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facebookで宣伝。でも、映画の告知だけでは読んでもらえない? [MyOpinion]


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facebookで宣伝。でも、映画の告知だけでは読んでもらえない?

Facebookやブログ。毎日、会社でする仕事を綴る人は少ない。それより趣味や考え、社会に対する意見を記事にする。映画ファンなら見た映画の感想。好きな俳優や監督のこと。ジャーナリストなら事件について語る。社会問題についての意見を書く。あと、カタギの方々は食べたもの。旅行に行ったこと。飲み会をしたこと等を記事にしてアップしていることも多い。

映画監督業をしている僕も、上記と同様に映画の感想、社会問題、事件についての記事をよく挙げる。が、基本は自分が関わっている映画のことを書く。ここ1年くらいは「ドキュメンタリー沖縄戦」昨年暮れの沖縄完成披露試写会から、今年夏からの全国映画館公開の告知を中心に記事にし続けた。

が、単にいつどこで上映すると言うだけでは、映画に関心ある人しか読んでくれない。そこで沖縄戦を知ることがどんなに大切か?を伝える記事も書く。そのことで関心を持ち、映画館に足を運んでもらう。また、沖縄戦以外の戦争、社会問題、政治についても記事にする。それを読んだ人が「この監督の意見は面白いなあ」と思ってくれれば、「そんな監督が撮った沖縄戦の映画はどんなだろう?」と感じて映画館に行ってくれる。そのためにいろんな記事をアップする。

そんな風に僕のfacebookやブログは基本「宣伝」ーなので、記事が面白いと思えば「友達」申請してくれれば、毎日タイムラインに流れてくる。「何言ってんだ!バカじゃないか?」と思えば「友達」でも「削除」してくれれば目にせずに済む。facebook上であれこれ議論するのが好きな人。それが目的でやっている人もいると思うが、僕は違う。監督作に興味を持ってもらうためのものだ。

が、それがなかなか大変であること。もう何年も痛感。その辺はまた別の機会にお伝えする。


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人生最後の戦い。あと15年。コロナで把握=長生きしなくてもいい。素晴らしい作品を作りたい! [MyOpinion]

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人生最後の戦い。あと15年。コロナで把握=長生きしなくてもいい。素晴らしい作品を作りたい!

スターバックスでコーヒーを飲みながら、ヘッドフォンで音楽を聴く。あれこれ青春時代を思い出していた。18歳からは横浜で暮らし。映画学校に通っていたが、あまりに意味が感じられず登校拒否。学生映画を始め、同じ夢を持つ仲間と出会った。8ミリカメラを武器に戦いを始めた。それが今からちょうど40年前だ。

その頃に矢沢永吉を知り聴き始めた。それまでは洋楽しか聞かなかったが、友人にファンがいて、彼の歌を聴かせてくれた。自伝の「成り上がり」を借りて読んだ。ミュージシャンを目指して広島から上京。その途中、横浜で途中下車してしまい、そこでバンドを始める。「僕と同じようなスタートだ!」と共感した。

それがきっかけで聴き始めたので、僕の「映画監督への道」と彼の歌がシンクロし、その歌がヒットした時、僕は何をしていたか?を明確に覚えている。横浜で5年。その後、LAで6年。帰国したのが1990年。91年から日本での活動をスタート。そこから5年後に脚本家デビュー。さらに2年後に監督になる。が、映画監督デビューは2005年だから、帰国から15年かかった。

映画監督業を始めたのは、ついこの間と思っていたのに15年もたっていた。まだまだ新人!と思っていたら、中堅になっている。ベテランというにはまだ恥ずかしい。が、もうすぐ60歳。監督業に定年はないが、会社員なら引退の歳だ。黒澤監督も大林監督も80代まで映画を撮った。僕はどうなるか?分からないが、同じくらいまで撮れたとしても、あと20年。健康を考え75歳まで頑張ったとしても、あと15年だ。

デビューから15年。死亡推定年齢まであと15年。折り返し地点と言える。この15年は本当に全力疾走。何度も過労で倒れて、半年近く寝込んだこともある。1人で7人分の仕事をした。最初の頃は敵も多く、足を引っ張る。邪魔をする。余計な口出し。批判。悪口。そんな連中との戦いに映画製作以上のエネルギーを使った。

が、1作ごとに、そんな輩を排除。近づけないようなシステムを作り、今では素晴らしいスタッフばかり。あれこれ言っている連中もいない(遠くで言ってるだろうけどね!)素晴らしいキャストが毎回、出演してくれる。「次回も出たい!」と言ってくれる有名俳優たちもいる。その意味でとても恵まれている。あとは僕自身がより良い脚本を書くことだ。

春にコロナ禍で全てがストップ。時間ができたことで15年が経っていたことに気づいた。そして次の15年が人生最後の15年になることを実感。だったら、後半戦が始まる前にあれこれしておこう! 部屋を片付け、買ったのに見ていないDVDを観て...と、でも、半分も終わらないうちに緊急事態宣言は解除。その後は「ドキュメンタリー沖縄戦」公開が決定。4ヶ月間ー宣伝活動に奔走。

10月に入り、映画館公開も終盤。あとは週末のLAの映画祭イベントにZOOM出演するのが最後の仕事か? いや、まだやらねばならないことがあるが、もう一息だ。だから、緊急事態宣言下の続き。いつ過労死してもいいように部屋を片付け。いつでも映画製作できるように資料等も整理する。

映画製作になると、押し入れから出した物を戻すことさえできず、部屋が倉庫状態になる。数年前からそんな感じ。まず、そこから始める。気持ちはまだ17歳だが、60代が近ずく。今は健康状態に問題はなく、血圧も下がった。製作が始まるといつも危険値になるが、今は大丈夫。最後の戦い。15年の戦い。

5年で燃え尽きるかもしれない。が、長く続けることが目的ではない。観客の心を揺るがす映画を作ることが目的。無事完成すれば過労死してもいいと思っていつもかかる。製作途中で死ぬのは嫌だけど。妻も子供いないから安心して戦える。そんな最後の戦いが始まる前に、あれこれ片付けをしておく。


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「来年は60歳」という記事をfacebookで書いた。ら、大反響! [MyOpinion]

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「来年は60歳」という記事をfacebookで書いた。ら、大反響!

「いいね」200超え、コメントも数多くを頂いた。感謝感謝。だが、記事で伝えたかったことを理解していない人たちも多く「私は60代ですが元気です」「仕事があれば大丈夫ですよ」「スポーツをやっているので、70代ですが病気はしません」とかいうコメントもたくさん頂いた。

僕が伝えたかったのは「60代になると健康が不安だ」ということではない。「70代になると急激に体力が落ちたりして、病気にもなりがちと聞くから、60代が勝負。その10年間にいかにいい映画が撮れるか?」という決意を書いたつもりだった。「どうやって健康を維持するか?」「健康が心配だ」という話ではない。

例によってタイトルだけ見て、記事を読まずにコメントを書いた人が多かったのではないか?あるいは、やはり長文を読む理解力に欠ける。自身が老後の心配をしているから「監督も同じなんだろうなあ〜」と思い込み、的外れなコメントを書いた。これもよくあることだ。

ただ、反響の大きさから考えて、多くの人が老後、60代70代のことを心配し、不安に思っているということが分かった。まあ、不安になるのは当然で、若い頃は当たり前だったことが、できなくなる。辛くなる。病気がちになる。そんな年齢だということだ。多くの人がそれを痛感しているのだろう。

それとコメントを見ていると「私は60代ですが」「70代になりますが」と言うものが結構あった。僕のfacebookを読んでくれている人たち。つまり「友達」は非常に年齢層が高いということだ。30代とか20代の「友達」っているのだろうか? ま、5000人ほどいるので、その中の50代以上がコメントをくれただけかもしれない。

ただ、名前を見ていると、多くが常連さん。ということは少なくても常連さんはとても年齢層が高いということ。いや、当然かもしれない。僕の記事は「原発」「戦争」「政治」「社会」についてが多いので関心があるのは10代20代ではなく、やはり50代以上になるのだ。「沖縄戦」上映中の映画館も観客は年齢層が高かった。

本当は若い人に見てもらいたいのだが、若い頃は社会に関心がない。僕も311以降。50代になったばかりの頃。そう考えると当然、読者も近い年齢層になるということ? 社会に潰されていくのは若者。だが、彼れは政治や社会に関心が薄い。それを指摘し、反対するのは50代以上。でも、戦争に行くのは若い層。もっと若い人に記事を読んでもらう方法はないか? そんなことを考えたりする。


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50代はもうジジイだと思っていたが、60代はどうだ?=もうそんな年齢なんだ?! [MyOpinion]

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50代はもうジジイだと思っていたが、60代はどうだ?=もうそんな年齢なんだ?!

