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時代は変わりつつあるのに、古い価値観を振りかざし拒否する日本人? [MyOpinion]


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時代は変わりつつあるのに、古い価値観を振りかざし拒否する日本人?

監督デビューしたばかりの頃。引っかかったのは一部のベテラン・スタッフ。撮影のときに、あれこれ言ってくる。いくら新人とはいえ演出のことを他のパートが、あれこれ言うのはおかしい。が、方法論について文句があるようだ。

僕はハリウッド映画方式で撮影する。同じ場面を通して同じ位置から撮影。そして同じ場面をカメラの位置をかえてまた撮影。それを繰り返す。あるいは複数のカメラで一気に撮影する。対して日本映画の昔からの伝統は1台のカメラで必要な部分だけを撮る。最初からセリフ終わりまでは引き絵。そのあとは役者に寄ってアップ。その次は相手役のアップ。そんな風。

違いは何か?と言うと日本式は最初から編集を考えて撮影。だから撮ったものを繋げればオーケー。音と音楽を入れれば完成。誰が編集してもほぼ同じ形になる。だが、ハリウッド式はいろんな編集が可能になる。編集者のセンスや技術が生きる。文章で説明するのは難しいが、要は日本映画は貧しいから無駄なく撮影して、フィルム代、現像代を最低限で済まそうとした。対してハリウッドは潤沢な資金があるので、リハーサルからフィルムを回す。原稿用紙感覚。本番もあらゆる角度から何度も撮影した。

つまり、日本も十分な制作費があればハリウッド式を実践できる。近いスタイルだったのが、黒澤明監督。何台ものカメラで芝居を一気に撮影するスタイルだった。(だから彼の映画は金がかかる)しかし、デジタル化が進み。90年代からフィルムではなく、データで映像を記録するようになって来た。つまり、フィルム代も現像費もいらない。やがてデータはコンビニで売ってるSDカードでも対応。記録媒体自体の値段も安い。

そんな波が始まった頃に僕は監督デビュー。その方法を実践したら、ベテランたちから文句が出た。「おかしい」「やり方が違う」「映画撮影じゃない」と不満に思ったらしい。が、変なのは先にも説明した通り。古来のやり方は金がないから必要な部分だけを撮影していたのだ。今はその費用はかからない。日本でハリウッド式を実践しても何ら問題はない。なのに、「いつもやり方と違う」「邪道だ」と不満や批判。

ハリウッド式で撮れば多種多様な編集ができる。これまでの日本映画とは違う表現、リズム、スピードが出せる。にも関わらず、昔からの伝統の方法論で撮影しろ要求するのだ。言い換えれば、侍の時代。刀で戦っていたところに鉄砲が入って来た。なのに「鉄砲は邪道だ」「刀で戦うのが戦だ」と言うのと同じ。学生時代に日本史を学んだとき、織田信長が鉄砲を使い勝利したと言う話を聞き、なぜ、他の武将は真似なかったのか?と思った。多分、多くの武将は「刀以外は邪道」とか思ったのだろう。

ここで分かること。映画人は素晴らしい映画を作る!ことが目的。低予算映画でも、あれこれ工夫をして観客を感動する作品を作る。そのために僕はデジタル技術を取り入れて、ハリウッド方式を可能にした。が、ベテランの人たちは、新しい技術を取り入れることより、素晴らしい映画を作ることよりも、慣れ親しんだ価値観を優先したのだ。いつもの方式で撮影するべきと主張したのである。

ベテランが閉鎖的で、過去の価値観に縛られているのだと思えた。が、実は多くの日本人が同じなのだと分かってくる。僕自身もその1人であることを痛感したのが、2000年代。「日本は経済大国」と思い込んでいたが、映画祭でLAに行った時、留学時代と違い、日本の電化製品がほとんど絶滅していて驚愕した。韓国製品だらけ。時代は変わっていたのだ。

