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回復に向かっています=目眩が軽減。感謝。 [2020]

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回復に向かっています=目眩が軽減。感謝。

1週間、Facebookを休ませてもらった。理由はめまいが頻発したこと。かなり軽減したが、よくなるとTwitterをしたり、他のサイトで書いたりしてしまい、なかなかじっとしていられない。するとまた目眩が頻発。ついに医者に行った。耳鼻科では特に異常は見つからず、一番疑ったメニエール病ではなかった。診断によるとストレスにより血圧が異常に高くなっているので、それが原因ではないか?とのこと。

ただ、血圧が高いのはかなり前から、問題ある人たちと仕事すると、イライラの連続。特にこの数年、仕事をした組織は何度も殴り込みに行ってやろうと思うほど、無神経極まりないところで、血圧は危険値となった。今もまた、コロナ問題でキャンセル、延期になる仕事が続き、これも大きなストレスになっているのか?

そのせいで血圧が高くなり、めまいを引き起こしている? 医者の推理はそうだ。が、それならこの数年間、イライラがもっと凄かった時期にもめまいが起こったはずだが、それはなかった。原因は別ではないか?と考える。

この2ヶ月。調べ作業。「戦争」「原発」の勉強。パソコン、本、映画、DVD、テレビ、漫画、iPadで作業。どれも目に悪いものばかり。朝、起きてから寝るまでパソコン。風呂、トイレ、食事中はiPad。パソコン前にいないときはテレビ前から映画館。あとは読書。これでは眼精疲労が当然。「コロナウイルスが終息するまでが勝負!」と時間を惜しんで勉強していた。土日、祭日関係なし。

これまでにない作業時間。おまけに年齢的な問題。そのために視神経が限界を超えて、めまいを起こしたのではないか?体が悲鳴を上げて、警告しているのだろう。それが原因だと思える。この1週間。できる限りパソコン。iPadを見ないようにした。完全にめまいは止まっていないが、かなり少なくなった。

ご心配いただいたが、いい方向に向かっている。が、ここで無理せずに、徐々に作業も再開していきたい。Facebook記事も少なめに出していく。アップしない日もあると思うが、回復に向かっているので、ご心配なく。多くの方からお見舞いコメントを頂いた。感謝しています。



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日本の戦争映画を見ていると「日本人は被害者だ」的な描き方をしている作品が多い理由? [戦争について]

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日本の戦争映画を見ていると「日本人は被害者だ」的な描き方をしている作品が多い理由?

戦争というと太平洋戦争をイメージしがちだが、その前に日中戦争がある。それはまさに侵略戦争。理由は昭和不況を打破するために中国大陸に進出。さらに「大東亜共栄園」=アジアが共栄するという名目での日本の支配を目論んだ。

それを阻止するためにABC包囲網がなされ、太平洋戦争に突入する。その部分だけを見て「あれは自衛の戦争だった」と正当化する人たちがいる。が、その前の日中戦争を海外から見れば日本のアジア侵略を止めるためということになる。ただ、アメリカやイギリスもそう言いながらも、同じように植民地を増やすための名目。その意味で、どの国が正しかったか?とは言えない時代だと思える。

いずれの国も「正義」の戦争を謳い。日本は「アジアの解放」のと叫ぶ。後になれば「自衛のため」とまで言いだす。それから75年。にも関わらず戦後、日本で作られた戦争映画は「日本人は被害者だ」というものが多い。沖縄戦を題材にした数少ない映画の一つ「ひめゆりの塔」もアメリカ軍に酷い目にあった女子学徒の物語のように描かれている。もちろん、自主解散を言い渡されたり、軍の無責任さも伝えるが、一番は女子学徒の悲劇だ。

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原爆を扱った映画も同様。もちろん、女子学徒も原爆で犠牲になった人たちも罪はない。だが、日本映画はその種のものがほとんどで、日本側の罪を描く作品が少ない。そもそも、多くの日本人が犠牲になっなったのは、軍が無謀な戦いを始めたからだ。そこを描く作品は非常に少ない。軍人が主人公のものだと、山本五十六がメインとなり、「本当は戦争したくなかったんだけど...」という苦悩する英雄物語になる。本当に悪い奴。責任ある奴を描くことが少ない。