来年はヤバイ。コロナではない。僕自身の話だ。来年はとうとう60代に突入する。信じられない。ありえない。50代でさえ全く実感なく10年が過ぎようとしているのに、60台なんて! いやいや、40代も30代も実感なく終わってしまった。ついこの間まで17歳だったのに、60歳なんて意味分からない。

歳を取った実感ゼロ。あ、でも、髪が真っ白!徹夜ができなくなった? いや、無理すれば今でもできるはず。昔ほど飯食わない?ああ、それはそうだ。でも、食費が助かる。20代は2人前は平気で食べた。しかし、「もう歳だな〜」という実感がない。10代の頃は50代はもうジジイと思ったが、実際に50代をやると、20代と大差ないように思えた。むしろ、経験値が高くなったので仕事効率がいい。

しかし、70台というと流石にジジイだ。そこまであと10年.....どうしよう? ただ、先日見た頭脳警察のドキュメんタリー映画。パンタさんは今年で70歳。矢沢永吉も70歳だ。どちらも元気にライブやっている。そう考えると、60代はまだ大丈夫か? ただ、矢沢も60代になると、あちこち体の不調が出てきたという。パンタさんもかみは真っ白。やはり60代は油断できない。

現在80歳の人に聞くと70歳になった途端にあちこちガタが来たという。そう考えると60代が全力で戦える最後の年代なのかもしれない。年老いた実感はゼロだが、ここ数年で同級生が何人も死んだ。やはり、そんな歳なのだ。もしかしたら最後の10年かもしれない。人生最後の戦いかもしれない。あと何本、映画が撮れるのか?

本数ではない。これまで以上に時間とエネルギーをかけて死んだ後も残る作品を作りたい。そのためには毎回全力投球。毎回、遺作だ!(が、これはデビューから言っている)邪魔はさせない。皆と仲良くしない。自分のスタイルで行く。あれこれ言わせない。嫌われてもやる!ということが大事だ。幸い、妻も子もいない。いつ過労死しても迷惑はかけない。そう、そんな歳になったのだ。もう遠慮はしない(今までもしてない!)あとの人生を全力で走りきるぞ!と誓う2020年の秋であった。


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なぜ、日本人は悪い方悪い方に考えるのか?=希望を探さず嘆くばかりの人たち。 [MyOpinion]

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なぜ、日本人は悪い方悪い方に考えるのか?=希望を探さず嘆くばかりの人たち。

日本人にはペシミストが多い。ペシミスト=悲観主義者だ。未来を悪いように考える。希望を持たない。物事を悪い方悪い方に考える。こんな経験はないか?友人や先輩にささやかな夢や希望を語る。将来の計画を話すと「そんな簡単にいかない」「甘いよ」「ま、やってみれば~」と冷ややかに言われる。或いは、人気俳優がいる。とてもいい芝居をする。大人気だ。多くのマスコミが注目する。でも、こういう人たちがいる。「どうせすぐにダメになる。今だけだ。世の中、甘くないからな~」

そんな人たちがとても多い。なぜ、悪い方にばかり考えるのか? 子供の頃に「将来、パイロットになりたい!」「野球選手になりたい」と思う。だが、次第にとてつもなく難しいことであると気づく。極々一部の人しかなれないことが分かる。大学でも子供の頃は「努力すれば東大にでも入れる!」と思ったりする。が、努力だけではダメなことも次第に理解する。

結局、真面目にコツコツ勉強して、自分の学力に合った大学に行くしかない...と考える。ミュージシャンだ。俳優だ。カメラマンだ。作家だ。と派手な仕事に多くが憧れるが、自分には「才能」(そんなものは存在しないのに)がないから無理だと諦めて、それなりの大学に入り、それなりの会社に就職。「それが人生だ....」「それが大人の考え方だ...」と思うようになる。そして自分の子供が夢を語るとこういう。「世の中、甘くないんだぞ!」

その背景にあるのは島国であるニッポンの閉鎖性。長い歴史と気候や土地柄等が影響している。ムラ社会ルールも関係する。が、今回は原因追求ではない。そうやって多くの日本人はペシミストになりがち、希望を探すより、問題点を探して現実に失望する。その問題点を解決する方法を考えず、嘆いてばかりいる。

今、日本人は何を言っているか?「安倍が辞めても何も変わらない」「菅政権はさらに悪くなる」「れいわ 新選組も期待できない」「枝野が代表ではダメだ」もっともな意見もあるが、批判ばかり。悪いところ、問題点を見つめて悲観しているだけ。なぜ、希望を探さない。なぜ、可能性を見つけて応援しない。

「コロナが終わったら戦争が始まる。日本はさらに酷くなる」

そう言う人もいるが、戦争は三密の極致。各国ともに経済ガタガタで戦争なんて出来ない。その発言も悲観主義が影響している。コロナ禍が終われば時代は良くなるとは考えず、より悪くなると思えてしまう。だから、もっと酷いこと。「戦争が始まる」と考えたのだろう。論理性がなく、悪い方悪い方に想像している。

始末に悪いのは悲観的なことを言うことや、現状に希望を持たないことが「大人の考え方」と思っている日本人が多いこと。あるいは無意識にそう感じている。「俺は子供っぽい夢なんて持たない。甘い考えなどしない厳しい現実を理解している大人だ」と思っている。が、その背景、本質はこうだ。子供時代にパイロットや野球選手に憧れたが、厳しい現実を知って諦めた経験。希望の大学に入学できなかったこと。そのために「世の中甘くない。足掻いても変わらない。それを受け入れるのが大人だ...」とネガティブな認識をするようになった。言い換えれば、何をしても無意味。諦める。耐える。努力しても無駄。希望は持たない。批判はしても行動はしない。「だって世の中、甘くないから...」それが大人だと深層心理で認識してしまうからだ。

今一番必要なのは、やはり現実を直視し、分析すること。問題点だけを探すのではなく希望を見つけること。貧しい想像で決めつけず、事実を吟味することだ。「世の中、甘くない」と言うだけが大人ではない。「甘くない世の中で、どう生きるか?」を考えるのが大人なのだ。僕はこの先、日本がいい方向に向かう予感がしている。予感だけではない。いくつかのエビデンスもある。菅は暫定政権。長くは続かない。その話もいずれ書かせてもらう。希望はある。嘆いているだけでは何も変わらない。希望を探そう。そして行動しよう!


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騙されてはいけない。誘導されてはいけない。正義感が強く、行動力のあるあなた。ご注意あれ! [MyOpinion]

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騙されてはいけない。誘導されてはいけない。正義感が強く、行動力のあるあなた。ご注意あれ!

杉下右京は言う。「細かいことが気になる困った性格!」僕も似たようなところがある。だから脚本家という仕事ができるのかも? ただ、嫌がられる。「そんなんこと。どうでもいいだろう!」とよく言われるが、どうでもよくない。

問題ある奴がいる。迷惑ばかりかけている。「なぜ、彼は嫌われることばかりするのか? 何か理由があるんじゃないか?」と言うと、友人は「あいつは単に嫌な奴なんだよ! 絶対に許せない。いつか殴ってやる」と怒り心頭。が、調べていくと、その人は精神病だった。悪意はないが、精神状態が普通でないので発言が無責任となり、人を傷つけることが多い。そのためにトラブルが起きていた。

何か事件やトラブルがあれば、必ず原因がある。嫌われている人がいたら、彼ら彼女らの背景や生活に何かがある。単に「嫌な奴」なんてあり得ない。ただ、多くの人は考えるのが面倒。考えたくない!「嫌な奴」と決めつけ、済ませてしまう。

「あいつは許せない。裏切られた。2度と応援しない!」

と怒っている友人もいる。なぜ友人がそこまで怒るか分からない。理由を聞く。そのほとんどが聞きかじった情報やツイッターでのデマが背景。さらに聞くと、友人はその人物を過大評価していた。なのに現実が見えてくると「裏切られた!」「彼は変わってしまった!」と怒る。嘆く。もともと、そう言う人なのに。

あるいは「勝手な思い込み」で、その人を見ていた。現実が見えてくる。自分の見る目がなかったとは考えず、やはり「裏切れた」「彼は変わった」と断定。怒りに駆られ、誹謗中傷。バッシング。「俺は裏切られた!」「正義は私にある!」と攻撃。悲しい。ただ、彼ら彼女らは熱く、真面目で、正義感が強い。だから、強い怒りがこみ上げる。悪い人たちではない。むしろ「思い」ある人たち。でも、現実が見えないことがある。

その噂。本当に正しいのか? その情報。本当に事実なのか? 思い込みはないか? 別の思いをダブらせていないか? 別の怒りを向けてはいないか? そこまで考えない。ツイート見る。「何ーーーそれは酷い。許せない!」リツイートして攻撃。誰が、いつ、発信したツイートか確認しない。その人物が何者で、どんな背景があるか?確認しない。発信者はアニメキャラでハンドルネームなのに安易に信じてしまう。

マスコミが「今、日本は**国から攻撃を受け、多くの子供が殺害されました」と報じれば、「何〜ーー許せねえ! 志願して自衛隊に入って戦うぜ!」と言う人が続出するのではないか? アメリカがよく使う手だが、日本も過去に使っている。情報を確かめることは大事だ。いつ、誰が、どんな人が発信したのか? 背景は? 目的は? 裏は? 情報の真偽は? 少し考えるだけで、いろんなことが見えてくるはずだ。



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考える時間の大切さを痛感。多忙な毎日の流されていたことに気づく? [MyOpinion]

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考える時間の大切さを痛感。多忙な毎日の流されていたことに気づく?

