編集作業、膠着中?! [「沖縄狂想曲」]
編集作業、膠着中?!
あれこれ悩んでいる。言葉にするのは難しいが、具体的なイメージがもう一息見えて来ない。作品の方向。構成は既に決めているが、テイストというか?言葉にしにくいものが定まらない。
さらに喘息でスケジュールが押しているので、作業を急ぐことも必要。そのためには頭から編集するのではなく、一番ノってできる部分から始めたい。「スターウォーズ」をルーカスが制作するとき、一番自信のある「エピソード4」から始めたようなものだ。が、その前にやはり、先の問題を片付けねば。
将棋で言えば、まず飛車を動かす? 歩兵を進める? 角で攻める? いろんな第一手がある。そこで全てが決まると言っていいくらい。だから、将棋を指すときは一手目はかなり考える。それに近い感覚なのだ。こんなことを言うと先輩から「要は仕事が嫌なんだ?」「サボる理由を考えてんだ」とか言われるかもしれない。
が、同業者たちの編集作業を見ていると、本当にいい加減な仕事をしていることが多い。聞くと「どのような作品にしたいか?」ではなく「どうすれば時間と労力をかけずに、早く作業が終わるか?」を一番に考えている。
僕が監督した劇映画。そのメイキングを若いディレクターに編集させた時(本人が撮影現場でカメラを回したもの)、1週間くらいで「編集終わりました!」と作品が届く。見ると、先の通り。どうすれば早く作業が終わるか?を意図した構成になっている。こちとら監督業だけでなく、自作は全て自分で編集。学生映画時代からやってる。ちょっと見ればその辺はすぐに分かる。
結局、若いDの編集は却下。僕が1からやり直した。30分ものに1ヶ月かかった。そんなことをしていたら、ギャラがなくなり生活が出来なくなる!?でも、良い作品を作るには、真剣に編集するには時間が必要なのだ。そして劇映画よりドキュメンタリーの方が編集は大変。時間もかかる。「ドキュメンタリー沖縄戦」「乙女たちの沖縄戦」は共に3ヶ月かかっている。今回もそのくらいかかりそうだが、締め切りもある。
早く、突破口を探してガンガン編集したいが、どこから切り込めばいいか?まだ、見えない。こんな時が一番苦しい。なので、その入り口を探しながら、エピソードタイトルを入れたり、風景カットを短くしたりと言う作業をしながら、あれこれ考えている。
ここ数日、朝起きる時に「よく寝た!」という実感 [「沖縄狂想曲」]
ここ数日、朝起きる時に「よく寝た!」という実感
これはいいことだ。しばらくの間、起床時に「寝足りない」という感じで睡眠が足りないことが続いていた。歳のせいで朝早く目が覚める。若い頃のように長時間寝られないということ。今、住む地域が朝とても寒くて、寒さで目が覚めるということも理由なのだが、睡眠が足りない内に目が覚めていた。
熟睡できる日が続いているのが気管支は相変わらず。発作は薬で抑えられているが、横になるとゼーゼーと音を立てる。呼吸がしづらい。歩くとすぐに息が切れる。これは喘息がどうこうというより、体調がまだ良くないので、喘息も昇降状態ということだろう。以前よりは歩くのも楽になった。5歩歩いて休憩ではない。が、体力、体調が回復しないことが喘息が良くならない理由なのだ。
集中力がない。もっと症状が悪い時でもテレビやDVDは見られたのに今はそれが出来ない。これは何を意味するのか?まあ、言えることは、体調不良はすぐには良くならないということだ。沖縄追加取材の前に回復したレベルまでまだ行っていない。あの時はもう1ヶ月くらいで完全回復!という感じだったが、今は「まだまだ、かかるなあ」という感じ。
食事、睡眠、薬。三拍子揃っているのに、以前のような回復スピードではない。まあ、「振り出しに戻る」どころか、もっと前まで戻って体調最悪まで行ったので、前回より日数がかかるのも当然かもしれない。とにかく、食べて、寝て、無理せずに回復を目指す。編集作業も少しずつだが、進めている。
(502)「はだしのゲン」削除問題②=戦争したい人たちがいる! [YouTube]
「敗戦十四年目からのヒロシマの戦争」(1) BY 元教師(64歳)@広島 [ヒロシマの戦争]
以下、ご本人の許可を得て転載します。
「敗戦十四年目からのヒロシマの戦争」(1)
BY 元教師(64歳)@広島
