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トランプ問題から見える「報道」の怖さ=気づかぬ内に誘導されている? [社会政治]

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久米宏が「ニュースステーション」を担当していた頃。こう言っていた。

「アメリカの大統領選を取り上げると視聴率が下がるんだよなあ〜」

それが今回、トランプ記事をあげると凄い反響。まあ、世界が変わったこと。そしてトランプのあの得意なキャラが注目を集めていることが大きいだろう。あと、僕のfacebook友達が政治や社会への関心が高いと言うのもあるはず。

久米宏時代の大統領はレーガン、ブッシュ、クリントン。真面目なだけの教科書に出てくるようなタイプ。トランプは教科書に載せるのを躊躇する部分がある。でも、そのことで「好きだ」「嫌いだ」と言われても、多くが注目する。政治に関心を持つ。そこは大事だろう。

ただ、トランプの本質が理解できず、今も「安倍と同類!」と思っている日本人も多い。僕のfacebookにコメントくれる方はほとんどが理解しているが、広い目で見ればマイノリティー。「安倍さん。頑張ってるなあ〜」と言う人もいる中で、彼の問題点を見抜き、批判していた人でさえもトランプを否定している人が多い。ただ、彼らの人の意見を読むと、多くがあの風体、言動で感情的に「嫌い!」と言う判断をしている。

あるいは「差別主義者」「戦争屋」と言う反トランプ勢力が流したフェイクニュースを信じ込んでいる。日本のマスコミ(NHKを含め)はほぼ全て、反トランプである米マスコミの情報を垂れ流しているだけなので、そうなるのも仕方ないところはある。ただ、日本でも大本営発表としか言えない安倍広報となったマスコミが多いのに、それを信じず、自民の悪行を見抜いている人が、今回はマスコミ情報を鵜呑みにしていることが解せない。

「国内のニュースは嘘」でも「海外からのニュースは真実」と思うのだろうか? そう言えばあるジャーナリストで「日本のマスコミは安倍政権を批判できないが、米マスコミはトランプを批判している。見習わなければならない」と言った人がいるが、構図は同じ。日本は政権の圧力で本当のことが言えない。アメリカは反トランプがマスコミを抑えているからトランプ批判。それを理解せずに「アメリカの報道は素晴らしい!」と言っていた。同じように、反安倍の人たちもアメリカからの情報は正しい!と思ってしまったのだろうか?

なぜ、トランプの実態が理解できないのか?を考えると、ほとんどが感情論で「嫌い」と感じ、それ以上知ろうとしないことが背景にある。橋下、ホリエモン、N国と同様に「嫌い!」で終わってしまうのようだ。以前、その手の嫌われ者の本を読んでいることを記事にしたら「私は読みません!」と言うコメントする人たちがいた。「読め」とは言っていない。僕が興味を持ち読んでいる報告を書いただけ。

そこからも分かるのは「嫌い」と言う感情は非常に強く、他人にもそれを強制。さらに、その相手を知ることも拒否する。つまり、誤解があっても解けない。その人を詳しく知らないのに「嫌い」で終えてしまう。それはとても危険。例えばマスコミが「**国が日本を攻撃。子供がたくさん殺された」と報道すれば「許せない! 反撃だ!」と言うのが、その手の人たちと思える。実際、そうやって戦争は始まる。イラク戦争も同じ手でスタート。感情論で考えるのは危険。

そんな中、珍しくトランプの批判を箇条書きにした人がいたので、確認した。が、全てフェイクニュースで事実を知らないでいる。誤解と勘違いと思い込み。それらを見ていると「政治の誘導」と言うのは実にうまく機能していると思う。先に紹介した「菅政治を許さない」のオジさんも同様。熱い思いがあり、子供たちのために日本を守りたいと言う彼が、いかにしてトランプ批判を始めたか? その心理を解説したい。


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「みんなの意見を聞く」というと聞こえがいいが、実はトラブルのもと?=映画製作で考える民主的という勘違い? [社会政治]

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「みんなの意見を聞く」というと聞こえがいいが、実はトラブルのもと?=映画製作で考える民主的という勘違い?

FacebookやTwitterを見ていると「公開でやれ!」「ブラックボックスで決めるな」「みんなの意見を聞け」とかいうものをよく見かける。一見すると「その通りだ」「民主的だ」「公平だ」と賛同したくなる。が、本当にそうだろうか? それは時と場合によるし、それでは機能しないことがあるのではないか?

例えば映画。僕の場合、地方での製作が多い。ある街の場合。地元有志が実行委員会を立ち上げた。20人が委員となり決める。その他に実行部隊が40人。それが地元の製作母体となり寄付を集めたり、撮影協力をする。全員がプロでない一般の方々。議員さんも入っていない。彼ら彼女らが準備。実にうまくいった。ある時、なぜ、20人が委員で、40人が実行部隊なのか?聞いてみた。

「映画を作ろう!と最初に集まったのが20人。そのあと参加した人たち40人が実行部隊としました。委員会は20人だけにして、決まったことを40人に伝えて全体で動くというやり方。中には実行部隊の意見を聞いて、一緒に会議した方がいいという意見もありましたが、もし60人で会議をしたら、なかなか決めることができない。だから委員は20人までにしたんです」

大正解だ。「不公平だ」「民主的でない」「みんなで決めた方がいい」という人もいるかもしれないが、それでは機能しないことが多いのだ。どこの街でもそうだが、本当に映画ができるかどうか?分からない段階で手を挙げた人は責任感が強いし、映画についての知識を持っていることが多い。勉強もする。対して、映画製作が決まってから参加した人の中には「面白そうだ」「女優さんと会える[黒ハート]」「なんか儲かるかも!」という思いの人も混じってくる。

ある監督のケースだが、地元委員会が100人近くになったことがある。民主的に決めようと、毎回100人が集まり議論した。「主演は吉永小百合だ」「高倉健だ」「綺麗どころをズラーと揃えよう!」と言い出した人たちがいた。その映画の製作費ではとても出演してもらえるレベルの俳優ではない。が、彼らにギャラのことは分からない。「この町に健さん来たらいいよな?」というだけの発想。さらに「俺の店で撮影をしてほしい」「女優さんはうちの家に泊めたい」とか、主張する人たちも出てくる。

寄付を集めて製作という作品なのに「えー寄付集めるの?」「俺はやだなあ」「どっかテレビ局から金出ないの?」とか根本を覆すことを言い出す。「映画撮影。面白そー!」というだけで集まった人たちはそうなる。映画作りという現実を把握できず、夢や希望を語るばかり。最後は責任を取るという覚悟もないのに、あれこれ意見を言いたがる。

映画関係者ではないとは言え、あまりにも知識のない人たちが集まると、できないことを、あーでもない。こーでもないと言うばかりになり、何も決まらない。何も推進できないと言うことになる。事実、その監督の映画は製作中止になった。その意味で僕が映画を撮った先の街の人たちは非常に優秀。40人の実行部隊が委員会に出られないとことを批判する声も上がっただろうが、20人がしっかりと勉強。夢を語るだけでなく、現実と向かい合い、映画製作を成し遂げた。