理由は2つ考えられる。1つは悲劇の方が客が喜ぶということ。泣ける。感動する。儲かる。戦争責任を問う重い映画を作ってもヒットしづらい。日本人として見ていて辛い。加害者と言われるより、哀れな被害者でいる方がいいという感覚もあるだろう。それと戦争責任を問うといろいろ困る人たちがいるという事情。それら関係者は最近まで生きていたし、その子供、孫が今も権力を持つ立場にいる。過去のことは掘り起こして欲しくないということもあるだろう。

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さらに言えば、もう一度戦争をしたい!という人たちからすると、「先の戦争は日本は悪くない。被害者だった」としておいた方が都合がいい。戦争に対する罪悪感を持たずに済む。でも、それは同じ過ちを繰り返す土壌も生まれる。そんな背景もあるのか?日本が加害者であるという映画は非常に少なく、責任を追及する作品も僅かだ。

それと似た構図なのが現在公開中の「Fukushima50」である。加害者であり、責任者である東電の職員たちを被害者として描き、英雄的活躍を賞賛するもの。一番の被害者である住民のことは僅かしか描かない。まさに戦争映画と同じすり替えや脚色で作られた映画だった。「日本を救ったのは東電の職員!」「日本を守ったのは兵隊さんたち」という拡大解釈をアピールすることで何を求めているのか? どちらも危険なものを感じる。


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静岡茶生活。続行中。コロナに効くかも?! [2020]

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静岡茶生活。続行中。コロナに効くかも?!

僕の前作「明日にかける橋 1989年の想い出」の製作が決定した時。今日から毎日、ロケ地である静岡のお茶(それもロケ地周辺の)を飲むと決めた。それが2017年。今年の3月でちょうど3年だ。先日、その静岡茶が切れて、しばらくは粉末のお茶で繋いでいたのだが、ようやく買うことができた。

今回は掛川茶。ロケ地からは外れるが、すぐお隣の町。というか、なかなかロケ地である袋井、磐田、森町のお茶が東京では手に入らない。いや、ある場所まで行けばあるが、なかなかそこまで行けない。が、掛川茶は近所のスーパーで手に入る。「おーい、お茶」だけは嫌なので、ちゃんと袋に入ったものを急須で入れる。

コロナウイルス感染爆発のようだが、日本茶が意外に予防になるのでは?とか思い、本日からまたしっかりと飲むことにする。


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ヒトラーを単なる悪役として描いても真実は見えない。その背景にあるものを知りたい。 [戦争について]

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ヒトラーを単なる悪役として描いても真実は見えない。その背景にあるものを知りたい。

オウム真理教事件の当時、大衆食堂で飯を食いながらテレビ報道を見ていると、隣の席でビールを飲むおじさんが声を荒げた。「許せねえなあ。麻原というやつ!俺にも一発殴らせろよ」それはおかしい。彼の友達や家族がサリン事件で被害を受けたのだとしても、麻原を殴る資格も権利もない。それは単なる暴力行為。オウムが罪のない人を傷つけるのと同レベル。

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しかし、多くの視聴者はそんな風に怒りを駆り立てられ「オウム許せない」と批判した。それがオウムを内側から描いたドキュメンタリー「A」を見て、意外な事実を目の当たりにした。広報担当の信者をカメラが追い続けるのだが、彼はサリン事件については何も知らず、純粋に信仰していたことが分かる。そんな彼に対してもオウム信者ということで批判、バッシングを受ける。暴行もされる。マスコミや警察が汚い手を使い、信者を陥れる。

また、オウムと地域住民が仲良くしている町の紹介もある。テレビカメラも多数、その町で待機しているのだが、撮影しようとしない。信者と住民が揉めた時にだけ急ぎカメラを回し始める。「オウムは悪役でなければならない」「極悪非道でないとだめ」「住民と仲良くするなんてありえない」という設定ができているのだ。悪役に同情できる事情をマスコミは紹介しない。ワイドショーだけでなく、報道番組も同様。

