日本が再び戦争しないために、観て欲しい映画「ドキュメンタリー沖縄戦」 [映画館公開]
「ドキュメンタリー沖縄戦」を批判する人たち=では、お答えしよう!②=要望はするが自分は何もしない? [映画館公開]
「ドキュメンタリー沖縄戦」を批判する人たち=では、お答えしよう!②=要望はするが自分は何もしない?
前回の記事がとても好評だったので、第二弾を書かせてもらう。前回とは違った意見を紹介する。
①護郷隊に関するエピソードがなかった。これがないのはおかしい。
②教科書で、集団自決がなかったという記述が行われたことが、沖縄県民の怒りを巻き起こし、今まで口をつむんでいた人が語り出すきっかけになった事実を入れて欲しかった
③伊江島について全く触れてないのはおかしい。
④それぞれのエピソードが浅い。これでは本当の沖縄戦は伝わらない。
⑤基地問題が描かれていない。沖縄戦は終わっていない。基地問題まで描かなければ本当意味で沖縄戦が分からない。
まとめると「あれがない!これがない!」ということ。「***無くして沖縄戦は語れない」「これじゃダメだよ」「***も入れて欲しかった」と指摘から要望まで、この手の意見は結構あった。
これらは沖縄戦にある程度詳しい人の意見。とりあえずは「いい作品だ」「しかし」「**事件がない。**の戦いがない」「それではダメだよ」「あれ入れて欲しかったな」それらの事件、戦闘に思いがある。印象的であった。だから、扱って欲しかったということなのだ。
ただ、沖縄戦は幅広い。様々なエピソードがある。その全部を取り入れると何時間にもなる長編ドキュメンタリーになるか? 全5巻の超大作になってしまう。全6時間の映画を多くの観客は観てくれるだろうか? そんな作品を映画館が上映してくれるか? 観る人は限られ、上映される館は激減するだろう。その手の提案、指摘をする人はそこまで考えない。
今回は2時間弱にせねばと考えた。2時間を超えでは中学生が最後まで観ない。3時間を超える長編だと大人の観客も躊躇してしまう。その辺も考えて1時間45分にした。その中で「これが沖縄戦だ」という代表的なエピソードを紹介。似たようなエピソードは避けた。
例えば、上記にある「伊江島」の戦闘。これは沖縄戦で起こった多くの戦闘を凝縮したかのように、いろんなエピソードがある。逆にいうとコンパクトにするなら伊江島のみを見つめればいい。でも、全体を扱うなら伊江島とダブるものが多くなる。また「護郷隊」がない。という人もいたが、それは「沖縄スパイ戦史」という「護郷隊」を詳しく描いた素晴らしいドキュメンタリーがすでに公開されている。そちらを観て頂ければよく分かる。
「基地問題」「教科書問題」要望も同様だ。それもまた6時間の長編いなる。何より今回は「沖縄戦」を描くもの。それらはもう、そこから派生した次のテーマになっている。実はかなり、いろんな分野を取り込んだ沖縄戦ドキュメンタリーがある。とてもよく出来ている。韓国ロケまでしている。が、長い。よほど関心がないと最後まで見れない。今回は「ドキュメンタリー沖縄戦」であり「基地」や「教科書」を描く必要はない。作品作りは線を引き、絞ることが大切。
なぜ、人は1本の作品にあれこれ全てを望むのだろう? 今回は全体を伝えるという入門編を目指した。1時間45分でほぼほぼ沖縄戦が分かるという作品。そこに「それぞれのエピソードが浅い」と指摘するのはどういう人なのか? 深く知りたければ、過去の作品を見ればいい。沖縄戦の一つ一つの戦闘や事件を詳しく描いたドキュメンタリーは過去に存在する。それを探せばいいのに「この映画は**がない」と要望するのは不可解。
言い換えればビートルズのベストアルバム「ビートルズ1」を聴いた。初心者にはお手頃なベストである。彼らの魅力がよく分かる選曲。それをビートルズ・ファンが聴き「レボリューション9」が入っていないのが残念! 「ゴールデン・スランバー」を入れるべきだ!というのに近い。それらが聴きたければ、「ホアワイト・アルバム」や「アビーロード」を聴けばいい。
そして、もし、本当に上記のエピソードを求めるなら「***がない」「***を入れるべきだ」というなら。スポンサーに手紙を書き「ぜひ、**を扱ったPART2」を作って下さい!と要望すればいい。あるいは自身が中心となり、クラウド・ファンディングでもして「PART2」を製作してほしいと訴えればいい。自分たちは何もせずに「あれがない」「これを入れろ」ということに意味があるのか?
