海外で生活する友人。こんなことを言われた。「あなたはどうしたいの?」=戸惑う日本人から見えてくる国の方針? [日本の教育]
海外にいる友人。こんな話をする。
「日本からこの国へ来たばかりの頃、一番戸惑ったのは『あなたはどうしたいの?』という言葉だった。でも、いつも、みんなと同じことしてれば問題ない国から来たので、自分の意思で選択して自分でずんずん生きていく、というのがとても斬新だった」
僕もアメリカで長く生活したので、よく分かる。ただ、少し違ったのは『あなたはどうしたいの?』と言われることはなかった。やりたいことが明確にあって、自己主張していたから。だから、まわりのアメリカ人たちは心配せず、不信にも思わず、質問をすることがなかったのだ。
でも、友人の言葉で再確認した。「いつもみんなと同じことしてれば問題ない国」に僕らは住んでいる。何も考えなくてもいい。学校に行き、受験勉強をして、少しでもいい大学に入り、安定した会社に就職。しっかり仕事して、結婚して、子供を作り、学校に通わせる。みんなと同じ、そんな人生を送る。あれこれ考えなくても、選択しなくてもいい。それが日本という国。
もちろん、些細な選択はある。大学は何学部にするか?文学部、社会学部?でも、多くは「みんなが文学部というから、僕もそうしよう」というレベル。会社を選ぶ時も「外資系がいいな」「有名企業がいいな」「社名を言って恥ずかしくないところかな」という選択であることが多い。でも、皆と同じ方向に一緒に進めば、問題ない。逆に誰もしない選択をすると大変なことになる。
「大学行かずに芸能界に進みます!」
とかいうと大変。周りが団結して反対する。、親も教師も、クラスメートもこぞって反対する。近所の人や親戚まで説得にくる。つまり、何も考えずに、自己主張せずに、みんなと同じ方向に進まないと大変なのが、日本という国なのだ。しかし、友人が生活する国(アジアではない)では、何をするにつけて自分の意思を示さないといけない。みんなが進む方向なんてない。それぞれが考えて、選択し、それぞれの道を歩むのだ。
何も考えずに、選択できずにいると「あなたはどうしたいの?」と言われてしまう。でも、多くの日本人は「これがやりたい!」ということがない。小学生時代から与えられたことをするだけ。だから、その国で生活すると戸惑ってしまうだ。いや、その国だけではないアメリカでも、ヨーロッパでも同じ。みんなと同じことをしていれば無難に生きられるのは日本くらいではないか?
その日本。僕は昔から生きづらいものを感じていた。高校時代に「映画監督になる」と決めてからは余計だ。みんなと同じ方向に進めば、考える必要もなく、無難に生きていけるが、逆らうとありとあらゆる人たちが反対。止めに来る。いや、邪魔しに来る。「迷惑かけてないでしょう?」と思うが、正義を掲げて粛清しようとする。そう言えば子供の頃から僕はこう言われた。
「ワガママだ」「利己主義だ」「身勝手だ」「協調性がない」
どれも悪いことであり、親や教師からも「そんな性格は直さないと!」と良く言われた。が、今、考えると「皆と同じにしなさい」「自己主張してはいけない」というのと同じ。もっと言えば「夢を捨てろ」「考えるな」「従え」「我慢しろ」「いうことを聞け」というのと変わらない。
つまり、国が決めた教育方針。小学校から大学まで。そこで学び。与えられたことし、会社に入り働け。結婚して子供を育てろ。経済大国ニホンに貢献しろ!ということ。その他の道は許されない。勝手なことをするな。自分だけが良ければいいのか? 一見、正しいと思える言葉で押さえつけ、政府が決めた生き方を強要するのが日本という国なのだ。
はみ出し者が出ないように、「考える」教育はしない。与えられたことをするだけの教育。あれこれ意味を考えない。疑問を感じない。従順な大人に育つ。不満があっても我慢して従う。もし、はみ出す者や自己主張をする者がいれば、周りの人たちがよってたかって修正する。そのメカニズムは日本古来からあるムラ社会ルール。同調圧力だ。
それが戦後の日本。いや、戦前の軍国教育もほぼ同じだった。「兵隊になる」という目的を「会社員になる」に変更しただけ。いずれも国策に都合の良い大人を育てること。僕らはそれが普通。当たり前だと思って成長した。だから、日本人は「あなたはどうしたいの?」と訊かれると戸惑う。僕は最初からはみ出しているので、アメリカでそう訊かれることはなかった。だが、日本での生活はとても苦痛。「ほっといてくれよ!」と子供時代から思っていた。
「あなたはどうしたいの?」と問われれば「映画を作りたい!」だった。同じように若い頃は、皆、いろんな夢を持っている。それを潰すのは教育。
「世の中甘くない」「自分が良ければ良いのか」「身勝手だ」「自己中だ」
