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都知事選で思い出した話。「朝日のあたる家」を一番批判したのは反原発を唱える人たちだった? [社会政治]

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都知事選で思い出した話。「朝日のあたる家」を一番批判したのは反原発を唱える人たちだった?

今回の都知事選。何度も書いたがライバル候補を批判するだけならいいが、誹謗中傷する支持者たちが多く残念だった。それがネトウヨレベルの人たちなら分かるが、日頃は鋭い意見をツイートしている人まで、そのレベルに下がっていた。そして罵詈雑言をいうのではなく、間違った情報による批判。デマをもとにした発言。それがとても悲しかった。現政権を批判するときは、正確な情報を探し出し発信したり、「なるほど!」という指摘をするのになぜ、あんなレベルになってしまったのか?

また、事実を踏まえていない人もおり、彼らは「熱さ」と「思い込み」だけで応援しているのではないか?という気もした。一方、当選した小池の支持者はというとネットでの応援者はほとんど見られず、テレビでの感染対策パフォーマンスで「知事、頑張ってるなあ」と評価した人と、あとは組織票ではないか? もちろん、候補者の公約に賛同し、まっすぐに応援し、ライバル候補を中傷したりしないマットーな方が圧倒的多数なのだが、いつもはリテラシーある一部の人たちが何かを無くしているように感じた。

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思い出すこと。「朝日のあたる家」を作ったとき。一番注意したのは原発推進派からの攻撃だった。「原発映画はタブー。監督は2度と商業映画は撮れない」と言われていた。それを覚悟で監督。なんらかしらの圧力、嫌がらせはあると思っていた。しかし、意外なところからの批判に驚かされる。原発反対を訴える人たちから一番批判が多かった。「不勉強だ!」「内部被曝が描かれていない!」「福島の事故と同じ展開。ありえない!」(あえて、そういているのだが)そんな批判を数多く見かけた。中には直接、僕自身に言いに来る人たちもいた。

誤解なきように言うが、一番応援してくれたのも原発反対の人たち。彼ら彼女らの応援なしにあの映画の成功はなかった。どの町でもチケットを売ってくれる人、宣伝してくれる人、メディアに告知してくれる人。本当に支えられた。が、同じく原発反対!と唱える人たち。こちらは少数ではあるが、その人たちがあれこれ批判していた。推進派からの批判もあったが、反対派からの批判が遥かに多かった。「朝日」は原発事故の悲劇を全国に伝えるものだ。それを同じ意思を持つ一部の人たちがなぜ、批判するのか?当時は理解できなかった。

その後、分かったこと。一部の人たち。彼らには「原発の反対はこうあるべきだ!」という頑な思いがあった。ある人は「危険性を訴えるだけではダメだ。これからは内部被曝の怖さを伝えねばならないのに、この映画はまるで触れていない。これでは意味がない!」と考えた。またある人は「この映画で描かれたことは全部知っている。こんな初心者向きの映画では何の意味もない。努力が足りない!」と不満を持った。多くの人が原発に対する知識がない時期。基本的なことを伝えることが大事と僕は考えたのだが、その人は自分の知識を基準にしてそれ以下だからダメだと判断したのだ。

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また、別の人は「俺はチェルノブイリから反原発を訴えているんだ。それが福島で事故があった途端に映画にしやがって、遅いんだよ!」と怒る。が、あの当時、僕はまだ学生であり監督業には就いていない。批判するなら映画会社にどうぞ!と思える。何より当時は今以上に原発映画はタブーの時代。なのに、長年、原発に触れない映画、テレビに対する怒りを僕の作品にぶつけていた。

こうして見ていくと、原発事故を描くこと自体を批判しているのではなく、その描く対象、レベル、時期を批判していた。言葉にはしないが原発事故を映画にすることは良しとする。「まだまだ努力が必要がですね〜。そんなことじゃダメだな!」という意味だ。ただ、この目線は教師が生徒に対するものと同じ。師匠が弟子を叱責するときのものに近い。熱い思いのある人たちなので「もっと努力しろ!」と言いたいのだろう。だが、彼らは師匠でも先生でもない。勘違いをしている。

