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「はだしのゲン」第2巻。読み終わる。 5p読むごとに涙が溢れる。 [戦争について]

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ようやく第2巻。読み終わる。

5p読むごとに涙が溢れ、中断。

ファミレスで読んでいると

目をあげられなくなる。



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なぜ、人は些細なことで争い、相手を踏みつけてしまうのか?(後編)=故郷愛が強く、他人を許せない兄ちゃんの葛藤。 [思い出物語]

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なぜ、人は些細なことで争い、相手を踏みつけてしまうのか?(後編)=故郷愛が強く、他人を許せない兄ちゃんの葛藤。

映画監督である友人が地方で故郷映画を作った時、こんなことがあった。最初は熱烈応援してくれた地元の兄ちゃん。些細なことから「だったら協力できないな!」と言い出した。その街を舞台にした映画を作ることは、全国に故郷をアピールする絶好の機会。多くの人が支持、支援してくれている。

その兄ちゃんは地元メンバーの1人。強い故郷愛があるので、当初はあれこれ協力。それが、ある頃からスタッフ批判を始めた。「愛が感じられない...」「思いがない...」という。監督にも文句を言い出した。他の地元メンバーは

「スタッフの人はよくやってる。そもそも他県の人に、地元愛がないと批判するのも変!」

と困惑顔。結局、兄ちゃんはメンバーから外れた。そして、町の飲み屋で仲間を集めて「あいつらは俺たちを利用して映画作りをしている!」と演説。ネットでも毎日中傷ツイート。アンチになってしまった。同調し一緒になって批判する地元の人も出て来た。

しかし、友人のチームはいつも、スタッフ&キャストに街を好きになってもらうところからスタートする。町の歴史を学び、地元食材のおいしさを知り、事前に何度も訪れて町の魅力を確認。通常の映画ではしない努力をする。それでも「町に対する愛がない」と批判。映画を踏みつける発言を続けた。彼は少々、思い込みが強いタイプであり、注意するとエスカレートするので、地元メンバーは静観。

もし、そのことで制作サイドが「だったら、もう止めよう」と撮影を中止したらどうするのか?あるいはやる気をなくして、詰まらない作品になったら? 町の多くが映画を楽しみにしている。地元を全国にアピールする機会。それを潰してしまうかもしれない...。その話を聞き、先の反原発オジさんを思い出した。原発反対なのに同じ思いを持つ若者を批判、踏みつける。比較してみよう。

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「原発は無くすべきだ」

と思いながら、オジさんたちは同じ思いの若者を「努力が足りない」と批判する。心の中では

「俺も頑張って来た。賞賛されて当然だ。なのにマスコミは若い奴らばかりチヤホヤする!」

そう感じる。友人が出会った兄ちゃんは「俺は故郷愛がある」と言いながら、その故郷の魅力を理解するための努力を続けるスタッフを「愛がない」と踏みつけにする。その心中は?監督である友人が解説してくれた。

「彼は最初、スタッフの奮闘を喜んでくれました。県外の人がここまでしてくれる!でも、何度も会っている内に、僕らを身内と思うようになった。冗談を言い合う。一緒に酒を飲む。外部の人と頭では理解しているけど、街を愛する思いを持つ者同士と...。だったら、もっと頑張らないとダメだろう...と考えるようになった。

もし、僕らが町を好きになろうという努力をしなければ、所詮は外部の人と期待しなかったでしょう。でも、努力したことで、思いは同じ!と思い込み、もっともっと!まだ足りない!となった。でも、スタッフにはそこまで出来ない。許せない。騙された。こいつらは最初から愛なんて、なかったんだと彼は考えた.....。

それを耳にしたスタッフは、ーそこまで言われてもねえ。町への想いなんて消えたよ。仕事してさっさと帰ろうーと言い出す...それに、作り手は溢れる愛があるのはむしろ危険。少し冷めていないと、その町の魅力を冷静に見つめ、地元の人が気づかない良さを伝えることはできないんです...」

悲しい話だ。幸い、僕が撮影した街ではそんな事件はなく、多くの人の協力で毎回、素敵な作品を作ることができている。それだけに、友人の話。あまりにも辛い。故郷愛が強い人が一番故郷を貶めていること。それに本人が気づいていない。悲しいとしか言えない。

(了)