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現在公開中の映画「Fukushima50」もその手を使っている。「悪いのは東電ではない、彼らは日本を救った英雄」という設定で描いている。だから、菅直人総理が怒鳴っているところばかり描く。見ていると事故対応の邪魔をしているように思える。「そうか、問題は総理だったんだ」と観客を誘導。嘘まで交えて悪者にしている。彼が怒鳴るに至る経過はカット。だから、感情的な嫌な奴に見える。そのことで映画では東電職員が英雄。菅直人が悪役にしてしまう。事実とは反対だが、映画ではそれができる。

もし、同じ手法をハリウッドの映画人たちが使い、ヒトラーを描いているとしたら? ヒトラーが正義の人だとは言わないが、映画の彼は感情的で、冷酷で、残忍な悪の化身のように描かれている。本当にそうだったのか? 脚色はないのか?「F50」と同様に必要な経過をカットしていないか?隠していないか?と思ってしまう。

酷い目にあったユダヤ系の人たちの血を引く映画人たち。スピルバーグらは「ヒトラーは悪」でなければならないだろう。でも、その裏を解明しなければ、本当に意味で「戦争」が見えて来ないと思える。なぜ、彼が暴走したか? 独裁者となったか?を知りたい。


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「熱くならない。批判しない」=糸井イズム。80年代に影響された若者たちが今も! [MyOpinion]

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「熱くならない。批判しない」=糸井イズム。80年代に影響された若者たちが今も!

先日書いた「糸井イズム」ー「熱くならない。批判しない」がカッコいいと80年代に若者に浸透させたのが、コピーライターの糸井重里。「政治?興味ないなあ」がクールだぜーと僕も当時は感じていた。が、そのことで日本人は政治に関心をなくし、政治家たちは身勝手なことができて、日本はこんな国になった。多くの読者から「腑に落ちた」「目から鱗」というコメント多数。また、別のことにも気づいた。

以前に書いたが、ある先輩から「Facebookに愚痴を書くな!」と叱られたことがある。愚痴ではない。批評であり、批判だ。それを先輩は愚痴と解釈した。「愚痴」=言っても仕方のないことを言うこと。「批判、批評」=問題点を挙げて、その理由を考えること。そこから解決策や代案を導き出すためのものだ。が、それを先輩は「愚痴だ」と決めつける。

政治家を批判したり、事件のことをFacebookに書くと注意してくる人たちもいる。「他人を批判するべきではないよ」と軽蔑している感もある。こんな人もいる「俺は人の悪口は言わない主義だ」「人の悪口を言う奴は最低だ」「政治の話はしない」「政治の話をする奴は偏っている」等々。まとめると「批判するのは恥ずかしいこと」に集約できる。

「悪口」=「批判」=「愚痴」=「文句」は同じものだと、解釈している。先輩もそうだし、世間でも、その手の人は多い。嫌なことがあっても我慢。文句は言わない。耐える。それがカッコイイ。しかし、「悪口」「愚痴」と「批判」「批評」は別物だ。20年近くも不況が続くのは政治が悪いからだ。それを批判することがなぜ、いけないのか? 企業は莫大な額を貯めこんでいるのに、それを社員に還元しない。それを批判して何が悪い?