また、先にも記事にしたが、帰国してから25年ほど、新宿まで歩いていける街に住んでいた。が、日本は大きく変わり、都会に住まなくても何ら生活に困らない環境が整っていた。それを僕は数年前まで気づかなかった。今は脱都会生活。何ら困ることはない。あるいは会社員なら567禍でzoom会議。そのことで会社に行かなくても仕事ができることに気づいたり。あの満員電車での毎朝の通勤は何だったのか?と思えたり。

つまり、人は同じ生活を繰り返していると、時代が変わったことに気づかない。それどころか、より安く、便利で、クオリティが高いものを生産できるのに、古い方法論にこだわる。さらに新しいやり方を批判、「邪道だ」と排除しようとすさえする。パソコン黎明期にも、オヤジたちは「そんなものがなくても仕事はできる」と言い張っていたが、メールの送り方も分からず顰蹙だった話をよく聞いた。今はその世代は引退し、仕事でパソコンは当然のものとなっている。

映画撮影も同様。今やベテラン、ヒットメーカーと呼ばれる有名監督たちもハリウッド方式で撮影している。それに不満を漏らす関係者はもういない。時代の変化というのは、そんな風に人々にも業界にもプラスであったとしても、過去の価値観や習慣に縛られた人たちは拒否し、排除しようとするところがある。時代の変化が大きいほどに、反発も大きい。

同じことが今も起きている。新技術の導入ではない。政府やマスコミは国民のために仕事をしていないことが明確になっている。これまでは上手くそれを隠し、庶民の味方である芝居をして来たが、時代の変化で、彼らもなりふり構ってられなくなった。同時にネットの普及もあり、事実を多くが知るようになったこともある。「新聞テレビはフェイクだ。誘導されて大変なことになる」と気づいた人は多い。

だが、過去の価値観に縛られた多くの人たちは「テレビが報道するんだから間違いない」「ネットなんて嘘ばかりだ」と思いこんでいる。「政府が国民を犠牲にすることをする訳がない」と思っている人もいるだろう。でも、昔からそうではなかった。「オレ達だけが儲かればいい。生き残ればいい。国民はどうなっても構わない。ただ、後で責任を追及されないようにしなくては!」というのが政府であり、大企業であり、マスコミなのだ。

しかし、戦国武将や過去の映画人と同じように、今を生きる日本人も古い習慣と価値観に囚われて、そこに気づかない人たちがたくさんいる。これはもう、先に気づいた者が伝え続けるしかないのだ。ただ、その種の人たちは昔から変り者と思われており、異端者である場合が多い。だからこそ気づいたのだが、多くの人は「あいつ変わってるからなあ」「あんな奴の言うことなんてなあ」「陰謀論好きだしね」と思ってしまう。時代に置き去りにされている人たちには、どうすれば大切なことが伝わるのか? 心が痛い。


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減量日記 ランチの食べ方ー半分残す? [健康]

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減量日記 ランチの食べ方ー半分残す?

こんなことを書くとまた、あれこれ大きなお世話コメント来るかもしれんが、最近はみなさんのご理解が深まり、この手の記事にコメントゼロ。「誰がコメントなんてするか!」と思われてるかもしれない。でも、小さな親切も大きなお世話も、多くが血圧を上げるだけ。感謝せねばならない。

さて、以前に「提案はしないが、逆にどうやって減量しているから教えて」というコメントもあった。それにお答え。写真はある日のランチ。これにライスかパン。以前なら、これでは全く足りず。午後3時には腹が減っていたが、今は胃が小さくなり、全部食べられない。なので、アジフライとライスだけ食べて、ハンバーグは密かに持ち帰る。そして自宅で夕飯として食べる。

でも、体重とは変なもので、「昨日運動したのに!」=>増えていたり。「昨日はあんなに食べてしまったのにー」=>でも、減っていたりする。ただ、それでも基本は食べただけ。運動しただけ体重は減るようだ。そして、意外なほど少食でも日常生活のエネルギーは十分だとも分かった。

マスコミの乗せられて、あれこれ食べる誘導にかかっていたのかも?あ、「ファミレスの食事は栄養偏るからダメ」ーコメントはいらないのでよろしく。この日、たまたまファミレスなだけ。


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横浜ー青春プレイバック 41年前。僕は毎日、何をしていたのか?映画学校を登校拒否?! [横浜青春プレイバック]

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横浜ー青春プレイバック 41年前。僕は毎日、何をしていたのか?映画学校を登校拒否?!

