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編集作業。映像の声を聞け!どこに行きたいのか?囁きを受け止めろ。 [「沖縄狂想曲」]

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編集作業。映像の声を聞け!どこに行きたいのか?囁きを受け止めろ。

テレビのドキュメンタリー番組。企画時に綿密な構成案を作り、それに沿って取材、編集される。構成案には**さんが「**が一番大変でしたね〜」と笑顔で答えるという、まだインタビューしていない人のセリフまで書かれていることがある。(取材時にはその路線で話してほしいと相手にお願いする)が、当然、その通りに取材ができないこともあり、また予想以上の取材ができることもある。

ただ、取材がスタートした段階で、構成案はすでに局上層部の承認を得ている。企画書通りに番組作りをせねばならない。しかし、ドキュメンタリーはプラモデルではない。設計図通りにはできない。現場の苦労をあれこれ聞くことが多い。

その点、僕のようなフリーの監督で、自身が作品の企画構成をする場合。現場で面白い事実と出会えば構成になくても取り込むし、作品の方向性が少しくらい変わっても、より観客に伝わるものになるならOKと考える。

というより、企画時にテレビ番組のような綿密な構成案は作らない。たかだかPCでリサーチした程度の情報を元にして書いた書類。いくらネットであれこれ調べても、それを上層部が承認しようとしまいと、それを基準に取材してもロクなものは出来ない。

ドキュメンタリーは現実を切り取る作品。カメラを持って訪れた、その瞬間に見つめたものこそが力を持つ。なのにテレビは企画書に書かれたものが見つからなかった時に、それに近いものを探して撮影することが多い。それはもう現実とは言えない。だからテレビドキュメンタリーは面白くない。が、上層部が認可していないことはできないのだ。

対して、太田組の構成案は数ページしかない。ある程度調べたら、あとは現場に行き取材。事前に活字ばかり読んでも、題材を実感するのは難しい。なのに多くのマスコミはあれこれ調べてから現地に行く。頭でっかちになり、目の前の現実より活字で仕入れた本の知識が先に立ち、先入観を持ってしまう。そして編集のための素材集め。構成案に即した映像を撮り、局に戻って書類に書かれた通りにその映像をはめ込むー編集をする。

だが、私の場合はとにかく取材。並行して勉強。さらに取材。という流れ。編集では構成案を重要視しない。とれた映像が生きるように、そこから新たに構成を考える。だから、当初考えた流れとは違う展開になることがある。が、無理やり初期段階の構成にすると、テレビと同じ、魅力ない作品になってしまう。

机の上で、PCで調べた情報で考えた構成なんて、まさに机上の空論。自身の目で見つめた現実を、どうすれば一般の観客に伝わり、理解してもらえるか?を考えることで、力のある作品になっていく。

だが、テレビ局はそんなやり方はしない。放送後に視聴者からクレームが来ないように、スポンサーから文句を言われないように、事前に構成案を作り徹底チェック、上層部の承認をもらったものを作る。途中であれこれ変更できないのだ。

さて、太田組の編集。集まった素材をどう並べることで、見やすくなるか?分かりやすいか?を考える。途中であまりにドラマティックな話が出ると、観客がその後の地味な展開で退屈することもある。そこも考える。ドキュメンタリーだからと退屈な作品は許せない。

三段論法的発想も大事。Aがあり、Bがあり、Cが来るから、そのテーマが明確になり納得する。そこも大事。そして、まだ時間はあるので足りない素材を追加取材することも可能。ただ、時間と費用は限られている。その中でできることをする。

タイムラインに素材を並べていく。この段階ではまだ細かくカットはしない。全体の構成と流れを掴むことが大事。だから、バンバンと作業はしない。将棋盤を見つめて、一手目は何をどこに動かすか?を考える技士のような感じだ。

この時が一番苦しい。方向が見えればあとはどんどん進む。そして、この段階は考えるというより。素材の声を聞くという方が正しい。私が考えて作業するのではない。映像が訴えかけてくるのを受け止め、どこに進みたいか?を聞いてやることが大切。「私がどうしたい?」ではない。あれこれ素材を加えて行くと、その声が次第に明確に聞こえてくる。



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数日前から編集作業中を本格化。 [「沖縄狂想曲」]

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数日前から編集作業中を本格化。

編集は極度の集中力を必要とするもの。電話に出て話すだけでも、集中力を削がれてしまう。数日は作業できない。メールも同様。連絡を頂いても、すぐには返事ができない。

「わがままだ。失礼だ」と言う人も以前はいた。また、業界でも誰かとおしゃべりしながら編集をする人もいる。が、僕の場合はこのスタイル。刀鍛冶をイメージしてもらうと分かりやすい。山奥の小屋にこもって昼夜問わずに作業する。誰も訪ねて来ない場所で、集中力の戦い。編集もそれと似たような作業。

刀鍛冶が分からない人は「鬼滅の刃」の「刀鍛冶の里編」をぜひ、お読み頂きたい。(年末からテレビ放送がある)鬼が襲ってきて、刺されても刀を打ち続ける職人が登場。漫画というだけでなく、それが刀鍛冶だ。そんな状況なので連絡はご遠慮願いたい。集中力を阻害するのは人とのコミニュケーション。編集モードが切れてしまう。逆にいうとコミニュケーションしなければ、他のことも少しはできる。

編集以外の記事もFBには上げていくが、コミニケーションはいらないので書くことができる。記事内容もどこかで編集中の作品と繋がっている場合があり、その心の整理である場合が多い。作業中は気が立っているので、下らないコメントがあれば即、削除させてもらう。特に無責任なアドバイスはやめてほしい。過労状態もまだ続いているが、その辺の助言も全くいらない。

何より編集中は普通の状態ではない。狂った病人が個室に閉じ込められて作業していると思ってほしい。日頃なら「1」にしか感じなことも、編集していると「10」に感じる。怒りも10倍。痛みも10倍だ。関係者はそのことを理解してくれているが、それ以外の人も電話、メール、メッセンジャー全てのツールでのコンタクトを遠慮してほしい。

本来ならプロデュサーがその間の対応をする。或いは秘書、アシスタント、マネージャー。でも、その種の担当者はいない。本来なら山に籠り編集すればいいが、連絡がつかないと「監督。ついに死んだな?」ということで騒ぎになるのも困る。生きている証にFBやTwitterは続ける。YouTubeは撮り溜めたものがあるので、それを配信。「何だ。YouTube見ると元気そうじゃん。電話しよう!」はやめてほしい。事前録画したものだ。

FBにコメント欄してくれるのは構わない。本当に余裕ある時は返事することもあるが、できないことが多い。「いいね」はコミュニケーションがいらないので押せる。「面倒臭い奴だ。付き合い切れない!」という方は全然OK。映画屋とはそんな人種なのだ。よろしく。


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