が、多くの人に糸井イズムが浸透していて、批判=文句=愚痴=カッコ悪いと思い込んでいる。「文句を言わない」「愚痴を言わない」さらに「批判しない」「批評しない」だから我慢する。黙っている。それってカッコいい?喜ぶのは政府と企業ばかり。それは何をされても文句を言わない、子羊のような国民と言うこと。

批判どころか、意見を言わない日本人も多い。あれこれ考えると、何か言いたくなる。だから考えない。意見が言えなくなる。批判もしない。それはもうアホ。人間であることをやめている。でも、「考えない」=「批判しない」=「カッコイイ」に結び付けてしまうのが糸井イズム。それで多くの若者が何も考えず、批判もしなくなった。

つまり、支配者側にめちゃめちゃ都合のいい仔羊ちゃんたち。国民は何も考えるな、意見を言うな、批判をするな、ただ従えばイイ。それを推進したのが糸井イズム。実はこれ、ある種の新興宗教が使う洗脳と同じ。オウムでも、どこでもやっている。様々な教義や修行で信者の考える力を奪い。教祖の言うことだけを聞くように洗脳する。だからオウム信者はサリンを平気で巻いた。会社員は安月給で過労死するまで働く。一昨日、糸井さんはこんなツイートをした。

「人間は、たぶんとても弱いのだ。いまこの時期の、人びとのこころには、『自由は苦しい、制約を決めてくれ』という願いが、そこはかとなく漂っているような気がする」



ー怖い。「管理され、命令され、従えば楽だよ」「何も考えずに支配されなさい」と言っているのだ。んー確信犯だったのか...。日本人の急務は糸井イズムからの脱去だろう。その真逆で生きているのが山本太郎だ。熱くなる。そして批判する。その考え方こそがこれからの日本を築く。

前回の記事=>https://cinemacinema.blog.ss-blog.jp/2020-03-11



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80年代に憧れたのは「糸井イズム」今、必要なのは「太郎イズム」=若者はこうして政治から興味をなくした? [MyOpinion]

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80年代に憧れたのは「糸井イズム」今、必要なのは「太郎イズム」=若者はこうして政治から興味をなくした?

糸井重里さんは80年代。僕らの世代のヒーロー的存在だった。何よりコピーライターという新しいカッコいい仕事を認知、広めたた人だ。パルコの「おいしい生活」ウッディアレンを起用したCMが話題になったが、あのコピーが糸井さんである。

本人が出演、当時の人気女優・石原真理子と共演したポカリスエットのCM。NHKの若者向け番組「YOU」の司会。また、矢沢永吉の「成り上がり」も彼がインタビューし、まとめた本。彼は80年代の若者の憧れであり、オピニオンリーダーだった。その後、美人女優と結婚。金も、名誉も、美女も手に入れ、若い世代は「彼みたいになりたい!」と多くがコピーライターを目指した。

「渋谷で石を投げればコピーライター志望に当たる」

と言われたほど。が、そんな彼が近年、コピーライター業を辞め「ほぼ日刊イトイ新聞」の発行をするようになってから、批判されるのをよく聞く。過去に彼が作ったコピー「まず総理から」ー戦争を揶揄した有名なものだが、「あれは無理やり書かされた」というような言い訳をしているとの話。また、今回も「Fukushima50」を「2時間ずっと泣いていた」という絶賛のツイートを出して炎上するなど。体制寄りの発言が目立つ。

友人に聞くと、あの新聞は政府がスポンサーだとかで、批判的なことを言えない立場らしい。もともと、コピーライターというのは企業をヨイショする仕事。「裏切った」とかいうことではない。が、先に紹介したツイートを見て、80年代から引っかかっていたものが解明。僕は糸井さんを個人的には知らないし、嫌いではない。が、なぜか引っかかるものがあった。その理由が分かった。

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ある方のツイート。「批判せず、熱くならないのがカッコいい」というのが彼のスタイルと指摘。なるほどと思えた。それが80年代。特に僕ら20歳前後の若者に受けた。僕らの上が「スポ根世代」涙と汗と努力!で、勉強もスポーツも頑張ろう!」というスタイル。その上が全共闘世代。いずれも一生懸命。でも、そんな人たちが頑張り、経済大国日本を築いた。

なのに戦争を知らない、貧しさを知らない僕らの世代は、オヤジたちを見て、汗と涙はカッコ悪いと感じた。そのくせにオヤジたちが築いた経済大国を謳歌した。渋谷や六本木に行き、都会暮らしを満喫。「汗まみれになる仕事は嫌だ。カッコ悪い」そんな時に登場したの糸井重里。「批判せず、熱くならないのがカッコいい」ー共感した。「批判せず」というのは政治のこと。だから、僕らの世代は「政治なんか興味ないねー」はカッコいいと思っていた。

