波瀾万丈で帰宅?! 1月29日 [「沖縄狂想曲」]
波瀾万丈で帰宅?!
ベッドで横になると咳が出る。いつものようにベッドの上に座ったまま寝ようとするが、しばらくすると咳が出る。以前より悪い。窓を開けて体を冷やすが、寒いとまた寝られない。こんなことがもう6日も続いている。
今回の取材以前。かなり良くなり、電話で1時間話ても1度しか咳が出ないこともあった。なのに前回の繰り返し。どちらも沖縄取材で喘息が出た。信じられない寒さ。夏の疲労困憊から完治せぬまま、仕事再開。取材時の強いストレス。イライラの連続。体力が十分でない上に、精神的な抑圧。それが50年前の喘息を引き戻してしまった。今回も全く同じパターン。
喘息というのはコロナと違いウイルスではない。アレルギーだ。気管支が狭まり、呼吸がしづらくなる。体が温まるとさらに気管が狭まり、咳が止まらなくなる。そして呼吸困難。前回の帰京後に病院に行き、強い薬をもらった。それを10日ほど続けると、横になって寝られるようになる。が、今回の取材では薬を服用していたのに、発作が出た。今までで一番酷い症状だった。原因はやはり体力を越える行動とストレス。
それでなくても呼吸がしづらいのに歩くとさらに苦しい。なのにマスクをしろ!と言って来る奴までいて「窒息死しろというのか!」をいいたくなるが、大きな声を出すと発作が出る。一番大変なのは帰京時。飛行場は広く、かなり歩かねばならない。10歩歩いたら立ち止まって休憩。おまけに「死体が入っているのか!?」と言うくらい重い大型のスーツケース(死体は想像以上に重いらしい)と、機材の入ったデイバッグ。さらに大きな手提げ鞄!
スタッフもいない。1人でそれらを運ばねばならない。広い那覇空港内を移動。咳の発作が出たらコロナと勘違いされて、搭乗拒否もあり得る。説明するにも発作が始めると話せない。そんな感じで羽田まで。夜遅い便なので、すでに交通手段はなく(僻地に住んでいます)空港周辺で1泊。そのホテルに行くのも一苦労。先のスーツケースを持って電車移動。階段を降りたり登ったりは無理。呼吸困難に陥る。
で、荷物をコインロッカーに預けようと空港内を彷徨う。那覇よりさらに羽田は広い!おまけに咳だけでなく目眩も襲ってきた。原因不明だが最近それにも悩まされている。真っ直ぐに歩けない。が、ロッカーがあった!が、大型のケースが入るところはすでに使用中。また、3つの大きな荷物を持って空港内を移動。別のロッカーは一番端にあり、空港を横切る形。そこも一杯なら万事急須。だが、1つだけ空いていた。神様ありがとう!電車の駅は先のロッカーの方向。荷物は1つになったが、それでも歩くと息が切れる。
電車の駅は地下1階。あの大きなスーツケースを持ったまま、上がり下がりは絶対に無理。下車した駅からホテルまで徒歩で20分。こんなことなら駅近で予約すればよかった。東京は寒い。この夜は気温1度。那覇は16度だった。歩くスピードはお年寄り以下。次々に居酒屋帰りのサラリーマンに追い抜かれて行く。ようやくホテル到着。冷え切った体を温めようと風呂へ。ぬるいお湯しか出ない。文句言いたいが、しゃべると咳が出る。
その夜も夜中まで眠れず、横になると咳。取材ツアーの疲れが出て、疲労困憊なのに眠れない。寝たのは夜中過ぎ。もちろん座ったまま。翌朝は昨夜の繰り返し。駅まで戻り、空港へ戻り、コインロッカーに行き荷物取り出す。電車で帰る体力はないので、シャトルバス。これなら最寄駅まで直通。そんなこんなで昼過ぎに帰宅。夕方には眠くなるが、色々あって、寝たのは夜中。寝ようとするとまた咳が出る。以前は横にならなければ咳は出なかったのだが、昨夜は問答無用で咳がやって来た。
緊急の発作止め薬。久々に使ったが、相変わらず効かない。しかし、自宅まで帰り着いた。あとは静養。薬を続ける。取材が終わればストレスは減る。歩き回ることもない。少し休んだら編集再開だ。「ドキュメンタリー沖縄戦」「乙女たちの沖縄戦」に続く、シリーズ第三弾の編集だ。
一番遅い便で帰京。 [「沖縄狂想曲」]
一番遅い便で帰京。
少しでも現地にいる時間を長くし取材するため最終便を選んだ。これが本当に最後の機会。ただ、羽田に着くと深夜で交通手段がない。脱都会生活で僻地に住んでるので、電車もバスも終わったあと。空港周辺で一泊。東京の気温は1度!那覇は16度だったのに。
喘息で気管支が弱り、呼吸がし辛い。少し歩くと息が切れる。さらに重い荷物が3個。空港内を移動するだけでも、何度も休憩。歩いていても、お年寄りに抜かれる。
翌朝。再び空港ヘ。シャトルバスで最寄り駅まで行けるので、バス停まで行けば、あとは何とかなる。が、喘息とは別に最近頻発する目眩が襲って来た。さあどーする?体調不良での追加取材。現地で収まっていた喘息が悪化。まさかや!でも、この取材は行かねばならなかった。成果も上がった。あとは帰るだけ。帰宅できたら、報告。
沖縄取材の思い出ーホテル選びは大事。安いだけではダメ? [「沖縄狂想曲」]
沖縄取材の思い出ー2022 ホテル選びは大事。安いだけではダメ?
