SSブログ

横浜ー青春プレイバック バカにしていた邦楽を聴き始める?! [横浜青春プレイバック]

240933061_6034992556574998_2258540229738758280_n.jpg

横浜ー青春プレイバック バカにしていた邦楽を聴き始める?!

41年前。学校帰り(当初は真面目に通った)によく、横浜駅地下(正確には駅前下だね)ダイヤモンド地下街を1人でうろついた。横浜駅周辺は地上より地下の方が色々ある。その地下街には入らず、駅構内から相鉄方面に向かう途中にも色々店があった。そんな中に中古レコード屋がある。

当時、新品で買うとレコードは2500円。今考えても高い。シングル600円。これは本と同じで店の意思でセールをしたり、安売りしたりできない。その代わりに売れなければ、返品できるというシステム。そのリスクを消費者に押し付けるために、値段を高め一律にしているのだ。

のちにアメリカ留学をして知るが、LAではレコードがめちゃ安だった。ヒットしたものは安くなり、売れないものも売りさばこうと安くなる。当時はプレイヤーがなく、買うことがなかったので、正確な値段を覚えていないが、のちにCDが発売された時、日本は3200円。LAでは10〜20ドルだったはずだ。とにかく日本のレコード産業は努力せずにいた。そのツケが周り今、大変なのだ。

話は戻る。1980年はまだレンタルレコードもなく、(実際はYou&Iとかの1号店はオープンしていたはずだが、普及したのは数年後)僕は安いレコードを探して、その店をよく訪れた。中学時代はビートルズ。高校時代はストーンズ。あとは、クィーン。S&G。ビー・ジーズ。レッドツェッペリン、The Whoと、映画がらみで聴き始めたものが多い。

横浜に来て、洋楽ロック以外も聴こうと、その店を訪れた。最初に買ったのは渡辺貞夫の「モーニング・アイドランド」?当時彼はテレビCMにも出ていて有名。ジャズっぽいのも勉強しようと購入。多分、千円少々。あと、キャンディーズのLP「その気にさせないで」もう、解散したかどうか?の頃だが、歌謡曲はテレビでしか聴かなかった。が、「ザ・ベストテン」は毎週見ていた。

というのは、歌は世につれ世は歌につれというように、そこに時代の反映がある。映画監督業を目指す者が、映画だけ見ていてはダメだと見ていたのだが、その種の歌謡曲。レコードで聴いたことがない。テレビで歌われるのはシングルだけ。勉強しようと、馴染みのあるキャンディーズを選んだ。

洋楽ロック好きに多いのだが、日本の歌をバカにして聴こうとしない。評価しないのは勝手だが、それを知らずに批判し差別していていいのか? 洋画ファンは日本映画をバカにしてみない(僕もそんな1人だった)でも、見た上で批判し、反面教師にすることが大切。と、横浜時代は日本映画も見るようになるのだが、音楽も日本ものを聴き始めた。あと、ストーンズやツェペリンのようなメジャーだけでなく、マイナー。そして新しいバンドも聴かねばと思った。

大阪の高校時代にそれができなかったのは、関西には日本映画の名画座がほぼなかったこと。大毎地下劇場、戎橋劇場。皆、洋画の名画座。新世界に行けばヤクザ映画は見られたが、古い名画は上映しない。京都の名前忘れた3本立ての名画座では日本映画も上映。「用心棒」を見に行ったが、あまりに遠いので1度きり。ロードショーで見るのは値段が厳しい。それなら洋画を見る。中古レコードも日本ものを扱う店、キタにもミナミにもなかった。LPコーナーとか東通り商店街にあったが、輸入ものの洋楽専門。

対して横浜、東京には日本映画専門の名画座が何館もある。中古レコード屋もある。要は安く日本映画を観れて、安くレコードが買える。これだけでも横浜生活は素晴らしい。何だかんだ言っても文化は大阪より関東だと思えた。当時、オンタイムで人気だったのが、その年にデビューしたばかりの松田聖子。こちらも注目。これまでの山口百恵や桜田淳子らとは少々違った。翌年に発売されるのが、大瀧詠一の「A LONG VACATION」その辺から日本の歌(当時はまだj-popとは言わない。分類でいうとニューミュージック)を聴き始める。

洋楽ロック一辺倒だった高校時代。そこから1歩踏み出した。今から41年前、1980年の横浜。秋には19歳になろうとしていた。



144698748_4971400386267559_9205383203717573495_n.jpg
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:映画

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。