確かに彼らの方が早い段階から原発を反対してきただろう。チェルノブイリ以降から、福島の後でも非常に深く勉強し、知識を持っている。それなら文句を言う前に、チェルノブイリ直後に自分たちで原発映画を作ればよかったのだ。「朝日」の後にでも自分たちが気に入る原発映画を作ればいいのだ。僕は金持ちだからあれが作れたのではない。多くの人の協力で寄付を集めて制作した。どこの企業からも一切の投資は受けていない。彼らも同じようにやればいい。監督を雇って撮らせればいい。誰もそれをせず「あれがない!」「これが足りない!」「努力が足りない!」と高いところから批判するばかり。

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「こども食堂」と同じ構図。貧しい子供達のために無料で食事を提供するこども食堂。その店に近所の大人たちがやってきて「手作りの料理にすべきだ」「自然食品がいい」「勉強も教えるべきだ」と自分たちは何もせずに、あれこれ提案と指示ばかりする。やがて食堂のオヤジは愛想尽きて「こども食堂」をやめてしまう。何もしないくせに口だけ出す。そして自分たちは正しいことをしているつもりでいる。「朝日」を批判した反原発オヤジたちも同じ背景だった。

話が長くなったが、都知事選に戻る。今回、リテラシーがありながらライバル候補をあれこれ批判していた人たち。同じところに陥っていると思える。ライバル候補の公約や言葉の中に、自分が望む全てがないと批判。先の「朝日」批判も、都知事選の誹謗中傷も、どちらも100点を求めている。あの候補は90点だからダメだ。あの公約は10点減点。「はい。アウト!」みたいな感じ。何の見返りも求めず、完全にクリーンで、自分の理想通りの公約を掲げ、一切の誤解を持たせない。そんな候補を求めているように見えた。そのレベルに達していないと否定。攻撃。批判。同じ目的を持つ仲間を潰しているだけではないか? 候補者には100%の理想を求める必要はない。現実の中でできる何かを探し、70点でもまず勝たせて、応援によって理想に近づける。そういったことも大事ではないか?


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隠れた名作?シリーズ。これもナチスが絡む物語。「ルシアンの青春」 [戦争について]

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隠れた名作?シリーズ。これもナチスが絡む物語。




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映画監督に大切なもの。演出力だけでない。映画以外の体験。そして豊富な知識?=映画ファンでいてはダメな理由 [映画業界物語]

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映画監督に大切なもの。演出力だけでない。映画以外の体験。そして豊富な知識?=映画ファンでいてはダメな理由

1980年代前半。学生映画をやっていた。皆、プロを目指していた。「1億円出してくれれば、スゲー映画作ってやるのによ〜」という豪語する友人も多かった。もちろん、そんな気前のいい映画会社はない。仲間たちは業界に認められようと8ミリフィルムで映画を作った。「早くプロになりたい!」そして気分はもう巨匠という友人もいた。

僕も似たようなものだったが、気になっていたことがある。作った作品は皆、高校時代の経験をベースにしたもの。でも、たった3年間の経験。使えるカードは多くない。それらをシナリオにして学生映画にした。3本も撮ると在庫が僅かになる。似たようなものなら、いくらでも作れる。が、それではいけない。当時人気のスピルバーグは「激突」でデビュー。「ジョーズ」「未知との遭遇」「1941」「レイダーズ」「ET」....テイストは近いが、全部別の物語。

僕も高校時代の想い出以外のシナリオを描こうとしたが、ダメ。知らないこと。経験していないことは物語できない。無理やりシナリオにしても面白くない。いろいろ研究すると、漫画家の本宮ひろ志がこんなことを言っていた。「最初は自分の経験をもとに物語を作る。実力がついたら、調べて書く。その先は別の何が生まれてくるんだよ」最初の部分は痛感。経験もないのに「刑事物」を書いても説得力ゼロなのだ。

本宮は河原で喧嘩する少年時代。だから「男一匹ガキ大将」が描けた。その後は「俺の空」「男樹」「サラリーマン金太郎」と自分のスタイルに加え、あれこれ調べて漫画を描き続けた。が、友人たちはいう。「才能があれば大丈夫だ。プロに入っても通用する!」だが、当時から僕は「才能」なんてあるのか?と思えていた。(今は言える。ありません!)

