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ムキになり女子高生に反論したこと=日本にはまだ希望がある。狭い社会だけ見て失望してはいけない! [MyOpinion]

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ムキになり女子高生に反論したこと=日本にはまだ希望がある。狭い社会だけ見て失望してはいけない!

(1年前に書いた記事)

少し前になるが、ある先生と喫茶店でお話しした。その店で生徒の女子高生がバイトをしていて少し話をした。とても冷めた視点も持つ頭のいい子であること。すぐに分かった。話題は教育問題になる。

「教師にとっていい生徒とは、自分たちのいうことを聞き逆らわない生徒なんですよ!」

その通りだ。個性を大切にとか、自分らしさを持てみたいなこと言う人もいるが、多くの教師は自分に逆らわず、従う、面倒をかけない生徒を「いい生徒」と考えがちだ。つまり人間としてどうか?ではない。道具と同じ、使いやすい。面倒でないことが重要。その女子高生はそれを理解していた。彼女の話は大人批判に進む。

「長いものには巻かれる。自分の主張はしない。悪いことをしても批判しない。AKBとか見ていると結局、日本人はあの程度のグループが好きなんですよ。音楽の世界も、芸能界も、会社も、政治の世界も、所詮そんなものなんですよ...」

佐川局長の事件、原発問題、アッキード事件等を言っているのだ。そして自分の周りの大人たちを見てそう感じたのだろう。でも「違う!」50代のオヤジ(私です)は10代の女子高生に真剣に反論した。

「確かに世の風潮はそんなところがある。そんな大人は多い。特に日本はそうだ。でも、AKBを見て日本人の嗜好を決めつけてはいけない。確かに人気はあるが、昔の松田聖子や中森明菜に比べて国民的アイドルと言えるのか? CDの売り上げも選挙のための投票用紙獲得のために、同じ人が爆買いしているのが実情。大人気であるような演出もある。マスコミを騒がせるのも上手い。しかし、それに乗せられているのは一部の人たちだよ」

僕の話はこうだ。演出された人気のグループを見てー日本人はーと言うのは違う。AKBの前、1990年代はアイドル不在の時代があった。まあ、その前の1980年代は同じようなおニャン子クラブというのもいたが、その手のアイドルが延々に続いている訳ではない。バンドブームもありアイドル不在の時代もあった。でも、若い彼女が物心ついてから知ったのはAKBであり。彼女の人生の長い年月を占めているので、それが日本人の嗜好。あの程度がいいと解釈したのだ。

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だが、50年生きている僕から見れば、おニャン子もAKBもほんの一時期、騒がれただけのグループ。それだけが日本人の趣味嗜好ではない。それこそレッドツェペリンや映画で再注目されたクイーンもそうだが、本国で人気が出る前に日本でブレイクしている。チープトリックやボンジョビもそうだ。世界的な人気グループになる前、ボンジョビは日本からのレコード印税で食いつないでいたほど。

日本人にはそんな先見の目のある音楽ファンも数多くいる。AKBで騒いでいるのは、ある種の層であり。それが軽薄に見えることからー日本人はーという解釈をするのは間違いだ。また、長いものに巻かれる。悪いことをしても批判しないという風潮は確かにある。少し前に僕が書いたFacebook記事「ムラ社会ルール」はまさにそれを指摘している。

しかし、そうではない人もいる。それこそ原発事故をきっかけに、自分の得にはならなことで真剣に戦う人たちが続々登場した。山本太郎さん。小出裕章さん。上杉隆さん。古賀茂明さん、吉田照美さん。その他にも多くの人が政府の問題を指摘し、批判している。長いものに巻かれていない。僕が映画「朝日のあたる家」を作った時も、多くの団体、主婦、芸能人、政治家、著名人の応援を頂いた。長いものに巻かれない人たちがゴマンといた。

そんな風に50代のオヤジが女子高生相手に真剣に反論し、諭した。というのも、その子は短い人生経験と身の回りの出来事。そしてテレビからの情報。学校での出来事。尊敬できない教師たちを見ていて、日本人に、現実に失望していたからだ。

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わずか16、7年の人生。身の回りの狭い世界。学校と言う名の閉ざされた空間。愚か教師も多い。テレビという名の嘘発信機。それらが現実であり、日本だ。芸能界でも、映画界でも、長いものの巻かれる人ばかり、と思ってしまう。でも、巻かれない人たちも大勢いるんだ。

「原発映画を作ったら2度と商業映画は作れない!」

そう言われていたのでキャストはなかなか決まらなかった。原発反対を公言している俳優にまで断られた。が、逆に「ぜひ出たい!」と言ってくれる俳優も結構いた。映画館も上映拒否が続いたが「だったらうちで!」というところから依頼が殺到した。日本という国。まだまだ希望があること感じた。全ての人が長いものに巻かれている訳ではない。

ただ、その女子高生の周りにはそんな人がいないだけ。そして短い人生の中で経験したことだけで判断してしまっただけ。だから、多少、長生きし、先に社会で働いているおじさんはムキになって「それは違う」と伝えたかった。若い人には見えずらいだけだ。大丈夫。希望はある!


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早田 快人

その子の言ってるオトナは、確かに多数派ではあるでしょうね。
でも、私も中学生の時、全くそうではない先生に出会いました。

私の中学では当時、登下校の際、生活委員たちが校門にいて、
遅れてきたり、下校時間を過ぎる生徒を取り締まっていました。

生徒手帳を取り上げて、その旨書き込んだりだったか?詳細は
忘れましたが、ともかく、そのやり方が「人を管理することを
楽しんでいる!」という物腰があからさまだったのです。

反骨心の強かった私はそのことを指摘し、断固抗議しました。
「君達、やり方が間違ってる!」・・・と、生活委員の顧問の
先生がやってきて、怒られるかと思いきや

「エライ!君は骨がある。この学校の生徒はみんな大人しすぎる。」
と、すっかり気に入られてしまい、廊下ですれ違う度に、
「おお、頑張ってるか?」と声を掛けられました(笑)。

また、生徒手帳に「禁止!」と列挙されている数々の遊び道具を
解放しようと、私自身が生活委員になって、他の委員と闘い始めた
時、私の担任の先生(別の人)も、とても応援してくれました。

職員にしてみれば、禁止にしておいた方が管理しやすいはずですし、
また他の生活委員も、そういう職員に迎合する者ばかりだったの
ですが。

その時は生活委員会の顧問は違う若い先生で、完全な保守(!)
私の味方は二人ほどで、他の委員、上級生、生徒会役員、すべて
敵に回して、何日も延々議論したものでした。そして、その経過
を書いて私は教室の壁に貼り、同級生に報告しました。

その担任の先生(数学)は毎度、それを読んでは、私を励まして
くれました。

昭和も40年代のことであり、軍国主義の時代を肌で知っていた
当時の大人と、平成以降の大人では「民主主義」ということに
ついての感じ方が、かなり違うかもしれません。

記事にある女子高生は、それを口にするのですから、本人は
その一人になるのは意に沿わないわけですよね。
「自分はそうではない」ということが、まずは素晴らしいこと
じゃないかな、と、私は思います。

その時は孤独でも、類は友を呼ぶ、の法則で、いずれ同じことを
感じる人に出会うはず。太田監督もそのお一人でしょうし。

昔ばなし、思い出したもので、長々と失礼しました。

by 早田 快人 (2020-04-27 01:18) 

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