沖縄戦は沖縄を守る戦いではなかった?=住民を犠牲にして本土防衛の準備。それが事実。 [再掲載]
沖縄戦は沖縄を守る戦いではなかった?=住民を犠牲にして本土防衛の準備。それが事実。
戦争はいきなり始まらない。国や企業が年月をかけて国民を洗脳、憎しみを掻き立て、国民自ら「戦わなければ!」と思うように誘導して始める。戦争はビジネス。多くの企業が儲かる。
マスコミも儲かる。だから、全面的に協力、サポートする。都合の悪いことは報道しない。ひたすら国民を戦争に突き進むように誘導する。企業が儲かれば政治家たちには莫大な献金が入る。そのことで彼らは権力を拡大できる。より大きな力を持てる。それが戦争だ。
そのために悪の枢軸を仕立て上げる。太平洋戦争時、日本はアメリカを「米英鬼畜」と呼び、アメリカは「リメンバー・パール・ハーバー」と叫んだ。どちらも国民の憎しみを掻き立てるもの。ベトナム戦争でアメリカは「ストップ・ザ・コミュニズム」と叫んだ。「共産主義を止めろ」そのためにアメリカは頑張っているのだと国民に告げた。いずれも単なる建前。戦争をすることで儲かるので推進したのだ。
しかし、イラク戦争あたりからバレて来た。「大量破壊兵器を所持している」と因縁をつけて、アメリカはイラクを攻撃した。日本も小泉総理が「確かな証拠を私も見せられた。賛同する」と支援した。が、大量破壊兵器は出て来なかった。911の黒幕がフセイン大統領という訳でもなかった。
要は無実の国に因縁をつけて戦争を仕掛けただけ。ベトナム戦争でアメリカが参戦するきっかになったトンキン湾事件も同様。「アメリカの潜水艦が撃沈された!」というものだが、それも事実ではなかった。要はありもしない事件を仕立てて戦争を始めた。そして多くの軍需産業が大儲けしした。
アメリカだけではない。日本も同様。「満鉄が中国のパルチザンの攻撃を受けた!」と関東軍が反撃に出たのが日中戦争の始まり。だが、それは関東軍の自作自演。満洲を日本の支配下に置くため。そこから10年に渡る戦争がスタート。やがて太平洋戦争に発展していく。どの国も同じ。「祖国を守るための戦い」とか言いながら、実は金儲けのため。
沖縄戦も同じように信じられない事実がある。近年「沖縄の犠牲の上に日本が守られた」とかいわれるが、違う。日本政府は最初から沖縄を守る気がなく、見捨てていた。沖縄の戦闘を少しでも長くして、時間稼ぎをしている間に本土防衛の準備をする。それが目的。その捨て石になったのが沖縄である。
決戦直前に沖縄在留の32軍の最精鋭部隊を台湾に転属させ、その穴埋めに県民を動員。14歳から70歳までの一般人を様々な形で軍に協力させた。あるいは戦闘に参加させている。さらに、足手まといなるであろう時、住民に自決命令を出し集団自決をさせている。
その他の住民の避難誘導もほとんどなく、軍民一体といい、行動を共にすることで、多くの住民が戦闘の犠牲となった。結果、県民の4人に1日が犠牲となる。日本政府は最初から沖縄県民を守る気はなく、本土防衛しか考えていなかったのだ。
そして今「沖縄の尊い犠牲で本土は守られた」と、どの口がいうのか?いや、確かに沖縄住民が犠牲になっている間に本土防衛を準備。米軍は沖縄の苦戦から本土決戦はさらに危険と感じて上陸作戦ではなく、原子爆弾で決着させようとした。その意味で「沖縄の尊い犠牲で本土の一部が守られた」なら正しいかもしれない。
だが、それを別の意味として使い、沖縄戦の実態を学校で教えない。マスコミもしっかりと伝えない。隠して置きたい。今も沖縄を踏みつけにしている日本人の思いが現れている。「ドキュメンタリー沖縄戦」はその事実を描いた作品である。マスコミも教育も封印する沖縄戦の真実。体験者と専門家のインタビューを中心に、米軍の記録映像を駆使して伝える。ぜひ見てほしい。
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日本の戦争映画。いつまで「私たちは被害者だ」と言い続けるのか?=それでは戦争を止めることはできない。 [再掲載]
日本の戦争映画。いつまで「私たちは被害者だ」と言い続けるのか?=それでは戦争を止めることはできない。
日本の戦争映画。太平洋戦争を描いたものでアメリカ兵が出て来ないものが多い。一つには日本に住む外人で俳優をやっている人が少ない。ということがある。が、それよりも問題はアメリカからクレームがつくことを恐れていると思える。