アメリカ映画。オリジナル・シナリオを書く際。取材と構想に1年。執筆に1年かける。だから、面白い映画ができる。脚本家は3年は遊んで暮らせギャラをもらう。もちろん執筆時の2年とは別。日本の場合。原作ものを使うことが多いが、オリジナルだからと2年もかけさせてはくれない。大河ドラマは1年前からスタート聞くが、通常は数ヶ月。下手したら来週までに上げて?とか言われることもある。

あるテレビ局が作った映画。取材を入れて1か月少々。4ヶ月後には映画館公開。当然、中身がない。題材を少々で描ける物語。そんなタイプの脚本を手早く上げるライターが重宝がられる。そして脚本料は名前のある人でなければ、新人社員が数ヶ月生活する程度の額しかもらえない。だから作家もよりお手軽に書くようになる。いかに日本はクリエイティブなことに時間と金をかけないか?がよく分かる。

そんな話は以前に書いた。今回、伝えたいのは取材だけでなく「考える時間」の大切さだ。例えば取材に1年。それをシナリオにする。その期間が1ヶ月だとする。シナリオ執筆は最低1ヶ月は必要。余裕持って2ヶ月。短期間に書き上げる作家が優秀と思われがちだが、その手の人は器用という側面もある。また、パターンで仕上げるという手もある。
「あのヒット映画風にまとめよう」とか「あの名作のスタイルで行こう」とか言う手を使う。

が、アメリカは1年の猶予がある。いろんな映画のパターンを研究。どの作品のスタイルが相応しいか?じっくり考えることができる。また、取材した題材のどのネタを取り入れるか? それによって、いろんなパターンの物語ができる。周防正幸監督は映画「それでも僕はやってない」の脚本を3パターン作ったという。主人公が会社員のもの。映画になった青年が容疑者になるもの。そして後一つ。実際に書き上げて、どのパターンが一番テーマを伝えられるか?考えた上で選んだという。

これは本当に凄い。つまり1本の仕事のために3本分の仕事をしたことになる。通常なら、そんな不経済なことはしない。最初に会社員を主人公にすれば、それで通すだろう。それをしなかったのは周防監督がテーマに対する並々ならぬ思いがあったからだ。これは1ヶ月ではできない。多分、1年近くかけたのではないか? だから、あの映画は面白く、ヒットもした。「shall we dance?」で大ヒットした周防監督でないと出来ない方法論ではある。

「俺は無名だしよ〜。会社がそんな時間くれないからなあ」という人もいるだろう。なら、それが出来る環境作りをすればいい。大ヒット作を作らなくても出来なくはない。もちろん、大変だが、出来る。ただ、そんな環境が嫌をなしに作れているのが「今」だ。コロナ感染で多くの撮影はまだスタートしていない。テレビは始めなければならないが、映画は延期が続いている。今、撮れば通常以上の割高撮影となるから。様子見。

この機会にあれこれ考えることができる。シナリオを書くというより、それを考える前の段階に時間をかけられる。さらに前の段階。映画ということではなく、世の中のこと。自分のこと。興味あることをあれこれ考える時間だ。製作が始まればその余裕はない。しかし、そんなことをあれこれ考え、導き出したものこそが映画のテーマになる。多忙な日々の中にいると、ひたすら期日までに作品を上げることが最優先になってしまう。

そんなことで今はあれこれ考えている。人はなぜ批判し合うのか? 人はなぜ、同じ目的を持ちながら認めようとしないのか? 人はなぜ、「世の中甘くない」と言い努力を止めるのか? いろんなことを考えてしまう。突き詰めていくと、その向こう側に現在があり、その前後に過去と未来があることに気づく。こんなことを考える時間。もう死ぬまでないかもしれない。宗教は好きではないが、高名な坊さん(名前はよく知らないが)山にこもって悟りを開くというが、こういうことなのではないか? この機会。大切にせねば...。


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子供たちに伝えたいこと。「考える力」を育てないと生き残れない?(5年前の記事から) [MyOpinion]

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子供たちに伝えたいこと。「考える力」を育てないと生き残れない?

僕の映画のテーマは「親子に伝えたる大切なこと」なので、よくお母さん方から質問を受ける。「子供のために何をすればいいんですか?」答えは難しい。昔なら「しっかり勉強して、いい大学に行き、一流企業に就職すること」と誰しも思っていた。が、今や一流企業でも倒産したり、大量のリストラをする時代。エリートコースを歩んでも、絶望が待っているだけかもしれない。

そもそも日本の教育は優秀なサラリーマンになるための訓練。与えられたことを確実にこなし、上には逆らわず、疑問を持たず、指示されたことを正確に、早くこなす人材を育てるためのものだ。つまり、想像力。洞察力。共感力。状況把握能力といった、社会に出てとても大切な力を育むものではない。分かりやすくいうとサラリーマン・ロボットになるための教育。

バブル時代まではそれでよかった。が、言われることしかできない社員ばかりなので、上が時代錯誤になると、企業全体が駄目になり、電気製品も韓国に抜かれ、不況からも脱出できない。では、何が必要なのか? これからの時代で大事なのは、情報を得たとき、そのまま受け入れるのではなく、その裏や意味を想像する力。風を読み、時代の流れを感じて「今は何が必要か?」を自分で考える人材だ。そんな力を持たねば、混沌とした時代を生抜いて行けない。でも、すでに社会人の大人はもう遅いかもしれない。せめて子供たちの「考える力」を育てたい。

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どうすれば「考える力」は育つのか? 例えば、目の前に白い色があっても、白と認識するのは実はむずかしい。横に黒を置くことで違いが分かる。つまり、比較することで、物事を認識できる。具体的にいうと僕が子供の頃、銀行は3時で閉まるのは当たり前だった。不便だし、働いていると預金を降ろしに行くこともできない。その後、自動支払機が出来てからも、しばらくは午後6時で終わり。その後も、100円の手数料が取られた。何で自分の金引き出すのに手数料が? と苛ついたが、それが当たり前だと思っていた。

ところがアメリカに留学すると、銀行はどこでも午後5時までやっているし、自動支払機は365日、24時間。手数料なしで引き出せる。そうだよな! 何で自分の金出すのに手数料取るの?と思えた日本の銀行がいかに努力をしていないか?が分かった。その後、日本も改善され、3時以降も営業するところ、手数料なしで引き出せる機械もできたが、日本人は不便を不便と思わず、それが当たり前と思っていたのだ。

同じように日本では当たり前ということが、実は世界の非常識だったりする。そんな経験をすると、物事は一面だけではないこと。当たり前だと思っていたことが実は違うこと。別の側面があると分かってくる。いろんなことを疑い、本質を見つめようとする。問題が見えてくれば、どうすれば解決できるか?試行錯誤する。それが「考える」ということ。その力が今の日本人は決定的に欠けている。

では、どうすれば子供たちは自分で考えるという習慣がつくのか? いろいろあると思うが、そんな質問を受けたとき、僕は留学を進める。情報化社会といいながら、まだまだ日本人が知らないことは山ほどある。情報番組やネットで情報を得て、海外のことが分かったつもりになっているが、実際に行くと大きな違いを痛感する。海外旅行では駄目。やはり、その国に住み、暮し、地元の人と接してみないと分からない。そこで初めて日本との違いを実感する。そこから「考える」という作業をするようなる。

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僕自身。アメリカ映画とアメリカの音楽で育ち。ドラマもアメリカ。アメリカ人よりアメリカ文化には詳しいくらいだが、やはり住んでみると、数々の驚きがあった。その意味で、若い人には留学を勧める。アメリカでなくてもいい、ヨーロッパでも、アジアでも。日本以外の国に行けばいろんなことが見えてくる。日本の駄目な点だけでなく、日本の素晴らしさも分かる。海外で生活したことがないのに「日本はいい国だ!」という人がいるが、本当の良さは分かっていないだろう。

ただ、留学のみが「考える力」を育てる方法ではない。いろんな方法がある。それはまたの機会に紹介する。いずれにしても大事なことは、子供たちを昔通りに日本の教育を受けさせて、一流大学、一流企業を目指すだけでは、考える力は育たず、いずれ、大人になってから大変な思いをするのは間違いない。

だから、子供たちと、その親たちに、今、何をするべきか? あれこれ考えて、映画を作る。そうやって、幸せになるヒントを届けられれば嬉しい。(2015年3月)



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あれこれ言ってくるお節介な人たち。その背景にある本当に理由? [MyOpinion]

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あれこれ言ってくるお節介な人たち。その背景にある本当に理由?