もし、それを一部の人が「公開でやれ!」「ブラックボックスで決めるな!」「みんなの意見を聞け!」と言い出したら、「それもそうだな」と思えるかもしれないが、まず崩壊しただろう。実際、先の監督の時は地元がそれを実践してこんな声まで上がった。「シナリオを描きなおせ」「もっと面白い話にしろ」「監督が頼りないから変えろ」「黒澤明を呼べ!」「いや、ハリウッドからスピルバーグを呼ぼう!」「だったら主演はジョン・ウェインだ」

「もう死んでるだろ!」と言いたくなるが、何も知らない人たちが好き勝手言うだけになった。そこは多くの日本人が聞いたことのない田舎町であり、予定した製作が集まるか?不安な状況。なのにプライドは高い。できもしないことを提案する。それを街の実力者、顔役、地元の大手企業、商工会の役員というメンバーが集まり話し合ったというので呆れるしかない。

それが「公開でやる!」「みんなの意見を聞く」ということなのだろうか? 実現できないことを好き勝手言ってるだけではないか? 最近も、ある政党に対して、似たようなことを言う人たちがいるが、支持者や関係者全員が集まり、それをYouTubeで公開して多くの意見を聞くべきだと言うが、そこにどんな意味があるのか? 映画製作でも、一般の人が聞くと「えーそれダメでしょう?」と思えることでも、映画界では常識ということが多い。

それをいちいち説明していては会議にならないし、誤解して批判する人が続出すると、その対応で余計な時間が必要だ。他業の人と映像プロジェクトをすると、そのことで良く揉め、トラブルとなる。何も知らないのに自分たちの世界の価値観で批判を始めるからだ。同じことが言えるのではないか? 「みんなの意見を聞く」というと、とても民主的で公平に聞こえるが、そうでもないことも多いこと。考えたい。


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菅総理の研究をしたいのに、忙しすぎ! [社会政治]

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菅総理の研究をしたいのに、忙しすぎ!

英語字幕版制作が忙しく、他のするべき作業が出来ない。本来のすべき作業が出来ないくらいなので、テレビを見る時間もない。テレビなど見る必要はないのだが、菅のトークは見たい。官邸での司会で「それは当たりません」「答える必要はありません」という短い言葉しか聞いてことがない。長く話すとどうなのか? そこから彼の本質が見えてくる。

総裁選で3人が揃って議論した番組とか録画してあるが、まだ見る時間がない。もちろんテレビでは本当の「本質」は分からない(編集されたものはダメ。生番組がまだいい)、と言ってネットニュースの見出しやTwitterでの批判だけを見て「それは酷い」「やはり最悪だ!」と解釈、同調するのはとても危険。「実は良い人!」ということはないが、まず自分の目で耳で確かめること。人の意見を聞くのはそのあとだ。何よりネット批判を鵜呑みにするのは一番危険。

これまで見てきた限りでは、菅はアイヒマン的存在だと思える。ヒトラーではない。「安倍より酷い!」という人もいるが、そうではないはずだ。政治家というより官僚。公務員という気がする。ビジョンもなく、思いもない。与えられたことをするだけの真面目な人。だから、新しい路線を切り開くなんて出来ないから、安倍政権を踏襲するしかない。(踏襲することが総理になる条件でもあったはず)

ただ、彼が総理になった途端にジャパンライフの元会長が逮捕された。菅は桜を見る会の「再調査しない」と言っているのになぜ? 安倍が辞任したことで止める力が弱まったからではないか?と思える。今は踏襲路線で進むが、次第に破綻を来たし、ボロを出し、マスコミも攻撃を始めるのではないか? 独裁者のあとを継いだからと独裁者にはなれないものだ。

その辺を推理するにも、まず菅の言葉を聞きたい。どんな話し方か? どんなことで興味を示すのか? 話を聞けばいろんなことが分かる。原稿を読むとのは違う。が、その時間がなかった。疲労困憊だが、その辺の作業もスタートだ。

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正義中毒が溢れている。「戦争反対」と言いながら一番に戦争に賛成するタイプ? [社会政治]

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正義中毒が溢れている。「戦争反対」と言いながら一番に戦争に賛成するタイプ?

批判しても意味のないこと。すでに問題であることが分かっていることを必死になって批判する人たち。安倍批判は「辞任」で完結する。もちろん、これまでの悪行の責任は取らねばならないが、どんな理由で辞めようが大きな問題ではない。追求しても大きな意味はない。そこをなぜ必死で批判するの? 責めるべきは別のところでしょう?

今、菅を批判する人たちの目的は何だろう? 彼がロクでなしであることはすでに分かっている。そこを改めて批判して何になるのか? 「菅はダメ。麻生もダメ。石破もダメ」そんな批判の目的は何か? どこか別の星から正義のヒーローが来てくれるのか? もちろん、彼らには批判されるだけの理由がある。が、それを批判することでどうなるのか?

例えば菅を叩くことで、野党共闘に希望を集めるという作戦ならまだ分かる。ただ、それなら野党共闘への期待、魅力を語る方がプラスだ。なのに多くがムキになって自民を批判している。これらの人達、要は正義中毒ではないか? 何かマイナス点があると必死に批判する。自分に正義がある。だって、菅は酷いことしている。それを叩くことで脳からドーパミンが出る快楽物質。いい気持ちになれる。

だからまた誰かを叩きたくなる。それが「正義中毒」の正体。あるいは日常の不満解消。安倍を批判するとネトウヨが寄ってくるが、菅なら大丈夫だろう? そんな思いもあるかもしれない。何れにしても、ここしばらくよく見る批判は「批判」というより、誹謗中傷、趣味嗜好に合わない、過去を顧みての攻撃というものが多く。本来の政治家批判とは別物だと感じる。

あなたは単なる好き嫌いで、批判していないか? 聞きかっじった情報で「許せない!」と憤慨していないか? その人のことをどれだけ知って批判しているのか? その批判は何を目的としているのか? 「敵国の攻撃を受けているぞ」と報道があった時、一番に「許せない!」と戦争に賛同するのは、その辺を考えずに憤るタイプである。


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「こいつは許せない!」とタレントを叩く人たち。アメリカの差別主義者も同じ思考だと気づかない? [社会政治]

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「こいつは許せない!」とタレントを叩く人たち。アメリカの差別主義者も同じ思考だと気づかない?

タレントの失言。寄ってたかってバッシング。「番組から降ろせ」「テレビに出るな」「許せない」「二度と番組見ない」確かにそのタレントの発言はよくなかった。が、それで迷惑した人は何人いるのか?当事者が批判するなら分かるが、関係のない人。番組を見ていない人まで批判している。聞きかじったことで「それは酷い!」とバッシングに参加。村八分と同じことをネット時代になっても、日本人は続けている。

現在、話題の本「人はなぜ、他人を許せないのか?」中野信子著。先に紹介したが、そこで指摘された「正義中毒」それが答えだと思える。「正義は我にあり!」とタレントや政治家、個人を叩くことで、脳内でドーパミンが出ていい気持ちになる。それが中毒となり、ターゲットを探しバッシングする。何ら被害を受けてもいない。関係性もないのに、法律、常識、自分の価値観、グループ内のルールからはみ出すと叩く。「我に正義あり!」

その行為は日頃の不満を特定の相手にぶつけているだけ、ストレス解消なのだ。学校のいじめと同じ。勉強、成績、校則、うるさい親、教師、そんなストレスやプレッシャーをクラスの弱い者にぶつける。背が低い、少し変わっている、オタク、髪が縮れている、何でもいい、マジョリティと違う何かを見つけ、いちゃもんをつけて批判、攻撃。それがいじめ。ネットで行われていることと同じだ。