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でも、それでは政治家たちの思う壺。そのために日本は水面下で大いなる搾取の国になって行く。が、経済が伸びていた頃はまだ弊害がなかった。「熱くならない。汗を流さない」で行けた。だからペン1本で短い文を書いて人気者になれるコピーライターに憧れる。もちろん、本当はそんな簡単な仕事じゃない。けど、若者たちはそこまで知らない。同じ理由で大手企業に就職したい。恥ずかしくない会社で働きたい。カッコよく生きたい。

DCブランドがブームもその頃。一流ブランドを着るだけで自分も一流になった気分になる。熱くならず、汗をかかず、カッコよく生きる。そんな若者たちの思いを体現したのが糸井重里だったのだ。決してモデルのようなイケメンではないが「あのくらいなら俺も行けるかも?」と思わせる。テレビやCMで活躍。若者の憧れ。リッチでカッコいい!そして文化人!

が、彼は非常に努力家だと聞く。一行のコピーのために電話帳何冊分の厚さの企画書を書く。でも、若者たちはそれを知らない。表面だけに憧れる。また、糸井さん自身も熱くなり戦う人ではなかったと思える。政権が戦争をしたがれば、察して「あのコピーは無理やり書かされた」といい、思想操作する危険な原発映画を褒める。まさに「批判せず」だ。先のツイッターにさらに綴っていること「いじめを黙認する先生」なのだ。

そんな日本は不況が20年近くも続き、アジアの貧困国に落ちぶれる。もう「批判せず、熱くならないのがカッコいい」なんて言ってられない。単に政治に利用されている都合のいいだけの存在だ。糸井重里が意図したか、時代がそうさせたかは分からないが、熱くならない、批判しない生き方に憧れた日本人たちが、政治家を野放しにして、この国をダメにしたのだ。

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しかし、ようやく、それに気づく人たちが現れる。「批判し、熱くなるのがカッコいい」それがまさに山本太郎なのだ。ただ、糸井世代は今もそれがカッコ悪いと感じてしまう。否定し、認めようとしない。糸井イズムから抜け出せない。が、今の時代に必要なのは太郎イズム。批判し、熱くならないと、政治家たちに利用され、搾取され、さらなる貧困へと突き落とされる。れいわ新選組人気。日本人はようやくそこに気づき始めたのだと思える。



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休養しますが、コロナでないので心配無用。 [2020]

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休養しますが、コロナでないので心配無用。

目眩。かなり酷いので、いろいろ調べてみた。また、多くの方からコメントを頂いた。感謝。あれこれ考えて、パソコン作業がかなりの長時間。その他の時間は読書。iPad。映画。テレビと映像と活字を見続けている。こんな日々がもう2ヶ月以上続いている。今は「戦争」「原発事故 その後」について調べているが、1日も休んでいない。1日に15時間ほど作業。目の神経が限界を超えているようだ。

そのためにめまいが起き、まっすぐに歩けないこともある。もう一つの原因がストレス。ブログには書かないが、コロナで中止になったイベントがいくつもある。あまりにも愚かな人たちがいて足を引っ張られる。無神経な批判をして来る人もいる。いい加減うんざりして、距離を置いた友人。アホな団体に何年もイライラさせられている。まあ、ストレス値も高い。そんなことも災い。

でも、コロナ騒動の間にバンバン勉強して....と休みなしに長時間働いていたので、とうとう目の神経が参ってしまったのだ。いろんな方からのアドバイスにもあったが、一番の対策は休養。

が、休養と言っても映画もテレビもパソコンもダメだと何をすればいいのか? コロナ感染拡大の時期に旅行にも行けない。でも、まずは休養と昨日、午後6時に横になると、寝てしまい、起きたのは午前7時。この歳で13時間も寝てしまった! これはかなり疲れている。自覚症状なかったけど。やはり、目だけでなく体が疲れているのだろう。