プロで映画が撮れたとして1年に1本。黒澤明と同じ80歳まで取り続けると60本!特に僕は自分でオリジナルシナリオを書きたい!という思いがあった。1本2本なら、自信はある。が、60本も水準以上の作品を作ることができるのか? 若さゆえの過ちで「やれる!」と思い込むのは簡単だが、ダメだろう。本宮ひろ志も言っているが「俺の漫画を読んでファンになり、弟子入りしてくる奴がいる。絵もうまい。が、何の経験もない。漫画読むだけで生きてきたやつに作品は作れないんだ」と。同じように多くの映画を見ているだけではダメ。映画以外を知らないと映画を作れない。

次々に同世代がプロデビューしていく中で、僕は遠回りを選んだ。(プロのチャンスなんてなかったのだけど)アメリカ留学である。その後の話は以前に何度も書いたので、話は現代に飛ぶ。デビューして15年。自作を振り返る。「向日葵の丘」「明日にかける橋」「ストロベリーフィールズ」は経験をもとに書いた物語。取材して書いたのは「青い青い空」「朝日のあたる家」本宮ひろ志が言うように、次のステップである「調べて書くこと」にも踏み込んでいた。

だが、最近になって気づいたこと。作品が決まってから調べたのでは時間がない。「青い青い空」はなかなか撮影に進めず、4年かかったので、その間に勉強した。「朝日」は映画にするつもりではなく、興味で原発事故を2年調べていた。が、次に何か? 野球とかサッカー(スポーツはないと思うが)の依頼が来た時に、そこから勉強したのでは遅い。特に日本映画は「調べなくていいから、早くシナリオをあげてほしい!」とアホなことを言うPが多い。それが諸悪の根源。

と言ってハリウッド並みに3年もシナリオに時間をくれる会社もない。だから、日頃が大事。宮崎駿や富野由悠季が凄いのは(黒澤も同様)すでに膨大な知識があり、そこから作品が生まれてくること。作品のための取材は僅か。2人とも戦争に詳しい。軍事にも詳しい。歴史、文化、風俗、社会、政治など、学者並みに勉強しているに違いない。それが作品に反映されている。「沖縄戦」取材で痛感したのは「ガンダム」の世界観、展開、設定は第二次大戦がベースなのだ。だからリアルであり、説得力がある。

だからと言って若い頃から本ばかり読んで知識をつけても、自身の経験がないと物語は作れない。恋したこともない男がラブストーリーを描けない。喧嘩したことない奴がアクションものを作ることはできない。が、経験は限りがある。次は知識。今、まさに第二次大戦を勉強中。もちろん、学校の授業のように「1941年12月、日本軍はハワイの真珠湾を奇襲した」と事実だけを暗記しても物語は作れない。

戦争の背景、国柄、経緯、等を理解すること。アメリアの視点、日本の視点で見てみる。あるいはヨーロッパ戦線と比較。ドイツと日本を比較することで様々なことが分かって来る。一番、驚いたのはドイツと沖縄の共通点。そのことで物語が作れる。そんなこと、あれこれ感じている。知識の大切さ。この歳になって痛感するとは思わなかった。



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映画の原作。古本で見つけた!「ヒトラー最後の12日間」 [戦争について]


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映画の原作。古本で見つけた!




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近況ー「ドキュメンタリー沖縄戦」取材、編集、原稿書きで忙殺?! [映画館公開]

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近況ー「ドキュメンタリー沖縄戦」取材、編集、原稿書きで忙殺?!

