この数日中にやるべきことリスト。編集ができない! [「沖縄狂想曲」]
体力と病との戦いになって来た? [「沖縄狂想曲」]
体力と病との戦いになって来た?
まだ、詳しくは書けないが、近々に短期間だが編集以外の仕事が始まる。思い出すのは、昨年の今頃。「乙女たちの沖縄戦」編集なのに、映画依頼より以前に受けた仕事がいくつもあり、神経が切れかけた。
「編集作」とその他の仕事は脳の使う部分が違い、簡単に切り替えが効かない。ま、僕が不器用なだけかもしれないが、集中力というのはそういったものだ。
なので今年はできる限り、受けないようにしようと考えた。が、どうしても沖縄戦関係の仕事は断れない。意味も意義もある。ということで2つだけ引き受けた。その1つが近々始まる。編集の仕事は一時休止か?夜だけ作業するか?そういう対応になる。
脳の問題もあるが、それより問題なのは体力。その体力の限界を超えて仕事を続けたことが、50年ぶりの喘息再発に繋がった。咳の発作で夜寝られない日々が2週間も続いた。寝られないので体力はさらに低下。当然、集中力も下がる。本格的に編集ができない。病院に行き危ない薬をもらい10日。ようやく発作は止まったが、完治した訳ではない。
今回の別の仕事は体力も必要。歩き回る。遠くへ行く。それで体力が持つだろうか?再び体調不良に陥らないか? そんな不安がある。さらに、その準備に時間を取られ、数日前から編集作業も出来ていない。問題はいろいろある。
私の新作映画。内容を少しばかり報告。「沖縄戦」シリーズ第三弾! [「沖縄狂想曲」]
私の新作映画。内容を少しばかり報告。「沖縄戦」シリーズ第三弾!
先日のYouTubeでささやかにお伝えしたが、こちらのFBでも報告しておく。現在、僕は新作映画を進めている。今回もドキュメンタリー。2020年公開の「ドキュメンタリー沖縄戦」2022年公開の「乙女たちの沖縄戦」に続く、「沖縄戦」シリーズの第三弾となる。
タイトルはまだ決まっていないが、昨年の春にスタート。夏から取材を始め、インタビューも終えている。現在は編集中。今回も体験者や専門家の証言を中心に、沖縄、沖縄戦の知られざる事実を伝えるもの。テーマは少々ヤバい。なので、まだ詳しくは書けない。多くの日本人が知らない現実を描くものだ。
春まで編集が続き、夏には全国の映画館で公開したい。それまでに少しずつ情報を出して行く。この作品を成功させて劇映画の「沖縄戦」を撮るのが目標。劇映画は高額な製作費が必要なのだが、今の時代、原発映画と並んで沖縄戦の映画に、企業は絶対に出資しない。もう一度、戦争をしたい金持ちたちがいるからだ。政府も同様。
だから、戦争を賛美する「0」とかいう映画には金を出すが、戦争の悲惨。特に沖縄の現実を描く作品は支援しない。昨年、久しぶりに沖縄戦を描いた映画があったので期待したが、やはり事実を捻じ曲げ、戦争犯罪人を偉人として描く作品だった。「F50」パターンである。
沖縄戦の真実、あまりにも酷い現実を描く映画を作ってこそ、戦争の恐ろしさが伝わる。今も沖縄の人たちが苦しむ理由が見えてくるのだ。そして日本の未来も見えてくる。ウクライナXロシアの本当の構図も分かる。そのためにも新作を成功させることで、出資者の登場を期待している。企業はダメ。そして個人の寄付だけでは、戦争映画の制作費は十分に集まらない。大口の個人投資家の力が複数必要なのだ。
1億。とは言わないが数千万円。5千万以上ないと、それなりの戦争映画は難しい。そのステップとしての新作でもある。今回はドキュメンタリー。まずこれを、なんとか成功させたい!