家庭内DVも同じ構図。親たちが持つ価値観。それを子供に押し付ける。親は子供たちの価値観は尊重しない。「子供だから分かっていない。正しいルールを教えるのが親の責務」とこちらも「正義」を感じて批判、注意、叱責する。それが暴力に発展することもある。親の中では「しつけ」という認識。「正しいことをしている」という思いが暴力をも肯定してしまう。

しかし、それらの多くは狭い小さな世界のルールであり価値観。決して「正義」ではない。アメリカの黒人差別。「黒人は嫌いだ!」「アメリカから出て行け!」これも同じ。自分たち白人が優秀な民族であると言う認識。それを暴力や差別で守ろうとしている。

興味深いのはタレントを執拗にツイッターで叩く人が、アメリカの黒人差別を批判していた。「黒人差別はいけないことだけど、あのタレントは叩かれても仕方のないことをしたんだ!許してはいけない」アメリカの差別主義者はこういう。「黒人は許せない。野放しにしてはいけない」どこが違うのか? 同じだ。


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なぜ彼らは批判し合ったのか? その根底にあるもの=戦時中を思い出させた都知事選? [社会政治]

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なぜ彼らは批判し合ったのか? その根底にあるもの=戦時中を思い出させた都知事選?

今回の都知事選。最大の敵である小池百合子を批判せずに、ライバル候補者を批判。誹謗中傷する人が多かったのはなぜか? もちろん、自分が支持する候補への応援の一環ではあるが、それなら小池を批判するのが得策。また、ライバルの批判より支持する候補の魅力を訴える方が知らない人たちにはアピールする。

他の候補を中傷した場合。「へーーそんなに酷い奴なのか?」と思い、その候補に投票するのを止める人もいるが、逆に「あんな風に誹謗中傷する人が支持する候補って嫌だなあ〜」と思われマイナスになる場合もある。にも関わらず、ライバル候補への批判や中傷が多かったのは、それらの人たちは冷静さを失い、支持候補への熱い思いよりも、「ライバル候補が許せない」という憎しみを持ってしまったからではないか?

ただ、気にになるのは、その種の発言が多かった人たちが支持したのは、庶民の味方であり、どちらも多くの人に支持される実績ある候補。嫌われる自公の議員たちではない。評価はしても誹謗中傷する背景はあまりない。にも関わらず、汚い言葉で批判する人がいたというのは「憎悪」が背景にあったと思える。では、そんな庶民派の候補たちへの憎悪は、どこから生まれて来たのか?そこを考えたい。

2人候補。ほぼ近い公約だった。違うのは一部の方法論のみ。どちらが勝っても大きく都政が左右されることはないだろう。だとすると、どのようにして「憎悪」は生まれたのか? 思い出すのは「近親憎悪」ー国語辞典で意味を調べた。「親族どうし、または階層や性質などの似た者どうしが、ひどく憎み合うこと」つまり、近い価値観を持つからこそ、小さな違いが気になり、許せなくなるということだ。

冷静に考えれば小さなことなんだから!と思える。なぜか? 別の方向から考えよう。「朝日のあたる家」が公開された時。多くの人が「原発事故の悲劇を見事に伝える!」と賞賛してくれた。が、一部の人たちからは強い批判を受けた。推進派ではない。かなり以前から反原発運動をしている人たちだ。中にはチェルノブイリ事故から運動している人もいる。彼らは映画を見て「知っていることしか描かれていない。これではダメだ!」「内部被曝に触れていない。これでは意味がない!」と強く批判された。

つまり、原発には反対。でも、この映画では不十分と言いたいようだ。それなら「俺たちが金を集めるから、続編を作れ」とか「次はより深い内容のものを期待する」とか言えばいいのに「これではダメだ!」「努力が足りない!」と全否定する人が多かった。映画も彼らも原発は危険と訴える。方向は同じ。なら、映画を上映して、その後に専門家の講演というイベントをするとか。うまく映画を利用すればいいのに、否定し切り捨てて終わり!?原発反対なんでしょう?と思えた。

これも背景に近親憎悪だろう。「原発事故の映画が作られた。素晴らしい。そんな映画を待っていたんだ」見た。初心者向き。専門的な部分に踏み込んでいない。「失望した。あれではダメだ。意味がない。努力が足りないのだ。私は認めない!」と感じたのだろう。彼らの気持ちを理解することはできる。が、これは価値観の押し付けでしかない。

当時、原発事故について住民がどんな思いをしたか? なかなか伝えられなかった。自分から進んでネットや小出先生のラジオ番組で情報を得ないと分からない。でも、全ての国民がそんな努力をしたわけではない。また、報道では伝わらない悲しみがある。それを劇映画で伝えたかった。が、批判した人たちはより深い情報を得たい。別の側面を多くに伝えたいと思った。それが出来ていないから「ダメだ。意味がない」つまり、自分たちの理想と違う。価値観が違うからと全面否定したのだ。

都知事選も似た構図。一般から見たら小さな違いなのだが、自分たちの価値観、理想。「これしかない!」ある候補者に理想が重なる。「この人しかいない。他はダメだ!」逆に、ライバル候補には理想が一部重ならない。「こいつはダメだ。100点じゃない」先の反原発おじさんたちも、都知事選で候補者を応援した人たち。どちらも、悪意なんて欠片もない。熱い理想に燃える人たち。何もせずに文句をいうだけの、選挙にも行かない連中とは違う。

でも、熱いから、理想に燃えるからこそ。小さな違いが許せず。こうでなければならないという価値観を持ってしまい、100点を取らないと全否定という極端な発想に縛られてしまったのではないか? 

これは選挙や原発だけの話ではない。映画ファンの世界でも「映画は***でなければならない。ハリウッド映画なんて映画とは言えない」という高尚なマニアがいる。「スピルバーグなんてクソだ。ベルイマンのような作品を映画と呼ぶんだよ」という友人もいた。彼の価値観でしかないのだが、「でも、俺はルーカスの映画が好き」というと「お前は何も分かってないな。最低だ。2度とうちに来るな!」と縁を切られたこともある。

高校時代を思い出す。僕の周りは親も、教師も、同級生も「成績がいい」=「素晴らしい人」「成績が悪い」=「人として最低」という価値観だった。「成績が全てではない」というと「勉強が嫌だから言い訳するんだ!」と言われた。「落ちこぼれ」と言われた。これが戦時中だと、子供達はこう考えた。「大人になったら立派な兵隊さんになり日本を守る」そんな時代に「戦争なんて無意味だ」というと「非国民!」とのししられた。「戦争に勝つ!」が絶対的な価値観だったのだ。

そんな風に一つの価値観を絶対視することは危険。なのに、平和を願う候補たちを支持しながら、自分の価値観から離れられず、他者を否定、誹謗中傷するのはどういうことだろう? 戦時中の価値観とどう違うのか? 「こうでなければならない!」「我に正義あり」それはもう価値観ではなく、危険な思想だと思える。が、熱くなり真剣になると、それに気づかなくなる。まさに戦中の国民と同じ?と感じてしまう。


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都知事選で思い出した話。「朝日のあたる家」を一番批判したのは反原発を唱える人たちだった? [社会政治]

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都知事選で思い出した話。「朝日のあたる家」を一番批判したのは反原発を唱える人たちだった?