先日はzoomで取材を受ける。コロナ感染があるのでこの手の取材が増えている。zoomでドラマは作ったが取材を受けるのは初めて。まず、自宅の部屋で、パソコンに向かう。どうも部屋だと緊張感がなく、テンションが上がらない。またモニターを通すので空気感、距離感が掴めず苦戦。でも、映画サイトの記者さんの質問が鋭かったので、途中からエンジン全開で話してしまった。が、画面で見て話すのは慣れないと難しい。

続いて、予告編の第二弾を完成させた後、先月から書いていた原稿。「沖縄戦」の紹介だが、何度かやり取りをして完成原稿を送ることができた。これはあるサイトで掲載される。「映画com」とか「映画ナタリー」という映画サイトとは違い、別のジャンルのものなので、映画ファン以外も読んでくれる。ありがたい。と言っている間に、とうとう映画館数が20館になった。

通常、ドキュメンタリー映画は東京、大阪、名古屋の3館でできれば上等。10館でさえまずない。それが倍の20館!もちろん、昨年の「主戦場」のように全国で上映した大ヒット作もあるが、例外と言ってもいいスペシャルだ。おまけに想田監督のように有名なドキュメンタリー監督は別格として、僕はドキュメンタリー好きの人たちに対する知名度はゼロ。その意味で映画館側も「誰これ?」という感じだろう。僕を知っている支配人さんだと「この人、青春映画の監督でしょう?何でドキュメンタリー?」と思い戸惑うかもしれない。

劇映画なら今は作品を見なくて「太田監督の映画なら間違いない。上映しましょう!」と言ってくれる、ありがたい映画館もある。が、長編ドキュメンタリーは初挑戦。ハードルは高い。それなのに20館というのは凄いこと。

ナレーションを担当してくれた宝田明さん。斉藤とも子さんもかなり取材を受けてくれている。斎藤さんとは先日、少しだけお会いした。時間差で同じ場所での取材だったので、すれ違った程度だが、相変わらず素敵。僕が高校生だった頃、彼女は大人気アイドル女優。どの学校でも男子は全員ファンというくらいに凄かった。ドラマやトーク番組でも活躍。レコードも出していた。

中でも山田太一さん脚本の「男たちの旅路」の「車輪の1歩」はテレビドラマ史に残る名作。さらに巨匠・木下恵介監督の「父よ、母よ」の主演。そして82年版の「ひめゆりの塔」にも出ている。凄い女優さんなのだ!

僕の「朝日のあたる家」「向日葵の丘」にも出てもらった経緯があって、今回ナレーションをお願いした。ぜひ、またご一緒したい女優さんのお1人。先日の「週刊朝日」にも彼女のロングインタビューが掲載。そんな風に俳優のみなさんがガンガン取材を受けてくれるので、今回は「朝日」の時ほど、僕の取材は多くなく助かっている。とは言え、来週は連チャンでいくつもの取材。zoomでなければいいが。。。



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俳優に合わせてシナリオを書く。が、[マル秘]?も用意しておく=俳優はチャレンジャー。挑戦する時に名演技が生まれる? [映画業界物語]

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俳優に合わせてシナリオを書く。が、高い[マル秘]?も用意しておく=俳優はチャレンジャー。挑戦する時に名演技が生まれる?

もう少しシナリオの話をしよう。僕がシナリオを書くとき。当て書きをすることが多い。特定の俳優さんをイメージして役を書き、その俳優の魅力が前面に出るようにする。通常、俳優はシナリオを読み、その役になり切ろうと努力するのだが、それならその俳優を役に合った役を用意する方がより力を発揮できるからだ。

ただ、俳優たちは過去に何度も演じたタイプの役ではなく、今までに演じたことのない役に挑戦することが好き。力が入る。そこで、その俳優の魅力が前面に出ている役を作りながらも、今までに演じたことのない役を考える。ただ、俳優がその役を喜んでくれるだけでダメで、その役が物語の中でどんな役割を果たすか?も大事。いくら魅力的な役でも、物語にはまらないと意味がない。