なぜ、人はあれこれ言いたがるのか? 知らないことまで口を出すのか? 「よく分からないのですが、***すべきではないでしょうか?」ー知らなかったら黙ってろ! 知らないなら助言にならないだろ?と思うのだが、そう言う奴がいる。それはまだ謙虚な人で、知りもしないのに「それは****だよ。分からないのか?」と断定する奴がいる。「この分野。詳しいのか?」と聞くと「いいや、そうとしか思えない」と言うー「意見かよ!」だったら「俺は***と思う」と言え。それ以前に訊かれてもいないことに口出しするなと思う。

「朝日のあたる家」を作るときも、「原発映画は無理だ。やめておけ」と先輩たちから言われた。が、多くの人の協力で完成。評価もされた。先輩に「お陰様で完成。全国27箇所で公開できました」とわざわざ報告に行った。そうすると「お、良かったな」と言われた。「やめておけ」と言ったろー!だったら「俺は無理だと思ったんだけどなあ」とか「そうか、頑張ったなあ」と言うのが普通だろ。「良かったな」?どの口が言う?と思ったが、真剣に僕のことを案じて「やめておけ」と言った訳ではなかったのだ。

高校時代に「映画監督になる」と宣言した時も、業界で「自分で制作費を集めて映画を撮る」と決めた時も、原発事故の映画を撮ると言った時も、いろんな人が頼みもしないのに寄ってきて「無理だ」「やめたほうがいい」「世の中甘くないぞ」と「誰かに頼まれたのか!」というくらいにいろんな人が批判、否定、止めに来た。

しかし、それらも僕の身を案じてと言うことは少なかったと思える。「世の中は厳しい。簡単じゃない。それを分からせてやる」と、それが義務であるかのように、あるいは子供に言い聞かせるように言う人たちがいた。

昔からその種の人たちに気持ち悪さを感じていた。一見、親切に見えるのだが、何か違う。「世の中、甘くないぞ」と忠告しているようで、どこか失敗を願っている。ギブアップを進めている気がした。大人になり心理学をあれこれかじるようになり背景が分かった。

「俺も若い頃は夢があった。でも、実現しなかった。こいつも同じようなこと言ってる。甘いな。現実を教えてやらねば」

と言う思いがある。が、その手の多くは「世の中甘くない」とは言うが「俺の努力が足りなくて夢を掴めなかった」とは言わない。「世の中は甘くない」が理由。そこには無意識に「俺は頑張った。でも、世の中が厳しいから夢が掴めなかったんだ」と言う自己弁護がある。もし、僕が夢を実現したら、世の中甘いことになる。つまり、世の中のせいでダメなのではなく、己の努力が足りなかったからダメだったことを証明されてしまう。だから、夢は否定されなければならない。そんな無意識が働いている人もいたようだ。

他の件も共通する。自意識では「世の中を分かっていない若者のためにアドバイスする」という親切心。深層心理では「こんな奴がうまく行ったらムカつく。世の中は厳しくないことになる。俺の努力が足りなかったことになる。だから、何としても否定せねばならない」という思いが働いている。自分の過去や努力が否定される。だから、頼みもしないのに、あれこれ言いに来る。認めてはいけないものなのだ。

反原発を唱えるオヤジも同様。若い奴が官邸前で抗議活動。マスコミも注目。でも、チェルノブイリから反対している自分たちは、バカ扱いされてきた。誰も評価してくれなかった。その悔しいさを押し殺しこう言う「あいつらは不勉強だ」「努力が足りない」「目立ちたいだけだ」60代70代のそんなオヤジを何人も知っている。これも承認欲求を満たしたいのが理由。

しかし、多かれ少なかれ、あれこれ言ってくる人の背景にそれらがある。基本は「人の役に立ちたい」と言う願望。本来これは美しいものだが、その欲求を満たすために知らないことでもアドバイスする。結果、邪魔になっているだけ。あるいは相手を否定することで、自分の過去を正当化する。それらを自覚して意見する人は少ない。皆、意識の上では「親切」「あいつらのため」とすり替えが行われている。

だから、拒否すると怒り出す。「お前にために言ってんだぞ」そうではない。自分の欲求を満たすため。過去を正当化するため。若い頃。気持ち悪い....と思った理由はそれだったのだ。相手のためではない。成功され自己が否定されるのを恐れていただけ。もちろん、全ての人がそうではないが、そんな輩はとても多いと感じる。若い人に伝えたい。大人の意見は聞き流そう!



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過去の価値観に縛られる大人たち。彼らの言葉を受け入れていたら人生は終わっていた? [MyOpinion]

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過去の価値観に縛られる大人たち。彼らの言葉を受け入れていたら人生は終わっていただろう?

何度も書くが僕はひねくれ者だ。常識がないと言われる。が、常識に縛られていては映画作りはできない。なのに、それを理解してくれない人がいる。いや、最近はそうでもないが、監督デビューした頃は大変だった。当時から僕はローリングストーンズのTシャツに敗れたGパンを履いていた。ロングヘヤー。木村拓哉人気でロン毛が流行る前から。実は小学生の頃から長かった。流石に中学、高校は校則で短くしたが、卒業後はずっと40年ほどロングヘヤー。

こだわりではない。短いと髪が伸びたのがすぐ分かるが長いと目立たない。毎月カットしなくてもいい。てな理由。ただ、短くしろ!とか強制されるのは大嫌い。もう20年くらい前になるか? ある知人のお宅に招かれた時、初対面である60代のおじさんに言われた。

「君、髪が長いねえ〜。男らしく短髪にしたろよ!」

大きなお世話だ!初対面のオヤジに指示されたくない。が、お世話になっている方に招かれた席。揉めてもいけないと「寒い時に長いと便利なんですよ〜」とかわした。ら、オヤジは「そのために帽子というものがあるんだよ〜」という。こちらも意地なり「貧しくて帽子が買えないんですよね〜」というと、オヤジもムッとして「だったら髪切るときは俺にも切らせてくれよ」という。もう、男が長い髪なのが許せないようだ。ちなみに、そのオヤジは寿司職人のような短髪。

しかし、初対面の相手に髪型を強制するなんて「お前は生活指導か?」と言いたかったが、彼の青春時代は多分、男は丸坊主。それが男らしい。長い髪は女がすること。男がすべきではない!見ていてむさ苦しい。という強い思いがあるのだろう。ただ、それは彼の価値観。時代は変わり、それこそ木村拓哉が人気で多くの若者がキムタク風だった。にも関わらず、初対面であった相手でも価値観を押し付け、髪を切れという。長い髪に恨みでもあるかのようだった。人は経験値に縛られ新しい価値観が受け入れられない生き物でもある。

高校時代。似たようなことは多かった。「学生は勉強が本分」とか「早寝早起きは健康のもと」とかなんか古臭いことをいう大人が周りにして、強制された。が、それが本当に大嫌いで、逆らってばかりいた。そもそも「勉強が本分」とか言いながら、その勉強が大人になってどれだけ役に立つのか? 微分積分や集合。因数分解が将来役に立つのか? 歴史の年号が仕事で必要か? 当時の教育は(今も)優秀なサラリーマンを育成するためのもの。「勉強」=「大切」=「自分のため」というのは詭弁であり、国策に乗せられているだけ。

だが、多くの大人たちはそれに気づかず、勉強する意味を問ても明確な答えを出す者はいなかった。「自分を鍛えるため」とかいう教師もいたが、だったらもっと若い頃にやるべきことはある。そんな風に若い頃から古い価値観や大人の理屈に納得できず。逆らってばかりいた。だから、会社員には絶対になれないだろうと思っていた。要は高校の延長。与えられた仕事をこなすだけ。授業料を払う代わりに給料がもらえる。そのために嫌なことも我慢する。納得できなくても上司に従う。僕は無理だろう。

「お前は現実と向き合わず、逃げてばかりいる。ろくな人生を歩まないな」

と言われた。「甘えている」「世の中は厳しい」「我慢が大事」とも言われた。が、会社に就職することは一度もなく、目標であった映画監督になり、それなりに仕事をしている。ただ、相変わらず捻くれ者だ。何か言われると反発する。そして経験豊富な人生の先輩たちが言うことがいかに間違っていたか?を痛感する。そして時代は多様性が必要とされ、古い価値観を崩壊していく。与えられたことをしているだけでは、生き残れない時代になりつつある。だから、若い人たちに言いたい。大人の言うことを聞いてはいけない。自分で考えて進むことが大事なのだ。



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「みんなと仲良くしなさい」と親は教える=それでは新しい時代を生き延びることはできない? [MyOpinion]

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「みんなと仲良くしなさい」と親は教える=それでは新しい時代を生き延びることはできない?