今回の都知事選。何度も書いたがライバル候補を批判するだけならいいが、誹謗中傷する支持者たちが多く残念だった。それがネトウヨレベルの人たちなら分かるが、日頃は鋭い意見をツイートしている人まで、そのレベルに下がっていた。そして罵詈雑言をいうのではなく、間違った情報による批判。デマをもとにした発言。それがとても悲しかった。現政権を批判するときは、正確な情報を探し出し発信したり、「なるほど!」という指摘をするのになぜ、あんなレベルになってしまったのか?

また、事実を踏まえていない人もおり、彼らは「熱さ」と「思い込み」だけで応援しているのではないか?という気もした。一方、当選した小池の支持者はというとネットでの応援者はほとんど見られず、テレビでの感染対策パフォーマンスで「知事、頑張ってるなあ」と評価した人と、あとは組織票ではないか? もちろん、候補者の公約に賛同し、まっすぐに応援し、ライバル候補を中傷したりしないマットーな方が圧倒的多数なのだが、いつもはリテラシーある一部の人たちが何かを無くしているように感じた。

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思い出すこと。「朝日のあたる家」を作ったとき。一番注意したのは原発推進派からの攻撃だった。「原発映画はタブー。監督は2度と商業映画は撮れない」と言われていた。それを覚悟で監督。なんらかしらの圧力、嫌がらせはあると思っていた。しかし、意外なところからの批判に驚かされる。原発反対を訴える人たちから一番批判が多かった。「不勉強だ!」「内部被曝が描かれていない!」「福島の事故と同じ展開。ありえない!」(あえて、そういているのだが)そんな批判を数多く見かけた。中には直接、僕自身に言いに来る人たちもいた。

誤解なきように言うが、一番応援してくれたのも原発反対の人たち。彼ら彼女らの応援なしにあの映画の成功はなかった。どの町でもチケットを売ってくれる人、宣伝してくれる人、メディアに告知してくれる人。本当に支えられた。が、同じく原発反対!と唱える人たち。こちらは少数ではあるが、その人たちがあれこれ批判していた。推進派からの批判もあったが、反対派からの批判が遥かに多かった。「朝日」は原発事故の悲劇を全国に伝えるものだ。それを同じ意思を持つ一部の人たちがなぜ、批判するのか?当時は理解できなかった。

その後、分かったこと。一部の人たち。彼らには「原発の反対はこうあるべきだ!」という頑な思いがあった。ある人は「危険性を訴えるだけではダメだ。これからは内部被曝の怖さを伝えねばならないのに、この映画はまるで触れていない。これでは意味がない!」と考えた。またある人は「この映画で描かれたことは全部知っている。こんな初心者向きの映画では何の意味もない。努力が足りない!」と不満を持った。多くの人が原発に対する知識がない時期。基本的なことを伝えることが大事と僕は考えたのだが、その人は自分の知識を基準にしてそれ以下だからダメだと判断したのだ。

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また、別の人は「俺はチェルノブイリから反原発を訴えているんだ。それが福島で事故があった途端に映画にしやがって、遅いんだよ!」と怒る。が、あの当時、僕はまだ学生であり監督業には就いていない。批判するなら映画会社にどうぞ!と思える。何より当時は今以上に原発映画はタブーの時代。なのに、長年、原発に触れない映画、テレビに対する怒りを僕の作品にぶつけていた。

こうして見ていくと、原発事故を描くこと自体を批判しているのではなく、その描く対象、レベル、時期を批判していた。言葉にはしないが原発事故を映画にすることは良しとする。「まだまだ努力が必要がですね〜。そんなことじゃダメだな!」という意味だ。ただ、この目線は教師が生徒に対するものと同じ。師匠が弟子を叱責するときのものに近い。熱い思いのある人たちなので「もっと努力しろ!」と言いたいのだろう。だが、彼らは師匠でも先生でもない。勘違いをしている。

確かに彼らの方が早い段階から原発を反対してきただろう。チェルノブイリ以降から、福島の後でも非常に深く勉強し、知識を持っている。それなら文句を言う前に、チェルノブイリ直後に自分たちで原発映画を作ればよかったのだ。「朝日」の後にでも自分たちが気に入る原発映画を作ればいいのだ。僕は金持ちだからあれが作れたのではない。多くの人の協力で寄付を集めて制作した。どこの企業からも一切の投資は受けていない。彼らも同じようにやればいい。監督を雇って撮らせればいい。誰もそれをせず「あれがない!」「これが足りない!」「努力が足りない!」と高いところから批判するばかり。

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「こども食堂」と同じ構図。貧しい子供達のために無料で食事を提供するこども食堂。その店に近所の大人たちがやってきて「手作りの料理にすべきだ」「自然食品がいい」「勉強も教えるべきだ」と自分たちは何もせずに、あれこれ提案と指示ばかりする。やがて食堂のオヤジは愛想尽きて「こども食堂」をやめてしまう。何もしないくせに口だけ出す。そして自分たちは正しいことをしているつもりでいる。「朝日」を批判した反原発オヤジたちも同じ背景だった。

話が長くなったが、都知事選に戻る。今回、リテラシーがありながらライバル候補をあれこれ批判していた人たち。同じところに陥っていると思える。ライバル候補の公約や言葉の中に、自分が望む全てがないと批判。先の「朝日」批判も、都知事選の誹謗中傷も、どちらも100点を求めている。あの候補は90点だからダメだ。あの公約は10点減点。「はい。アウト!」みたいな感じ。何の見返りも求めず、完全にクリーンで、自分の理想通りの公約を掲げ、一切の誤解を持たせない。そんな候補を求めているように見えた。そのレベルに達していないと否定。攻撃。批判。同じ目的を持つ仲間を潰しているだけではないか? 候補者には100%の理想を求める必要はない。現実の中でできる何かを探し、70点でもまず勝たせて、応援によって理想に近づける。そういったことも大事ではないか?


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山本太郎、街頭演説。昨日、須藤元気が応援!その部分を抜き出して動画で公開!8分。 [社会政治]



山本太郎、街頭演説。昨日、須藤元気が応援!

その部分を抜き出して動画で公開!8分。


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山本太郎、街頭演説・動画 @秋葉原6−20(全長版)52分 心が震える。見て欲しい。 [社会政治]




山本太郎、街頭演説@秋葉原 6−20

今朝から作業していて、やっとアップ。まだ、明るさ補正がうまくできてないところもあるが、夜になるので一度配信。

なぜ、彼が都知事選に立候補したか? これを見ればよく分かる。ぜひ。




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この記事クソ!毎日新聞アホ過ぎる! 「全国世論調査で東京都知事にふさわしい人を選んでもらった」都民を小池に誘導させるため!? [社会政治]

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この記事クソ!毎日新聞アホ過ぎる! 都民を小池に誘導させるため!?


記事より「毎日新聞と社会調査研究センターの20日の全国世論調査では、東京都知事にふさわしいと思う人を選んでもらった。都知事選(7月5日投開票)で国政政党の支援を受けている5候補を選択肢に挙げたところ、現職の小池百合子知事と答えた人が51%を占めた。以下は宇都宮健児氏10%▽山本太郎氏8%」

何で、都知事に相応しい人を全国に訊くの? 地方の人が都の状態を把握しているの? 現在抱える問題。都民が望むことを知ってるの? 

