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映画レビューに「突っ込みどころ満載!」と評論家気取りのコメント=背景にある悲しいもの。 [日本の教育]

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映画レビューに「突っ込みどころ満載!」と評論家気取りのコメント=背景にある悲しいもの。

いろんなサイトに映画の感想を書くページがあるが、特にyahoo!に書き込む人たちの映画鑑賞眼は低い。別にyahoo!が悪い訳ではなく、その種の人たちが多いということ。どんなコメント? 例えばこんな風なのが多い。

「突っ込みどころ満載。あれ? なんで?ということの連続!」

「展開が唐突! 何なのこの映画。展開に無理ありすぎ〜」

ある。ある。と思うだろう。これらに共通するのは何だろう? そう。ほとんどが上から目線。得意げ。鬼の首を取ったような感じ。簡単に言えば評論家気取り。しかし、その映画を見ると、それほど酷いものでなかったり、力作だったりする。そこには2つの背景がある。彼らの心の闇を考えてみよう。

80年代。僕は映画ファンであり、映画学校に通い、映画好きと毎日議論していた。「ぴあ」には毎週、読者の映画批評が載る。がyahoo!的な感想はあまりなかった。同世代の映画評論家さんはいう。

「本来、映画を見ていて、あれ? 何でこうなるんだろう? と思った時に、僕らは伏線を見逃したかな? 説明があったんじゃないか? と考える。映画というのはプロが作るもの。意味が分からないのは素人である自分が、しっかりと見ていなかったからだろうと考える。

でも、今どきの子は分からないことがあると、この映画は説明不足だ。ご都合主義で展開させてんだな〜と考える。つまり、分からなくなるのは自分の不注意や無知ではなく、映画制作側の、あるいは監督がバカだから分からなくなると解釈するんだよ。

そんな解釈をするのが20代とか30代の人たちが多い。作っているのは50代とかの監督で、プロのスタッフ。映画というのは集団作業。例え監督がバカでも、シナリオや現場でおかしな部分が見つかれば、必ずスタッフが指摘する。誰も気づかずにオーケーなんてまずない。それを20代の映画ファンだけが気づく問題点ってあるかな?

実際にその映画を見ると、ちゃんと伏線が張られていたり、前の場面で説明されていたりする。それを見逃していたので展開が分からなくなったのだろう。にも関わらず『無理あり過ぎ〜』と考えるんだ...」

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なるほど。ただ、なぜ「私にものを見る力がないのではなく、説明不足の相手が悪い!」という解釈をするのか? 考えた。それは今は僕らの子供時代以上に管理教育が進んでいる。やるべきことは教師や親から指示される。宿題をしろ。勉強をしろ。教室では静かにしろ。寄り道をしないで帰れ。それをやらないと厳しく注意される。

言われたことさえしていれば問題はない。つまり、考える必要がない。自分で判断しない。なぜ、この学科を勉強するのか? なぜ、この宿題が出るのか? なぜ、こんな規則があるのか? 考えない。背景を想像しない。疑問を持たない。

駅のホームに立てば「電車が来ます。白線まで下がって下さい」とアナウンスがある。ショッピングセンターでは「エスカレーターから乗り出して顔や手を出さないでください」と館内放送。そんな環境で育った子たち。考える力はない。映画には伏線がある。伏線というのはナレーションで

「この主人公は銃マニアである。部屋にはモデルガンが飾られている。大きな伏線になるので覚えておいてほしい」

なんて説明はない。伏線というのはそれとなく描くもの。だから、見逃しがち。若い子は気づかない。展開がある。伏線が生きる。が、伏線に気づいていないので分からない。「なんで、こうなるの? 何の説明もなかった。この映画おかしい!」となる。

言われないと気づかない。管理教育が行き届いた中で育った結果ではないか? もう一つの悲しい背景がある。人を批判すると、自分が偉くなった気がするものだ。優越感を感じる。次第に上から目線になる。

「俺には分かるんだよ。そんなことじゃダメだろ?」

その誇らしい気持ちを伝えたくて、感想を映画サイトに書き込む。「俺って凄いだろう?」そんな思いを込めて。日頃、誰にも褒められない人たちがいる。彼らは必要とされないダメ自分から逃れ、自分の優秀さを誇るためにコメントする。

だから映画レビューはその手のコメントが多い。が、そのほとんどは勘違い、見る力がない人たち。多くは厳しい管理教育で育った人たちだろう。それが映画レビューに「突っ込みどころ満載!」「唐突な展開!」「捻りがない!」などと、ワンパターンの表現で勘違いなコメントを書き込む人たちの背景だと思える。(2019年の記事より改定)


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詰まらぬ批判に心を痛める必要はない。声なき声があなたを応援している [MyOpinion]

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詰まらぬ批判に心を痛める必要はない。声なき声があなたを応援している


Facebookやブログをやっていると、いろんな人からコメントやメッセージが来る。「原発はすでに収束したというある女性」というタイトルで記事を書くと「男性だって、そう思っている人は大勢います。女性蔑視です!」というコメントが来た。「あなたは何も分かっていませんね。なので注意しておきますが!」てなコメントもくる。記事の意味やテーマを理解せず、批判している人は困る。

この種の人たちは一体、どんな生活をし、どんな思考をしているのか? 調べてみた。プロフィールや写真を確認する。決して頭のおかしい人たちではなく、通常の生活をしていた。決まった仕事を持ち、まじめに働いている。性格も温厚のようだ。

ただ、思い込みが激しく。自分を客観的に見れないところがある「何、偉そうに!」とか「そうとは限らないだろう?」と思ってコメントしてくるようだ。でも、多くはわざわざそんな批判のコメントをしない。その人達の「労力」はいったいどこから来るのか? 正義感とかまじめさ。或いは「俺がいって上げないと!」という「義務感」や「思いやり」(?)

頻繁にそんなコメントやダイレクトメッセージが来た時期があり、Facebookは止めようか?と思ったことがある。的外れの文句を言われるために記事を書くことに意味があるのか? そして「Facebookはやめ!」と休止と決めて、宣言したとき、一通のコメントをもらった。

「いつも記事を楽しみにしています。監督の文章には気づかなかった指摘や情報があり。毎回、なるほどと思います。でも、今までコメントしたことはありません。が、Facebookをやめるかも?との記事を読み残念に思っています。いろいろご事情もあり、心ない批判も多いことも聞いております。続けてくださいとは言えませんが、またFacebookを再開されること楽しみに、お待ちしています」

もう、何年か前になるが、そんなコメントをもらい、あーそういう人もいるのだと思った。人は見えるものに囚われ、悩んだり、傷ついたり、絶望したりするけど、実は多くの声なき声が応援、支持してくれていることに気づいた。批判否定してくるのは極々一部の人たちでしかないこと。気づいた。

サイレント・マジョリティがいて、多くの支持者がいることに、そのとき気づいた。僕だけの話ではない。きっとあなたも同じ。多くの人があなたを見つめている。あなたの言葉に共感している。詰まらぬ批判や中傷は受け流そう。声なき声がきっと、あなたを応援している。


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