「喧嘩するより仲良くすることは大事だ」と思えるので、その言葉は正しいと思う人が多いだろう。が、そうだろうか?という話を以前に書いた。「みんなと仲良くしない」と「協調性」がないと言われる。それはいけないなあ。と考えがちだが、それは同時に「ムラ社会ルール」に縛られるということ。人と違うことをするな。目立つことをするな。新しいことをするな。昔からの習慣を守れ。そんな掟に従えば「みんなと仲良くできる」「協調性がある」ということになること、以前に書いた。

これは地方の小さな町だけでなく、都会でも存在する。会社の中にも同じような環境がある。配置された部署で同僚と仲良くやらねばならない。嫌な上司とも仕事せねばならない。社風がある。慣習がある。そして会社が大きくと不況に強いところだと、売り上げを上げるより、上司や同僚と仲良くやることが重要視されがち。それが役所だ。

市民のために頑張りたい!という新人がいても、新しい提案をすると先輩から「仕事を増やすな」と怒られる。いじめを受ける。職場にはムラ社会ルールと同じような仕組みが出来上がっている。市民のための仕事をするより、所内で目立たない。新しいことをしない。人と違うことをしない。指示されなくても、そんな空気があり、従わないと圧力がかかる。もちろん役所だけではない。多くの会社でも似たようなことがある。

安定した時代。大きな組織ではそれでも機能する。が、激動の時代にはそれでは通用しない。現在のコロナ禍。PCR検査が拡大しないもの、マスクが配られないのも、同じ背景があるではないか? 過去に経験がないことだと総理が何度支持しても、なかなか実行されない。ムラ社会ルールに長らく縛られてきた官僚たちが、いきなり新しいことができない。だから、トラブルの連続なのだ。

「シン・ゴジラ」でゴジラ対応で特別チームが収集される場面がある。あの専門家たちはある種、はみ出し者ばかり。だからこそ、古いしきたりやルールに縛られずに、怪獣対応という新しい事態に対応できたのだろう。同じことがコロナ感染対策でも必要なのだ。それはコロナだけでなく、次なる時代の日本に一番大切なことではないか? はみ出し者。ひねくれ者。協調性のない者。そんな人たちは古いルールに縛られない。そこが強みになるはずだ。


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学校教育と芸術。安定した仕事に就くための教育=「カルシュウムは大人になってから摂取しろ」? [MyOpinion]

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学校教育と芸術。安定した仕事に就くための教育=「カルシュウムは大人になってから摂取しろ」?

僕は会社員をやったことがない。高校の頃から「組織の中では働けない」と思えていた。先生たちが押し付けてくる「教え」を守ることができない。タバコを吸うとか窓ガラス壊すと言うことではない。学校帰りに映画を観に行くと言う程度だが、真面目な進学校だったので、僕のような生徒はまずいなかった。教師、親、クラスメート。皆、同じことを言った。

「今、一番大切なことは何なのか?よく考えろ。映画が見たくても我慢することが大切。今はしっかり勉強して大学に入ってから、好きなだけ映画を見ればいい」

それは学校や家庭だけでなく日本全国どこでも、ほとんどの人が賛同する意見だろう。それでも、僕は違うと思った。15、16、17歳の多感の年齢にいろんな映画を観ることは「楽しい」というだけでなく、学校の勉強以上のことを学べる。アメリカと言う社会。アメリカの歴史。ローマ時代。宇宙。原発事故。いろんなことを知る。

「映画を観る」と言うと大人たちは「娯楽」「遊び」と考えるが、芸術だと考えると分かりやすい。音楽、絵画、彫刻、何でもいい。そんなものに子供の内に触れる。10代の内に馴染む。それが感受性を育てる上で大切なこと。いろんなところで言われる。脳の硬直化が始まる20歳を過ぎてから、いくら良いものを見ても10代ほどのプラスにならない。

芸術は心の栄養。カルシュウム。それを日本の教育では「今はカルシュウムは取らなくていい。炭水化物を取れ。大学に入ってからカルシュウムを取れ」と言っているのだ。それでは遅い。骨が弱くなる。脆くなりやすい。子供時代の栄養は体を作る上で必要だ。

その時代に映画をたくさん見ていたことで、今の仕事ができる土台が育ったのではないか? あの頃、いくら数学や古典を勉強していたとしても今、役立つものではない。それは会社員になっても同じ。では、なぜ、そんな教育をするかというと「興味がない、面白くない」と思いながらも、その科目をしっかり勉強することが、会社員になってからは大切なのだ。嫌な仕事、興味のないプロジェクトでも命令されても一生懸命やる訓練となるのだ。

僕はわがままで頑固なので、嫌いなことはしたくない。だから、勉強せずに映画を観ていたが、周りは「努力が足りない。我慢強さがない」「勉強が嫌で逃げいているだけだ」と批判した。でも、それは「思いを捨てろ。心を捨てろ。言われたことに反抗せずに従え」と言う意味でもあった。ただ、その方が安定した収入がある仕事につけるという事だった。そのせいで僕は不安定な収入しかない仕事をしている。が、どう考えても会社員は無理だったと思えてしまう。


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子供食堂の件で思い出した山本太郎さんのこと [MyOpinion]

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子供食堂の件で思い出した山本太郎さんのこと

久々に長編で記事を書いた。「子供食堂で考えたこと」8回連続。(このタイムラインを少し下るとすぐ見つかります)書き終わって感じたことは、これは食堂や映画監督業だけではないということ。思い出したのが山本太郎さんのトークに行ったとき。

太郎さんは自分が喋るだけではなく、聴衆にも発言させる。そんな中で質問を受け付けているのに、あれこれ提案ばかりする人がいる。そんなことを太郎さんは求めていない。これは太郎さんだけでなく、小沢一郎さんの「語る会」に行っても同じような人がいた。質問を!と言っているのに提案や自分のことを延々と語る。そして大抵はロクでもない内容。

でも、小沢さんは嫌な顔をせず、その提案を聞いている。「それ質問とちゃうやろ!」とは言わない。太郎さんは冗談を交えてうまくかわしたり誘導して、対話にしてしまうが、大変そうだ。僕も講演会で一度、質問というのに、的外れの提案をする客がいた。あまりにハズレだったのでストレートに

「違う!それは大人の欺瞞だ!」

と言い返したら司会の人が慌ててフォロー。来ていた友達に後で「お前、客に喧嘩売るなよ」と諭された。どうも「それもそうですね。。」とか思ってもないことは言えない。その意味で小沢さんも太郎さんも本当に我慢強く、偉い。

太郎さんのトークには毎回、参加しているらしき人もいて、馴れ馴れしい発言をすることがある。その心理には

「俺は太郎さんと親しいんだぜ〜」

という思いがあり、それを他の参加者に知ってほしいという意図を感じる。ま、有名人を知ってるというは自慢に思うのは分かるが、あれこれ引っかかる。元々は応援団だったんだろうけど、どこか自分の立場を勘違いしている。

これは他の政治家の会だが、その種の人が後で参加した応援団に対して先輩風吹かしたりして顰蹙を買うという話も聞く。その政治家を応援したくて参加したはずが、何か承認欲求を満たす行為に繋げている。

「私の方が以前から応援しているのよ」

的な。これも先の記事で紹介した原発反対オヤジと同種だ。政治家の人たちには、そんな輩が寄って来やすい。始めは応援であり、支持から始まっているのに、勘違いを始め、一線を越え周りに悪影響を及ぼす。悪意はないだけに切り捨てにくいし、追放すると「思い」が「憎しみ」に変わり、ネットで毎日批判したりすることもある。

これも子供食堂や映画撮影と同じ構図だ。でも、太郎さんのトーク行くと、彼はそんな人たちにさえも気遣いをしている。「そんなあたなも救いたい」ーえらい。500円玉ハゲで済んでいるのが不思議。子供食堂や映画監督業も大変だが、政治家さんも大変。


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ムキになり女子高生に反論したこと=日本にはまだ希望がある。狭い社会だけ見て失望してはいけない! [MyOpinion]

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ムキになり女子高生に反論したこと=日本にはまだ希望がある。狭い社会だけ見て失望してはいけない!