今回の候補者がどのような公約を掲げているのか? 知ってるの? それらを知らない人に「誰がいいですか?」と訊いてどうすんの? 当然、有名な候補者の名前を上げるしかない。そんな調査なら「小池」がトップに来るのは分かりきったこと。こういうのを誘導という。

それで「小池氏51%、宇都宮氏10%」と報道して何の意味がある? その意味は「小池応援」でしかない。「全国の人も小池知事を望んでいますよー」というアピール。全国関係ないやろ? それなら北海道知事に相応しい人を全国で訊くか? 沖縄県知事を全国で訊くか? その土地の問題はその場所に住む人たちが一番分かっている。それを知らない人たちに訊いて何の意味がある! 有名な候補の名前上げるしかできないだろ?

アメリカで「日本の総理は誰が相応しいですか?」と訊くか? 毎日新聞、本当クソだね。ウソの支持率調査を発表していたフジサンケイグループと同じ。この記事見て、都民が「やっぱ小池が人気なんだな。俺、山本太郎応援だけど、投票行っても無駄か.....」と思わせるための記事。「宇都宮さん。応援してるけどダメかな...」と感じさせるための記事。毎日新聞。本当に恥ずかしい。3Kグループに移籍した方がいい。

追記ーこの調査の信憑性なし。記事に調査対象件数、回収率、一切記載なし。調査を行った「社会調査研究センター」は2020年4月1日設立、従業員3名。どうやって全国調査したのか? フジサンケイと同じ手法かな?

あまりに酷い毎日新聞の記事はこちら=>https://mainichi.jp/senkyo/articles/20200620/k00/00m/010/136000c



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チリ=クーデターの映画2本。日本もアメリカも政府が守るは企業だけ? [社会政治]

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チリ=クーデターの映画2本。日本もアメリカも政府が守るは企業だけ?

「ミッシング」「サンチャゴに雨が降る」この2本はどちらも1973年チリのクーデターを描いたもの。歴史の授業では分かり辛いことも、映画で見るとよく分かる。「サンチャゴ」は市民目線。「ミッシング」は在チリのアメリカ人視点。両者で見ることでさらによく分かる。

この軍部クーデターはアメリカCIAが仕掛けたもの。チリ国民に人気があったアジェンデ大統領はアメリカによる搾取を終わらせようとした。チリに多くのアメリカ企業。その収益が失われることを恐れた政府が裏で画策、軍隊を抱き込み起こしたものだ。アメリカお得意の手。ピッグス湾事件も同じ構図。キューバのカストロ政権を倒そうと、亡命キューバ人をCIAが兵隊教育。彼らを使いクーデターを起こそうとした。が、ケネディは反対。アメリカ軍の派遣を止めたので失敗に終わる。

そのケネディ暗殺もチリのクーデターと同じ構図。ベトナム戦争を止められたら軍需産業の儲けが減る。それが背景の一つ。戦争も同じ。企業が儲かる。政府は賄賂をもらう。だから、戦争を始める。日本の消費税も同じ。実は企業の税を安くするためのもので、福祉のためではない。企業が払うべき法人税を代わりに国民に払わせているだけ。

山本太郎や共産党はそれを指摘しているが、テレビではそれをいう人はいない。最近は本当のことは言わないと有名になっている池上彰も「高齢化社会になるので日本では消費税の値上げは必要」と言い、「報道ステ」「NEWS23」のキャスターたちも、ことあるごとに「いつかは上げねばならない」と政府を擁護。マスコミで「消費税」の本当に使われ方を伝えるのはタブーなのだろう。立憲が「消費税5%に値下げ」を掲げられないのも、大企業を敵に回したくないという思いではないか?

話が逸れたが、アメリカでは政府=大企業が組んで、CIAを使い他国の政権をも転覆させ、企業の利益を図る。そのために国民が犠牲になり、個人の尊厳が踏みにじられても構わない。そんな姿勢が見える。「ドキュメンタリー沖縄戦」を製作した時も同様のことを感じた。戦時中の政府も軍も、沖縄を守る、救うという気はなく、本土防衛しか考えていなかった。政府はどの国でも、いつの時代でも、国民ではなく、自身と企業しか守らないのだ。




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「女帝 小池百合子」要約するとこんなことを伝えている。とにかく凄い! [社会政治]

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「女帝 小池百合子」感想。いくら書いても書き足りたない。

いろんな側面で感じることがある。その前に読んでない人のために簡単に要約する。この本が伝えているのは.....

「小池という女は偽の肩書き(カイロ大学を首席で卒業)と片言でしか話せないアラビア語を武器?にマスコミに入り込む。その後は権力ある男に取り入り、気に入られ、取り立ててもらい。パフォーマンスだけで政治家の階段を上がる。利用できるものは何でも利用。敵はどんな手を使っても叩き潰す。利用価値がなくなれば即、切り捨て。

でも、世渡りはうまく。男を次々に乗り換えて大臣まで経験。ポリシーはなく、主義主張もない。国民受けすることを言うが実行力はない。ビジョンもなく、要はスポットライトを浴びたい。権力を手にしたいだけの人。なのに騙される人は多く、都知事にまで上り詰めた。次の目標は総理大臣。こんな女性をのさばらせていいのか?」

と言うのが本の趣旨だ。先に僕が書いたのは「この本自体の問題」「だが、書かれている内容はほぼ事実」「彼女のようなタイプは芸能界には多い」と言う話。だが、まだまだ伝えたいことがある。本を読めば「小池って本当に酷い女だ!」と思うだろう。だが、それにコロッとダマされた国民はどうなのだ? それをなぜ、見破れない。次の都知事選でも圧勝と言われている。

彼女はこれまで国民のためには何もしていない。パフォーマンスだけ。にも関わらず「緑のタヌキ」(?)として人気沸騰。政権から嫌われ者だったにも関わらず、都知事に転身。さらには総理の椅子まであと1歩というところまで迫った。そこにはパフォーマンスだけでなく、現総理というもっとダメな政治家がいることが大きい。あの人も国民のために何もしていないが、パフォーマンスすら出来ない。

そのためにコロナ感染の中。支持は下がり続け、緑のおばさんはコロナを利用して評価を得た。実際は何もしていないのだが、国民の多くは「頑張っている」と勘違いした。(大阪の人も同様)要はいかに国民がアホか?騙されやすいか?ということが問題のようにも思える。



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「女帝 小池百合子」を読み思い出した、ある芸人さんの話? [社会政治]

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「女帝 小池百合子」を読み思い出した、ある芸人さんの話?

