一昨日、新宿で風景撮り。これが結構、堪えた? [「沖縄狂想曲」]
一昨日、新宿で風景撮り。これが結構、堪えた?
喘息は悪化していないが、まだまだ体力が回復していないことを痛感。自宅から新宿まで2時間。電車移動は階段を上がったり降りたりの連続。呼吸器に異常があるので、息がしづらく。階段を上がるのが苦しい。また、何週間も自宅入院生活が続いているので体力も低下。病み上がりでマラソン参加!のような感じだった。
昨日、今日と体調が良くない。呼吸もしづらい。と言っても、悪化ではなく疲れだろう。数日、休めば自宅で行動するのは問題ない程度まで回復するはず。
あと、この数日、新宿行き以前から熟睡できない。「もう少し寝たい」と思うところで目が覚める。年齢のせいか? そのために疲れが取れないのだろう。食事はしっかりとっている。薬も飲んでいるので発作は抑えられている。あとは睡眠か?
今日1日、養生して、月曜からは仕事を再開したい。
お勧めの戦争映画 「激動の昭和史ー軍閥」 [戦争について]
終戦(敗戦)記念日に見て欲しい戦争映画❸ 激動の昭和史ー軍閥
以前にも挙げたお勧めの映画。「軍旗はためクシタニ」「大日本帝国」ともにタイトルが好戦映画のようだが、いずれも「日本は素晴らしい」「よく戦った」という内容ではなく、政府や軍の愚かさを強く批判したものだ。
この映画は最初、延々と軍事会議を紹介するので、太平洋戦争をよく知らない人には分かりづらいものがある。が、後半戦で加山雄三扮する若手新聞記者の話になると俄然、面白くなる。社名も「毎日新聞」と実際の新聞社で登場。
というのは戦時中のマスコミは(今も同様だが)大本営発表。フェイクニュースを延々と流していた。軍とベッタリで売り上げを上げたのが朝日新聞。それまで国内でナンバー1の売り上げを誇っていたのは毎日新聞なのだ。その毎日の記者が大本営に逆らう記事を出す。
そのことで記者に赤紙が届く。その後の展開がまさに安倍政権時代を思い出す酷いもの。日本政府は戦中と変わらぬことも感じる。そんな綺麗事ではない戦争を描いた異色の1編がこの映画。敗戦記念日に見るにふさわしい。あの岡本喜八監督の「激動の昭和史ー沖縄決戦」と同じ「激動の昭和史」シリーズである。
日本の戦争映画が描かなかったもの=それこそが国民を誘導する国策のメカニズム? [再掲載]
日本の戦争映画が描かなかったもの=それこそが国民を誘導する国策のメカニズム?
日本の戦争映画。多くはこう訴える。「戦争はいけない! 悲劇を繰り返してはならない」それは間違っていないが、映画を見ていると「多くの日本人が死んだ。この悲劇を繰り返してはいけない」=「だから戦争反対!」と言っているように思える。
その犠牲者の多くはアメリカ軍に殺されたもの。その追求はほとんどされない。「米軍が悪い」より「軍部の暴走」を強調する。悪いのはアメリカではなく、軍部だと言いたいかのようだ。そして「多くの日本人が犠牲になった。そんな戦争を繰り返してはいけない」と伝える。その背景や構図はあまり描かれず、多くの日本映画はそこで、まとまってしまう。
簡単にいうとアメリカへの配慮。悪役にしたくない、クレームをつけられたくないという思いが、敵を描かない戦争を映画にしていたのだ。また、アメリカ軍による虐殺を描いても、憎しみを掻き立てるだけ。あえて描かないということもあるはずだ。その結果、戦場でどこからともなく弾が飛んで来て、日本人が死んで行くという、加害者のいない自然災害のような戦争映画になってしまったのだろう。
そして「多くの日本人が犠牲になった。悲劇を繰り返してはいけない」というのなら、「戦争に勝ち日本人の犠牲が少なければ、戦争を続けてもいい!」という風にも聞こえてしまう。つまり、多くの日本人が死んだから戦争はいけないーとなる。犠牲者の数だけなく、その背景を見つめるべきなのに「多くの人が死んだから」ということに集約してしまい、おかしな主張になってしまったのだ。
最終的には「戦争はいけない」と、責任を「戦争」に押し付けたものが日本映画には多い。「戦争が悪い」と言っても誰もクレームをつけないからだ。そんな風にあちこちに気を配り、忖度したので、戦争の実態や背景が描けなかったのだろう。
ただ、戦後。バブル崩壊辺りまではそれで良かった。日本人の多くが戦争を経験しており「繰り返してはいけない!」と感じていたからだ。それが近年は戦争を知らない世代が主流になり、過去の記録を改竄する人たちが現れた。「日本を守るための戦争だった」と美化する。教科書から醜い事実を消し去ろうとする。戦前の空気が漂って来た。戦後76年。もう一度、戦争を考える時ではないか?
