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大田元知事が解説。1010空襲を特集 [沖縄の現実]

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以前から探していた大田昌秀・元翁県知事の本をゲットした。

それもサイン入り。

この方、何で知事からもらった本を手放してしまったのだろう?

でも、そのお陰で読めるのだけど。

この本、資料写真豊富。大田知事が解説。

1010空襲を特集している。

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「サイレントトーキョー」渋谷駅前大爆破事件!=かなり面白かった。 [映画&ドラマ感想]

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「サイレントトーキョー」渋谷駅前大爆破事件!=かなり面白かった。

日本映画の犯罪もの。以前は2時間ドラマと大差ないものが多かったが、このところはかなり力の入ったものが増えている。こちらは爆弾事件の話だが、渋谷駅ハチ公口の爆破シーンは本当に凄い!どうやって撮影したのか?(知っているけど、分からない)「太陽を盗んだ男」以来の興奮。

だって、日本は撮影許可がなかなか降りず、人がいない安全な場所でしか撮影できない。新宿でカーチェイスとか出来ない。が、日頃、よく見る場所で事件が起こるからこそ、リアリティが強く、盛り上がる。この映画はそれをやっている。先日の「罪の声」と並んでお勧め。


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物語を作る難しさ=意外に知らないシナリオ以前の作業? [映画業界物語]

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物語を作る難しさ=意外に知らないシナリオ以前の作業?

シナリオを書く時。どんな物語にしようかな?と考えるが、それ以前にどんなスタイルの物語であるか?考えなければならない。例えば原発事故の映画だとする。テーマは「事故の悲しみを伝える」では、誰の視点で描くか? どの立場の人で描くか? を考える。官邸を舞台にする? 福1が舞台? それとも住民か? あるいは官邸と住民。福1と官邸という組み合わせ。全部と言うのもありだ。

さらに官邸を舞台にするなら、視点は総理か? 官房長官か? それとも秘書官か? いろんなパターンが考えられる。福1なら吉田所長か? 職員か? 住民の場合なら年齢?性別?職業? 福島の人? 他県の人? 東京の人?いろんなパターンがあり得る。それらの中で作家が描きたいテーマを描く上で、一番効率的であり効果的な設定を選ぶことが大事。

周防正之監督が冤罪を題材とした映画「それでもボクはやってない」では、3通りのシナリオを書いたという。電車で痴漢に間違えられ、訴えられる主人公を、青年、サラリーマン、そしてもう1パターン。それぞれ年齢と職業の違う男性を主人公にして、一番、冤罪事件がリアルに、いかに酷いものであるか?が伝わるものを選んだと聞く。

基本は同じなのだが、主人公の年齢や仕事によって、周りの反応が違ってくる。学生なら周りから批判は浴びる。会社員ならそれだけで済まずクビになるかもしれない。違った展開。観客が一番共感しやすい主人公であること。より冤罪のメカニズムが分かりやすいこともポイントだ。

戦争映画の場合も同じ選択がある。視点を、指揮官にするか? 兵隊にするか? 民間人にするか? 同じ戦闘を描いても違ってくる。岡本喜八監督の「沖縄決戦」は指揮官である牛島中将らの目線で描かれた。「連合艦隊」は指揮官である山本五十六の視点で進むが、同時に若い軍人である中井貴一や永島敏行の視点でも描かれる。「この世界の片隅で」は民間人の若い女性が視点。誰の視点にするか?こちらも決められたテーマを一番明確に描けるものを選ぶ。

そのテーマの決め方も難しい。原発事故、戦争、悲しみを伝えることがテーマだとしても、どのように伝えるか? 「被害者」を描くのか? 「加害者」を描くのか? 個人に絞るのか? 複数を描くのか? いろんな手法がある。そんな風にシナリオを書くまでにあれこれ考えることが多い。従来のパターン。刑事物なら「はみ出し刑事が犯罪者を追う」と言う風にすれば、あとはどんな犯罪者で、どんなアクションがあるか?を考えればいいので楽だが、これまでとは違ったスタイルで描くなら、その前段階から考える必要がある。

パソコンに向かいシナリオを書き出すのは、それらが全て決まってからだ。でも、テーマ、スタイル、視点、等を考えるには何ヶ月も、時には何年もかかる。周防監督のように数パターンのシナリオにしないまでも、いろんなパターンを考える。時間をかけることが大事。頭がいいからと、すぐに思いつくものではない。毎日、あれこれ、長期間考え続けて「あー!」と言うアイディアが浮かぶ。