昔、深夜ラジオであるお笑い芸人さんがこんな話をしていた。「師匠に連れられて高級なクラブに飲みに行った。ホステスのお姉ちゃんは『***さん』と俺のことを呼んでくれた。が、その内に師匠と懇ろになり、Hしたら、店で俺のことを『**ちゃん』と呼ぶようになってさ〜『あなたもワインにする?』って。女は出世が早いと言うけど、これなんだと思ったね〜」あるあるだなと感じる。

最初はホステスさんにとって師匠も弟子も「お客様」だった。が、ホステスが師匠の愛人になったら「自分の男の弟子」になり、立場が上だと思うようになったのだろう。しかし、愛人になろうが店では客は客なのだ。それを上から目線で対応するのは違う。が、そんな勘違い、時々見かける。

その種の話に共通するのは、皆、自分の立場を錯覚していること。ホステスと愛人の立ち位置を混同。自分も偉くなったつもりになる。そんな態度を取ってしまう。周りから顰蹙を買う。先に読んだ「女帝 小池百合子」で、この話を思い出した。細川、小沢、小泉、と力ある男たちに取り入り、気に入られ、権力を得て行く。そして政治家としての努力をせず、実力もないのに勘違いが始まる。

彼女がやっているのはまさに、先に芸人さんが見たホステスと同じ。映画の世界にも同じタイプは多い。Pに、監督に気に入られようと近づく若手女優。親しくなると、男たちの目の届かないところで「監督は***と言ってたわ」と自分が直で話せる立場。進言できる存在であることをアピール。周りを支配しようとする。一番タチの悪いタイプだ。そんなことも思い出した。



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「女帝 小池百合子」を読み終えた。まるで長編映画を見るようだ。 [社会政治]

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「女帝 小池百合子」を読み終えた。まるで長編映画を見るようだ。

あるいは昔、アメリカで人気だったテレビドラマ「ダラス 華麗なる悪の一族」のJRが撃たれるまでの物語を見るような感じだった。いろいろ書きたいことがある。多くの人の感想は「小池百合子、酷い!」「最悪!」というものではないか?特に女性には評判が良くないはず。「女として許せない!」とも思うだろう。あそこまでやる女性も少ない。「とんでもないな〜!」と感じるはず。

ただ、あの種の女性はたくさんいる。芸能界には数多く存在する。特に女優には多い。ああやって、のし上がる人が多い業界である。議員から都知事へ=だから、許せない!と思うが、芸能界で高く飛ぶ方法を実践しているのと同じ。僕もその手の人たちには数多く出会った。人を利用し、男に取り入り、チャンスを掴み、のし上がる。珍しくはない。だから、この本を読んでもさほど驚くことはなかった。同じタイプの女性が女優やタレントではなく議員、都知事を目指したと思えばとてもよく分かる。

しかし、面白いことがある。その手の女優やタレントは一時的にはブレイクしたり、トップランナーになることはある。ただ、出世のために力ある人に近づき、名声と富を掴むタイプは中身がないことがほとんど。芸がない実力がない。営業と売り込みに時間とエネルギーを注ぐから、本物になれない。だから、いつか没落して行く。小池も同じ展開を何度もしている。が、そこからまた這い上がり、力ある男にすがり、飛び上がろうとする。単に世渡りがうまいだけでなく、強運。

そして、その種のタレントたちともう一つ同じなのが、実力もないのに勘違い。自惚れて墓穴を掘るということ。いろんな意味で芸能界と共通する。それを絵に描いたように演じているのが、あの人ということなのだ。今回は印象のみ。さらに感想を書かせてもらう。



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日本人を縛るルール。金持ちはそれを利用し国民を支配する? [社会政治]

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日本人を縛るルール。金持ちはそれを利用し国民を支配する?

最近、本当に痛感するのだが、日本人っていわゆる「田舎者」ではないか? 田舎の人が悪いと言うのではない。田舎ならではの良さはたくさんある。僕の映画はそれを伝えることがテーマ。だが、田舎にも問題がある。現在では都会と田舎の差はほとんどなくなったように思えるが、両方の人たちと仕事をすると、現在も変わっていないことを痛感する。

田舎では昔ながらの「ムラ社会ルール」に縛られがち。どうしても、その町の中で生きていかねばならない。嫌な人とも顔を合わせる。問題を起こさずに暮らす手引きが「ムラ社会ルール」。それに従うことが安全。「トラブルがあっても気づかぬ振りをする」「目立つことをしない」「過去の習慣に従う」とかいろいろあるが、そのために町が抱える大きな問題を解決できない。過疎化、税の減収。

ある街ではそれを打破しようと市長が映画作りを提案するが、役所の職員が連帯してプロジェクトを潰した。役所もまた「ムラ社会ルール」がはびこる世界。新しいことを嫌い。過去の価値観にないものを排除してしまう。目の前の大きな問題を解決できるはずがない。もちろん、新しい取り組みをする人たちがいる街もあるが、旧体制の人たちが邪魔をし、反対する。自分で自分の首を締めているようなものだ。

これは田舎だけの話ではない。コロナ感染で明白になったのは政府も同様。総理がいくら指示しても、アベノマスクは届かない。給付金もなかなか支給されない。PCR検査もいまだに6割が拒否。これらも省庁がムラ社会ルールに縛られていることが原因だと思える。出世をチラつかせれば、公文書の改ざんまでするが、PCR検査のように公民の健康、命に関わることは積極的に進めない。自分たちの都合を優先。省内、所内で睨まれないように張り切って仕事をしない。と言う環境が原因。

以前はそれらを役所の体質だと思っていたが、その背景にあるのはやはり日本古来の「ムラ社会ルール」だろう。頼んでいないのに、あれこれ聞きに来るおばさん。どの街にもいる。「学校の勉強は楽しい?」「大学はどこ行くの?」「就職は?」「結婚は?」「子供は?」大きなお世話だ!と言うことを訊き、あちこちで触れ回る。あの種の人は「ムラ社会ルール」の諜報員を果たしている。目立つことをしていないか? 新しいことをしないか? 昔からの習慣に準じているか? それを破ると「**さんとこの長男。変なのよ〜」と近所に警戒警報(?)を伝えて回る。

ご本人は他人のプライバシーを知りたいだけのおばさんだが、無意識にそれを果たしている。戦前と同じ。「あの家のご主人。戦争反対とか言うの。非国民ね〜」と言われ、村八分になる。戦争反対と言えない空気ができる。つまり「ムラ社会ルール」に縛られる国民の体質をうまく利用して国は戦争を始めた。そして今はマスコミをうまく操り、無能集団と言える政府が企業と結託。税金を自分たちだけで分配している。それが日本という国ではないか? 原発事故、コロナ禍を通して、それらが明確になったと感じる。


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「女帝 小池百合子」3分の2読む。疑いながら読む。小池支持ではないが、本の指摘を鵜呑みにするのはダメ。 [社会政治]

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「女帝 小池百合子」3分の2読む。疑いながら読む。小池支持ではないが、本の指摘を鵜呑みにするのはダメ。

この本。大きく分けると「幼少編」「留学編」「マスコミ編」「政治家編」(この途中まで読んだ)となる。いくつも背景が分かるエピソードがある。まず「留学編」僕はカイロではないがアメリカで学んだ。外国語を学ぶというのは本当に大変。

「留学」と言いながら「遊学」という日本人が多かったことも思い出す。LAの場合だと毎日のようにリトル東京に行き、飲んでいる日本人もいた。彼らの多くはアメリカ留学という名目で就職するのを先延ばしにして1年遊びたい。あるいは親の会社に入社するので箔をつけたい。英語をしっかり学び、大学で勉強しようという気はない。