高校卒業後ー18歳の夏。秋までは映画学校に真面目に通っていたはずだ。実習にも数日、参加した記憶がある。クラスメートとも飲み会をしたし、部屋に遊びに行ったこともある。が、次第に授業が無意味に思えて、いや、完全に無意味だったので登校拒否。学校には行かなくなった。

先にも書いたように近所のM荘。同じような東京拒否組たちが住む下宿アパートに入り浸り、毎日のように宴会をした。が、1週間毎晩ではない。黄金町の大勝館や横浜名画座に行ったり、自由が丘の武蔵野推理劇場。蒲田のパレス座。池袋は文芸坐。高田馬場パール座等に昔の映画を見に行ったりもしていた。

では、それ以外は何をしていたのか? 僕は昔から日本大好きではなく、批判的な言動の方が多い。なのに極めて日本人的なところがあり、70年代のモーレツ社員のように、休むことを罪悪と思えていた。何もせずに1日ダラダラしているというのは、本当に許せなくて何か、しないでいられなかった。

映画を観に行くもあり。知らない街を訪ねるもあり(旅行ではなくね)、本を読むでもいい。何かプラスになることしたい。1日意味もなしにテレビを見ているは嫌だ。友達と会って酒を飲み、映画を語るもあり。なので、病気でもない限り、1日部屋にいて、何もせずということはほぼなかったはず。では、何をしていたのか?

実は秋からは学生映画をスタートさせる。当時はまだ存在した8ミリフィルムを使って映画を撮る。バンドで言えば、プロを目指してアマチュアバンドをするようなもの。「ぴあ」主催のフィルムコンテンストも会ったし、そこから本当の映画人生が始まるのだが、それは秋。そこまで何をしていたか? 思い出してみた。

特に今年のような夏の暑い日(今は雨で寒いくらいだが)当時、部屋は四畳半。エアコンも扇風機もない。サウナのようになる。学校に行かない日はどこかに出かけたと思う。M荘以外。映画館以外? なかなか、思い出さない。僕の住む下宿アパートの周りは何もなく、住宅街のみ。M荘のある隣街は駅前の商店街がある。先に紹介した「血まみれ事件」の舞台となる商店街だ。

そこに本屋とレコード屋がある。小さいものだが、そこは何かにつけ、よく行った。高校時代から本屋とレコード屋は情報源。ネットもない。新聞も取らない。テレビでニュースも見ない18歳。ま、政治や社会を知りたい訳ではなく、ストーンズの新譜はいつ出るか? スピルバーグの新作はいつ公開か?というような情報を得るためだった。

決して楽な生活ではなかったが、1ヶ月に1枚はレコードを買おうと決めていた。レンタルレコードもない時代。2500円。音楽業界はぼっていた。もっぱら輸入盤。歌詞カードが付いてないだけで、2000円になった。ただ、近所にはその手の店がなく、渋谷にオープンしたばかりのタワーレコード等で買うことにしていた。(昔はハンズの斜め前にあった)

金欠。渋谷行く交通費も厳しい。でも、レコードを1枚というときは、ローリングストーンズの、ロンドンレコード時代のもの。1500円で買えた。厳しい時はそれを1枚。スプリングスティーンの歌詞ではないが、学校の授業ではなく、一枚のレコードからいろんなことを学んだ。というのがあるが、まさにその通りだった。

