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減量日記 ランチの食べ方ー半分残す? [健康]

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減量日記 ランチの食べ方ー半分残す?

こんなことを書くとまた、あれこれ大きなお世話コメント来るかもしれんが、最近はみなさんのご理解が深まり、この手の記事にコメントゼロ。「誰がコメントなんてするか!」と思われてるかもしれない。でも、小さな親切も大きなお世話も、多くが血圧を上げるだけ。感謝せねばならない。

さて、以前に「提案はしないが、逆にどうやって減量しているから教えて」というコメントもあった。それにお答え。写真はある日のランチ。これにライスかパン。以前なら、これでは全く足りず。午後3時には腹が減っていたが、今は胃が小さくなり、全部食べられない。なので、アジフライとライスだけ食べて、ハンバーグは密かに持ち帰る。そして自宅で夕飯として食べる。

でも、体重とは変なもので、「昨日運動したのに!」=>増えていたり。「昨日はあんなに食べてしまったのにー」=>でも、減っていたりする。ただ、それでも基本は食べただけ。運動しただけ体重は減るようだ。そして、意外なほど少食でも日常生活のエネルギーは十分だとも分かった。

マスコミの乗せられて、あれこれ食べる誘導にかかっていたのかも?あ、「ファミレスの食事は栄養偏るからダメ」ーコメントはいらないのでよろしく。この日、たまたまファミレスなだけ。


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横浜ー青春プレイバック 41年前。僕は毎日、何をしていたのか?映画学校を登校拒否?! [横浜青春プレイバック]

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横浜ー青春プレイバック 41年前。僕は毎日、何をしていたのか?映画学校を登校拒否?!

高校卒業後ー18歳の夏。秋までは映画学校に真面目に通っていたはずだ。実習にも数日、参加した記憶がある。クラスメートとも飲み会をしたし、部屋に遊びに行ったこともある。が、次第に授業が無意味に思えて、いや、完全に無意味だったので登校拒否。学校には行かなくなった。

先にも書いたように近所のM荘。同じような東京拒否組たちが住む下宿アパートに入り浸り、毎日のように宴会をした。が、1週間毎晩ではない。黄金町の大勝館や横浜名画座に行ったり、自由が丘の武蔵野推理劇場。蒲田のパレス座。池袋は文芸坐。高田馬場パール座等に昔の映画を見に行ったりもしていた。

では、それ以外は何をしていたのか? 僕は昔から日本大好きではなく、批判的な言動の方が多い。なのに極めて日本人的なところがあり、70年代のモーレツ社員のように、休むことを罪悪と思えていた。何もせずに1日ダラダラしているというのは、本当に許せなくて何か、しないでいられなかった。

映画を観に行くもあり。知らない街を訪ねるもあり(旅行ではなくね)、本を読むでもいい。何かプラスになることしたい。1日意味もなしにテレビを見ているは嫌だ。友達と会って酒を飲み、映画を語るもあり。なので、病気でもない限り、1日部屋にいて、何もせずということはほぼなかったはず。では、何をしていたのか?

実は秋からは学生映画をスタートさせる。当時はまだ存在した8ミリフィルムを使って映画を撮る。バンドで言えば、プロを目指してアマチュアバンドをするようなもの。「ぴあ」主催のフィルムコンテンストも会ったし、そこから本当の映画人生が始まるのだが、それは秋。そこまで何をしていたか? 思い出してみた。

特に今年のような夏の暑い日(今は雨で寒いくらいだが)当時、部屋は四畳半。エアコンも扇風機もない。サウナのようになる。学校に行かない日はどこかに出かけたと思う。M荘以外。映画館以外? なかなか、思い出さない。僕の住む下宿アパートの周りは何もなく、住宅街のみ。M荘のある隣街は駅前の商店街がある。先に紹介した「血まみれ事件」の舞台となる商店街だ。

そこに本屋とレコード屋がある。小さいものだが、そこは何かにつけ、よく行った。高校時代から本屋とレコード屋は情報源。ネットもない。新聞も取らない。テレビでニュースも見ない18歳。ま、政治や社会を知りたい訳ではなく、ストーンズの新譜はいつ出るか? スピルバーグの新作はいつ公開か?というような情報を得るためだった。

