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ゴーヤチャンプルだけではない。沖縄にはフーチャンプルもある! [沖縄案内]

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ゴーヤチャンプルだけではない。

沖縄にはフーチャンプルもある!



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沖縄の美味しい料理 ビジネスホテルの朝食 [沖縄案内]

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 このビジネスホテル。国際通りからはかなり離れているので、土産を買うには不便。だが、駐車場はあるし(国際通り沿の安いホテルにはないことがある)近所に飯屋もある。そして何より、朝食が豪華! バイキングであれこれ食べられる。

 欲張って、あるものを全部取ってしまうので、写真のようになる。でも、どれも美味しい。残念なのはご飯だけでパンがないこと。



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戦争が終わって16年後。僕は生まれた。わずか16年であること今更気づく。戦争は遠い昔のことではない。 [再掲載]

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戦争が終わって16年後。僕は生まれた。わずか16年であること今更気づいた。

2020 年記事ー

「この世界の片隅に」を観ながら考えた。太平洋戦争が始まったのが1941年。昭和16年。終戦というか敗戦が1945年。昭和20年。そのことは前から知っている。計算してみた。僕が生まれたのは1961年。昭和36年。つまり、戦争が終わってから16年しか経っていない。昔は16年といえば長い長い年月だったが、30歳過ぎた頃からは5年10年があっという間。

昨年夏、オウム真理教の地下鉄サリン事件の本を読んだのだけど、Facebookに書くと「子供の頃なので、よく覚えていないですけど、確かにあの頃.....」とのコメントが入った。そうか、サリン事件はそんな昔? 忘れもしない1995年だ。計算すると今から25年前!敗戦は僕が生まれる16年前。サリン事件は25年前?

つまり、今の時点から、振り返ってみると、戦争が終わって僕が生まれるまでの時間より、サリン事件があってから今までの年月の方が長いということだ!それは阪神大震災にも言える。サリン事件と同じ1995年。その3ヶ月後に神戸の街を訪ねた。まだ、廃墟のビルが残っており、水を配るポンプ車が回っていた。まるで戦争の後のようだったこと。鮮明に覚えている。

それも25年前。つまり、僕がサリン事件や阪神大震災をしっかりと覚えているように、僕が生まれた当時の大人たちは、それよりも短い16年前の戦争を覚えていないはずがない。そして、自身の記憶を手繰れば5歳頃。幼稚園に入った頃の記憶はある。その頃でさえ敗戦から21年。まだ震災よりも時間が経っていない。

当時に見た風景こそが戦争で焼け野原となったところから復興しつつあった日本の姿。まだ、傷痍軍人はいて、商店街で手や足のない人が白い服を着てアコディオンを演奏していた。子供心に怖かった印象があるが、彼らこそ戦争で傷つき帰国した兵士たちだったのだ。しかし、僕はその人たちが太平洋戦争で傷つたことを想像できていなかった。今の若い人が「オウム事件当時は子供だったので」というのと同じ。

敗戦からわずか16年....戦争は遠い遠い昔だと思えていたが、わずか16年なのだ。子供の頃、出会った大人の女性たちこそが「この世界の」すずさんだ。そう、僕らはすずさんに会っている。話している。言葉を交わしている。でも、戦争の話はほとんど聞いていない。

それをリアルに伝えるのが映画でありドラマなのだろう。歴史を知らない子供たちは、戦争を実感できない。そして永遠に戦争を放棄と誓ったこの国が、わずか70年ほどで戦争のできる国に戻ってしまった。狂った指導者はいつまた戦争を始めるか?分からない。それを止めるのはデモや選挙だけではない。「この世界の」のような作品を作り続けること。大事なのだと自らに語りかけた。



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「狙われた集団自決」=政府が隠蔽したい沖縄戦の事実とは? [戦争について]

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「狙われた集団自決」=政府が隠したいもの。改竄したい事実とは?