だが、依頼の場合。連絡があって「数週間後にプロット見せて!」とか言われるので時間がなく、パターンのものになりがち。日本映画はそこに時間がかけない。だから監督や脚本家は日頃から考え続ける。映画を見たり、街をぶらついたり、毎日DVDを見たりしながら考える。ただ、それを見た人は言う。「映画監督はいいなあ。毎日、ブラブラしていられて、いつ仕事するんだよ?」物語作りは理解され辛い...。


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俳優はどんな芝居に燃えるのか?=彼らはチャレンジャーだ。 [映画業界物語]

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俳優はどんな芝居に燃えるのか?=彼らはチャレンジャーだ。

シナリオを書く前にすること。前回紹介した。では、シナリオを書くときに大事なこと。書いてみる。もちろん、ハラハラドキドキする展開にして。最後は感動して涙!と言うストーリーを考えること、と言うのはある。映画はまず娯楽。あまりに説教臭くなると観客は見てくれない。と言って、面白いだけでは映画館を出たら筋を忘れる作品では困る。テーマがしっかり伝わるからこそ、一生忘れない作品になる。

この辺はよく言われるし、シナリオ学校とかに行けば教えてくれること。それ以外の太田組スペシャルを内緒で紹介する。僕のシナリオは毎回、オリジナル。原作のないものだ。僕自身が物語を考えて自身で執筆、自分で監督する。その際に考えるのは俳優のこと。どうしても監督といいう立場にいると、俳優はチェスの駒になったり、操り人形的な存在になりがち。ストーリー展開に都合のいい台詞を言わせたり、主人公を引き立てるためだけに登場するキャラを作ったり。

だが、ストーリーのため、他人のために存在する役を演じる俳優は気分が悪い。「いや、どんな役でも、もらった役は全力で演じます」と言う真面目な人もいるが、どうせなら「やる気」が出る役がいい。と言って、誰もが主人公を演じられる訳ではない。そこでシナリオを書く時に、できる限り、俳優の力が入る設定を作る。と言うのは、俳優はチャレンジャー。カッコいい役をやりたいとか、可愛い役を演じたいとか思うのは素人で、プロは難しい芝居に挑戦したがる。

では、難しい芝居とはどんなものか? まず、長台詞。「渡る世間は鬼ばかり」を見ていると、やたら長いセリフがある。あれ、トチると最初から、共演者も最初から付き合う。スタッフも同じ。二度三度、トチったら、撮影自体が延びる。撮り残しを出すかもしれない。多くの人に迷惑をかける可能性がある。すごいプレッシャーなのだ。自分のせいでベテランの先輩俳優まで付き合わせることになる。その上、長台詞は難しい。どこで上げて、どこで下げて、どう着地するか? 俳優の実力が問われる。また、個性を出せる部分でもある。だから、プレッシャーだがとてもやりがいがある。

あるいは、芝居の中で芝居をする?!そもそも、俳優は自分でない他人を演じる。が、例えば刑事もので潜入捜査をする。刑事の役だが、暴力団に潜入。ヤクザの振りをする。これは芝居の中で芝居をすることになる。非常に高度な演技が必要。その切り替えが難しい。観客に「本当は刑事なのに、ヤクザのフリをしているんだ」と思わせることが必要。これもやりがいのある役。

あと、いい人より、悪役の方がいいと言う俳優さんがいる。板尾創路さんが以前「沈まぬ太陽」で悪役を演じた時、とても楽しかったと話してくれた。他にも陣内孝則、高嶋弟、とか有名どころが出ているが、皆、ノリノリで演じていた。俳優さんは基本的にいい人が多い。そしてスタッフにも気を遣う。そのせいか、毒付いたり、怒鳴ったり、と言う日常ではできないことをするのが楽しいのではないか? そして、ワルというのは優等生より、いろんなバリエーションができるので演じがいがあるのだろう。

他にも、涙を流す。物を壊す。暴れる。等、難しいがやりがいのある芝居というのがある。そんな場面を作っておくと、俳優さんのテンションが上がり、「どんな風にやろうかなあ〜?」とシナリオを読んだ瞬間から、役作りが始まる。また、過去にやったことのない役というのも喜んでくれる。俳優たちはチャンレンジャー。新しいこと、難しいことに挑戦したい人が多い。なので、挑戦しがいのある設定や役を用意する。

そのことで感動の名シーンが生まれたり、予想外の笑いが起こったりもする。俳優たちはいつも以上の力を出してくれるので、映画のレベルも上がる。俳優の力は大きい。その力を引き出すのが、監督の仕事ではあるが、その前のシナリオ段階で、彼ら彼女らをやる気にさせることも大切。俳優頑張る!=映画が面白くなる。ということなのだ。そんな思いで、毎回、シナリオを書いている。


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岡本喜八監督「沖縄決戦」=怨念さえ感じる名作。何が監督を動かしたのか? [戦争について]