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なぜ、人は些細なことで争い、相手を踏みつけてしまうのか?(前編)=反原発を掲げるオジさんたちの葛藤。 [原発事故]

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なぜ、人は些細なことで争い、相手を踏みつけてしまうのか?(前編)=反原発を掲げるオジさんたちの葛藤。

「朝日のあたる家」の時、ネトウヨ、原発推進からあれこれ批判や攻撃を受けた。が、彼らは推進したいんだから「原発事故がどれだけ酷いものか?」を描く映画なんて作られては敵わない!と思うのは分かる。全国公開させたくない。揚げ足を取り、貶めるのは当然(?)。それは逆に、映画に強い影響力があることの証明でもあった。

あの時に悲しかったのは、何度も書くが、同じ思いの原発反対の人たちからも批判や中傷を受けたことだ。多くが年配の人たち。官邸前で抗議行動をする若い人たちをも批判する。「勉強不足だ!」「努力が足りない!」「目立ちたがり!」と批判した。これも何度も書いたが、そこには別の心理がある。

彼らはチェリノブイリ事故から声を上げ、勉強をしてきた。が、日本では原発問題を真剣に考える人は少なかった。「日本の原発はソ連と違って大丈夫」という人たちもいた。「心配性だね」「お前、おかしいよ」と笑われたりもしたはず。そんな1人にインタビューしたこともあるが、当時マスコミは全く注目せず、多くの人からバカ扱いされ、踏みつけにされたという。

それから25年。福島で事故が起きた。「そら見ろ!日本も同じだろ。俺たちはそれを警告してきたんだ。俺たちの声を聞いていれば、こんなことにはならなかったんだ」と思っただろう。だが、その時期。若い人たちが立ち上がり、反原発運動が広がる。マスコミは彼らに注目。ネットでも賞賛された。年配世代は思う。

「何であいつらなの? 俺たちは25年前から活動してんだぞ」

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嫉妬。それが怒りに変わる。「俺はあんな若造たちは認めないからな」若者を安易取り上げるマスコミに腹が立つ。ある人が解説した。

「それは承認欲求。俺たちも認めてくれ。褒めてくれ。という思い。それが満たされないので、若い人に嫉妬し、批判しているだけ。自分たちを正当化するために、ー悔しい、嫉妬するとは言わず、ー勉強不足、目立ちたがり、という批判の仕方をする」

それ当たっているだろう。勉強不足なら、知識ある世代が教えればいい。が、それはしない。原発反対という同じ思いを持ちながら、対立し、批判し、見下す。そんなことでデモ参加をしなくなった若者も結構いる。もちろん、年配の全てがそうではないが「朝日のあたる家」の時もそんなタイプのオジさんが何人もやって、面と向かって批判、罵倒された。

「こんなものは初心者向けの映画だ。もう少し勉強してから作るべきだったね。人に見せるレベルじゃないよ」

そんなことをわざわざ伝えに来た。悲しい話だ。僕はまさに、彼らが願うように、原発の危険性を多くに伝えるために映画を作った。なのにわざわわざ否定しに来る。何度もそういうことがあった。また、若い人たちでもこういう人がいた。

「内部被曝を描かずして原発事故は伝えられません。それを描いていない映画の応援はできません」

いずれも同じ目的を持ちながら、小さなことで線を引き批判し対立する。なぜ、同じ目的を持ちながら、いがみ合い争うのか? 推進派がそれを知ればこう思うはず。

「もっとやれ〜。内輪抗争で崩壊すればいい!」

反原発オジさんたちの行動は、推進派を喜ばせるだけ。原発問題だけではない。友人が地方で映画を作った時も似たようなことがあった。そこでも人の愚かさを痛感する...。(続く)



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「戦争を知る」シリーズ。 この機会に全部読むぞ! [コロナウイルス]

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「戦争を知る」シリーズ。
この機会に全部読むぞ!