そんな風に①俳優の魅力を引き出す役②過去に演じたことのない役③物語を進める意味がある存在。その3点の問題を同時に考えて、ルービックキューブの色を三色同時に合わせるようにしてシナリオを書く。

前作「明日にかける橋」では田中美里さん。藤田朋子さん。栩野幸知さん。富田佳輔くんらが当て書き。あと、板尾創路さんの役は当初、標準語だったが、板尾さんが候補に上がった時に関西弁に直した。そんな風に演じてもらう俳優さんが決まれば、その人に合わせてリライトしたりもする。

この台詞。Aさんなら普通に言えるけど、Bさんならちょっと違和感ある。ということがある。この場面。Aさんなら遠回しに言った方がいいが、Bさんならストレートに言ってもおかしくない。あるいはCさんなら台詞にしなくても、黙っているだけで気持ちが伝わる。とか、俳優さん、それぞれの持ち味、スタイル、表現法がある。それを生かしてもらうためのリライトである。

そう書くと、俳優がやりやすいように役を書いているように思うかもしれない。それだけではない。必ず、俳優たちが苦戦する場面も作る。俳優という職業は簡単に演じられる役より「えーー、どうすればいいのーー?」と悩むくらいの役で、やりがいを感じてくれる人が多い。と言って絶対に無理なことをしてもらっても、いい結果にはならない。そこで、超えるか?超えられないか?のハードルを用意させてもらう。

観客が見ていたら、何ら難しい場面ではなくても、演じる方にすれば前の日に眠れないほどの芝居ということもある。だが、そんな難しい演技に挑むことで、その俳優がこれまでに見せたことがない素晴らしい芝居を見せてくれることがある。その意味で監督業は俳優を谷に突き落とし「上がって来い!」というライオンの親のようなことも、せねばならない仕事。

多くの監督は自分がイメージする役に、俳優を近づくことを望む。が、僕の場合はその俳優に役を近づけた上で、かつてない挑戦をしてもらうことが多い。そのためには現場ではなく脚本の段階で、それらを用意せねばならない。このスタイル。脚本と監督が別々だとできない。その俳優を撮影現場で知る監督だからこそ、できる技なのだ。通常、脚本家は現場にはいないので、俳優の力や個性を知る機会がない。両方を兼ねていないと出来ない技。それが太田組スタイル。他にもいろんな技があるのだが、またそれは別の機会に紹介する。


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「沖縄戦」を伝える映画は少ない。学校でも教えない?その背景を解説。 [戦争について]

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「沖縄戦」を伝える映画は少ない。学校でも教えない?その背景を解説。

終戦記念日前に、ドキュメンタリーやスペシャルドラマが放送されることが多い。学校以外で「戦争」を知ることができる機会だ。学校では「何年に何が起こった?」というクイズのような教育しかしない。特に太平洋戦争は詳しく教えない。そう考えると映画やドラマは戦争をする上で、とても重要な役割を持つ。

ただ、それらも沖縄戦を扱うことは少ない。映画では岡本喜八監督の「沖縄決戦」数本作られた「ひめゆりの塔」くらいしかない。実は他にも少しあるが、残念ながら知られていない。「はだしのゲン」のような漫画もない。NHKは本当に時々、ドキュメンタリーを放送するが、どうもあの局の作品は他人事のようなものが多く、教科書を読むような感じが強い。

アメリカのドラマ「パシフィック」では沖縄戦を少し扱っているが、ほとんど知られていない。「ハクソー・リッジ」も沖縄が舞台だが、「沖縄戦」を描いていることには触れずに宣伝していた。何か日本では沖縄戦を避けて通ろとしている感じがある。そんな背景もあるので、多くの日本人は沖縄戦について知る機会がないのだ。

そう考えると、今回の「ドキュメンタリー沖縄戦」の意味は大きい。この映画を見てもらえれば沖縄戦とはどういうものか?分かる。一般の人向けに作った作品だ。中学生でも理解できる。観客のほとんどが「沖縄戦って、こんな戦争だったんだ!全然知らなかった。こんなに酷いとは想像もしなかった」と感じるはず。日本の歴史の抜け落ちていたページを知ることができる。。戦後75年。太平洋戦争を、沖縄戦を知る機会になれば、ありがたい。

公式HP=>https://okinawasen.com


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監督業と脚本家業。それぞれにどんな仕事をするのか?=両方やるとどうなるのか? [映画業界物語]

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監督業と脚本家業。それぞれにどんな仕事をするのか?=両方やるとどうなるのか?