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岡本喜八監督の本を読んでいる。先日見た「ブルークリスマス」は傑作だった。そして何より「沖縄決戦」この数年、繰り返し見ている。実は「エヴァンゲリオン」の庵野秀明監督もあの作品が大好きで100回以上も見ているという。確かに「エヴァ」は影響を受けていることを感じる。

そんな「沖縄決戦」本当に凄い。怨念さえ感じる。岡本監督はコメディ路線もあるが、一方で戦争ものも多い。「肉弾」「日本の一番長い日」と硬派なものがある。「戦争ものにはこだわりある」とのことだが、特に「沖縄決戦」への思いが強いように思える。その理由が知りたくて、彼の本を読んでいる。その理由であろう部分を見つけた。

「シナリオが上がり、撮影準備が進んでいたが、沖縄戦を勉強するとあまりにも知らないことばかりで自分が恥ずかしくなった。こんな酷い話を知らずに来た自分が情けない。しかし、この事実を私同様に、多くの日本人も知らないのではないか?それならば映画にして多くに伝えなければならない」

という感じの話を読んだ。あーーーーー一緒だ!僕の記事をここ数年読んでくれている人はすぐに気づいただろう。僕が「ドキュメンタリー沖縄戦」の依頼を受けてからと同じだった。最初は教材作りということで、気軽な気持ちで引き受けた仕事。そこから沖縄戦を調べだすと、何も知らない自分に気づいた。こんな酷いことが沖縄戦であったのに全く知らなかった。情けない。でも、もしかしたら、多くの日本人もこの事実を知らないのではないか? なら伝えなければならない。と、スポンサーに劇場公開を進言したのだ。

実際、映画が公開されると多くの人から「知らなかった。沖縄戦がこんなに凄惨なものとは思わなかった」との感想を頂いた。そのことで岡本喜八監督の思いを痛感した。彼も同じ気持ちだった。だから、怨念とも言えるものを映画に感じた。僕も同様。だから、この夏は日本中を飛び回って宣伝をした。頑張りすぎて今は自宅入院状態だが...。映画は好評で来年2月に東京でアンコール上映がある。まだまだ終わりにしてはいけない。


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映画作りに大切なもの=「題材を熟知」「作品への思い」それがない日本映画も結構あるが... [映画業界物語]

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映画業界。楽して映画を作ろうとする奴がいる。監督依頼を受ける。と、その原作やシナリオを読むだけでなく、題材となるものを調べる。刑事ドラマなら警察、マスコミ、暴力団。犯罪者。それらの実態を知った上で撮影に挑む。学園ものなら、学校、教師、今時の生徒、校則、日本の教育、とそれらを把握した上で、フィクションを描く。物語なので全てが事実である必要はないが、現実を知らずに描くと一般の客でも、それを感じ取り、全てが嘘であるように感じてしまう。

だから、題材となるものを徹底して調べる。勉強することは大切なのだ。にも関わらず、その辺をやらず安易に映画を作る人たちがいる。以前、書道を題材とした映画を監督したので、同じ書道ネタのシナリオを見せられ意見を聞かれたことがある。全く書道について調べず、物語は巧妙に書道に触れない学園ものになっていた。これなら書道でなく、囲碁でも、絵画でも成立する。調べずに楽して書いたシナリオの典型だった。

ただ、作家に聞くと、こういう。「あのプロダクションはギャラも出さずにシナリオを書かせる。スポンサーがゴーサインを出したら製作する。その段でギャラを払うていうんだ。ゴーしなきゃノーギャラだろ?なのに書道を勉強して、時間かけて、経費かけてたら馬鹿見るだろ。だから、調べずに書いたのさ!でも、書道に賭ける青春になってるだろ?」そんな製作会社は多い。シナリオを書くだけでも1ヶ月以上かかる。それでノーギャラだと翌月の家賃も払えない。ビッグネームの作家でない人は自転車操業。タダ働きはできない。

そのために調べずに書く。確かに調べると大変。僕は書道を4年勉強した。それでもまだまだ足りない深く広い分野なのだ。ただ、それを調べて物語にするからこそ観客に伝わる。それをせずにシナリオを書いても観客が感動する作品にはならないだろう。何より「思い」がない。題材を把握すると同じくらいにそれは大切。「書道題材ですね?了解〜」みたいなことではダメ。書道を知り、書道の意味を理解し、これは若い人に伝えるべきものがある!と監督や脚本家自身が強く思わなければダメ。感動作にはならない。

同じことは原作ものにも言える。「デビルマン」「カムイ外伝」を撮った監督は依頼をもらって初めてそれらの原作を読んだという。それまで読んだことがなかったのだ。そんな人たちに依頼する会社も悪い。作品に対する「思い」がない監督では、観客に伝わらない。それら作品は原作とは完全な別物となり、原作ファンからは大ブーイング。興行的にも惨敗した。監督の選び方が間違っていたのだ。