帰国後、多くは***大学に留学したという。だが、そのほとんどは大学付けの英語コース。本科ではない。こちらは授業料さえ払えば誰でも入学できる。小池が最初学んだ「カイロ・アメリカン大学 東洋学科」というのはそれだろうと、著者は指摘。その後、本科に入学。首席で卒業したという。その辺に信憑性はないと綴られているが、疑いながら読み続ける。小池支持だからではない。何事も疑ってかかることが大切。

小池の存在を知ったのは「ルックルックこんにちは」の竹村健一のコーナー「世相を斬る」だ。「だいたいやねー」で有名だったので、どんな人なのか?見ていた。そのアシスタントが小池百合子。その記述もこの本に出てくる。アラビア語が得意のアシスタントということ。ある放送でそのアラビアから来た政治家がゲスト。竹村健一がこういった。

「小池くん。アラビア語得意やから今回は任せるわ!」

で、竹村が関西弁で「日本はどう見られてんの?」とか聞くと小池がそれを翻訳して質問。何を言っているか?分からなかったが「すごい!アラビア語ができるんだ」と思った。が、それが本当にアラビア語であったか?英語だったのでは?と確認はできていない。生放送で彼女が外国語を話していたことを覚えているだけ。また、それが片言のアラビア語かもしれず、どの程度なのか?は分からない。

ただ、問題はそこだろうか? 彼女の語学力が低くても大学を卒業していないくて、都知事として活躍していてくれればいい。それができていないパフォーマンスばかりだから問題なのだ。同じくアメリカの大学に留学したという現総理。彼の英語が酷いことはよく分かる。明らかに勉強していない。年月が経つので忘れているということもあるだろうが、遊学組だろう。ある程度、英語を学んでいればそれが分かる。その手の政治家は多い。

本科で勉強するのは本当に大変。僕は「映画科」に合格したが、映画以外の学科が本当に大変。映画なら頑張るが、なんで数学や歴史の勉強をせにゃならんと映画のクラスしか取らなかった。それらもしっかり勉強して卒業までした日本人を何人か知っている。が、彼ら彼女らが英語ペラペラか?というとそうでもない。勉学と喋りは違うのだ。日本でペラペラと思われても、そうでもないことも多く。日本人はどちらかというと読みが得意(その教育は受けているので)

あと、若いうちに英語を始めないとネイティブなスピーカーにはなれない。成人してからではダメ。子供時代が大事。「聞く力」もある。ベタベタの日本語英語を話す人でも、聞く力があればなんとかなる。その辺、語学を学んだことがないと分からない。プロフィールからすると著者には留学経験がない。なので一般論で指摘している。

10年アメリカにいても英語が下手な人もいるし、1年の留学でベラベラという人もいる。だから一般論で論じると問題が生じる。と言って「首席で卒業」を信じるわけではない。全てを疑ってかかることが大事ということ。何より政治家は学歴ではない。何をしたか?だ。

そして「マスコミ」編はさらに面白い。僕は映画界の住人だが、テレビ、マスコミも遠い場所ではない。背景が分かるだけに、いろいろ見えてくるものがある。それは次回に。


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疑ってかかれ! 嫌いな人物を知ることが大事だ。さて緑のタヌキは? [社会政治]

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疑ってかかれ! 嫌いな人物を知ることが大事だ。さて緑のタヌキは?

昨日、購入したばかりなのに、もう半分読んでしまった。かなり面白い!ミステリーを読むようだ。が、この種の本を読むとき、いや、本、雑誌、だけでなくテレビ報道もそうだが、大事なことがある。「疑うこと」だ。指摘する事実が本当に事実かどうか? だが、ある種の人たちは感情に左右されることが多い。

ホリエモン。N国、橋下、記事タイトルに名前を入れるだけでも「こいつは許せない!」「大嫌い」「お前はハシシタ支持者か!」「N国応援か!」というコメントが来る。本文を読めば分かるが、支持なんてしていない。褒めてもいない、興味を持って本を読んで感想を書いただだけ。本を勧めてもいない。なのに「私は絶対に読みません!」「最低だね。コイツ!」なんて書き込みも来る。これらの人、ネトウヨを同じ。自分が嫌いだと問答無用で批判、否定。

もし、その人に問題あると思うなら、政治家に相応しくないと思ったら、その人を深く知ることが大事。原因を究明してそれを批判する。ただ「大嫌い」というだけなら、人種差別と同じ構図。知らないのに嫌う。みんなが批判するから批判する。そのきっかけもテレビで過激なコメントを言っていた。喋り方が嫌い。テレビでも見たことないのに、噂を聞いて嫌う人もいる。そして他人のFacebookにまで罵倒を書き込む。

これ同調圧力と同じ。戦時中に戦争反対というと「非国民!」というのと変わりない。それは多数派を笠に着て言論弾圧しているようものだ。その手の人は非常に思い込みが強く、誘導されやすいタイプ。危険だと思う。僕は嫌われる人。興味がある。先に挙げた人たち以外でも小沢一郎、トランプ、安倍、それらの人の関係書、記事は複数読んでいる。そして本当に嫌われるべくして嫌われている人と、特定の勢力に誘導されて多くが嫌っている人がいることが分かった。

その際に大事なことは、まず記事や報道を疑うということ。整合性、背景、動機、利害関係、作家、局、新聞社は何を得るのか? なぜ、批判するのか? そこを探る。ネトウヨが攻撃するのは政府批判をする人。動機はひとつは「金をもらって批判者を潰すこと。脅かすこと」だ。トランプを批判をする組織は「彼を引き摺り下ろして、アメリカを戦争をする国に戻したい」から。必ず利害がある。

小池百合子は決して素晴らしい政治家とは思わない。むしろ逆ではあるが、この本の指摘が全て事実とは限らない。鵜呑みにして「やっぱり、酷い女〜」と思うのは危険。でも、背景、利害、整合性を鑑みた上で「なるほど」と思えば、それは事実なのかもしれない。半分読んで色々感じている。単に「小池、酷いね」にはならないだろう。ちょっとまたユニークな感想になりそう。後半を読む。


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著名人の本も疑いながら読む。真実は自分で見分けろ? [社会政治]

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著名人の本も疑いながら読む。真実は自分で見分けろ?

以前に読んだ2冊。両方とも現総理の生い立ちから現在までを克明に追ったもの。どちらも世間から信頼される著者。だが、いろんな違いがあることに気づいた。

両者ともに興味は「なぜ、あの人はモンスターになってしまったのか?」というものだと思える。僕もまさにそこが興味で読んだ。そして嫌われている人に関心がある。本当はどうなのか? 言われていることはデマかもしれない。そこが知りたい。

よく言われるのは「あの人はヒトラーと同じ。若い頃のコンプレックが原因」僕もそれだと思っていた。が、青木氏の本を読むと、それが完全否定される。成績もそこそこいい。家はお金持ち。目立たない。覚えてないクラスメートもいる。個性がない。空気のような存在という声も多い。今とはまるで違う。

青木氏の本で面白いのは本人だけでなく、父、祖父と三代に渡って分析していること。それぞれを知る人たちからの証言もある。興味深いのは著者の青木さん。「モーニングショー」で活躍しているコメンテーターでもあり、「日本会議」の本も出している人であり、最近も「政権は無能だ」と過激な発言をした。にも関わらず、本を読むと、怒りは感じられない。嫌いな人のことを書くとどうしても批判的になりがちだが、極めて冷静に見ている。

一方、東京新聞新聞記者の望月さんの本。こちらはかなり批判的。「子に人許せない!」という思いが溢れる。その違いは何か?考えると、望月さんは日々、官房長官の会見で無視され、嫌がらせを受け、戦わねばならない。あの疲れた死神が庇いたいのが総理。その人のことを冷静に書ける方が不思議だ。一方、青木さんは直接、政府とは対峙しない。そのことが客観性を持てる背景ではないか?