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子供食堂の件で思い出した山本太郎さんのこと [MyOpinion]

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子供食堂の件で思い出した山本太郎さんのこと

久々に長編で記事を書いた。「子供食堂で考えたこと」8回連続。(このタイムラインを少し下るとすぐ見つかります)書き終わって感じたことは、これは食堂や映画監督業だけではないということ。思い出したのが山本太郎さんのトークに行ったとき。

太郎さんは自分が喋るだけではなく、聴衆にも発言させる。そんな中で質問を受け付けているのに、あれこれ提案ばかりする人がいる。そんなことを太郎さんは求めていない。これは太郎さんだけでなく、小沢一郎さんの「語る会」に行っても同じような人がいた。質問を!と言っているのに提案や自分のことを延々と語る。そして大抵はロクでもない内容。

でも、小沢さんは嫌な顔をせず、その提案を聞いている。「それ質問とちゃうやろ!」とは言わない。太郎さんは冗談を交えてうまくかわしたり誘導して、対話にしてしまうが、大変そうだ。僕も講演会で一度、質問というのに、的外れの提案をする客がいた。あまりにハズレだったのでストレートに

「違う!それは大人の欺瞞だ!」

と言い返したら司会の人が慌ててフォロー。来ていた友達に後で「お前、客に喧嘩売るなよ」と諭された。どうも「それもそうですね。。」とか思ってもないことは言えない。その意味で小沢さんも太郎さんも本当に我慢強く、偉い。

太郎さんのトークには毎回、参加しているらしき人もいて、馴れ馴れしい発言をすることがある。その心理には

「俺は太郎さんと親しいんだぜ〜」

という思いがあり、それを他の参加者に知ってほしいという意図を感じる。ま、有名人を知ってるというは自慢に思うのは分かるが、あれこれ引っかかる。元々は応援団だったんだろうけど、どこか自分の立場を勘違いしている。

これは他の政治家の会だが、その種の人が後で参加した応援団に対して先輩風吹かしたりして顰蹙を買うという話も聞く。その政治家を応援したくて参加したはずが、何か承認欲求を満たす行為に繋げている。

「私の方が以前から応援しているのよ」

的な。これも先の記事で紹介した原発反対オヤジと同種だ。政治家の人たちには、そんな輩が寄って来やすい。始めは応援であり、支持から始まっているのに、勘違いを始め、一線を越え周りに悪影響を及ぼす。悪意はないだけに切り捨てにくいし、追放すると「思い」が「憎しみ」に変わり、ネットで毎日批判したりすることもある。

これも子供食堂や映画撮影と同じ構図だ。でも、太郎さんのトーク行くと、彼はそんな人たちにさえも気遣いをしている。「そんなあたなも救いたい」ーえらい。500円玉ハゲで済んでいるのが不思議。子供食堂や映画監督業も大変だが、政治家さんも大変。


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「戦争を知る」シリーズ。 全部もう一度見る。 [コロナウイルス]

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「戦争を知る」シリーズ。
全部もう一度見る。


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子供食堂の件。改めて考えた⑧完結編=線を引き、壁を作るのもプロの仕事。 [コロナウイルス]

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子供食堂の件。改めて考えた⑧完結編=線を引き、壁を作るのもプロの仕事。

答えのヒントは芸能界にも転がっていた。矢沢永吉の武道館コンサート。ニューアルバムのある曲。作詞をした作詞家さん。入場のパスを渡された。「レベル3」と印刷されている。そのパスでは通用口から中には入れるが、矢沢の楽屋までは行けない。そこまで行くには「レベル5」のパスが必要。作詞家さんでもレベル3なのだ。

これ多分、作詞家とはいえ、何度も仕事をした訳でもない関係者には「レベル5」のパスは出ないのだろう。例えば一般人の友達を連れて来るかもしれない。

「俺、矢沢の楽屋に入れるんだ」

女の子に自慢したくて..。そんな人が本番前に来られては叶わない。常識ない子で「永ちゃん。あの曲、やってよ〜」とか言い出すかもしれない。曲はすでに決まっている。何で初対面の子にそんなこと言われないといけないのか?イライラ。と言うこともある。

ま、僕の想像ではあるが。映画撮影でも似たようなことがある。俳優たちは撮影前、ギリギリしている。物凄い集中力がいる。そこに関係者が友達を連れてきて

「ファンなんですー写真いいですか?」

なんて言い出したら大変。繊細な役者はそこで集中力が途絶えて芝居がうまく行かない。また、役者は人気商売。写真を断りづらい。だから、スタッフが止める。僕も止める。が、そんな俳優の気持ちを一般の人は分からない。

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僕も撮影中はイライラしている。時間との戦い。連日、問題山済み。そこに「監督の友達です」と言って撮影現場に入り込んだカタギの友人がいた。僕を見つけるなり

