。けど、そのせいで「その内見よう」でどんどん溜まってしまう。
昨年、秋に放送された「ガイヤの夜明け」「消費税から1ヶ月」と言う回。非難轟々のフェイクニュース番組。考えればスポンサーが日経新聞等。経団連のための広報。山本太郎さんが取材されているので、多くが見たようだが、番組の結論は「消費税はまだまだ上げなければならない」と言うもの。経済学者の説明も嘘八百。高齢化社会で福祉に金がかかると言う相変わらずのもの。
しかし、国民洗脳装置であるテレビを最近の若い人は見ないと言う。友人関係に聞いてみると、彼らの子供でテレビを見る子は誰もいなかった。皆、YouTubeだと言う。中には小学生で「NHKをぶっ壊す!」と言ってる子までいた。僕らが子供の頃「やったで加藤ちゃん」みたいなフレーズがテレビではなく、YouTubeから広がること感じる。
そんな子たちが大きくなれば、テレビを見る習慣のない大人が増えて視聴率が下がり、テレビも今までのような力を持てなくなるだろう。そうなるとフェイクニュースも流せない? ニュース番組のキャスターに無理やり「消費税はいずれ上げなければならない」とか言わせることで、国民を刷り込み。誘導するのも難しくなるのでは? ネットでもフェイクはあるが、正確な情報もある。やがて国民はそれを見分ける力をつけていくはずだ。これは期待できる展開かも?
と思いながら見ていた「ガイヤの夜明け」取材されていた大きな子供がいるお父さん。いかにも頭が古いタイプでスマホ決済ができない。テロップを見ると54歳。まだ若いじゃないか! これって、もう時代について行けないお父さんと言うとこの年代ということ? 「サザエさん」でいうと波平さんのキャラ? 僕よりずっと若いのに? いや、僕がもうそんな年だということなのだろう。
被害者にしか分からないことがある。でも、第三者だからこそ気づくこともある。=原発と沖縄戦のことから [戦争について]
被害者にしか分からないことがある。でも、第三者だからこそ気づくこともある。=原発と沖縄戦のことから
沖縄と原発の問題には共通点がある。どちらも被害を受けている人たちが特定の地域が中心で、他のエリアに住む人たちは他人事となりがちなこと。「気の毒」とか思うが、当事者の気持ちを理解しづらい。また、深刻な問題なので当事者でない者が安易にあれこれ言いづらい側面もある。
スピルバーグが子供の頃。おじさんさんの腕に数字が刺青されており、何だろうと聞いたことがあるそうだ。それがアウシュビッツに収容された祖父が刻印された数字。終戦が遅ければガス室送りになったかもしれない。そんな記憶と自身がユダヤ系であることがきっかけで彼は「シンドラーのリスト」を作る。
そんな風に何か繋がりがあることで、思いを持てると言うことがある。だから「朝日のあたる家」を作る時。自分に資格があるのか?と考えた。福島出身ではない。福島の友達も当時はいない。彼女が福島育ちということもなかった。でも、原発問題は福島だけのことではない。あれこれ考えて、やろう!と思った。
沖縄戦も同様。沖縄との繋がり何もなかった。そんな自分に資格は?と考えた。が、まず知りたい。沖縄戦を知りたい!という思いがありスタートした。そんな取材の中で、ある研究者の方に言われた。
「近年、戦争体験の方々が高齢でどんどん亡くなっています。あと10年ほどで皆いなくなるでしょう。私たちの世代はよく、お前らは戦争を体験していない。何が分かるか!と言われてきました。でも、それだと体験者がいなくなれば、沖縄戦を伝えられなくなる。そんな事はない。僕ら戦後の世代にもできることがある。そして戦争を体験していない僕らだから、できることもあると思うんです」
その通りだ。原発事故の取材をした時も「私たちの気持ちは分からないでしょう」という人がいた。確かに体験者しか分からないことがある。映画を作った時も「もっと大変な思いをした人もいたんですよ!」と厳しく言われた。が、これが最悪だなんて描いていない。被害を受けた方は傷ついている。理解は難しい。同時に彼らもまた悲しみをどう表現していいか?分からないでいた。
そんなことがあったので、先の研究者の言葉を実感した。戦争体験者も同じ。彼らしか伝えられないことある。でも、彼には伝えられないこともある。悲しみを伝えることは大事だが、それだけではいけない。なぜ、そうなった? どこに問題があった? 何が背景になった?という側面も探求することが大事。そのためには当事者ではなく、冷静に見つめられる第三者の存在が必要。その研究者は戦争は知らないが沖縄で育ち学んだ自分たちの世代だから、できることがあるという。
だったら、沖縄のことを知らず、ゼロから勉強をスタートする外部の人間でなくては気づかないこと。見えないこともあるのではないか?そう思えて「ドキュメンタリー沖縄戦」の取材を続けた。当事者はいう「お前たちに私たちの気持ちは分からない」その通りだ。でも、理解する努力はできる。そして第三者だからこそ気づくものもあるはず。沖縄、原発に関わらず、それを探して行きたい。