この本は沖縄戦の集団自決を伝えた書籍に対して起こされた裁判を見つめ、その背景を伝えるものだ。大江健三郎著「沖縄ノート」(岩波新書)他3冊で「集団自決は軍の指示によるもの」という記述が事実ではないと訴えたのが、元軍人で渡嘉敷島に赴任していた赤松隊長の弟、他1名である。これが大江ー岩波裁判と呼ばれる。

実はこれ以前にも同じような訴訟があった。それが家永裁判。すでにその時、「軍の関与あり」との判決が出ているにも関わらず、同じ形で訴訟したことに疑問を感じる。だが、その背景紹介を読むと、なるほどそういうことか!と納得が行く。訴訟の担当弁護士の1人が稲田朋美。応援団は「教科書をつくる会」のあの人だ。

それが裁判途中の判決が出る前に、文科省は時期教科書から「軍の関与」記述を削った。同省は「選考委員会の決定」と説明していたが、「沖縄タイムス」のスクープで文科省から「削除指示」が出ていたことが暴露される。沖縄県民の怒りが爆発。大規模な市民集会が行われた。そこに参加した方々の名前を見ると「ドキュメンタリー沖縄戦」で取材させてもらった方々もいた。

彼ら彼女らのこれまでの活動も紹介されており、お話を聞かせて頂いた方々が様々な戦いを越えてこられたこと痛感。さらに、選考委員の2名が「作る会」との深い関係があることも発覚。要は文科省と「作る会」が連携。集団自決は軍の指示という事実を教科書から消し去るためのプロジェクトではないか?と思えてくる。それに対して、集団自決で生き残った地元住民が裁判で証言。その言葉に涙が溢れる。

裁判の記録というより、沖縄戦の真実は何か?を追求するものになっている。これは過去の話ではない。早々に廃棄された桜を見る会の招待者リスト。森友事件で改竄された公文書。政府は都合の悪い事実を今も改竄している。そして戦争に関して現代もなお改竄、隠蔽しようとするか?それを考えれば、日本軍の蛮行を消し去り、彼らを英雄に祭り上げることで、また戦争ができる国にしたいという意図を感じる。

その手法はまさに映画「Fukushima50」と同じ、事故を起こした責任者である東電社員を英雄に祭り上げてしまうやり方と同じなのだ。そうして原発推進を続ける。この教科書問題も同じ構図なのだ。後半を読んだらまた、記事にさせてもらう。


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日本人が責任追及をしないのは優しさ?=違う。だから、同じ過ちを繰り返すのだ。 [沖縄戦ー感想]

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日本人が責任追及をしないのは優しさ?=違う。だから、同じ過ちを繰り返すのだ。

小さな村で起きたトラブル。加害者を追求しないことがある。見て見ぬ振り。被害者が怒って批判したら皆でなだめる。あるいは叩く。「お前さえ黙っていれば、トラブルにならない!」というかのように。だから泣き寝入り。被害者が「責任を取れ!」と立ち上がると村中が敵に回ってしまうことさえある。

それを「責任を追求しないのは日本人の優しさだ」という友人もいるが、違うだろう。別に理由がある。説明の前に「なぜ、責任を追求するべきなのか?」を考えよう。加害者を罰するためだけでなく、同じ過ちを繰り返さないためだ。なぜ、そんなトラブルが起きたのか? どんな背景があるのか? 何が問題だったのか? 動機は? なぜ、止められなかったのか?等を分析することで、同じ過ちを繰り返さないで済む。

しかし、日本では「ムラ社会ルール」的なものの影響なのか?責任を追求しない。反省もしないから太平洋戦争でも、ミッドウェイ海戦以降は同じ失敗の繰り返し。現政権も同じ愚行を繰り返している。「お肉券、お魚券」「アベノマスク」「GO TOキャンペーン」「10万円給付」「PCR検査拡充」つまり問題、トラブル、事件があった時に責任を追求しないから、背景や構図が分からず、反省、改善ができない。公文書改竄事件も責任者は曖昧にされ、誰も罪に問われていない。

その意味で日本映画は戦争の悲劇は描くが、その責任。背景。問題点を描くものが少ない。先に上げた「黒い雨」も、アメリカ人から「天災で苦しむ人たちを描いたような物語」と言われた。「原爆を落としたアメリカ人を恨め!」というのではない。そこに何かがあり、どんな経緯があったか?「戦争を早期に終わらせるため」と言われるが、それだけではないことも見えてくる。リトル・ボーイとファットマン。ウランとプルトニュウムの原爆。答えはすぐに分かる。

でも、日本映画はあまり踏み込まない。「俺たちは被害者だ」と声を上げるだけでいいのか? 追求することで、あれこれ気づくことがあってこそ、同じ不幸を繰り返さないはず。そんなことを考えてしまう。



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