「おーー、なんか疲れた人がたくさんいるぞ。気分悪い人いないか聞いてやれよ」

と言うので「うるさい! あっち行け!」と怒鳴ったことがある。すでに事態を想定して医者や看護師さんにも来てもらっている。製作部や演出部も気を配っている。監督は次の場面の演出に集中することが大事。だが、友人には分からない。

「わざわざ陣中見舞いに来てやったのに、偉そうに何だ!」

と言う感じ。これも元々は親切。だが、撮影現場を知らない友人が連絡もせずに来て、イライラ状態の監督に何かを指図する必要はない。友人は悪い奴ではないが、映画製作は全く分からない。居酒屋で知り合いにあった感覚なのだ。悲しいが、その手の人を撮影場所に入れてはいけない。

現場を知らない彼は無神経に俳優に話しかけたりするかもしれない。友人には「レベル3」のパスを渡せばよかったのだ。同じく先の友人監督も企画会議やシナリオ打ち合わせに、スポンサーの友人とはいえ、関係者でない人を参加させてはいけなかったのだ。子供食堂はどうすべきか? 明確には言えないが、お客にあれこれ意見させない線引きが必要だったはずだ。

通常、食堂に行き、出された料理がイマイチでもいちいち意見する客はいない。「味付け変えたほうがいい」とか普通は言わない。二度と来ないだけ。なのに先の子供食堂の客は「手作りがいい」「自然食品を使うべき」とか意見している。本来、するべきことではない。が、彼らは

「子どもたちのため」

と言う大義名分を感じ、アドバイスしていると思い込んだ。映画撮影も同じ、友人も僕にアドバイスしたつもりだった。が、どちらもプロでない人間が現場を理解せず、余計なことをしている。アドバイスではなく邪魔をしているだけ。それに気づいていない。

プロでない人があれこれ言い出せば、どの世界でも問題が起こる。その辺を踏まえていない人が多い。だからプロの方が勘違いさせないようにせねばならない。止めることが大切。線を引くこと。壁を作ることで、彼らが一線を超えず、暴走しないようにすること。それがプロの責任ではないか?子供食堂の話を聞き、そんなことを考えた。

(了)


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子供食堂の件。改めて考えた⑦=責任があるのは誰か? 意外な答えを提案しよう。 [コロナウイルス]

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子供食堂の件。改めて考えた⑦=責任があるのは誰か? 意外な答えを提案しよう。

子供食堂も、友人監督の映画も、構図は同じ。どちらも最初は好意や応援。でも、本来、あれこれ言う立場にない人たち。また、料理人でもなく、映画人でもない。皆、聞きかじった知識。でも、応援したい、役に立ちたい。

けど素人。なのに親しくなると、あれこれ言うようになる。友達感覚。次第に勘違いが進み、子供食堂のご主人や友人監督に対して、対等な立場に立ち、あれこれ要望を出し始める。却下されると反感を持つ。そして批判を始める。

「親切で言っているのに!好意を踏みつけやがって」

と怒っているのだが、そもそも意見も提案も求められていない。悪意はないが、単なる素人。誰が悪いのか? 問題は何か? あれこれ考えた。「余計な口出しをする人たちがいけない!」とも思えるのだが、そうだろうか?多くの人が同じ状態に陥る可能性がある。そもそもは、どちらもいい人たち。

「何か応援したい」「役に立ちたい」

という優しい気持ちからスタートしている。が、ある時に一線を超えてしまう。僕も似たような経験があるので考えたのだが、ここで一番いけないのは子供食堂のご主人であり、友人監督だと思える。「えー、何で?」という人が多いかもしれない。

彼らはどうすべきだったか?を説明する。子供食堂なら最初の段階からお客にあれこれ言わせない。友人の監督は打ち合わせに素人を入れないことが大事だった。子供食堂のご主人は調理のプロ。友人は映画製作のプロ。その人たちが客や映画ファンの言葉に耳を傾けるから、勘違いされ、意見を言ってもいいのだと思っわれえしまう。

「そうですね〜」「それもいいですね」

とか言うので「俺たちが意見を言ってもいいだ」と思い込んでしまうのだ。最初に扉を開いてしまうと、一般の人は自分に知識や経験がなくても、聞きかじった知識であれこれ言い出す。プロがそのきっかけを作ってはいけないのだ。

厳しい話だが、そこがポイント。知識も経験もない一般の人たちは暴走しても気づかない.....。親切だと応援だと思ってしまう。一線を超えてることに気づくのはプロであるご主人であり、友人監督なのだ。次回、その点をまとめる。

(続く)


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子供食堂の件。改めて考えた⑥=映画作りに口出しする人たち。却下すると抵抗勢力に?? [コロナウイルス]

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子供食堂の件。改めて考えた⑥=映画作りに口出しする人たち。却下すると抵抗勢力に??

