日本人が責任追及をしないのは優しさ?=違う。だから、同じ過ちを繰り返すのだ。 [沖縄戦ー感想]
日本人が責任追及をしないのは優しさ?=違う。だから、同じ過ちを繰り返すのだ。
小さな村で起きたトラブル。加害者を追求しないことがある。見て見ぬ振り。被害者が怒って批判したら皆でなだめる。あるいは叩く。「お前さえ黙っていれば、トラブルにならない!」というかのように。だから泣き寝入り。被害者が「責任を取れ!」と立ち上がると村中が敵に回ってしまうことさえある。
それを「責任を追求しないのは日本人の優しさだ」という友人もいるが、違うだろう。別に理由がある。説明の前に「なぜ、責任を追求するべきなのか?」を考えよう。加害者を罰するためだけでなく、同じ過ちを繰り返さないためだ。なぜ、そんなトラブルが起きたのか? どんな背景があるのか? 何が問題だったのか? 動機は? なぜ、止められなかったのか?等を分析することで、同じ過ちを繰り返さないで済む。
しかし、日本では「ムラ社会ルール」的なものの影響なのか?責任を追求しない。反省もしないから太平洋戦争でも、ミッドウェイ海戦以降は同じ失敗の繰り返し。現政権も同じ愚行を繰り返している。「お肉券、お魚券」「アベノマスク」「GO TOキャンペーン」「10万円給付」「PCR検査拡充」つまり問題、トラブル、事件があった時に責任を追求しないから、背景や構図が分からず、反省、改善ができない。公文書改竄事件も責任者は曖昧にされ、誰も罪に問われていない。
その意味で日本映画は戦争の悲劇は描くが、その責任。背景。問題点を描くものが少ない。先に上げた「黒い雨」も、アメリカ人から「天災で苦しむ人たちを描いたような物語」と言われた。「原爆を落としたアメリカ人を恨め!」というのではない。そこに何かがあり、どんな経緯があったか?「戦争を早期に終わらせるため」と言われるが、それだけではないことも見えてくる。リトル・ボーイとファットマン。ウランとプルトニュウムの原爆。答えはすぐに分かる。
でも、日本映画はあまり踏み込まない。「俺たちは被害者だ」と声を上げるだけでいいのか? 追求することで、あれこれ気づくことがあってこそ、同じ不幸を繰り返さないはず。そんなことを考えてしまう。
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