そして人気原作を利用して、別の作品を作る人たちはよくいる。監督には作りたい作品がある。でも、マニアックで企画が通らない。だから、人気原作の映画化の時に、それをやってしまう。やりたいものができない辛さも分かるが、それは観客や原作者、ファンへの裏切りだ。話が逸れた。要は題材を熟知すること。「思い」があること。それらがないと作品は輝かないし、観客に届かない。映画を作る時に一番大切なことだ。


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今年のベスト映画はこれだ!シリーズの最高傑作と言われる「大人帝国の逆襲」を超えていた。ラスト30分。涙の連続。映画館で3回見た。 [2020]


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今年のベスト映画はこれだ!

シリーズの最高傑作と言われる「大人帝国の逆襲」を超えていた。

ラスト30分。涙の連続。

映画館で3回見た。


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これ忘れていた! [2020]


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これ忘れていた!


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見なければ! [戦争について]

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見なければ!


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日本の戦争映画。「日本人は被害者だ」と訴えるものが多い。その構図を考える? [戦争について]

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80年代以降の日本の戦争映画の多くが描いていること。「多くの日本人が傷つき死んで行った。戦争はいけない」大切なことだ。ただ、言い換えると「日本人は被害者だ」というようにも聞こえる。だとすると加害者はアメリカか?なのに日本映画で加害者であるアメリ人を批判、責任追及する作品はほとんどない。多くの映画は日本人の悲しみ、被害は描くが、アメリカ人「酷い」という見せ方はしない。

「黒い雨」という原爆投下の映画があるが、LAで公開されたとき地元新聞に「まるで自然災害で広島県民が被害を受けたような描き方をしており、アメリカに対する怒りや批判がまるで存在しない」という批評をされた。原爆を落としたアメリカに言わるのもどうか?と思うが、その映画はまさに、そんな映画だった。同じく原爆投下を描いた映画「ひろしま」は戦後すぐに作られたこともあり、配給会社がGHQを気にしていくつシーンをカットすることを要求。製作側が拒否したために一般の映画館では公開されなかった。

その種の忖度が今も続いているので、加害者アメリカに対する批判、責任追求ができないのではないか? ただ、アメリカ人だけが悪いか?というとそうでもない。日本人もまた加害者なのだ。真珠湾、沖縄では多くのアメリカ人が死んでいる。また、日本軍は中国大陸でも多くの人を殺している。そんな加害者としての日本を描く映画。過去にはあるが、80年代以降はほとんどない。その理由を考えてみる。映画は歴史を伝えるだけではなく、娯楽であり、ビジネスでもある。「日本人が加害者だ」という映画を見たい人は多くないので、その手の作品が作られなくなったことがあるだろう。

そのために「日本人は被害者だ」という被害意識だけを描き、観客の涙を誘う物語が増え、加害者である側面を描かない。加害者アメリカの責任も差し障りがあるので、追及しない映画が80年代以降は多く作られたのだろう。悪いのは「アメリカ」ではなく「戦争」なのだという物語になる。ただ、考えるべきことがある。戦争というのはアメリカが悪い、日本が悪いだけではない。両方が加害者であり、両者が被害者なのだ。それが戦争だ。ならば「戦争がいけない」で終わるべきではなく、誰が戦争を起こしたか?を考えることが必要なのではないか?アメリカ、日本の両国にそんな人たちがいたはず。その責任こそを追求すべきではないか?

しかし、多くの日本映画はその辺が曖昧、「軍部の暴走」という形で済ませてしまう。それも山本五十六を主人公にして「本当は戦争をしたくなかったんだ」という思いで描いてしまう。軍の誰と誰が、なぜ?戦争を推進したのか?は描こうとしてしない。この構図。実はミッドウェイ海戦の結末と似ている。あの作戦は山本五十六と南雲中将が中心に立てられた。そして敗北。多くの空母が失われ、そのために日本軍は負けに向かっていく。が、中心の2人は何ら罪を負うことなく、山本はその後も任務を続け、南雲は兵学校の校長に転任している。

現在の桜を見る会の追求でも、安倍は逮捕されず、秘書が起訴されただけで幕引きをしようとしている。同じことを映画でもやっているように思える。「戦争が悪かった」「戦争はいけない」それはそうだ。が、その戦争を誰がスタートさせたのか? なぜ、国民はそれに賛同していったのか? もし、「戦争はいけない」というなら、そこを確認しないと、また同じことが起きるかもしれない。そこをなぜ日本映画は描かないのか? 本当に責任ある者を追求せずに、許してしまう日本人の習慣が、そこに反映されてはいるのではないだろうか?


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