大阪の高校を卒業した日に見た映画が「さらば青春の光」これは強烈だった。ストーンズと同じイギリスのバンド、ザ・フーの2枚組アルバム「四重人格」を映画化したもので、物凄いショックを受け、翌日、もう一度、映画館に見に行ったほどだ。さらに横浜に来てからも、銀座の名画座で3回目を見た。そのレコードを真夜中によく聴いた。全部聴くと2時間少々。気づくと夜が明けていたりした。

「Can you see the real me can'you cant'you 」と叫ぶ、オープニングの歌。歌詞に強く共感した。そう、高校時代の僕はまさにそうだった。「あんたに本当の俺が見えるかい?見えるのかい!」親にも、教師にも、同級生に対しても、そう思っていた。そんな連中の束縛を受けることなく、生活の全てが自由になった。それが横浜の街。最初は開放感でいっぱいだった。が、次第に自由に恐ろしさを感じていく。

おまけに学校まで拒否してしまった。というのも、その学校を卒業したからと映画監督にはなれない。映画界で働けるかどうかする分からない。ま、入学前から気づいていたが、授業を毎日受けていると、より明確になって行った。登校拒否組の生徒たちも皆、同じ気持ちだっただろう。逆にそれを知りながら毎日、通学する生徒たちの気持ちが分からなかった。どうやって監督を目指すのか?

最初は楽しかった落ちこぼれ組の宴会も、次第に見えない未来への不安を解消するためのものになった。だから、記憶がなくなるまで飲み、商店街で叫び、血を見る者まで出てくる。それから4年後にデビューする尾崎豊の歌みたいに「自由になれた気がした18の夜」だった。今から41年前。横浜二十歳前。



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今日も雨。まるで「天気の子」現象。夏はどこへ行ったんだ?  [2021]

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今日も雨。まるで「天気の子」現象。夏はどこへ行ったんだ? 

どこかの国が気象兵器を使っているのか? でも、雨なら外出せずに部屋であれこれする。来るべき収束後のための、準備もあれこれせねばならないから。まあ、いつ終わるか分からないし、庶民の収入を奪い絶滅させるのが目的かもしれないが、その日の準備をする。

567で雨は鬱陶しいが、日頃できない作業を部屋でできるので、ラッキーだと考える。日本では悲観的な現実をイメージし、将来に大きな期待を抱かないことが大人だと思われがちだが、それは単なるペシミスト。最後に生き残るは悲しい現状を見ても、可能性を持とうとするオプティミストなのだ。ね!


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横浜ー青春プレイバック バカにしていた邦楽を聴き始める?! [横浜青春プレイバック]

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横浜ー青春プレイバック バカにしていた邦楽を聴き始める?!

41年前。学校帰り(当初は真面目に通った)によく、横浜駅地下(正確には駅前下だね)ダイヤモンド地下街を1人でうろついた。横浜駅周辺は地上より地下の方が色々ある。その地下街には入らず、駅構内から相鉄方面に向かう途中にも色々店があった。そんな中に中古レコード屋がある。

当時、新品で買うとレコードは2500円。今考えても高い。シングル600円。これは本と同じで店の意思でセールをしたり、安売りしたりできない。その代わりに売れなければ、返品できるというシステム。そのリスクを消費者に押し付けるために、値段を高め一律にしているのだ。

のちにアメリカ留学をして知るが、LAではレコードがめちゃ安だった。ヒットしたものは安くなり、売れないものも売りさばこうと安くなる。当時はプレイヤーがなく、買うことがなかったので、正確な値段を覚えていないが、のちにCDが発売された時、日本は3200円。LAでは10〜20ドルだったはずだ。とにかく日本のレコード産業は努力せずにいた。そのツケが周り今、大変なのだ。

話は戻る。1980年はまだレンタルレコードもなく、(実際はYou&Iとかの1号店はオープンしていたはずだが、普及したのは数年後)僕は安いレコードを探して、その店をよく訪れた。中学時代はビートルズ。高校時代はストーンズ。あとは、クィーン。S&G。ビー・ジーズ。レッドツェッペリン、The Whoと、映画がらみで聴き始めたものが多い。