日本の戦争映画が描いてこなかった背景を見つめる時期だ。これまで国民は軍部の犠牲者という扱いだったが、国民の多くが積極的に戦争を推進している。その背景にあるものは何か?前面の悲劇しか描かれて来なかったが、その背景やカラクリを見つめることで、戦争の正体が見えてくる。それこそが「悲劇を繰り返さない」に繋がる。
「戦争反対」「戦争はいけない」といくら叫んでも、それを推進した力やメカニズムを知らないままだと、同じ手法で何度でも悲劇は繰り返されるのだ。ここしばらく戦争映画をかなり見て、そんなことを感じた。
「例えどんな理由があろうとも、戦争は許されない!」という人たち?! [再掲載]
戦争反対!と叫ぶだけでは止められない=なぜ、戦争は始まるのか?誰が推進するのか?を考えよう [再掲載]
戦争反対!と叫ぶだけでは止められない=なぜ、戦争は始まるのか?誰が推進するのか?を考えよう
学校の授業で習った歴史がどれほど役に立たないか?を痛感している。年号と事件の内容を暗記するだけ。考えると、太平洋戦争が起こる流れも把握していない。そもそもは日中戦争なのだ。そんな流れを理解しなければ歴史を学んだことにならない。戦争がどのようにして始められるか?はアメリカの戦争を見るとよく分かる。ベトナム戦争は「アメリカの潜水艦が北軍に攻撃された」と言う嘘をきっかけにスタート。
イラク戦争は「イラクは大量破壊兵器を持っている!」と言うデマを信じて始めた(実際に見つかっていない)。太平洋戦争はABCD包囲網で日本を追い詰め、戦争をしなければならないようにして真珠湾を攻撃させた。嘘やデマ。あるいは敵を経済的に追いつめる。そして先に手を出させて開戦というのがパターンのようだ。
無理やり戦争をしている感じがする。子供の頃のイメージではあれこれ国際会議で揉めて、話し合いでは決着がつかず、武力に打って出る。あるいは、国土の拡張、植民地を増やすために武力で侵略すると言うのが戦争だと思っていた。が、アメリカの手法を見ると、戦争こそが目的ではないか? そのためにイチャモンをつけたり、嘘をついたりしているように思える。
あれこれ調べていくと、まさにその通り。先の「領土拡大」「植民地を増やす」と言うことは過去にはあったが、今はむしろ「戦争」そのものが目的になっている。その理由は儲かるから。戦争をすれば戦闘機や戦車、武器、弾薬が必要だ。その種の企業が儲かる。国が大量に買い上げるから。
戦闘関係だけではない。車、衣服、食糧、も軍は大量に買い上げる。最近は禁煙が定着しているが、これまでは大量のマルボロも軍が買い上げ兵士に配給した。だから、戦争をするとマルボロは儲かる。あと、コーラも同様だ。
マスコミも同じ。戦争になると新聞、雑誌が売れる。テレビの視聴率が上がる。軍需産業を含めそれらの企業すべてが儲かる。だから、戦争をやりたがる。調べるとアメリカは10年に1回戦争をしている。そして、最近の戦争は無理やり起こしているような感じがする。儲かるのだから、やらないはずがない。
先の企業が全てグルになったのが軍産複合体。巨額な収入を上げる。そのために戦争をしてくれる政治家を応援する。多額の支援。配慮。それにCIAが参加、お膳立てをする。それがアメリカの戦争ビジネスなのだ。
しかし、日本も同じようなことをしている。日中戦争のきっかけは中国の満鉄を過激派に攻撃されたと言うことで、関東軍が応戦したことから始まる。が、戦争を起こすための自作自演だった。そこから日中戦争が始まり、満洲建国に進む。そこには昭和不況から脱するためには海外進出して、経済を立て直す必要があったからだ。
こうして見ると、日本も金儲けのために戦争をしていたことが分かる。教科書にも出てきた「財閥解体」と言うのがあるが、なぜ、財閥を解体する必要があったのか?アメリカと同じように財閥と軍が一体となって戦争を進めてきたからだ。危険なのでGHQが解体した。ーでも、復活ー
だが、その辺を日本のメディアはほとんど報じない。映画やドラマでも描かない。唯一「戦争と人間」で財閥の暗躍をつづっている。ハリウッド映画でもほとんどない。先に紹介した大企業が儲かるように、日本でも同じように財閥が軍を支え、儲けに走ったのだろう。日米ともに同じ構図。つまり、戦争は政府や企業が儲かるビジネス。だから、やめられない。安倍内閣が「日本を戦争ができる国に戻した」のも同じ理由。戦争で儲けたい人たち、会社はたくさんある。
その側面を見ずに「戦争反対」「戦争はいけない!」と叫んでも、巨額の宣伝費を使い、マスコミや企業が国民を誘導すれば、太平戦争時と同じく簡単に「欲しがりません。勝つまでは!」と連呼。「これは祖国を守る戦いだ」と言い出すだろう。同じ構図が原発推進であり、オリンピックだ。企業が儲かるので政治家たちはゴリ押しする。国民はいずれ誘導され従う。戦争と同じだ。
戦争はどのように始まるのか?誰が推進するのか? そこを見つめないと、同じ過ちを繰り返すことになる。「戦争反対」だけでは止めることはできない。