決して楽な生活ではなかったが、1ヶ月に1枚はレコードを買おうと決めていた。レンタルレコードもない時代。2500円。音楽業界はぼっていた。もっぱら輸入盤。歌詞カードが付いてないだけで、2000円になった。ただ、近所にはその手の店がなく、渋谷にオープンしたばかりのタワーレコード等で買うことにしていた。(昔はハンズの斜め前にあった)

金欠。渋谷行く交通費も厳しい。でも、レコードを1枚というときは、ローリングストーンズの、ロンドンレコード時代のもの。1500円で買えた。厳しい時はそれを1枚。スプリングスティーンの歌詞ではないが、学校の授業ではなく、一枚のレコードからいろんなことを学んだ。というのがあるが、まさにその通りだった。

大阪の高校を卒業した日に見た映画が「さらば青春の光」これは強烈だった。ストーンズと同じイギリスのバンド、ザ・フーの2枚組アルバム「四重人格」を映画化したもので、物凄いショックを受け、翌日、もう一度、映画館に見に行ったほどだ。さらに横浜に来てからも、銀座の名画座で3回目を見た。そのレコードを真夜中によく聴いた。全部聴くと2時間少々。気づくと夜が明けていたりした。

「Can you see the real me can'you cant'you 」と叫ぶ、オープニングの歌。歌詞に強く共感した。そう、高校時代の僕はまさにそうだった。「あんたに本当の俺が見えるかい?見えるのかい!」親にも、教師にも、同級生に対しても、そう思っていた。そんな連中の束縛を受けることなく、生活の全てが自由になった。それが横浜の街。最初は開放感でいっぱいだった。が、次第に自由に恐ろしさを感じていく。

おまけに学校まで拒否してしまった。というのも、その学校を卒業したからと映画監督にはなれない。映画界で働けるかどうかする分からない。ま、入学前から気づいていたが、授業を毎日受けていると、より明確になって行った。登校拒否組の生徒たちも皆、同じ気持ちだっただろう。逆にそれを知りながら毎日、通学する生徒たちの気持ちが分からなかった。どうやって監督を目指すのか?

最初は楽しかった落ちこぼれ組の宴会も、次第に見えない未来への不安を解消するためのものになった。だから、記憶がなくなるまで飲み、商店街で叫び、血を見る者まで出てくる。それから4年後にデビューする尾崎豊の歌みたいに「自由になれた気がした18の夜」だった。今から41年前。横浜二十歳前。



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今日も雨。まるで「天気の子」現象。夏はどこへ行ったんだ?  [2021]

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今日も雨。まるで「天気の子」現象。夏はどこへ行ったんだ? 

どこかの国が気象兵器を使っているのか? でも、雨なら外出せずに部屋であれこれする。来るべき収束後のための、準備もあれこれせねばならないから。まあ、いつ終わるか分からないし、庶民の収入を奪い絶滅させるのが目的かもしれないが、その日の準備をする。

567で雨は鬱陶しいが、日頃できない作業を部屋でできるので、ラッキーだと考える。日本では悲観的な現実をイメージし、将来に大きな期待を抱かないことが大人だと思われがちだが、それは単なるペシミスト。最後に生き残るは悲しい現状を見ても、可能性を持とうとするオプティミストなのだ。ね!


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横浜ー青春プレイバック バカにしていた邦楽を聴き始める?! [横浜青春プレイバック]

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横浜ー青春プレイバック バカにしていた邦楽を聴き始める?!

41年前。学校帰り(当初は真面目に通った)によく、横浜駅地下(正確には駅前下だね)ダイヤモンド地下街を1人でうろついた。横浜駅周辺は地上より地下の方が色々ある。その地下街には入らず、駅構内から相鉄方面に向かう途中にも色々店があった。そんな中に中古レコード屋がある。

当時、新品で買うとレコードは2500円。今考えても高い。シングル600円。これは本と同じで店の意思でセールをしたり、安売りしたりできない。その代わりに売れなければ、返品できるというシステム。そのリスクを消費者に押し付けるために、値段を高め一律にしているのだ。

のちにアメリカ留学をして知るが、LAではレコードがめちゃ安だった。ヒットしたものは安くなり、売れないものも売りさばこうと安くなる。当時はプレイヤーがなく、買うことがなかったので、正確な値段を覚えていないが、のちにCDが発売された時、日本は3200円。LAでは10〜20ドルだったはずだ。とにかく日本のレコード産業は努力せずにいた。そのツケが周り今、大変なのだ。