(1年前に書いた記事)

少し前になるが、ある先生と喫茶店でお話しした。その店で生徒の女子高生がバイトをしていて少し話をした。とても冷めた視点も持つ頭のいい子であること。すぐに分かった。話題は教育問題になる。

「教師にとっていい生徒とは、自分たちのいうことを聞き逆らわない生徒なんですよ!」

その通りだ。個性を大切にとか、自分らしさを持てみたいなこと言う人もいるが、多くの教師は自分に逆らわず、従う、面倒をかけない生徒を「いい生徒」と考えがちだ。つまり人間としてどうか?ではない。道具と同じ、使いやすい。面倒でないことが重要。その女子高生はそれを理解していた。彼女の話は大人批判に進む。

「長いものには巻かれる。自分の主張はしない。悪いことをしても批判しない。AKBとか見ていると結局、日本人はあの程度のグループが好きなんですよ。音楽の世界も、芸能界も、会社も、政治の世界も、所詮そんなものなんですよ...」

佐川局長の事件、原発問題、アッキード事件等を言っているのだ。そして自分の周りの大人たちを見てそう感じたのだろう。でも「違う!」50代のオヤジ(私です)は10代の女子高生に真剣に反論した。

「確かに世の風潮はそんなところがある。そんな大人は多い。特に日本はそうだ。でも、AKBを見て日本人の嗜好を決めつけてはいけない。確かに人気はあるが、昔の松田聖子や中森明菜に比べて国民的アイドルと言えるのか? CDの売り上げも選挙のための投票用紙獲得のために、同じ人が爆買いしているのが実情。大人気であるような演出もある。マスコミを騒がせるのも上手い。しかし、それに乗せられているのは一部の人たちだよ」

僕の話はこうだ。演出された人気のグループを見てー日本人はーと言うのは違う。AKBの前、1990年代はアイドル不在の時代があった。まあ、その前の1980年代は同じようなおニャン子クラブというのもいたが、その手のアイドルが延々に続いている訳ではない。バンドブームもありアイドル不在の時代もあった。でも、若い彼女が物心ついてから知ったのはAKBであり。彼女の人生の長い年月を占めているので、それが日本人の嗜好。あの程度がいいと解釈したのだ。

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だが、50年生きている僕から見れば、おニャン子もAKBもほんの一時期、騒がれただけのグループ。それだけが日本人の趣味嗜好ではない。それこそレッドツェペリンや映画で再注目されたクイーンもそうだが、本国で人気が出る前に日本でブレイクしている。チープトリックやボンジョビもそうだ。世界的な人気グループになる前、ボンジョビは日本からのレコード印税で食いつないでいたほど。

日本人にはそんな先見の目のある音楽ファンも数多くいる。AKBで騒いでいるのは、ある種の層であり。それが軽薄に見えることからー日本人はーという解釈をするのは間違いだ。また、長いものに巻かれる。悪いことをしても批判しないという風潮は確かにある。少し前に僕が書いたFacebook記事「ムラ社会ルール」はまさにそれを指摘している。

しかし、そうではない人もいる。それこそ原発事故をきっかけに、自分の得にはならなことで真剣に戦う人たちが続々登場した。山本太郎さん。小出裕章さん。上杉隆さん。古賀茂明さん、吉田照美さん。その他にも多くの人が政府の問題を指摘し、批判している。長いものに巻かれていない。僕が映画「朝日のあたる家」を作った時も、多くの団体、主婦、芸能人、政治家、著名人の応援を頂いた。長いものに巻かれない人たちがゴマンといた。

そんな風に50代のオヤジが女子高生相手に真剣に反論し、諭した。というのも、その子は短い人生経験と身の回りの出来事。そしてテレビからの情報。学校での出来事。尊敬できない教師たちを見ていて、日本人に、現実に失望していたからだ。

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わずか16、7年の人生。身の回りの狭い世界。学校と言う名の閉ざされた空間。愚か教師も多い。テレビという名の嘘発信機。それらが現実であり、日本だ。芸能界でも、映画界でも、長いものの巻かれる人ばかり、と思ってしまう。でも、巻かれない人たちも大勢いるんだ。

「原発映画を作ったら2度と商業映画は作れない!」

そう言われていたのでキャストはなかなか決まらなかった。原発反対を公言している俳優にまで断られた。が、逆に「ぜひ出たい!」と言ってくれる俳優も結構いた。映画館も上映拒否が続いたが「だったらうちで!」というところから依頼が殺到した。日本という国。まだまだ希望があること感じた。全ての人が長いものに巻かれている訳ではない。

ただ、その女子高生の周りにはそんな人がいないだけ。そして短い人生の中で経験したことだけで判断してしまっただけ。だから、多少、長生きし、先に社会で働いているおじさんはムキになって「それは違う」と伝えたかった。若い人には見えずらいだけだ。大丈夫。希望はある!


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3つ上の先輩監督が亡くなった=この先、10年の人生を考える。 [MyOpinion]

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3つ上の先輩監督が亡くなった=この先、10年の人生を考える。

心に染みる映画を何本も作っていた監督が亡くなった。お会いしたことはないが、写真で見るとひと世代上の先輩だと思えていた。が、僕より3歳上なだけだった。コロナではなく原因は別だが、監督業はストレスが多い上に、健康に悪いことばかりしている。尋常でない無理もせねばならない。

体も心もボロボロになる仕事。経済的にも不安定。何の保証もない。映画が大ヒットしても監督に歩合は入らない。映画のみで生活できる監督は日本に5人ほどしかいない。体を壊してリタイヤする人もいる。僕もいつ死んでもおかしくないだろう。

もし、その先輩監督と同じ歳に死ぬならあと3年の猶予しかない。平均寿命をマットーして80歳まで生きるとしても、体力的に70代はどうか?という気もする。もちろん、黒澤明監督は75歳で「乱」を撮り、82歳で「まあだだよ」を監督している。が、僕の場合。そこまで体力が持つだろうか? それ以前に映画は撮りたくて撮れるものではない。依頼がなければアウト。

そんなことを考えると、持ち時間はあと20年。振り返ると初監督作「ストロベリーフィールズ」の準備を始めたのが2000年5年。そこから休みなく映画製作が続いた。今年で20年。それと同じ年月がこの後に残されているということだ。ただ、この20年間の体力や気力は期待できない。その20年が僕の人生にとって最後の戦いとなる。

監督業を始めてからは死闘の連続で、振り返ったり、将来を考える余裕は全くなかったが、コロナ騒動で考える時間ができた。計算すると、あと20年。病気や寿命が短いことを付加すると、あと10年かもしれない。いや、コロナに感染して今年で人生終わりかもしれない。でも、まあ、あと10年は何とか頑張れるだろう。ただ、一つ気がかかりなことがある....続きは次回に。


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「熱くならない。批判しない」=糸井イズム。80年代に影響された若者たちが今も! [MyOpinion]

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「熱くならない。批判しない」=糸井イズム。80年代に影響された若者たちが今も!

先日書いた「糸井イズム」ー「熱くならない。批判しない」がカッコいいと80年代に若者に浸透させたのが、コピーライターの糸井重里。「政治?興味ないなあ」がクールだぜーと僕も当時は感じていた。が、そのことで日本人は政治に関心をなくし、政治家たちは身勝手なことができて、日本はこんな国になった。多くの読者から「腑に落ちた」「目から鱗」というコメント多数。また、別のことにも気づいた。

以前に書いたが、ある先輩から「Facebookに愚痴を書くな!」と叱られたことがある。愚痴ではない。批評であり、批判だ。それを先輩は愚痴と解釈した。「愚痴」=言っても仕方のないことを言うこと。「批判、批評」=問題点を挙げて、その理由を考えること。そこから解決策や代案を導き出すためのものだ。が、それを先輩は「愚痴だ」と決めつける。

政治家を批判したり、事件のことをFacebookに書くと注意してくる人たちもいる。「他人を批判するべきではないよ」と軽蔑している感もある。こんな人もいる「俺は人の悪口は言わない主義だ」「人の悪口を言う奴は最低だ」「政治の話はしない」「政治の話をする奴は偏っている」等々。まとめると「批判するのは恥ずかしいこと」に集約できる。

「悪口」=「批判」=「愚痴」=「文句」は同じものだと、解釈している。先輩もそうだし、世間でも、その手の人は多い。嫌なことがあっても我慢。文句は言わない。耐える。それがカッコイイ。しかし、「悪口」「愚痴」と「批判」「批評」は別物だ。20年近くも不況が続くのは政治が悪いからだ。それを批判することがなぜ、いけないのか? 企業は莫大な額を貯めこんでいるのに、それを社員に還元しない。それを批判して何が悪い?