横浜に来て、洋楽ロック以外も聴こうと、その店を訪れた。最初に買ったのは渡辺貞夫の「モーニング・アイドランド」?当時彼はテレビCMにも出ていて有名。ジャズっぽいのも勉強しようと購入。多分、千円少々。あと、キャンディーズのLP「その気にさせないで」もう、解散したかどうか?の頃だが、歌謡曲はテレビでしか聴かなかった。が、「ザ・ベストテン」は毎週見ていた。

というのは、歌は世につれ世は歌につれというように、そこに時代の反映がある。映画監督業を目指す者が、映画だけ見ていてはダメだと見ていたのだが、その種の歌謡曲。レコードで聴いたことがない。テレビで歌われるのはシングルだけ。勉強しようと、馴染みのあるキャンディーズを選んだ。

洋楽ロック好きに多いのだが、日本の歌をバカにして聴こうとしない。評価しないのは勝手だが、それを知らずに批判し差別していていいのか? 洋画ファンは日本映画をバカにしてみない(僕もそんな1人だった)でも、見た上で批判し、反面教師にすることが大切。と、横浜時代は日本映画も見るようになるのだが、音楽も日本ものを聴き始めた。あと、ストーンズやツェペリンのようなメジャーだけでなく、マイナー。そして新しいバンドも聴かねばと思った。

大阪の高校時代にそれができなかったのは、関西には日本映画の名画座がほぼなかったこと。大毎地下劇場、戎橋劇場。皆、洋画の名画座。新世界に行けばヤクザ映画は見られたが、古い名画は上映しない。京都の名前忘れた3本立ての名画座では日本映画も上映。「用心棒」を見に行ったが、あまりに遠いので1度きり。ロードショーで見るのは値段が厳しい。それなら洋画を見る。中古レコードも日本ものを扱う店、キタにもミナミにもなかった。LPコーナーとか東通り商店街にあったが、輸入ものの洋楽専門。

対して横浜、東京には日本映画専門の名画座が何館もある。中古レコード屋もある。要は安く日本映画を観れて、安くレコードが買える。これだけでも横浜生活は素晴らしい。何だかんだ言っても文化は大阪より関東だと思えた。当時、オンタイムで人気だったのが、その年にデビューしたばかりの松田聖子。こちらも注目。これまでの山口百恵や桜田淳子らとは少々違った。翌年に発売されるのが、大瀧詠一の「A LONG VACATION」その辺から日本の歌(当時はまだj-popとは言わない。分類でいうとニューミュージック)を聴き始める。

洋楽ロック一辺倒だった高校時代。そこから1歩踏み出した。今から41年前、1980年の横浜。秋には19歳になろうとしていた。



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ポスターからすると森林火災のパニック映画のように思えるが、メインは殺し屋が少年を追う話 [映画&ドラマ感想]

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とても面白く見た。ポスターからすると森林火災のパニック映画のように思えるが、メインは殺し屋が少年を追う。それを助ける森林警備隊のアンジェリーナ・ジョリーという物語。ハラハラドキドキ。とてもよくできた映画。

メインキャラは7人。有名俳優はジョリーのみ。ストーリーが実によく出来ている。ジョリーも単なるスーパーヒーローではなく、過去の悲しみを乗り越えられず、トラウマを抱える。観客は応援したくなる。

森林火災は一応スペクタクルだが、パニック映画というほどでなく、そちらは背景にしか過ぎない。あくまでも人間のドラマ。火災を除けば日本でもできる物語。悔しいが、感心してしまう。オススメ。


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減量日記ーいかにして8キロ減に至ったか? 力石徹への道? [健康]

減量日記ーいかにして8キロ減に至ったか? 力士徹への道?