話は戻る。1980年はまだレンタルレコードもなく、(実際はYou&Iとかの1号店はオープンしていたはずだが、普及したのは数年後)僕は安いレコードを探して、その店をよく訪れた。中学時代はビートルズ。高校時代はストーンズ。あとは、クィーン。S&G。ビー・ジーズ。レッドツェッペリン、The Whoと、映画がらみで聴き始めたものが多い。

横浜に来て、洋楽ロック以外も聴こうと、その店を訪れた。最初に買ったのは渡辺貞夫の「モーニング・アイドランド」?当時彼はテレビCMにも出ていて有名。ジャズっぽいのも勉強しようと購入。多分、千円少々。あと、キャンディーズのLP「その気にさせないで」もう、解散したかどうか?の頃だが、歌謡曲はテレビでしか聴かなかった。が、「ザ・ベストテン」は毎週見ていた。

というのは、歌は世につれ世は歌につれというように、そこに時代の反映がある。映画監督業を目指す者が、映画だけ見ていてはダメだと見ていたのだが、その種の歌謡曲。レコードで聴いたことがない。テレビで歌われるのはシングルだけ。勉強しようと、馴染みのあるキャンディーズを選んだ。

洋楽ロック好きに多いのだが、日本の歌をバカにして聴こうとしない。評価しないのは勝手だが、それを知らずに批判し差別していていいのか? 洋画ファンは日本映画をバカにしてみない(僕もそんな1人だった)でも、見た上で批判し、反面教師にすることが大切。と、横浜時代は日本映画も見るようになるのだが、音楽も日本ものを聴き始めた。あと、ストーンズやツェペリンのようなメジャーだけでなく、マイナー。そして新しいバンドも聴かねばと思った。

大阪の高校時代にそれができなかったのは、関西には日本映画の名画座がほぼなかったこと。大毎地下劇場、戎橋劇場。皆、洋画の名画座。新世界に行けばヤクザ映画は見られたが、古い名画は上映しない。京都の名前忘れた3本立ての名画座では日本映画も上映。「用心棒」を見に行ったが、あまりに遠いので1度きり。ロードショーで見るのは値段が厳しい。それなら洋画を見る。中古レコードも日本ものを扱う店、キタにもミナミにもなかった。LPコーナーとか東通り商店街にあったが、輸入ものの洋楽専門。

対して横浜、東京には日本映画専門の名画座が何館もある。中古レコード屋もある。要は安く日本映画を観れて、安くレコードが買える。これだけでも横浜生活は素晴らしい。何だかんだ言っても文化は大阪より関東だと思えた。当時、オンタイムで人気だったのが、その年にデビューしたばかりの松田聖子。こちらも注目。これまでの山口百恵や桜田淳子らとは少々違った。翌年に発売されるのが、大瀧詠一の「A LONG VACATION」その辺から日本の歌(当時はまだj-popとは言わない。分類でいうとニューミュージック)を聴き始める。

洋楽ロック一辺倒だった高校時代。そこから1歩踏み出した。今から41年前、1980年の横浜。秋には19歳になろうとしていた。



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ポスターからすると森林火災のパニック映画のように思えるが、メインは殺し屋が少年を追う話 [映画&ドラマ感想]

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とても面白く見た。ポスターからすると森林火災のパニック映画のように思えるが、メインは殺し屋が少年を追う。それを助ける森林警備隊のアンジェリーナ・ジョリーという物語。ハラハラドキドキ。とてもよくできた映画。

メインキャラは7人。有名俳優はジョリーのみ。ストーリーが実によく出来ている。ジョリーも単なるスーパーヒーローではなく、過去の悲しみを乗り越えられず、トラウマを抱える。観客は応援したくなる。

森林火災は一応スペクタクルだが、パニック映画というほどでなく、そちらは背景にしか過ぎない。あくまでも人間のドラマ。火災を除けば日本でもできる物語。悔しいが、感心してしまう。オススメ。


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減量日記ーいかにして8キロ減に至ったか? 力石徹への道? [健康]

減量日記ーいかにして8キロ減に至ったか? 力士徹への道?