似たような話を思い出す。こども食堂だ。子供達のために無料で料理を提供する食堂のオヤジ。そこに近所の人が集まり「手作りにこだわるべきだ」「自然食がいい」「勉強も教えるべきだ」とあれこれ言うが自分たちは何もしない。オヤジはうんざりしてこども食堂を辞めてしまう。何だか同じ人達ではないか?と思えたりしている。
「ドキュメンタリー沖縄戦」間違えた批判する人たち=お答えしよう! [映画館公開]
「ドキュメンタリー沖縄戦」間違えた批判する人たち=では、お答えしよう!
「ドキュメンタリー沖縄戦」とても好評だ。多くが高い評価。「見るべき映画」と感想を書いてくれている。が、もちろん批判的なものもある。賛否両論。映画は自由に批評すべきだが、明らかな勘違いもある。そこから興味深い事実も見えてくるので紹介する。
①「沖縄は見捨てられたと言うが、戦艦大和も沖縄を護る為に出撃したのではないですか?」
②「日本軍は沖縄を見捨ててなんかいない。もし、そうなら軍を沖縄に派遣しないはずだ!」
この種の意見は少なからずある。「沖縄を捨て石にしていない」「見捨てていない」ま、ある種の団体が特に主張しているのだが、同じことを言う個人もいる。が、その人たちは沖縄戦を詳しく知らないのだろう。先に上げた2つのコメントも映画を見ていない人だ。宣伝や解説だけを聞いて「見捨ててなんかいない!」と聞きかじった知識で批判している。
映画を見て貰えば「沖縄が捨て石になったこと」様々な証言で理解できる。が、先の批判について答えよう。「戦艦大和も沖縄を護るために出撃」と言うが、その大和は沖縄戦で活躍したのだろうか? 実際は沖縄に着く前に、出航して間も無くアメリカの戦闘機によって撃沈。それは軍部も承知の上だった。映画「連合艦隊」や「太平洋の翼」でも描かれているが、当時もう巨大戦艦は無用の長物であった。
山本五十六が考案した戦闘機による真珠湾奇襲。そこから戦争は新しい時代に入った。戦艦同士の戦いではなく、航空戦が主流になった。ミッドウエイ海戦も同様。にも関わらず日本は時代遅れの巨大戦艦を作ろうとした。映画「アルキメデスの大戦」でも描かれているが、今の時代で言うと「万博をやって景気をよくしよう!」というのと同じ。1970年の成功を2000年代に再現しようと言うのだ。時代錯誤甚だしい。それが大和なのだ。
しかし、大和は僕の子供の頃から人気があり、皆プラモを作った。その後は「宇宙戦艦ヤマト」が登場。大和は日本が誇る最強の戦艦と言うイメージが定着したのだろう。だが、実際は時代遅れの産物でしかなく、当時の軍部もそれを把握していた。ただ、国の総力を注いだ大和を使う機会がない。使わずに終戦を迎えるのも恥ずかしい。そこで沖縄を守ると言う名目で出撃。燃料は片道のみ。結果、沖縄に到着することもなく、あっけなく撃沈されている。
これは史実であり、いろんな映画でも描かれている。そのことを批判した人はそれを知らずに「大和、世界最強!」と言うイメージで間違った認識を持ってしまったのだろう。また、2つの目の批判も史実を知らないようだ。「沖縄を見捨てた」=「でも、軍隊を派遣している」=>「守るためだ」と言う思考だろう。が、沖縄に派遣された第32軍の使命は「できる限り戦闘を引き延ばし、米軍を消耗させ、本土決戦の準備時間を稼ぐこと」だった。
「見捨てた」と言うから「だったらなぜ、軍を派遣した!」となる。だから「捨て石にされた」と言う方が正確。沖縄に軍を派遣しないとアメリカ軍があっという間に沖縄を占領。本土に侵攻する。それを止め、時間稼ぎをするのが目的。つまり2番目の批判は「でも、軍を派遣」=>「見捨てててない」と聞きかじった情報だけで判断したのなら、その目的が何か?を把握するべきだった。せめてグーグルで「沖縄戦」を検索してからにしてほしい。
とは言うものの。僕も沖縄戦についてはまるで知らなかった。批判する人たちの方が間違った知識でも、まだ、沖縄について知っていると言える。僕のように何も知らなかった人。彼らのように聞きかじった間違った認識を持つ人。そんな人たちにぜひ「ドキュメンタリー沖縄戦」を見てもらいたい。歴史だけでないものが見えてくるはずだ。