友人で、僕と同じように地方を舞台に映画を撮っている監督がいる。ある時、打ち合わせにスポンサーが地元の映画ファンを連れてきた。もう、いい歳のおじさんなんだが、昔は映画監督を目指しており、本物の映画監督に会いたいと付いてきた。最初は監督に会い感動。

「応援させてもらいます!」「協力します!」「ロケハンも手伝います!」

と言ってくれていた。毎回、スポンサーにくっついて打ち合わせに来るようになり、企画会議、シナリオ会議、キャスティングにも参加するようになる。最初は「へー、シナリオってそんな風にして書くんですね〜」と大喜びしていたが、次第に意見を言うようになる。「そこは***が犯人の方がいいんじゃないですかね?」「ラストはもっと劇的な方が面白いですよ」とか。スポンサーが連れて来た人なので、友人監督も厳しいことは言えず、

「そーですね〜」「いいかもしれませんね〜」

とかお茶を濁していたが、とても採用できるようなアイディアではない。映画ファンがあーだ。こーだ言うレベル。映画製作を知らないので、そのアイディアにどれだけの時間と労力がかかるか?が分からない。とても予算内では賄えない。それらの意見を却下すると不満顔。いつしか彼の気分はスタッフの一員。

「監督の案だって、新鮮味がないよね〜」

とか言い出す。一緒にストーリーを作っている訳ではない。キャスティングになると、自分が好きな有名俳優を上げる。シナリオを読み、登場人物に相応しいかどうかではない。また、有名俳優のギャラやランクが分からないから、ありえない俳優の名前を上げたりする。

なのに「なんで俺の意見を採用してくれないんですか?」とか言い出す。映画作りは仲良しクラブではない。監督の思いを形にするものであり、みんなが意見を出し合い多数決で決めたりはしない。友人は温和で我慢強い性格だったが、ついに激怒。彼らを会議から締め出した。すると、そのおじさんたち。

「あの監督はわがままだ。町のためでなく自分が作りたい映画を作ろうとしている。俺たちを利用しているだけだ....」

そう触れ回った。監督が作りたい映画を作るのは当然のこと。そもそも友人が考えた物語をスポンサーが気に入りスタートした企画。だが、その辺を知らない町の人たちは「ロクでもない人が映画作るのね...」と思うようになる。こうして友人監督を批判する声が増え、映画製作に協力しないと言う人も出て来た。

スポンサーからは「仲良くやってほしい」と言われるが、そういう問題ではない。そのスポンサーもまた町の人であり、地元会社の社長。映画製作経験はないので、その辺が分からない。子供食堂の話を聞き、その友人監督を思い出した。こちらの話も批判するオヤジは元々は協力的で、友人を応援していた。それが結局、抵抗勢力なり映画作りを邪魔するようになってしまった....。


(続く)


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子供食堂の件。改めて考えた⑤=相談するからあれこれ言われる。人に相談してはいけないのだ? [コロナウイルス]

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子供食堂の件。改めて考えた⑤=相談するからあれこれ言われる。人に相談してはいけないのだ?

友人は大切なイベントを企画、進める時には町の顔役に相談しない。前回、詳しく書いたが、それは大正解。実は僕も似たようなことをしている。学生映画時代。いろんな友達にシナリオ見せて意見を聞いていた。最初はシナリオを読む力がない(ないのが普通だけど)友人にも見せて、あれこれ的外れな批判を受けた。説明すると怒り出す。「だったら、分かるように書けよ」ーいや、書いている。お前に読む力がないだけだ...とも言えなかった。シナリオを小説のように読んでも理解できない。