そう言って夢を諦めさせ、国の方針に従わせる。僕は超捻くれ者だった。頑固で身勝手だった。だから、貫徹し、今は映画の仕事をしている。才能があるとかではない。多くの若者が挫折していくのは能力がないからではなく、仕組まれた路線から外れることで、同調圧力が働き、みんなで潰しにかかるからだ。そのために日本の大人たちは考える力が弱く、与えられないと何もできない。そしてすぐ誘導されるのだろう。いろんなことを再確認してしまう。
「安倍政権」そして「トランプ」あと「ムラ社会ルール」「同調圧力」 [戦争について]
ここしばらく注目してきたのが「安倍政権」そして「トランプ」あと「ムラ社会ルール」「同調圧力」「記憶力を測るだけの日本教育」そんなことを以前から調べたり、専門書を読んだり、考えたりしていた。ら、その全てが大統領選で結びついてきた。だから、面白い。
その背景は沖縄戦、そして太平洋戦争とも共通する。人はいかにして思想操作され、誘導され、利用されるのか? なぜ、背後にいて利益を上げる人たちの存在に気づかないのか?
同時にヨーロッパ戦線も勉強していたが、戦時中の日本とナチスドイツの共通点も見つけた。アウシュビッツと沖縄戦の類似も感じる。長生きするもんだねえ。教科書に載らない。NHKが報道しない背景というのがあるんだねえ。また、詳しく記事にする。
その背景は沖縄戦、そして太平洋戦争とも共通する。人はいかにして思想操作され、誘導され、利用されるのか? なぜ、背後にいて利益を上げる人たちの存在に気づかないのか?
同時にヨーロッパ戦線も勉強していたが、戦時中の日本とナチスドイツの共通点も見つけた。アウシュビッツと沖縄戦の類似も感じる。長生きするもんだねえ。教科書に載らない。NHKが報道しない背景というのがあるんだねえ。また、詳しく記事にする。
facebookで頂いたコメントを読み思うこと? [2020]
facebookで頂いたコメントを読み思うこと?
このところ、すごい数のコメントを頂く。感謝。あこれこれ気づいたことがあるのでお伝えしたい。最近はトランプ関連のコメントが多いが、それ以外のものもある。基本、反論批判でなければ、意見を書いてもらうのはOK。ただ、質問には答えない。そんなことが起こる背景。多くの「友達」は自分と僕を1対1で考えている。が、僕の場合「友達」は5000人。常連でコメントをくれる方だけでも2ー30人はいる。
1人の質問に答えて「じゃあ、私も」「僕も」となったら、どうすればいいか? 実はFacebookを始めて数年後にそれがあった。当時は全ての質問に答えた。朝起きてパソコンに向かい、返事だけで午前中が終わる。答えるとまた質問が来る。有名でない監督でも皆、興味を持ってくれる。ありがたいが、仕事にならない!だから、質問には答えないことにさせてもらった。
「それは非常識だな?」というあなた。いつもいい意見をくれる。だが、気づいてないことがある。あなたは僕の名前も、仕事も、顔も、経歴も知っている。「この監督、面白いなあ。コメントしよう」それは嬉しい。だが、僕はあなたのことを知らない。プロフィールを確認するが、名前は本名かどうか?分からない。顔写真はない。経歴も書かれていない。そんなことが多い。
タイムラインの記事を見ると、年配男性であると予想できる。高学歴と思える。ある分野に詳しい。しかし、そこから分かるのは覆面を被った男性。60〜70代ということだけ。なので情報をコメントしてくれても検証できない。僕が知る知識なら「よく知ってるなあ」「この人、本当は知らないな」と判断できるが、得意でない分野、全く知らない情報だと判断できない。
もし、学歴、仕事歴が書かれていれば「法律には詳しいはず」「海外体験があるのね」と分かり、その種のコメントは信憑性が上がる。そうやって頂いた情報を精査する。顔写真があれば、見るからに賢そうとか分かる。が、それが風景や動物だと分からない。
名前を出さない。顔を表示しない。経歴を見せない。それは自由。でも、覆面を被り、街角で声をかけて話をするようなもの。おまけにネットでは声質は分からない。そんな状態で、あなたの思いや意見はなかなか伝わらない。信憑性が損なわれる。
友人や家族と話す感じでコメントしてもダメ。相手に情報がどれだけあり、どのような例をあげれば理解しやすいか? 言葉の選び方。単語も同様。長いコメントは読みづらい。それをどう、まとめるか? その辺ができず、毎回「意味不明」という方もいる。せっかくコメントをくれるのなら、こちらも真意を理解したい。
さらに記事の本文をよく理解せずに感想を書く人。明らかに誤解している人もいる。それが批判でなければ問題はないが、せっかくなら他の「友達」が読んで「なるほど、そういう意見もありだよな」というものの方がいい。以上のような点に気がつけば、多くの人が興味を持つコメントになる。返事もしないのに偉そうに書いたが、気づいてもらえれば嬉しい。
国民の憎しみを掻き立てる=それが戦争への第一歩? [戦争について]
国民の憎しみを掻き立てる=それが戦争への第一歩?