現在、製作中のドキュメンタリー映画「沖縄戦」シリーズの第3弾。昨年、何度も沖縄取材を行った。が、大手メジャー会社の依頼ではない。テレビ局がスポンサーでもない。その種の大企業は決して「戦争の悲惨さを伝える」沖縄戦の映画に出資したりはしない。心ある小さな会社が「ぜひ、続編を!」と依頼をくれたのだ。だから潤沢な製作費があるわけではない。「1」の時の約半額だ。節約と合理性が大切。
沖縄で宿泊するホテルもなるべく安いところを選ぶ。写真は取材ツアーパート1で泊まったところ。国際通り沿いにあり、利便性は高いが、かなり問題があった。まず、部屋が狭い。ドアを開け入ると、目の前がベッドという感じ。
安いので当然だが、トランクを開くスペースがない。仕方なしにベットの上で開く。1週間から10日の取材なので機材や資料だけでなく、着替え等の生活用品。お土産もたくさん持って行く。大きなトランクが毎回一杯になる。
荷物の取り出し、整理をするときは、ベッドの上でトランクを広げる。トランクは取材で持ち歩かないのでホテルに置いたまま。必要な中身を取り出して、別のバッグに入れて取材に出る。が、このトランク。寝るときには片付けて部屋の隅に置く。また、翌日、ベッドの上で開き、必要なものを取り出して閉じ、部屋の隅へ。という行為を毎日、何度もせねばならない。
眠い朝からその作業をするのも大変なので、夜の内にしようと思った。が、取材で疲れてホテルに戻ると、バタンQで寝てしまうことが多い。結局、朝。疲れを引きずり、ボケた頭でその日に必要なものを選び、別のバッグに詰める。日によって必要な資料や機材も違う。出発してから「あ、あれ忘れた!」ということも。
つまり、安いホテルに泊まることで、無意味な時間と労力が必要になってしまう。監督である僕の場合でこうなので、技術スタッフはもっと大変。撮影部ならカメラ、三脚、コード、レフ。いろんな機材を持って来ている。外の撮影と室内では機材も違う。また、毎晩、機材の確認やバッテリーの充電もある。僕と同じようにベッドの上でトランクを広げ、同じ作業をしているのだ。早く寝たくても、それを終えないとベッドは塞がっている。
さらに、このホテル。ゴキブリが出る!9階に泊まったのにゴキブリが出た。エレベーターで上がって来たのか?階段で9階まで来たのか?なら、根性あるゴキブリだ。スタッフに超ゴキブリ嫌いの人がいて、大変。そしてエアコン。夏の暑いときに泊まったのだが、三段階しかない。弱、中、強。「弱」にしても冷房が強すぎて、夜中に目が覚める。消して寝ると暑くて寝られない。
そんなことが重なって、僕らは熟睡できず、厳しいスケジュールもあって、日に日に体力消耗。何より沖縄の夏は超暑い!スタッフが全員で飯を食う時も、疲れきり誰も話をしない!という状態に。ホテルは大事なのだ。少しばかり高くても、それなりの広さと温度調節ができるエアコンのあるところに泊まることも大事。次回から実践。でも、それが製作費を圧迫する!それを学んだのが、写真の部屋である。
夜でもCランチが食べれる店。 [「沖縄狂想曲」]
夕飯は結構食べた。少し残したけど。
夜でもCランチが食べれる店。
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朝食。栄養バランス最高だが [「沖縄狂想曲」]
朝食。栄養バランス最高だが、疲労困憊。
半分しか食べられず。すみません。
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