「多くの人から意見を聞く」のはいいことだと思っていたが、違うと気づいた。人はとにかく、あれこれ言いたがる。自分の知らないことまで批評する。その背景には「相談されたんだから、なんとか信頼に応えたい」と言う思いがある。だが、その批判や提案を受け入れないと怒りに変わる「真剣に考えてやったのに、俺の提案を無下にしやがって」と思う人もいる。先の顔役のような人は特にプライドが高く、知らないことでもあれこれいう。

つまり、人は親切心で「何とか応えたい」と思うが、それが役に立たなものでも、却下されるとムッとする。だから、映画の場合なら、本当に映画製作を理解した人に相談するべき。それは業界人ということではない。映画の世界でもロクでもない連中が多い。最近では企画も、シナリオも、編集も、付き合いの長い友人2−3人にしか相談しない。それ以外は相談してもまともなアドバイスはもらえない。アドバイスを拒否したら怒り出す。なら相談しない方がいい。

これも子供食堂に通じる。食堂なので客が来る。親しくなる。と、調理の知識もない客があれこれ聞きかじったこと言い出す。対応しないと不満を持ち文句を言い出す。批判に変わる。本人は親切のつもりでも、素人の提案なんて役に立たない。食堂側はうっとおしいだけ。だが、それが客には分からない。と言うのが先に紹介した構図だ。これと同じこと。もう一つ映画業界から紹介したい....。

(つづく)


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子供食堂の件。改めて考えた④=相談するからあれこれ言われる。人に相談してはいけないのだ? [コロナウイルス]

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子供食堂の件。改めて考えた④=相談するからあれこれ言われる。人に相談してはいけないのだ?

地方に住む友人。故郷のために頑張っている。僕と同世代。まだまだ上の世代が町を仕切っていて古い価値観を振り回しているので、新しいことができず大変なようだ。町には顔役がいて、その人のご機嫌を損なうと出来るものもできなくなると言う。

が、友人はイベントを企画しても顔役には絶対に相談しない。なぜなら、相談して意見を言われたら、それに従わないといけなくなるから。そのアイディアを採用せずに企画を進めたら「ワシの案はボツにされた訳だな?」とか嫌味を言われ、協力してくれなくなる。だから多くの人はあれこれ相談に行くことで、顔役の協力を得ようとする。その結果、顔役の意見を取り入れ、古めかしいイベントしかできなくなる。

なるほど。同じことは映画製作にも言える。企画段階で「原発事故の映画を作る」と相談すると、いろんな人がいろんなことをいう。「原発はやめた方がいい」と止める者。逆に

「内部被ばくも入れて欲しい」「原爆も同じ放射能。扱って欲しい」「チェルノブイリも絡めた方がいい」

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と言う人たち。いろんなことを言われる。が、先の友人同様。顔役でなくても、その人のアイディアや提案を取り入れないとヘソを曲げることが多い。

「だったら勝手にしろよ!」「内部被ばくを描かないと原発事故は描けない」「原爆を扱わないならもう協力はしない」

思いのある人ほど、頑なになり、失望される。

「あいつの映画。どうせロクなもにはならないよ」「応援してたのに、あの態度ではダメだ」

と言い触れ回る奴。でも、それはおかしな話。だったら自分で製作費を集めて自身で映画撮れよ!と思う。人の企画に便乗して、自分の考えるテーマを伝えようとする乗ってどうなの?

もう、分かったと思うのが、それらの人。顔役も、原発映画で助言してきた人たちも、先の子供食堂にたむろして、あれこれ言う人たちと同類なのだ。自分は何もせず、金も出さず、労力も提供せず、あれこれ指図して、従わないと批判し、否定する。最初は応援団だった人たちが抵抗勢力になってしまう。が、提案を聞いていたら子供食堂なら経済的に破綻するし、映画ならまとまりのないものになる。

そこで地方の友人のスタイルが意味を持つ。彼は相談しない。だから、あれこれこ言われない。顔役の大きな力は得られないが、彼の思いがこもったイベントができる。映画製作も同じだ。いろんな人に相談しない。「次にこれをやる」とは言わない。そうすればあれこれ言われないで済む。子供食堂で言うと、最初から提案させないことなのだろう。これは難しい。客商売でもあるし。顔見知りの客は気軽にあれこれ言いがちだ。その辺をさらに考えてみる。(続く)


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子供食堂の件。改めて考えた③=素人があれこれ口を出しする背景。どうして生まれるのか? [コロナウイルス]

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子供食堂の件。改めて考えた③=素人があれこれ口を出しする背景。どうして生まれるのか?