しばらくの間、Facebook記事を減らす。パソコンとiPadが一番、目に悪いようだ。アップしない日もあるだろう。「監督、コロナで死んだのかも?」とは思わないでほしい。咳も熱もないので、コロナではない。いつもの過労に近い、働き過ぎ。だから、数日間の休養だ。


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「男組」40年ぶりに読んだ。1970年代の作品とは思えないクオリティ! [2020]

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「男組」40年ぶりに読んだ。1970年代の作品とは思えないクオリティ!

神竜が幽閉されるまではしっかり覚えていたが、40年前に読んだ漫画。その後はウル覚え。でも、ラストシーンは明快に記憶していた。好きで読んだもの。観たものは覚えているものだ。

さて、読み終わり感じたのは、原作の雁屋哲は「美味しんぼ」の作家とは思えないほどの硬派で社会派。いや、その精神や思いは「美味しんぼ」にも引き継がれていること感じる。影の総理の経歴は児玉誉士夫や笹川良一そのもの。神竜がやろうとしているのは、まさに日本の教育システムの延長線。大衆はブタだ。と言うのは彼が悪役であるからと言うことではなく、まさにある真実を言い当てている。

流全次郎が命がけで学園を守ろうとしているのに、何度も裏切る生徒たちはまさに日本国民だ。「神竜は酷い」と言いながら、恐怖に直面すると神竜側に擦り寄る。自民党と国民そのもの。その意味で主人公の流は山本太郎にさえ見える。また、これは親と子の物語でもある。全次郎と父。神竜と影の総理。父と子。この構図は「美味しんぼ」の士郎と海原雄山と同じだ。

流が掲げる理想。その精神は原作者の雁屋哲自身のものであり、それは「美味しんぼ」の「福島の真実」に引き継がれている。国民を操り、支配する影の総理と、原子力ムラは同じような存在なのだ。流が物語でやり遂げようとしたことを、雁屋哲は「美味しんぼ」でやろうとしたのだ。

1970年代後半。似たタイプの劇画で「愛と誠」があったが、「男組」の方が強い印象が残ったのはそんな社会派ドラマであったことが理由だと思える。そして「愛と誠」が人気が出たら延長という形で連載されていたので、物語が進むとより強い敵が現れるお馴染みのパターンで描かれいた。対して「男組」は敵は最初から神竜剛二。少し後に存在が現れる影の総理だけである。

さらに、あの長い物語にも関わらず、第1回から伏線が貼られていて、それが数年後に訪れる最終回で生かされる。他にもいくつもの謎があり、それは最初から設定されている。つまり、複雑な背景設定は連載開始時から作り上げていたということ。もし、人気がなく打ち切りとなると、それらは回収されずに終わったのか? 当時も今も、そこまで計算され、背景が作られた作品は少ないだろう。

神竜も単なる悪人ではなく、日本を動かす支配者たちの存在は今も通用する。というか、現政権を思わせる


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戦後75年。今も騙され続ける日本人=「Fukushima50」にダマされてはいけない。 [Fukushima50を検証]

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戦後75年。今も騙され続ける日本人=「Fukushima50」にダマされてはいけない。


「Fukushima50」を見て「感動した!」「事故を止めるために頑張った50人がいたなんて知らなかった!」「涙が止まらなかった!」という感想をネットで見かける。悲しい。でも、原発事故の詳細を知らなければ当然であり、そう思うように誘導する巧妙な映画である。

「映画はフィクションだから、目くじら立てなくても」という人もいるが、あの作品は冒頭に「真実の物語」と表示し、エンディングにも「この作品はフィクションであり...」というテロップは出さない。宣伝でもチラシ、ポスターには「映画だから語れる。真実の物語」と書かれている。製作サイドは「ノンフィクション。事実である」という姿勢なのだ。にも関わらず、いくつもの嘘を事実のように描いている。