が、多くの人に糸井イズムが浸透していて、批判=文句=愚痴=カッコ悪いと思い込んでいる。「文句を言わない」「愚痴を言わない」さらに「批判しない」「批評しない」だから我慢する。黙っている。それってカッコいい?喜ぶのは政府と企業ばかり。それは何をされても文句を言わない、子羊のような国民と言うこと。

批判どころか、意見を言わない日本人も多い。あれこれ考えると、何か言いたくなる。だから考えない。意見が言えなくなる。批判もしない。それはもうアホ。人間であることをやめている。でも、「考えない」=「批判しない」=「カッコイイ」に結び付けてしまうのが糸井イズム。それで多くの若者が何も考えず、批判もしなくなった。

つまり、支配者側にめちゃめちゃ都合のいい仔羊ちゃんたち。国民は何も考えるな、意見を言うな、批判をするな、ただ従えばイイ。それを推進したのが糸井イズム。実はこれ、ある種の新興宗教が使う洗脳と同じ。オウムでも、どこでもやっている。様々な教義や修行で信者の考える力を奪い。教祖の言うことだけを聞くように洗脳する。だからオウム信者はサリンを平気で巻いた。会社員は安月給で過労死するまで働く。一昨日、糸井さんはこんなツイートをした。

「人間は、たぶんとても弱いのだ。いまこの時期の、人びとのこころには、『自由は苦しい、制約を決めてくれ』という願いが、そこはかとなく漂っているような気がする」



ー怖い。「管理され、命令され、従えば楽だよ」「何も考えずに支配されなさい」と言っているのだ。んー確信犯だったのか...。日本人の急務は糸井イズムからの脱去だろう。その真逆で生きているのが山本太郎だ。熱くなる。そして批判する。その考え方こそがこれからの日本を築く。

前回の記事=>https://cinemacinema.blog.ss-blog.jp/2020-03-11



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80年代に憧れたのは「糸井イズム」今、必要なのは「太郎イズム」=若者はこうして政治から興味をなくした? [MyOpinion]

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80年代に憧れたのは「糸井イズム」今、必要なのは「太郎イズム」=若者はこうして政治から興味をなくした?

糸井重里さんは80年代。僕らの世代のヒーロー的存在だった。何よりコピーライターという新しいカッコいい仕事を認知、広めたた人だ。パルコの「おいしい生活」ウッディアレンを起用したCMが話題になったが、あのコピーが糸井さんである。

本人が出演、当時の人気女優・石原真理子と共演したポカリスエットのCM。NHKの若者向け番組「YOU」の司会。また、矢沢永吉の「成り上がり」も彼がインタビューし、まとめた本。彼は80年代の若者の憧れであり、オピニオンリーダーだった。その後、美人女優と結婚。金も、名誉も、美女も手に入れ、若い世代は「彼みたいになりたい!」と多くがコピーライターを目指した。

「渋谷で石を投げればコピーライター志望に当たる」

と言われたほど。が、そんな彼が近年、コピーライター業を辞め「ほぼ日刊イトイ新聞」の発行をするようになってから、批判されるのをよく聞く。過去に彼が作ったコピー「まず総理から」ー戦争を揶揄した有名なものだが、「あれは無理やり書かされた」というような言い訳をしているとの話。また、今回も「Fukushima50」を「2時間ずっと泣いていた」という絶賛のツイートを出して炎上するなど。体制寄りの発言が目立つ。

友人に聞くと、あの新聞は政府がスポンサーだとかで、批判的なことを言えない立場らしい。もともと、コピーライターというのは企業をヨイショする仕事。「裏切った」とかいうことではない。が、先に紹介したツイートを見て、80年代から引っかかっていたものが解明。僕は糸井さんを個人的には知らないし、嫌いではない。が、なぜか引っかかるものがあった。その理由が分かった。

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ある方のツイート。「批判せず、熱くならないのがカッコいい」というのが彼のスタイルと指摘。なるほどと思えた。それが80年代。特に僕ら20歳前後の若者に受けた。僕らの上が「スポ根世代」涙と汗と努力!で、勉強もスポーツも頑張ろう!」というスタイル。その上が全共闘世代。いずれも一生懸命。でも、そんな人たちが頑張り、経済大国日本を築いた。

なのに戦争を知らない、貧しさを知らない僕らの世代は、オヤジたちを見て、汗と涙はカッコ悪いと感じた。そのくせにオヤジたちが築いた経済大国を謳歌した。渋谷や六本木に行き、都会暮らしを満喫。「汗まみれになる仕事は嫌だ。カッコ悪い」そんな時に登場したの糸井重里。「批判せず、熱くならないのがカッコいい」ー共感した。「批判せず」というのは政治のこと。だから、僕らの世代は「政治なんか興味ないねー」はカッコいいと思っていた。

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でも、それでは政治家たちの思う壺。そのために日本は水面下で大いなる搾取の国になって行く。が、経済が伸びていた頃はまだ弊害がなかった。「熱くならない。汗を流さない」で行けた。だからペン1本で短い文を書いて人気者になれるコピーライターに憧れる。もちろん、本当はそんな簡単な仕事じゃない。けど、若者たちはそこまで知らない。同じ理由で大手企業に就職したい。恥ずかしくない会社で働きたい。カッコよく生きたい。

DCブランドがブームもその頃。一流ブランドを着るだけで自分も一流になった気分になる。熱くならず、汗をかかず、カッコよく生きる。そんな若者たちの思いを体現したのが糸井重里だったのだ。決してモデルのようなイケメンではないが「あのくらいなら俺も行けるかも?」と思わせる。テレビやCMで活躍。若者の憧れ。リッチでカッコいい!そして文化人!

が、彼は非常に努力家だと聞く。一行のコピーのために電話帳何冊分の厚さの企画書を書く。でも、若者たちはそれを知らない。表面だけに憧れる。また、糸井さん自身も熱くなり戦う人ではなかったと思える。政権が戦争をしたがれば、察して「あのコピーは無理やり書かされた」といい、思想操作する危険な原発映画を褒める。まさに「批判せず」だ。先のツイッターにさらに綴っていること「いじめを黙認する先生」なのだ。

そんな日本は不況が20年近くも続き、アジアの貧困国に落ちぶれる。もう「批判せず、熱くならないのがカッコいい」なんて言ってられない。単に政治に利用されている都合のいいだけの存在だ。糸井重里が意図したか、時代がそうさせたかは分からないが、熱くならない、批判しない生き方に憧れた日本人たちが、政治家を野放しにして、この国をダメにしたのだ。

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しかし、ようやく、それに気づく人たちが現れる。「批判し、熱くなるのがカッコいい」それがまさに山本太郎なのだ。ただ、糸井世代は今もそれがカッコ悪いと感じてしまう。否定し、認めようとしない。糸井イズムから抜け出せない。が、今の時代に必要なのは太郎イズム。批判し、熱くならないと、政治家たちに利用され、搾取され、さらなる貧困へと突き落とされる。れいわ新選組人気。日本人はようやくそこに気づき始めたのだと思える。



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人はなぜ、知りもしないことに口出しをするのか?=編集途中で映画の批判をする素人たち。 [MyOpinion]

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人はなぜ、知りもしないことに口出しをするのか?=編集途中で映画の批判をする素人たち。

少し前の話題になるが、子供食堂の記事で思い出したことがある。そもそも子供食堂とは貧困家庭の子供のために無料で食事を提供する飲食店のこと。

なのに来るのは裕福な家の子が塾に行く前に来たりと、うまくいかない。それどころか親の溜まり場になり、「子供には手作りのものを食べさせるべき」「無農薬にこだわりを持つべき」「勉強も教えるべき」と何もしない人たちがあれこれ言いだす。それにうんざりして子供食堂を辞めたという話について書いた。

同じことは映画の世界でもある。本来、映画は監督がやりたいようにやることが大事。スタッフはあれこれ口を出さない。Pは女房役であり、監督を支える役なので意見をいうことがあるが、しっかり理解した上で監督の気づかぬ部分。あるいは製作費的に実現不可能な場面を指摘したりする。

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現場でも監督の演出について「それ違うだろう!」とは誰も言わない。違うと思っても、それは別のパートから見ては分からないことある。完成すると、なるほどそういうことか!となるので、現場の状態だけでは基本あれこれ言わない。「そんなことでいいのかな〜」と思えても、口を出して良くなることはない。

が、あるとき、映画未経験のPと仕事をした時。粗編(大まかな編集。音楽も効果音もまだ入っていない)を見るのに、出資関係者を何人も連れて来た。皆、映像業界の人ではない。単なるど素人。その素人に粗編状態を見せてどうするというのだ?終了後は案の定、的外れな意見の連続。

「背景が分かりづらい」=>「ナレーションがまだ入っていないから分からないのが当然」「感動が盛り上がらない」=>「感動場面で音楽がまだ入っていない」「時間経過が分からない」=>「時間経過のテロップをまだ入れていない」

作りかけのカレーを味見させて「カレーらしくない! これでは野菜の煮込みだ」と批判するようなもの。まだ、ルーを入れてないから...という感じだ。

素人Pは「みんなで意見を出しあって編集を進めれば、いい作品になる!」と思ったらしいが、映画作りを分かっていない。民主主義ではなく独裁。監督が「こうだ!」と思うことを突き進むことでいいものができる。ある意味で料理にも似ている。