戦争というのはプロパガンダで国民を誘導し、戦意を高揚させる。敵を憎むように仕向ける。太平洋戦争の時は「米英鬼畜」と叫び「あんな酷い奴らは打ち倒せ!」と国民を誘導した。対して米軍は「リメンバー・パール・ハーバー」「卑怯なジャップをやっつけろ。真珠湾では多くの米国人が無残に殺されたのだ!」と国民の怒りを煽った。
太平洋戦争だけではない。近年でも政府は同じ手を使う。湾岸戦争の時はクエートの病院に勤めるというナイラという少女の言葉。「イラク軍は病院に乗り込んで来て、保育器に入った赤ちゃんを床に叩きつけた...」国連本部での演説で全米が怒りに震え、参戦へと進む。
だが、ナイラはクエートに一度も行ったことのないアメリカ生まれ。広告代理店に雇われていたことが後に判明。彼女はプロパガンダであった。今も昔も同じ手を使い政府は戦争を始める。
最近は少し違う手法が出てきた。イスラム国である。人質を取り高額の身代金を要求。払わないとインターネットで処刑を公開。日本人も犠牲になった。酷い連中だ。許せない!でも、実はイスラム国はオバマとヒラリーが作った組織。CIAが訓練した。
先のように分かりやすい悪役を演じさせ、アメリカが糾弾。「イスラム国を壊滅させろ!」と戦争をするための理由を作りのための組織だった。そのことでアメリカは全世界の賛同を得て、多くの爆弾、ミサイルを消費。軍事産業が大儲けできる。次に自衛隊を派遣し、地上戦をやろうと考えた。ベトナム戦争の再現。長期化が予測される。そのための武器を日本に売りつけ、自衛隊を派遣。日本人に血を流させる。
それがヒラリーの計画。そのために日本の首相に「戦争法案」を可決させた。このように戦争をするためにどの国も敵を「鬼畜」に仕立てる。国民にそう擦り込む。カダフィもフセインもそうだったのだろう。そして敵がいなくなると、イスラム国のような悪役を育てて戦争を続けようとする。そんな政府の裏にいるのが戦争屋たちだ。彼らが全てを仕掛ける。
ところが彼らの計画が狂う。ヒラリーが大統領選で負けたのだ。自衛隊計画は中止。それどころか新大統領のトランプは空爆でイスラム国を壊滅させてしまった。ここしばらく彼らの悪行を聞かないのはそのためだ。さらにアジアの火種である北朝鮮さえミサイル発射もやめさせてしまった。中東の米軍は引き上げにかかっている。「これはマズい」と感じた戦争屋たちは阻止に動く。いつもの手を使った。マスコミを使って敵を鬼畜に仕立てる。
「トランプは差別主義者だ」「許せない!」
彼を引き摺り下ろし、再び戦争をしてくれる大統領を選ぼう。それがバイデン だ。しかし、壮大なネガティブキャンペーンにも関わらず、トランプ人気は強かった。そこで不正選挙。戦争をするためなら手段は選ばない。だって、大儲けできるのだから。そして戦争をしないと彼らは滅んでしまうから。存亡を賭けた戦い。どんな手を使っても勝つ!それが今回の大統領選だと思える。