(531)沖縄狂想曲ー批判コメントの背景?原発問題と同じ構図 [YouTube]
(531)沖縄狂想曲ー批判コメントの背景?原発問題と同じ構図
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(530)沖縄狂想曲ー関西、横浜は上映中=北海道でも公開 [YouTube]
(530)沖縄狂想曲ー関西、横浜は上映中=北海道でも公開
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「沖縄狂想曲」批判記事?映画が広がった証拠=3月4日 [「沖縄狂想曲」]
映画は批判や否定も出ることが、ヒットの証明。それがなかなか出て来な買った。賞賛ばかり。今回、ようやく、こんなブログを発見。
「まあ、内容に間違いはなかったな。でも、全部知ってた(笑)」
さらに「あれこれ詰め込み過ぎー!」と言いながら「〇〇が描かれてない!」と批判。その方は基地反対の立場。40代男性と推定。知識もある。だが、上から目線で細かい部分を批判。基地反対派なら、この種の映画がほとんど、ないことを知っているはず。「よくぞ、作った!」と褒めてくれても良さそうなもの。なのに皮肉が続く。
原発事故の映画「朝日のあたる家」の時も同じ。原発反対派からの批判が意外にあった。「全部知っていた!」「目新しい情報がない」という批判。今回と同じ。しかし、その種の人たち。知識はあるが、発信はしない。それでいて映画が出来ると「全部知っていた!」とコメントしてくる。
どう言う人たちなのか? 想像してみた。彼らは原発問題、あるいは基地問題に関心を持つ。だが、何も出来ない。情報を集めるだけ。それを発信もしない。デモに参加する位。その種の映画が見る。でも、自分は発信できない。悔しい。
なのに「全部知ってた!」と強がる。彼らは原発や基地に怒りを感じ「何かせねば!」と思っている。でも、何も出来ない。その悔しさが反感となり、同じ意志を持つ者に皮肉を言ってしまう。重箱の隅をつつく。
悲しい話。基地反対。原発反対。なのに、声を上げる人たち認めようとしない。小馬鹿にする。全学連もそうだった。同じ目的を持つ同士を粛清。原発反対運動でも、些細な違いで批判しはう人たちがいた。
ただ、映画の場合。その種の人たちが出て来た時。作品が広がった証明でもある。多くの人が見たからこそ、批判が出てくるのだ。
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