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例えば、素人が調理中に何人もやって来て「ニンジン入れたどう?」「ニンニクはいらないじゃないかな?」「俺は肉が多い方がいいな」とかシェフに意見することに意味があるだろうか? 料理した経験のない人たちが意見出し合って美味しい料理が出来るのか?それと同じ。

いや、素人だけではない。以前にプロデュサーやスタッフが粗編を見た時も、似たようなことがあった。プロでも編集途中では完成形を想像できないことが多く、間違った批判をしてしまう。が、その2作品とも完成したものを見たスタッフは超納得。高い評価をくれた。映画館の観客は多くが感動の涙を零した。ただ、僕の場合。「完成形がどうなるか?」プロでも想像できないものがあるとも言われた。

それ以降、粗編を含め、編集途中のものはPやスポンサーと言えども見せないことにした。見ても彼らが不安になるだけ。不安になるからあれこれ言いだす。でも、彼らの意見はほぼ無意味。ストレスになるだけ。互いのためにも見せない方がいいのだ。ある人に言われた。

「ウッディアレンも同じらしい。完成まで映画のラッシュでさえ、誰にも見せない!と契約書にも書くんだって!」

アメリカでも無意味な口出しをする人たちがいるのだろう。その後、僕の場合。信頼度が高くなり、途中で見せろというスポンサーもPもいなくなり、ストレスは減った。子供食堂の話を聞いて、それを思い出した。事情は少し違うが、料理もしない、編集もしない連中が周りでガタガタいうのは邪魔にしかならない。なぜ、人はあれこれ言いたくなるのか?考えてしまう。



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ルールと習慣で雁字搦め。完全に統制された国ニッポンを牽引して来たのは誰なのか? [MyOpinion]

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ルールと習慣で雁字搦め。完全に統制された国ニッポンを牽引して来たのは誰なのか?

この日本という国を考えるとき。戦後の焼け野原から立ち上がり経済大国までなった。日本人はやはり優秀なのだと思ったこともある。アメリカ留学した時も同様のことを感じた。と言って「日本万歳!」とは思えず、海外体験を経て、余計に日本の問題点を見つめてしまう。

多分、この国で育ち、海外に興味を持たず、おとなしく、それなりに暮らしてくれば、見えるはずのものが見えない大人になるだろう。異常な状態が当たり前だと思い、正しいあり方を主張する者を批判し、日本を改善する動きを否定。自分で自分の首を締めるを努力してしまう。それは本当に恐ろしいことなのだけど、多くの日本人が気づかないでいる。(具体的にはこれまで書いた記事を読んでほしい)

ナチスドイツのように収容所送りにされる。暴力で支配される。それならば多くが問題に気づくのだが、子供の頃から洗脳され、誘導されることで、収容所や暴力を使わなくても国民を支配できてしまう時代。それに多くが気づかず、その事実を指摘する者を「反日」「共産主義者」などと言って叩く。ある意味で戦前の日本と同じ構図になってしまった。

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自由のようでいて自由でない。支配者に都合のいいルールで縛られているのに、やはり気づかない。むしろ進んで縛られてしまう。日本は見えない壁とロープで雁字搦めになった不自由な国になってしまった。戦後の3S政策。そして学校教育もそうだが、それらはGHQが進めたものであるが、その後の方針は誰が担当したのだろう。

もちろん、日米合同会議があり、事実上、日本はアメリカの植民地であり続け、それを利用して既得権益にしがみつく政治家や企業が存在する(沖縄の基地はまさにその形で利用されている)。同じことはアメリカでも行われていて、ロックフェラーがそれを担当していた。

では、ここまで日本を思うがままの方向に牽引してきた存在は誰なのだろうか? 歴代総理にそんな力も知恵もない。アメリカの提案に頷いて来ただけ。もしかすると、アーミテージやグリーンらジャパンハンドラーの指示に従ってきただけなのか? だが、トランプの登場で、そんな構図が変わりつつある。ハンドラーの彼らはすでにワシントンを追放されている。では? 巧妙に作り上げられた搾取国家日本。誰が今、それを進めているのか? そこを知りたい。


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悲観主義者は成功しない。最後の勝つのはオプティミスト? [MyOpinion]

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悲観主義者は成功しない。最後の勝つのはオプティミスト?

(改訂版)5年前の記事から

なぜか?日本人はペシミスト(悲観主義者)が多い。ものごとを悪い方にばかり考える。僕自身も経験がある。高校時代に「映画監督になりたい!」といったら、友達や先生、親、大人からもの厳しく批判、否定された。「世の中、そんな簡単にいかない」「もっと現実を見つめろ」「小学生みたいなことをいうな」「お前、才能あるのか?」ともう総攻撃。その後は夢を語らないようにした。

その背景には日本人の考え方があるだろう。「夢は所詮、夢」「世の中、甘くない」と厳しく悲観的にものごとを考えることが「大人の発想」であり、世間を知っていることだという意識があるからだ。だから夢を語ると、先のような批判をされる。

それがアメリカ留学し、大学の先生やクラスメートに「夢」を訊かれて答えたときは全然、違う反応だった。「映画監督か!グレート。がんばれよ」「グッド!いいね」「絶対になれるよ。応援する」ほとんどが好意的な意見で、背中を押すものばかり。日本は止めようとする人ばかりだったのに、何が違うのか?

僕が留学したのは23歳。日本なら大学卒業、就職の歳。後ろめたいものがあった。大学でそんな話をしたことがある。「僕はもう23歳だから…」というと「何いってんだ。まだ、23歳じゃないか!」「まだまだ、これから、何だってできるさ!」と、これまた何人もから言われた。アメリカは楽天家ばかり? でも、とても励まされた。

確か、ケンタッキーフライドチキンのカーネル・サンダースも60歳を超えてから成功したと聞く。さすが、アメリカン・ドリームの国。大学で出会った人たちも、皆前向きだった。で、気づいたのは日本は何で夢を語ると否定したがるのか? なぜ、夢を否定する? 厳しい現実を受け入れることを大人の考え方だと思い、何かにがんばろうとすると「子供じゃないんだから」などというのか?

日本に帰ってからも、僕は「映画監督になること」を目標にして、アルバイトをしながら、シナリオを書き続けた。相変わらず、友達も、親も、知人も、声を揃えてこういった。「いい加減。現実を見ろ。いい歳なんだから、早く会社に就職しろ!」そして相も変わらず「世の中、甘くない!」と言われた。

何度か挫折しそうになった。いろんな努力をしても、なかなか映画監督へのチケットは手に入らない。でも、人が机の上で考える方法論なんて、ものすごく限られたもの。本当は別のところに、違った方法論があるものだ。なのに、ペシミストはそうは考えず。「世の中は甘くない。厳しいんだ」と解釈して諦めてしまう。

だが、オプチミィスト・タイプ(楽天家)は「もう少し、がんばれば、別の出会いがあるかもしれない。別の方法論が見つかるかもしれない」と考えて、諦めない。そう、この「諦めない」ということが大切なのだ。ペシミストは努力しないのに「世の中甘くない」と考えて諦めることが多い。だから終わったしまうのだ。

実際、僕は数年後に脚本家になり、2年後に監督になる。さらに映画監督デビューする。それから4本の映画を撮り。最新作(2015年現在)は日本全国32カ所の映画館、シネコンで公開される。もし、途中で諦めていたら今の自分はない。

振り返ると、アメリカ時代にもらった言葉に支えられた。「まだ、23歳じゃないか?」「今からだってできる」「映画監督?グレート。がんばれ」「絶対になれるよ。応援する」特別の人ではない、普通のアメリカ人から何度もそう言われた。だが、僕がアメリカには行かず、ずっと日本で生活していたらどうだったか?

多くの大人、そして友人たちがこう言い続けただろう。「世の中、甘くない」「夢は所詮、夢だ」「どーせ、無理だ」「可能性は低い」そんな言葉を何年も何年も聞いていると「そうだよな。やっぱ無理だよな」と思ったはずだ。そして、夢を諦めることこそ、大人だと思い、就職。がんばる若い人を見れば「甘いんだよなー」といいたくなったろう。

こんな言葉を聞いたことがある。「最後に勝つのはオプティミスト」そして「世の中には失敗した人と成功した人がいるのではなく、諦めた人と成功した人がいる」アメリカン・ドリームというのは決してアメリカ固有のものではない。ただ、日本人の多くはペシミストであり、がんばる人がいると頼みもしないのに「世の中甘くない」「現実は厳しい」と言いに来る人たちが多い。

それで若者は諦めてしまう。けど、夢でも、目標でも、テーマでも、自分が掲げるもの、目指すものを掴むことはできるんだ。それには努力や洞察力も必要だが、一番大切なのはペシミストにならないこと。オプティミストでいること。そして「諦めない」ことなのだ。
(5年前の記事を改訂)


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