物語を作る。というのはどういう作業なのだろう? 10代の頃からやっており、今では仕事になっている。が、今もしっかりと把握している訳ではない。映画製作では基本、脚本家が物語を作りシナリオにする。監督はそれを演出ーつまり、配役を決め、どう映像にしようか?と考え、撮影する。この基本パターンでは監督は物語は作らない。上がって来たシナリオに対して、「もっとこんな感じ!」「ここはこうしてほしい」という意見はいう。直しはお願いするが、物語を作るのは脚本家だ。

僕は監督業だが、脚本家デビューが先。まあ、それ以前、学生映画をやっていた頃から両方やっていたが、自分が演出する作品は全て自分でシナリオを書く。シナリオというのも2種ある。原作があるもの。オリジナル脚本。原作があるものは、脚本家が映像にふさわしい話に直して、2時間ほどで描けるようにシナリオ化する。日本映画はこのパターンが多い。ベストセラー小説。漫画が原作になる。

対してオリジナルは原作がない全くのオリジナルストーリーを脚本家が書く。テレビドラマはこのパターンが結構ある。昔で言えば山田太一、倉本聰、市川森一という作家はほとんどオリジナル。90年代以降なら三谷幸喜、野島伸司らが有名。というか、それ以降の若い作家はよく知らない。が、ドラマはオリジナルが多い。対して映画は原作がないと、企画会議で落とされることが多い。原作のファンが映画館に来ることで、ある程度の収益を見込むからだ。

さて、僕の場合は映画だが、デビュー作の「ストロベリーフィールズ」から、劇映画としての最新作「明日にかける橋」まで全てオリジナル脚本だ。原作はない。自分で物語を考えて、自分で演出する。「凄いなあ」と言ってくれる人もいるが、脚本家だけ。監督だけだと大した力がないので、両方を足すことで及第点をもらっている。多分、僕の書いたシナリオを他の人が演出すると、いいものができないし。他の作家が書いた脚本を僕が演出してもダメだろう。

というのは、通常は監督がシナリオを読み、あれこれイメージして映像化する。それは監督によって様々。だから、同じ脚本でもA監督だと感動的な映画になるが、B監督だと滑りまくり!ということもあり得る。が、僕の場合は自身で演出するので、自分の演出力が発揮できる設定で書く。そして執筆の段階で、演出やカメラワークも決めてある。ロケ地も書く前に確認する。でないと、「広大な荒野を主人公が行く」と書いても、東京近辺でそんな場所探すのは大変。地方ロケなら、その街の良さを引き出したいし、作家があれこれ想像して書いても現場は大変。

おまけにいくつかの役は俳優もイメージして書いてしまうので(その俳優にしかできない台詞まわしや行動を書き込む)ギャップが少ない。これが女優A子を脚本家はイメージしているのに、監督は自分の趣味でB子をキャスティング。そうなるとA子なら言える台詞でも、B子は何か説得力に欠けたり....ということも出てくる。

昔の歌謡曲は都倉俊一が作曲、阿久悠が作詞。歌はピンクレディのようなパターンが多かったが、今はバンドが中心で、自分で作詞作曲、自分で歌うというアーティストが多い。その方が思いが強く伝わるからであり、人気がある。映画も同じで、脚本家の先生が書いたものを、監督があれこれ解釈して演出するというのは昔の歌謡曲タイプ。今の時代、今の観客により強い思いを伝えるには、両方をやった方がいいのでは?と思える。

そんな意味もあり、脚本と監督の両方をやっている。あー物語作りの話を書こうと思ったのに、そこまで行かなかったなあ。続きはいずれ。


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コロナ感染対応を見ていると「沖縄戦」を思い出した。いつの時代も政府は国民を守らない? [映画館公開]

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コロナ感染対応を見ていると「沖縄戦」を思い出した。いつの時代も政府は国民を守らない?
                