「どうやったんですか?」との質問を頂いた。経緯を説明すると、この春に減量を決意。ダイエットなんてオシャレなものではない。高血圧なのに太っていると、血圧が上がった時、体に負担がかかり死に至ること。前々から医者に「明日、死んでもおかしくないよ」とも言われた。

映画製作に入ると、トラブルの連続。「東京湾に埋めるぞ」と言いたくなることの連続。もう、連日、危険値。そこで567で映画製作ができない内に、減量して、次に血圧が上がる環境に入っても、対応できるように。と言うのがきっかけ。

4月にスタート。まず食事量を減らすこと。定食屋、トンカツ屋は量が多いので避ける。喫茶店のランチとか、OLが食べそうなものにする。朝夜は自炊。朝はパンと卵1個と魚肉ソーセージ。夜は納豆、豆腐、厚揚げ、大根おろし、温野菜等。でも、酒はたくさん飲む。時々、肉も食べる。しゃぶしゃぶにして、味ぽん。最後は、そばとかソーメン。

コンビニ弁当と揚げ物は避ける。カップ麺も食べない(昨日、食べてしまったけど)朝夜は問題ないが、昼はすぐに腹が減る。12時に食べると、3時には腹の虫。夕飯は6時以降。我慢我慢と思っていたが、食べないので血が作られないのか? 貧血気味になる。頭がくら〜。専門家に相談したら、「そんな時は血糖値が急に上がらないものを少しだけ食べたほうがいい」と言われる。

で、あんずの干したやつ。1個。すると1時間くらいは空腹を抑えられる。夏頃までは、その戦い。これは映画制作中でないからできる。打ち合わせで頭が働かないと大変。また、トラブルを解決する時はガーーと食べねばならない。これは19歳からの方法。しっかり食べると「なんとかなる!」と思える。

が、年齢と共に新陳代謝も落ち、血圧の問題もあり、若い頃と同じだけ食べても体重は増える。でも、食べないと乗り切れない。そんなことが16年続いた。でも、今なら!と思った。空腹を我慢。貧血気味になると、力石徹気分。でも、思考力低下するねえ。やはり、映画期間だとできない。

すぐに体重が減るものでもない。記録を見ると1ヶ月後、たった1.2キロ減。だが、2ヶ月目で3キロ痩せた。合わせて4・4キロ。4ヶ月目で7キロ減。初めはなかなか体重が減らない時期があった。何かで読んだが、少し多めに食べてもすぐに体重は増えない。また、数日、食事を減らしても体重はすぐに減らない。と言うのは現状を維持すると言う働きがあるからだ。だから、1週間くらい減食しても効果が上がらないのだろう。効果が出たのは2ヶ月目から。

運動に関しては前に記事にしたが、初夏にスポーツクラブに入会したが、揉めてすぐに辞めた。が、その後、急に体重が増えることもなく、減り続けている。時間があれば、ウォーキングをするが毎日ではない。また、夏に入り暑いので最近はしていない。食事の量も、先のメニュー以上には減らしていない。それでも現在は8キロ減を進行中。

貧血も減った。たまに都会に行きいっぱい歩くと、貧血気味になるが、日常生活では問題ない。食べた量と動いた量の足し算引き算。1日に必要なエネルギーなんてさほど必要ないことも感じる。空腹感もさほど強くなくなる。胃が小さくなるので、今では1人前の定食が食べれない。ファミレスではおかずを1個残して持ち帰る(夕飯に)

これで映画製作が始まると、持つか?は不安だが、デスクワークなら問題ない。また、8キロも減ると体が軽く。疲労感がぐっと減った。今までは8キロのバーベルを持ち歩いていたようなもの。その差は大きい。何もしなくても疲れていたのに、それはなくなった。もしかしたら、困ったちゃん相手に仕事していないのが理由かもしれないが、減量の効果と思いたい。

目標はあと2キロ。すでにきれなかったシャツやパンツもオーケー。ただ、力石のように、握手しようとすると倒れるかも? ま、そこまで痩せてないけどね。参考になれば嬉しい。


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減量日記、ついにマイナス8キロ台へ! [健康]

減量日記、ついにマイナス8キロ台へ!