詳しくはYouTubeで=> https://studio.youtube.com/video/3ASsCPOlYYM/edit?o=U
映画の構成。歴史の授業と「パルプフィクション」 [「沖縄狂想曲」]
映画の構成。歴史の授業と「パルプフィクション」
大まかな構成はすでに考えていたが、取材を済ませて、素材を確認。編集を始めると「違うなあ〜」と思えるものが出てくる。それは当然のことで机の上で考えて、紙の上に書かれた文章と、実際に撮影したものが同じになるはずがない。
だが、多くのテレビ・ドキュメンタリーは、すでに企画書で上の承認をもらっているので変更は許されないことが多い。紙に書かれた通りに編集し、仕上げて行くことを要求される。ま、お役所と同じ。あれこれ書類を作り工事を始めるが、いざスタートすると予期せぬ出来事や事実と出喰わす。それでも計画通りに!と無茶をするのが役所。それと同じ。
辺野古、新基地問題も同じ。地盤が軟弱で杭が打てない。今更、何?とも思うが、それでも膨大な費用をかけて工事を続ける。ただ、あれは最初から地盤のこと知っていて、永遠に終わらない工事をすることが目的だったかもしれない。その方がゼネコンが延々と儲かる?!それはさておき、スタートすると書類通りには行かないのが現実。
無理やり紙に書かれた通りにやろうとするから、ヤラセが必要になったりする。だが、僕はテレビ局で仕事をしている訳ではない。撮影した素材が生きる編集をするためには構成を変える。もちろん、その段でテーマまで変えることはないが、そのテーマに迫るためには書類に縛られていてはいけないということだ。
編集室を出て、近所のカフェへ。あれこれ考え、ノートにエピソードを箇条書き。映像イメージは把握しているので、それを頭の中でつなげて行く。出来たのが写真の構成表。これならスムーズに見せられる。
「ドキュメンタリー沖縄戦」の時は基本、時系列で見せながら一部は時間軸を前後させた。それを「時系列になってない!」と批判する人がいたが、全てを時系列とは一度も言ってない。歴史ドキュメンタリーだから「時間軸」と思い込んでの批判。
ただ、専門家からも「時系列にした方がいい」という声があった。歴史の授業では「年代順に教える」から。それが当然という思いがあるようだ。もちろん、その方が歴史の流れは分かりやすいが、退屈し興味を削ぐという側面もある。
僕は歴史家や教師ではない。観客が退屈せず、興味を持って映画を見てもらうことが使命。ドキュメンタリーでも同じ。年代順に観たければ専門家が作った歴史ドキュメンタリーを見ればいい。僕は映画屋。こんな映画があった。クエンティン・タランティーノ監督の「パルプフィクション」。時間が行ったり来たりする物語。タイムスリップではない。その編集がとても面白く退屈させない。あれを時間通りに見せたら詰まらない。それに近い時間編集を「沖縄戦」でやった。
似たような事件を続けて描くと、客は興味を失う。重大な事件を最初に持ってくると、後のエピソードが軽く見える。人にはそういう心理が働く。それを歴史だからと、年代順に見せるから退屈する。興味を失う。映画館に来るのは「歴史を勉強しよう!」という客ばかりではない。テレビ放送された時も、何の気なしに見る人もいる。そんな人たちも興味を持ち、最後まで見られる作品にすることが大事と考えた。
その意味で今回は時間軸問題ではないが、観客の興味が途切れない流れを考えた。さて、編集に戻りたいが、いろいろ控えていることがある?
疲れが出てきた。体調不良の再発? [「沖縄狂想曲」]
疲れが出てきた。体調不良の再発?
とも思ったがこれは疲れだ。気づくとまた休まずに仕事をしている。土日に休むという感覚がない。だから、いつも倒れるまで働く。友人は「俺はそこまでしないね!」というが、意味が違う。彼がいうのは「会社のために、休みなしで働いたりしない」ということ。僕は会社員ではない。自分が作りたい映画を作っている。会社のために働いているのではない。
自身の監督作だ。少しでも良いものを作りたい。何でもいいから完成させればいい!とは思わない。ま、そんな監督もいるが、その種の人は与えられた仕事をしている。自分がやりたいと思っていない作品を作っているからだ。自分が本当に作りたい作品であれば、少しでも良いものを作り、観客に感銘や感動を持ってほしいと思うものだ。
だから、休まずに仕事をしています。とは言え昨年夏からの体調不良。昨年暮れから喘息。無理はしないように、セーブして作業している。それが苛立つ。ガンガン進めたいが、編集作業はマラソン。最初から飛ばすのは良くない。また、来週あたりから別の展開がある。今、編集に没頭すると帰って来れなくなる可能性がある。だから、抑えなければならない。
その展開。かなり体力がいる。なのに年始年末も仕事を続けていて、疲れが出てきた。困ったなあ。食生活は注意している。毎朝、毎夕、具沢山の味噌汁。ランチも減量生活で食べなかった栄養ある定食を食べる。睡眠もしっかり摂っている。風呂は1日2回。朝と夜、体を温めることで免疫力を上げる。脱都会生活でガスはプロパンになり、値段はかなり上がったが、今は買ってでも健康を取り戻すことが大事。
あとは休息か?でも、少しでも先に編集を進めたい。でないと2月3月が地獄の戦いになる。と言って来週の展開でまた体調不良が再発したり、喘息が悪化したら大変なことになる。多くの人に迷惑がかかる。もう少しセーブしながら、作業を続ける。あ、「少し休んだ方がいいですよ」というコメントはいらないからね。休んで後で大変!!映画作りは命懸け。でないと良いものはできないので。定めなのじゃ。