緊急事態宣言ー「店を閉めろ! 外出するな!家で過ごせ! 人に会うな!」と自粛要請。スーパーではトイレットペーパーやマスクが売り切れ。政府は国民にあれしろ!これしろ!という割には「アベノマスクを2枚配布。1人10万の給付」その上、緊急事態宣言が終わっても、それらが届かない家庭が多い。

マスクも小さ過ぎる。虫が入っている。役に立たない。そんなものに200億円以上も使った。1ヶ月も店を閉めれば赤字。数百万円単位。10万円もらっても焼け石に水。収入ゼロ、家賃が払えない。廃業、倒産、自殺に追い込まれた人もいる。政府は一体何をしているのか? そんな現実を見ていて思い出したのは、75年前の沖縄戦だ…。

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3年がかりで当時を知る体験者から取材、ドキュメンタリー映画を製作した。そこで知った当時の政府方針も今と変わりないもの。米軍上陸に備えて、沖縄県民の14歳から70歳までを動員。飛行場の建設。防空壕作り、軍の手伝いをさせた。本土でもそこまではしていない。なぜか? 

沖縄に送られた第32軍は10万人ほど。対するアメリカ軍は50万人を超える。「1人5人殺せば勝てる!」と言われた。気合いで勝てというのだ。その足りない兵隊数を補充するため、沖縄県民が根こそぎ動員された。コロナ対策でいうならPCR検査拡充もせず、民間に自粛要請。国民の犠牲の上に感染を止めようとした現政府がダブる。

戦闘中も住民に武器弾薬の運搬をさせた。軍の手伝いを強要。そのことで多くが戦闘に巻き込まれた。最終的に県民の3分の1が死亡。さらに軍は住民を自分たちが隠れるために防空壕から住民を追い出したり、食料を奪ったり。そして自決まで迫った。なぜか? 同じ日本人が沖縄県民に対してなぜ、死を強要したのか? 

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体験者が語る「2個の手榴弾を役場から渡された。1個はアメリカ兵と出会ったら投げろ。もう1個は自決に使え...」当時の教えは「生きて虜囚の辱めを受けず」捕虜になって辱めを受けるのなら、その前に自決せよという意味。だが、この戦陣訓の本当の意味は「アメリカ軍の捕虜になり尋問され軍の配置や場所等を喋られては困る。だから死ね....」というもの。軍の都合。ここからも当時の日本軍、政府の考え方は「国民を守る」ではなく「国民は使い捨て」「犠牲にしてもいい...」だと思える。

実際、沖縄に派遣された第32軍の目的ー政府からの命令は「沖縄県民を守ること」ではなく、米軍を沖縄に釘付けにし、持久戦に持ち込み、体力や兵力を奪い、少しでも本土上陸を遅らせることにあった。その間に本土決戦の準備。そんな時間を稼ぐことこそ沖縄に送られた第32軍の使命だった。

コロナ禍も同様。国民にあれこれ犠牲を強いる。役にも立たないマスクに遅すぎる給付金。国民が苦しむのを高いところから見つめるだけ。財務省の金は使わずに温存しようという考え。消費税さえ下げなかった。交付前には「リーマンショック級の事態が起これば延期する」と言っていたのに、それ以上の緊急事態になったのに下げなかった。沖縄戦時でも県民を踏みつけ犠牲にし、本土を守ろうとした...。

戦後75年。沖縄戦を見つめることは、過去を振り返るだけではなく今、日本が抱える問題を見つめることにも繋がる。いよいよ。7月25日から東京公開。新宿Ksシネマにて。全国は順次ロードショー。


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