なぜ、子供食堂に興味を持ったか?というと映画製作でも似たようなことがあるからだ。映画は予算の中で作り上げねばならない。が、映画ファンは

「何でここでCG使わないの?」

とか批判する。費用がかかるからだ。それはクルクル寿司に言って

「何で大トロないの?」

というようなもの。観客が見たら何てことのない場面でも、物凄い時間をかけて撮影したものもある。その費用や労力は業界外の人には想像できない。

それと子供食堂は同じ。その食材は高価とか、手に入りにくい、保存が大変、調理が難しい。いろいろある。それを知らない近所のオヤジが

「子供の健康のためだ...」

と言いだす。映画製作で素人が

「ここはクレーン撮影だよ。次は移動撮影」

と聞きかじった知識で指示するのと同じ。

「この製作費でクレーンが使えるか!」

と言うのと同じ。それを近所の人たちは子供食堂のご主人に言っていたのだ。要は料理について何も知らない素人が聞きかじった知識で、プロの調理師にあれこれ指示しているだけなのだ。が、本人たちは応援している。アドバイスしていると思い込んでいる。悪意はない。だから、どんどんエスカレートする。ただ、ご主人も客商売。

「素人は黙ってろ!」

とは言えない。「そうですね」とか愛想よくしているから、さらにいろいろ言われる。本来、近所のオヤジたちは金も労力も提供しない存在。料理の素人。それを自覚するべきなのだが、親切、応援という思い込んでいる。勘違いエスカレート。それに応えない主人に対して不満を覚え、批判を始める。

ただ、誰にも悪意はない。誰もが「子供達のため!」と思っている。なのに、結果は子供食堂は中止になり、ご主人は傷つき。近所のオヤジたちは不平不満を言うだけに終わっている。どこで間違ったのか?何がいけなかったのか? 次回に考えてみたい。

(続く)

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子供食堂の件。改めて考えた②=頑張る人を応援するつもりで、潰してしまう大人たち。 [コロナウイルス]

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子供食堂の件。改めて考えた②=頑張る人を応援するつもりで、潰してしまう大人たち。

子供食堂。続きを書く。あれこれ批判する近所の人たちも、最初から批判していた訳ではないだろう。新聞記事には書かれていないが、そこを推理してみた。食堂の主人、夕飯を食べられない貧しい子供が多いと知り、子供食堂を始める。全て自腹だ。近所の人たちはその話を聞き、関心を持つ「最近、話題のアレか? あの食堂もやるのか?」出かける。子供たちがご飯を食べている。

「これはいいことだ。素晴らしい!」最初は称賛した。「国が本来やるべきことを個人の食堂のオヤジがやっている。偉い!」激励した。そんな人たちが様子を見に店にやってくる。食事をする。ビールを飲む。頑張るご主人へのせめてもの応援。金を払って飯を食う。近所の顔見知りが集まる。こんな話になる。

「子供時代の食事は大事だ。化学調味料とか健康に良くないらしいね」「やっぱ、自然の食材が大事ね」「そうそう、冷凍食品なんて栄養ないって聞くよ」それを店に伝える。主人もそれは分かっている「それ大事ですね!」と答える。その食堂が新聞で紹介された。また近所の人たちが集まる。「ご主人。凄いね。新聞に出てたね」「俺たちも応援したくて、あれこれ考えたんだけど、やはり子供に食べさせる料理は手作りがいいと思うんだ」「食材も自然のものがいいよ」

だが、子供食堂は無料の提供。赤字覚悟。多大な費用や時間はかけられない。その辺が食堂経営者でない近所の人たちは分からない。子供の健康という観点だけで意見する。最初は店の主人も「はあ。そうですね〜」とか言って対応する。が、彼らは次第に馴れ馴れしくなる。いつしか気分は子供食堂スタッフ。

「やはり食材は無農薬のものがいい」「玄米も使った方がいいな」「**油を使った方が健康にいいんだって」

主人が「あれ値段高くてね...」というと「子供の健康が大事だよ。安物使って病気になったら大変だぞ」しかし、その油を持ってくるわけではない。それを主人が購入することで、どれだけ負担になるか?赤字が増えるか?考えない。ご主人は次第にうんざりしてくる。