報道は「客観的、中立」というが、それは違うと思う。そのことの弊害も大きい。それぞれの記者、評論家の目で見て感じることを伝えればいい。人は神にはなれない。どう冷静に書いても想いは出てしまう。それならば、その思いを持って書くべき。その意味で望月さんも正しい。ただ、一方の意見だけ聞いて、他方を聞かないと真実は見えない。

だが、日本では「この人嫌い」と思うと、その人を知ることをやめ、批判する人に賛同するばかり。それが本当に正しい批判なのか?検証しない。それではネトウヨだ。「政権批判している奴がいる? 許せねーみんなで攻撃だ!」それと同じ。そのためにはまず、両者の意見を聞く。読む。次にそれぞれの意見を疑う。その人のことを知る。自分の頭で整合性を考える。その上で「嫌い」なのか?「支持」するか?決める。

望月さんの本。「許せない」という思いがあるのか?青木本より厳しい指摘。事実をより悪く解釈している部分もある。それを咎めるものではない。人間は感情に左右される。ただ、それを理解した上で読む必要がある。「有名な女性記者だから」「テレビに出ている人だから」という先入観でそれぞれの本を鵜呑みにしてはいけない。自分の目で読み、他の意見とも比較して事実はどれなのか?考えること大事だ。


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「緑のたぬきは嫌い」と趣味嗜好で判断する人たち=それだけでいいの? [社会政治]

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「緑のたぬきは嫌い」と趣味嗜好で判断する人たち=それだけでいいの?

「小池百合子は嫌い!」という声をよく聞く。僕は彼女の支持者ではないし、評価もしていない。好き嫌いは自由だが、引っかかるものがある。なぜ、東京都知事を「好き」「嫌い」で判断するのか? AKBが好き、嫌いは分かるが、知事を趣味嗜好で表現することにどういう意味があるのか? 都知事の場合は好きから、嫌いか?より、知事として有能か? 今ならコロナ対策ができているか? を評価することが先だと思える。

「カイロの大学卒業って嘘なんだって」「えーマジ。やっぱ嘘つき。小池、嫌い」ということではなく「カイロの大学を卒業というのは虚偽なら経歴詐称。都知事として許されない」という評価が大事。以前、仕事をした後輩に、問題あるスタッフのある話をしていたら「監督。本当にあの人が嫌いなんですね!」と言われた。好き嫌いではない。スタッフとしての問題を指摘しているのだ。遅刻する。仕事がルーズ。いい加減。そのために撮影が遅れる。時間がかかる。現場の空気が悪くなる。問題点を挙げているのに「嫌いなんですね」という理解しかしない。

あるいは自身が働く会社の社長を「好き嫌い」で判断するか? 「十分な給料を出しているか?」「職場環境を改善してくれるか?」「セクハラ対策を講じているか?」等で社長の評価をするだろう。知事も同じ。私たちの生活を左右する存在。都民のために尽くしているか?が重要。なのに「好き嫌い」で判断するのは「私たちの生活を左右する存在」という意識が低く、タレント同様にテレビに出ている有名人という認識だからではないか?

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小池の問題点。一つあげればオリンピックが中止になるまで、感染者のことに全く触れなかったのに、中止決定の途端に「ロックダウンだ。アラートだ」と張り切りだした。それは危機管理能力に欠ける首長であり、オリンピックのために隠蔽をも厭わないトップということ。信頼できないし、監視しないとまた隠し事をして都民を危機に陥れる。都知事として失格。ふさわしくないという評価をするべき。

しかし、ある種の人たちは「小池、嫌い」「アヘ嫌い」「トランプ嫌い」という表現をする。政治家とタレントを同レベルで見ているのか?その手の人は意外に多い。だからこそ、政治家たちは中身より「やってる感」を出すことで「頑張ってる」=>「好き」と思ってもらえるようなパフォーマンスをするのだろう。また、小池が「頑張ってる」と思える人が意外にいるのは、総理があまりにもダメだから、比較するとよくやってるように見えてしまうということもある。

そして「ロックダウン」「東京アラート」とか外来語を使った分かりにくい言葉を連発することで「へーーかっこいいー」と思う(騙される?)人も多いだろう。ま、首都東京とは言え、過去には石原慎太郎、青島幸男、猪瀬と、名前の売れた作家たちが当選。能力ではなく好感度で選んでいるということかもしれない。横山ノック。橋下とタレントを選ぶ街もある。考えてしまう。


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政府は国民から税金を吸い上げ、大企業に貢いでいる。もちろん、政治家はバックマージンをもらってるよ! [社会政治]

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政府は国民から税金を吸い上げ、大企業に貢いでいる。もちろん、政治家はバックマージンをもらってるよ!

東京オリンピックの予算は当初7000億円といわれ、世界一コンパクトな大会にするという話だった。が、蓋を開けてみると、予算はみるみる膨れ上がっていき、3兆円を上回る予算額が必要と言われた。関係会社はそれで大儲けしているのに、国民にボランティア・スタッフを呼びかけ、その仕切りをするパソナには数十億円の費用を払う。

そんな儲かるイベントなので、コロナ感染者数を隠しても開催したかったのだ。アベノマスクは当初は466億円と言われたが、260億円になるという丼勘定。委託した会社には人がおらず、幽霊会社ではないか?と指摘。関係した多くの企業が膨大な利益を受け取っていることが言われる。

給付金も幽霊会社を通し、電通に委託。さらに下請け。その間に政府が出した金はどんどん手数料を抜かれ、何もしない会社が大儲けする。コロナ感染という国家の非常時においても、政府は企業と癒着し、税金を貢ぎ続けている。事情通の友人によるとこうだ。

「名目をつけて税金を企業に投入。当然、誘導した政治家は企業からバックマージンをもらう。10億あげたら2億もらうとかね。その最大事業がオリンピック。世界的なスポーツの祭典。国民も文句言わない。とにかく金をかけるほどに企業は儲かり、政治家はマネーマージンをもらえる。

辺野古基地建設も同じ。あそこは官房長官の息子のいる建設会社も入っているし、普天間基地返還のためというけど、それは名目。米軍もそんなこと望んでいない。政府がやることは全て企業を潤すため。そして政治家はマージンをもらう。戦争も同じ。アメリカも同じだったけど、トランプがそれを変えようとしている。日本は相変わらず。なぜなら、多くの国民がそれに気づいていないから。やりたい放題だね...」

その通りだ。政府は名ばかり。国民から税金を吸い上げ大企業に配るための団体が政府だ。消費税増税も同じ。「福祉のため」と言いながらほとんどは企業の法人税補填に回されている。つまり、企業の税金が安くなった分を国民が支払っている形。これは山本太郎さんも共産党も以前から指摘している。が、ニュースでは流れない。それが日本という国の現実。政府は大企業のしもべ。大企業に税金を貢ぐ理由を考え、実行する。あとは国民を騙し、反対させない。それはマスコミの役目だ。



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