高血圧。昔から医者から注意されている。撮影現場で怒鳴ったら血管切れて、お陀仏。と言うこともあり得る。高血圧に肥満はさらに悪いと言う。この春から減量をスタート。ダイエットなんて言うと恥ずかしい。減量だ。すでに7キロ減。そして昨日、ついに8キロ減に突入。正確に言うとー7キロ+数百グラムだが、ー8キロ台である。

雨ということもありバイクに乗らずにランチに行き、買い物して帰る。脱都会生活なので、駅まで行くのに徒歩30分。かなり歩く。これはバイク乗らなきゃ、もっと痩せるかな?とも思うが、今のような夏の暑さだと、それで1日の体力終了するし。他の季節でも時間を取られてしょうがない。でも、とにかくー8キロ台に突入。これを維持しながら、さらに減らす。

目標はー10キロ。あと2キロ。以前より体調はいいような気がするが、ややこしい仕事をしてバカと付き合わうことがないので、調子がいいだけかもしれない。いつものように、アドバイスとかはいらない。「運動もしようね」とか大きなわお世話コメントはしないでね。


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「ドキュメンタリー沖縄戦」@京都みなみ会館。上映を終了。ありがとうございました。 [沖縄戦]

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「ドキュメンタリー沖縄戦」@京都みなみ会館。上映を終了。

東京、横浜、大阪、沖縄。そして京都。昨年の公開作品なのに、今年また映画館でそれも1日限りではなく、1〜2週間も興業をしてくれたということ。本当に感謝。それはつまり、多くの人に見て頂ける機会を作ってもらえたということ。

昨年、「見たくても見れなかった!」という声もたくさん聞いた。というのもお陰様で大ヒット。映画館に行ったが、入れなかった方も数多くいた。全国28館で公開。にも関わらずDVD発売はなく、これで終わりか!と思っていた。そこに配給会社、映画館から「今年もやりましょう!」との提案。本当にありがたかった。

ただ、それでも北海道の映画館は「やりたいが、スケジュールが取れない」と今年も上映できなかった。熊本の方からも何度もリクエストを頂いたが結局できなかった。そんな地区がまだいくつか残っている。本当にテレビ放送とか、ケーブルテレビ放映ができればいいのだが、それも今はできない。

が、関係者一同、何とか展開できないか?今も奮闘中。また、経過をお知らせする。多くの方の応援と声援のおかげでここまでこれた。当初は映画館公開さえ中止という時期さえあった。それが全国で多くの方が見てくれて、アメリカの映画祭で上映。全米で配信までされたこと凄い展開だ。まずはここまでのお礼と感謝を伝えたい。でも、まだ終わってはいけない。写真にもあるように、沖縄の皆さんの熱い思いに応えるためにも、伝え続けることが大切なのだ。


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映画監督の仕事とは何か?今の時代は「真実を伝えること」だ! [映画業界物語]

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映画監督の仕事とは何か?今の時代は「真実を伝えること」だ!

高校時代。日本映画は本当に詰まらなかった。名作と言われる文学小説の映画化。アイドルを主演させただけの青春もの。退屈の極み。見るのは金と時間の無駄だと思えた。対してアメリカ映画はエンタテイメント。2時間の間、ハラハラドキドキ。最後は感動して泣ける。「明日からもがんばろう!」と思えた。将来、映画監督になれたら、そんな映画を作ろうと誓った。

それから45年後、映画監督としての仕事を始めた。ずいぶん遠回りしたが、劇場用映画を撮るようになる。もちろんエンタテイメントだったが、作品のテーマは「子供たちに伝える大切なこと」になった。高校時代に、映画からは学んだ大切なことを子供たちに伝え、当時の僕のように悩み迷い、大人や社会に押さえつけられる子たちを元気付ける物語を作ろうと思った。

が、すぐに気づく。「大人がバカだから子供たちが苦しむ」テーマが少し変わった。「親子に伝える大切なこと」になる。親にも大切なことを伝えないと子供がいつまでも苦労するのだ。その後も、同じ路線で映画を作ったが、「向日葵の丘」あたりから「幸せって何だろう?」と言う問いかけが強くなる。幸せの形が見えないから、親子が間違った方向に進んでしまうのだ。金持ちになること、有名になること何かではない、幸せとは何かを追求し始めた。