「どうやったんですか?」との質問を頂いた。経緯を説明すると、この春に減量を決意。ダイエットなんてオシャレなものではない。高血圧なのに太っていると、血圧が上がった時、体に負担がかかり死に至ること。前々から医者に「明日、死んでもおかしくないよ」とも言われた。

映画製作に入ると、トラブルの連続。「東京湾に埋めるぞ」と言いたくなることの連続。もう、連日、危険値。そこで567で映画製作ができない内に、減量して、次に血圧が上がる環境に入っても、対応できるように。と言うのがきっかけ。

4月にスタート。まず食事量を減らすこと。定食屋、トンカツ屋は量が多いので避ける。喫茶店のランチとか、OLが食べそうなものにする。朝夜は自炊。朝はパンと卵1個と魚肉ソーセージ。夜は納豆、豆腐、厚揚げ、大根おろし、温野菜等。でも、酒はたくさん飲む。時々、肉も食べる。しゃぶしゃぶにして、味ぽん。最後は、そばとかソーメン。

コンビニ弁当と揚げ物は避ける。カップ麺も食べない(昨日、食べてしまったけど)朝夜は問題ないが、昼はすぐに腹が減る。12時に食べると、3時には腹の虫。夕飯は6時以降。我慢我慢と思っていたが、食べないので血が作られないのか? 貧血気味になる。頭がくら〜。専門家に相談したら、「そんな時は血糖値が急に上がらないものを少しだけ食べたほうがいい」と言われる。

で、あんずの干したやつ。1個。すると1時間くらいは空腹を抑えられる。夏頃までは、その戦い。これは映画制作中でないからできる。打ち合わせで頭が働かないと大変。また、トラブルを解決する時はガーーと食べねばならない。これは19歳からの方法。しっかり食べると「なんとかなる!」と思える。

が、年齢と共に新陳代謝も落ち、血圧の問題もあり、若い頃と同じだけ食べても体重は増える。でも、食べないと乗り切れない。そんなことが16年続いた。でも、今なら!と思った。空腹を我慢。貧血気味になると、力石徹気分。でも、思考力低下するねえ。やはり、映画期間だとできない。

すぐに体重が減るものでもない。記録を見ると1ヶ月後、たった1.2キロ減。だが、2ヶ月目で3キロ痩せた。合わせて4・4キロ。4ヶ月目で7キロ減。初めはなかなか体重が減らない時期があった。何かで読んだが、少し多めに食べてもすぐに体重は増えない。また、数日、食事を減らしても体重はすぐに減らない。と言うのは現状を維持すると言う働きがあるからだ。だから、1週間くらい減食しても効果が上がらないのだろう。効果が出たのは2ヶ月目から。

運動に関しては前に記事にしたが、初夏にスポーツクラブに入会したが、揉めてすぐに辞めた。が、その後、急に体重が増えることもなく、減り続けている。時間があれば、ウォーキングをするが毎日ではない。また、夏に入り暑いので最近はしていない。食事の量も、先のメニュー以上には減らしていない。それでも現在は8キロ減を進行中。

貧血も減った。たまに都会に行きいっぱい歩くと、貧血気味になるが、日常生活では問題ない。食べた量と動いた量の足し算引き算。1日に必要なエネルギーなんてさほど必要ないことも感じる。空腹感もさほど強くなくなる。胃が小さくなるので、今では1人前の定食が食べれない。ファミレスではおかずを1個残して持ち帰る(夕飯に)

これで映画製作が始まると、持つか?は不安だが、デスクワークなら問題ない。また、8キロも減ると体が軽く。疲労感がぐっと減った。今までは8キロのバーベルを持ち歩いていたようなもの。その差は大きい。何もしなくても疲れていたのに、それはなくなった。もしかしたら、困ったちゃん相手に仕事していないのが理由かもしれないが、減量の効果と思いたい。

目標はあと2キロ。すでにきれなかったシャツやパンツもオーケー。ただ、力石のように、握手しようとすると倒れるかも? ま、そこまで痩せてないけどね。参考になれば嬉しい。


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