SSブログ

映画の構成。歴史の授業と「パルプフィクション」 [「沖縄狂想曲」]

323909930_698438395113783_1705817361690129216_n.jpg

映画の構成。歴史の授業と「パルプフィクション」

大まかな構成はすでに考えていたが、取材を済ませて、素材を確認。編集を始めると「違うなあ〜」と思えるものが出てくる。それは当然のことで机の上で考えて、紙の上に書かれた文章と、実際に撮影したものが同じになるはずがない。

だが、多くのテレビ・ドキュメンタリーは、すでに企画書で上の承認をもらっているので変更は許されないことが多い。紙に書かれた通りに編集し、仕上げて行くことを要求される。ま、お役所と同じ。あれこれ書類を作り工事を始めるが、いざスタートすると予期せぬ出来事や事実と出喰わす。それでも計画通りに!と無茶をするのが役所。それと同じ。

辺野古、新基地問題も同じ。地盤が軟弱で杭が打てない。今更、何?とも思うが、それでも膨大な費用をかけて工事を続ける。ただ、あれは最初から地盤のこと知っていて、永遠に終わらない工事をすることが目的だったかもしれない。その方がゼネコンが延々と儲かる?!それはさておき、スタートすると書類通りには行かないのが現実。

無理やり紙に書かれた通りにやろうとするから、ヤラセが必要になったりする。だが、僕はテレビ局で仕事をしている訳ではない。撮影した素材が生きる編集をするためには構成を変える。もちろん、その段でテーマまで変えることはないが、そのテーマに迫るためには書類に縛られていてはいけないということだ。

編集室を出て、近所のカフェへ。あれこれ考え、ノートにエピソードを箇条書き。映像イメージは把握しているので、それを頭の中でつなげて行く。出来たのが写真の構成表。これならスムーズに見せられる。

「ドキュメンタリー沖縄戦」の時は基本、時系列で見せながら一部は時間軸を前後させた。それを「時系列になってない!」と批判する人がいたが、全てを時系列とは一度も言ってない。歴史ドキュメンタリーだから「時間軸」と思い込んでの批判。

ただ、専門家からも「時系列にした方がいい」という声があった。歴史の授業では「年代順に教える」から。それが当然という思いがあるようだ。もちろん、その方が歴史の流れは分かりやすいが、退屈し興味を削ぐという側面もある。

僕は歴史家や教師ではない。観客が退屈せず、興味を持って映画を見てもらうことが使命。ドキュメンタリーでも同じ。年代順に観たければ専門家が作った歴史ドキュメンタリーを見ればいい。僕は映画屋。こんな映画があった。クエンティン・タランティーノ監督の「パルプフィクション」。時間が行ったり来たりする物語。タイムスリップではない。その編集がとても面白く退屈させない。あれを時間通りに見せたら詰まらない。それに近い時間編集を「沖縄戦」でやった。

似たような事件を続けて描くと、客は興味を失う。重大な事件を最初に持ってくると、後のエピソードが軽く見える。人にはそういう心理が働く。それを歴史だからと、年代順に見せるから退屈する。興味を失う。映画館に来るのは「歴史を勉強しよう!」という客ばかりではない。テレビ放送された時も、何の気なしに見る人もいる。そんな人たちも興味を持ち、最後まで見られる作品にすることが大事と考えた。

その意味で今回は時間軸問題ではないが、観客の興味が途切れない流れを考えた。さて、編集に戻りたいが、いろいろ控えていることがある?


294323059_7745172148890355_8640451737632891488_n.jpg
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:映画

編集。分量的には多くはないが、インタビューの抜き出し。 [「沖縄狂想曲」]

324339947_572219630981936_1529702593014523581_n.jpg


編集。分量的には多くはないが、インタビューの抜き出し。

難しいところを粗編集。

全体の流れも再考。

イメージが明確に。


294323059_7745172148890355_8640451737632891488_n.jpg
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:映画