「はだしのゲン」がヒロシマの歴史から抹殺されようとする動き。今に始まったことではないが、ここまで露骨に恥知らずな動きはこれまでは無かった。それが、ついに広島市教委を始め、行政がなりふり構わず動き始めた。
人の噂も七十五日を狙ってだろうが、そうはいかない。私は1959年生まれ。逝去した両親ともに被爆者だ。そして中学校教師てして35年間勤め、今年で64歳になる。
ヒロシマに原子爆弾が投下されて14年目に誕生したので、当然戦争も原爆の惨状も知らない。しかし、63年間、様変わりしていくヒロシマの街を見て、平和教育を受け、奇しくも教師となり平和教育にも携わってきた。
変わった。あまりにも変わった。ただ変わらないのは物心ついてから、ずっと消えない戦争の気配、足音とでも言おうか?時に小さく、時に大きくまとわりついて離れない。
どこまで書けるかわからないが、ヒロシマで生まれヒロシマで生き、あとしばらくは生きられるうちに、若い先生達、若いお母さんお父さん達、若者達、子どもたちに残しておきたいと、慣れないFacebookで発信していこうと思う。
決心はしても、した途端に頭の中が混沌として、上手くまとまる自信はない。不定期にもなり長くもなると思うが、小さなドキュメンタリーとして付き合ってもらえれば幸いだ。(つづく)
闘病日記 やはり先日のイベントで回復が後退した? [「沖縄狂想曲」]
闘病日記 やはり先日のイベントで回復が後退した?
この数日、体調が悪く。気管支がゼーゼー。いつ発作が起きるか?心配だったが、薬が効いているのか、それはなかった。が、明らかに気管支の腫れは良くなるどころか後退している。原因は体調がすぐれない事。体調が悪くなると喘息も悪くなる。
朝起きた時。「寝足りない!」と思ったことが何度もある。ま、20日間も座ったまま寝る生活。熟睡できない日々が続いた。先日から体調が悪化。体が重く何もできない日が続いた。昨日は昼間なのに眠くて仕方がなく仮眠。夜も早い時間に寝てしまう。やはり睡眠が足りなかったのだろう。今朝は久しぶりに良く寝た感じ。これが大事。
先週、内緒であるイベントに参加。以前のものほど体力も気力も酷使するものではなかったが、やはり回復をストップ。後退させてしまったようだ。スタートに戻るではないが、ゲームで言うと3コマ戻るという感じ。それから1週間。ランチ以外では外出せずに静養。今朝あたりから、ようやく回復の兆し。
ただ、未だに部屋を片付けたり、掃除をしたり、ということが出来ない。その気力がない。YouTube動画収録もできないでいる。関係者にお礼メール出すのも気が重い。こんな時は体調不良ということ。通常なら1日で全部できることを、1つやるだけで何日もかかる。でも、今朝はしっかり寝た実感。ここから回復が進んでほしい。
本日は体調も良くない。が、編集は続ける。 [「沖縄狂想曲」]
本日も体調が良くない。が、編集は続ける。
午前中に起きて即、パソコン前に座るが、テンションが低い。前回のイベントを終えて1週間。そろそろ疲労回復も終える頃なのだが。この数日、良くない。特に本日は体が重く、もう一度ベッドへ。午後3時くらいまで仮眠。寝られるということは良くないのだ。
が、寝たことで少し体調が良くなる。しっかり食って回復せねば。遅めのランチ。(昼飯も食べずに寝ていたということは、やはり良くない)その後、カフェで資料を読む。そもそも、喘息ではあるが、喘息自体が健康を阻害しているのではない。体調が良くないので喘息を再発したのだ。体調が良くなれば喘息も軽減する。
昨年夏からの体調不良。その後、よくなりかけてから無茶をして喘息再発。昨年の「乙女たちの沖縄戦」から休みなしに仕事が続くので、体が限界を超えたのだろう。それでも休養しては仕事に戻り、また悪化して休み、また無理やり仕事に戻る。ここ数ヶ月はその繰り返し。
食事、睡眠、薬と、対応はしているので、あとはもう無茶をせず、体調を直しながら編集作業を続けるだけだ。本日も夜から作業。だが、まだ、見ないものがある。言葉にはしづらいが、「この道だ!」という閃きが降りてくると一気に進むのだが、まだあれこれ迷いながら、少しずつ素材を加えて行く。
素材が増えれば世界観も見てくる。焦ってはいけない。しばらくはダラダラと作業する時期なのだ。