そして、近年。さらに具体的なものが見えて来た。「真実を伝えること」だ。政府や企業が嘘を流し、国民を誘導するから幸せになれない。だから、映画で嘘を見抜き、真実を伝えることをが大切だと思えて来た。すでに3作目の「朝日のあたる家」から実践していたことだが、それに気づいた。「親子に伝える大切なこと」その先にあったのは世間に騙されず、真実を見抜く力を育てることだと思えた。

「日本の原発は安全です」と言いながら大爆発。原発推進は電力不足のためではなく、既得権益者たちが莫大な利益を得られるから。「直ちに危険はありません」と言い、東京にも放射能が降り注ぐのを伝えない官邸とマスコミ。本当のことを伝え、国民を真剣に救おうと言う政治家たちを貶め、批判するテレビ新聞。567、枠てん、オリンピックも同じ構図だ。多くが政府や企業のフェイクを信じ、誘導されている。

感染を抑えるより利権の大きいオリンピックを強行。それも私たちの税金。それを感染対策や医療に使えばいいのに、都知事は「自宅を入院施設として使ってほしい」それは遺棄と同じ。なのに多くの国民はテレビで五輪見て「元気もらった」「励まされた」と喜ぶ。奴隷としか言いようのない状態。自分たちがどんな状態なのか?を知り、思考停止状態から抜け出すことが大事。それが親子に伝えるべき大切なことではないか?

オリンピックの裏側や567の真相を暴く物語でなくてもいい。沖縄戦を劇映画にして伝えるだけでも伝えられる。すでにドキュメンタリーは製作したが、日本政府と軍部が沖縄県民を見捨て、捨て石にしたがのが沖縄戦である。その間に本土決戦の準備をした。「県民を守る必要はない。時間を稼ぎ、米軍の体力を奪え」それが大本営からの命令だったのだ。同じことが今、日本全土で起きている。

学校では教えない、NHK特集でも伝えないない、その手の映画を大手は絶対に作らない。でも、それを知れば多くの日本人は気づくだろう。「今も同じ!」と。そんなふうに大切なことを伝えるのが、今の時代、映画監督の仕事ではないか?もちろん、映画を作るときは徹底取材し勉強する。原作ものを1冊読んで分かった気で作ってはいけない。その異意味では原発と沖縄戦はかなり勉強した。講演会をしても2時間は喋れる! 

ただ、567禍で映画撮影は厳しい。現場で費用を出してくれるところもないだろう。だからせめてFacebookやブログを通じて伝えたい。本来はマスコミの仕事だが、彼らはもうフェイクを流す側の住人。個人だと間違うこともあるかもしれないが、伝えるべきことはたくさんあるはずだ。




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「ドキュメンタリー沖縄戦」公開で、映画館に行かない人も沖縄戦を知った?!その背景 [沖縄戦]

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「ドキュメンタリー沖縄戦」公開で、映画館に行かない人も沖縄戦を知った?!その背景

映画は映画を観る人たちだけに何かを伝えるものではない。例えば「ドキュメンタリー沖縄戦」昨年、今年と全国の映画館で公開。多くの人が見てくれた。「見てよかった」「よく作ってくれた」と言われた。今まで知らなかった沖縄戦の凄惨な真実を知ることができかたらだ。

だが、それを知ったのは観客だけではない。例えば写真のように映画公開に際して多くのマスコミが映画紹介をしてくれた。単にどこでいつから上映するか?というインフォメーションではなく、集団自決の真実、皇民化教育、沖縄県民の犠牲等、映画で描いた一部も紹介してくれる。

それを読むことで、映画館には行かなくても沖縄で凄惨な戦争があり、多くの県民がなくなったこと。集団自決と呼ばれる集団強制死まで行われたことを断片であっても知ることができる。新聞だけではない。ネット、雑誌、テレビでも紹介された。かなりの人がそれらに触れたはず。

もし、それを広告費として支払ったらいくらかかるか?広告代理店の友人が計算してくれた。約3億円。それだけの費用を使って沖縄戦を伝えたのと同じだけの効果があったそうだ。つまり、映画というのは映画館で上映するだけでなく、このようにマスコミが取り上げることで、多くの人にその内容を伝えることができる。

一時は映画館公開中止という話もあったが、公開できて本当によかった。新聞、テレビ、ネットを通じて、沖縄戦の真実を知る人が数千人、数万人のレベルで増えたはず。映画にはそんな力も存在するのだ。


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