事実を歪めることで「事故は天災によるもの!」「混乱させたのは菅総理と民主党政権!」「吉田所長と50人は命がけで頑張った!」「彼らが日本を救った!」と伝える。福島県民が受けた被害、その後の惨状もほとんど描かず、事故はすでに終息したかのような演出。

事実は事故=人災。大津波は何年も前から予見され、対策を東電は迫れられていたが、安倍総理が第一次内閣時代に「全電源喪失はあり得ない」と対策を講じず。吉田所長も津波は専門ではないのに「大津波は来ない」と対策を握りつぶした。そこは映画では描かれていない。だから自然災害の見えてしまう。映画は意図的に事実の隠蔽を行い、嘘を描く確信犯なのだ。

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事故原因を災害と描くことで「東電の責任はない。むしろ日本を救ったのが東電社員なのだ!」という嘘の物語が出来上がる。詳細を知らないと、騙され誘導されるのは当然。そして「感動した!」「泣けた!」とコメントして、「東電は責任がない。吉田所長と50人が日本を救った。事故は終息した。よかったよかった!」と思ってしまう。そこに誘導するプロパガンダ映画なのだ。

同じ手法を使って若者を戦場に送ったのが太平洋戦争。「日本を守るため」「お国のために死ぬのが名誉」嘘と誘導で洗脳された多くの日本人が進んで戦争に行き、犠牲となった。また、近年はその酷い戦争を美化。再び「あれは日本を守るための戦いだった」「戦死者は英霊だ」「彼らが日本を守った」という人たちがいる。それにまた乗せられる若者も多い。現政権は再び戦争をしたいと考えている。そのためのアピールだ。

もう、騙されるのはやめよう。物事を見抜く目を育てよう。これはニュースも同じ。NHKはすでに大本営発表。民放もほぼ同じ。一部の金持ちと政治家が都合のいいように国民を誘導するツールなのだ。彼らは事実と嘘を混ぜて、巧妙にコントロールしてくる。疑ってかかれ。嘘を見抜け。彼らに利用されるのは終わりにしよう。


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コロナの死者予想。計算してみた=日本で130万人!!!まじか? [コロナウイルス]

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コロナの死者予想。計算してみた=日本で130万人!!!まじか?

「コロナウイルスに感染した場合。100人中80人は軽症。15人が重症。5人が死亡」という比率であること、伝えられている。それだけ聞けば大したことはないように思える。そこで1万人感染で計算してみた。8千人が軽症。1500人が重症。500人が死亡。

次に、インフルエンザと比較してみる。厚労省のHPで見ると2018年第18シーズンのインフルエンザ患者数が約2,209万人。もし、コロナが同じだけの感染者を出した場合で計算してみよう。2000万人として、1600万人は軽症。約270万人が重症。残り約130万人が死亡となる。

死者130万人.....。

もし、2018年のインフルエンザと同じだけの患者数が出たら、コロナで130万人が死ぬことになる! テレビでは死亡率は低いと報道するので、僕も鵜呑みにしていたが、130万人が死ぬ可能性もあるということ。アメリカが映画館やブロードウェイを閉鎖するのも理解できる。少し前まで大げさな!と思っていたが、アメリカという国は危機管理がしっかりしている。その国がそこまでやるなら、何かある?と思っていたが、そういうことなのだろう。

では、日本はどうか? PCR検査さえなかなか進まない状況。オリンピックを中止させないように、患者数が少ないように見せかけ、対応が迅速なので患者数が数ないとアピールしたいため。そのことでより感染が広がり、より多くの患者が増える。その中の5%が死亡。2018年のインフルエンザと同規模なら130万人が死ぬことになる。

これは凄いこと。だが、国民の危機感はまだ高くない。毎日、満員電車で通勤? さあ、どうなってしまうのか? 太平洋戦争、東日本大震災以来の未曾有の危機と言えるかもしれない。ちなみに東日本大震災では2016年2月10日現在、警察庁がまとめたところによると、死者1万5,894人。その130倍がコロナの犠牲になることになる。


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