「あの人たち客だから厳しく言いたくないけど、要は文句言ってるだけだからな...」

彼らにすると「金は出せないけど、せめて提案することで応援したい」と考える。が、料理作りが分からない人たち。食材の値段も知らない。料理の手間がどれだけかかるかも知らない。つまり素人が素人発想をあれこれ押し付けているだけ。だが、本人たちは「親切」「提案」「応援」と思う。

次第に「提案」が「批判」に変わる。「あの主人。何度も言っているのにまだ冷凍食品使ってんだよ」「せっかく子供たちが集まるんだから、そこで勉強教えればいいのに、本当にダメだな」しかし、それはもう親切ではない。大きなお世話。なのに提案を受け入れないご主人は努力が足りないと解釈する。彼らはそんなことを近所でも話すようになる。

「あの店。ダメだよ。子供の健康のこと考えてない。酷いもんだよ。俺、何度も注意したんだけど、聞こうとしない」

聞いた人たち「へー子供食堂と言いながら、そうなんだ?」噂がご主人の耳にも入る。「・・・・・もう辞めよう。馬鹿らしい」こうして子供食堂は終わりを告げる。誰も悪意はないのに、結局、行動が無になってしまう。原発反対運動と同じ構図。危険性を知った若い人がデモに行っても、おじさんたちが「勉強不足だ」とか批判して、皆のやる気をなくす。どちらも、その愚かさに気づかない。そんな大人たちがとても多い...。

(続く)


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子供食堂の件。改めて考えたこと①=なぜ、子供食堂を邪魔する人たちがいるのか?愚かな大人たち。 [コロナウイルス]

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子供食堂の件。改めて考えたこと①=なぜ、子供食堂を邪魔する人たちがいるのか?愚かな大人たち。

子供食堂が抱える問題ーと言う記事を少し前に書いた。まず、子供食堂と呼ばれるのは、貧しい子供達に無料で食事を提供する場所のこと。その記事ではある食堂のご主人がチャレンジした。

が、貧しい子供は集まらず、裕福な子供が塾に行く前に来たりする。さらに近所の親たちが店にたむろ「子供もためには和食の手作りにこだわるべきだ」「無農薬にすべき」「勉強も教えろ」とか言い出す。
何もしない連中があれこれうるさくいう。食材を持ってくるわけでもない。手伝うわけでもない。上から目線で口出しするだけ。

「それじゃダメなんだよ〜」「分かってないなあ〜」「子供たちがかわいそうだよ!」

文句しか言わない。嫌気がさしてボランティア・スタッフが次々に辞めて行く。そして店のご主人もバカらしくなり子供食堂を中止にした。悲しい話だ。

僕が「朝日のあたる家」を作った時も似たようなことがあった。「原発映画を作ったら二度と商業映画は監督できない」と言われていた。それでも覚悟して制作。企業は一切出資しない。メジャー映画館は全て上映拒否。お願いした俳優たちも次々に出演拒否。そんな中で作った。でも、原発反対の人たちは応援してくれるだろうと思っていたら、こんなことを言いに来る人たちもいた。

「この映画で描かれていることは全て知ってるよ。何ら新しいことがない」「勉強不足だね。内部被曝が描かれていない」「これじゃ初心者向けだよ」

とわざわざ面と向かって批判しに来る。年配の人が多かった。彼らは「俺たちはチェリノブイリから注目してんだよ。福島の事故で慌てて映画作ったんじゃ遅いんだよ」と言いたかったのだ。そして彼らは原発反対デモを見ると「目立ちたがり屋の集まりだね...」と批判。繰り返すが彼らは原発に反対している。

しかし、デモに行かない。反対運動もしない。若い人たちを批判して「あれではいけない」「勉強不足だ」「努力が足りない」「何も分かってない」と言うだけ。原発反対だろ? ある人に言われた。

「彼らは承認欲求を求めているだけだよ...」

要はこんな思い。「俺たちの方が昔から原発反対をしている」「お前らより勉強している」「なのになんで若い連中ばかりをマスコミは取り上げる」という嫉妬。自分らが注目されない憂さ晴らし。いい歳の60代70代のオヤジが本当に情けない。子供食堂にたむろして批判する連中も同じ部類と思える。さて、ここまでは以前に書いた。この続きの推察を次回、書いてみたい。

(続く)


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