アメリカ人が日本人を大量に殺害する場面ーそれを描くことで、関係者や政府からクレームを付けられることを避けたいのだろう。また、「多くの日本人がアメリカ兵に殺された!」という映画を作ることで、憎しみを煽る結果になるのも問題。それら理由から日本映画にはアメリカ兵はあまり登場しない。
そのために日本兵がジャングルを進んでいると、どこからともなく銃弾が飛んで来て撃たれる。という描写が多くなる。敵の姿を描かず、遠くから撃ってくるという場面になりがち。観客は敵はアメリカ軍だと分かってはいるが、米兵が引き金を引くシーンや機関銃を乱射する描写はほとんどないので、自然災害で日本人が死んで行くようにさえ見える。
また、昔の日本映画は日本軍の蛮行をしっかり描いていた。戦後の反省があっただろう。軍部の暴走で戦争を推進した側面がある。また、戦後のGHQの政策で日本人に罪の意識を植え付ける政策もあった。アメリカを憎まず。軍部の暴走こそが悲劇を生んだという刷り込みである。ただ、そんな日本軍の蛮行、情け容赦ない行為を描く日本映画はほとんどない。理由は簡単。戦争ができる国を目指す政府に忖度しているのだ。
最近の日本映画は「我々は被害者である」というものが多い。だが、それは同情を求めているようにも見える。「日本軍は勇敢だった。素晴らしかった」「命をかけて日本を守った」というものも多い。それは過去を美化して、汚い事実に目をつぶろうとしているようにも思える。敵国。米軍による殺戮を描かず。誰にやられたのは分からない形で日本人が犠牲になる。未だにそれを踏襲する作品が多い。もちろんアメリカを許すな!ということではない。事実を見極める材料を紹介するということが大事ではないか?
戦後76年「俺たちは犠牲者だ!」「彼らは勇敢だった!」ということに意味があるのか? 戦後すぐ、高度経済成長時には描けなかった部分を今こそ映画を通して伝えるべきではないのか?日本は戦争には負けたが、儲け人たちもいる。財閥もその1つ。負けたにも関わらず、大儲けした個人もいた。A級戦犯に問われながらも、無罪釈放となり、戦後は巨大な力を持ち、黒幕として活躍した人たちもいる。
政界に進出。総理大臣になった者もいる。彼こそが先の総理の爺さんだ。処刑された東條英機は映画で描かれるが、生き延びたA級戦犯は描かれたない。戦争を推進した人たちをクローズアップせず、被害者にばかりカメラを向けて「日本人は犠牲者だ。戦争はいけない」と繰り返している。近年は「あの戦争は日本を守るためのものだった」「多くの犠牲のおかげで日本は守られた!」と言う解釈をする人たちまでいる。
「日本人は犠牲者だ!と哀れな姿を描き、お涙頂戴の戦争映画を作ることに意味があるのか? 今こそ、日米両国の真実を描き、なぜ、あんな戦争をしたのか?続けたのか?それこそを映画で描くべきだと思える。それを伝えることこそが「戦争を止める」に繋がる。「私たちは犠牲者だ」「彼らはよく戦った」では真実は伝わらず、同じ過ちを繰り返すだけだと感じる。
(写真の映画はどれも素晴らしいものばかり。でも、この種の作品が最近は作られていない)
胸がギザギザする? [「沖縄狂想曲」]
気管支の調子が良くない。 [「沖縄狂想曲」]
気管支の調子が良くない。
数日前の新宿風景撮りがいけなかったのか?2日続けて夜の早い時間に寝てしまうし、疲れが溜まっているようだ。昨夜も発作には至らないものの、呼吸がし辛く、空咳が頻発。
体力が落ちる。疲労する。と喘息も悪くなる。これは沖縄取材ラスト二回で証明済だが、まさにそれなのか? しかし、新宿まで行っただけなのに?ただ、電車を使い2時間の距離なので、駅での乗り換えでもかなり歩く、特に階段を上がるのは息が切れる。都会ではそれを避けられない。
昨日も連絡メールを書かねばならないのに、集中できず。FBでの近況報告はしているが、他の人たちへの個別の連絡がまだまだ出来ない。1人1人に気遣い文章を書くので、そのストレスが喘息を悪化させる可能性あり。ま、その種の事務作業が出来ないときは体調が悪いのだ。
どうするべきか?すでに睡眠、食事、薬はしっかり摂っている。おとなしく、寒くないようにして、大人しくしているべきだろうか?しかし、息がし辛い。