「乙女たちの沖縄戦〜白梅学徒の記録〜」沖縄市9月12日〜22日 17日は舞台挨拶! [映画「乙女たちの沖縄戦」]
取材のための交通費、宿泊費。いつ行くのが安く済むのか? [「沖縄狂想曲」]
ドキュメンタリー映画は劇映画と違った作り方をする。特に太田組は得意?! [映画業界物語]
ドキュメンタリー映画は劇映画と違った作り方をする。特に太田組は得意?!
体調というのも本当に少しずつしか回復しないものだ。現在は脱都会生活6年目。新宿、渋谷まではかなり時間がかかる。そこまで行く体力がまだない。あるスタジオにHDDを届けなければならないので、近日中に代々木アタックをせねばならない。
映画製作というのは撮影ばかりではない。その準備、資料探し、読み込み。構成。その辺をしっかりとやった上で撮影する。また、ドキュメンタリーの場合、一気に全てを撮影しないことが多い。ある段階で取材内容を振り返り、当初の構成で行けるか?を振り返ることも必要。
特に僕の場合。テレビ番組のようにガチガチの企画書を作り、取材も始まっていないのに結論を決めるようなことはしない。ドキュメンタリーは生き物。作りながら形を変えて行く。プラモデルではない。むしろ子育てに近い。最初、親が「将来は新聞記者になってほしい!」と思って、その種の教育をしていても、次第に子供自身(作品)が意思を持ち行動を始める。
それを無理やり親の意思を強制しても、親子断絶が起こるだけ(あるいは子供が我慢して歪んで行く)子供が生まれた時の時代背景と、大学を出て就職というときの社会はかなり違う。そこに昔からの親の願いを押し付けるべきではない。時代遅れで、古い価値観を振り回すだけだ。
ドキュメンタリーも同じ。スタート時の時代背景は1年も経たずに変化してしまう。例えば、この春に安倍総理に関する悪行を追う作品を作り始めたとしても、夏には暗殺。それ以上、悪行はできないので、もう追求できない。テーマを別の切り口にせねばならない。清和会を追求する作品だとしても、壺問題でガタガタ。消滅しそうだ。
そんなふうに短い月日で社会情勢は大きく変わる。求められるものも違ってくる。人々の声や風をしっかりと感じ取り、それを作品に反映することが大事なのだ。
「ドキュメンタリー沖縄戦」の時は3年で8回、沖縄に行った。一度の取材で4〜5人にインタビュー。帰京したら、その人について、その事件について勉強。最初は白紙で取材に挑むのだが、帰れば徹底して調べる。最初からしっかり勉強して行くと、先入観を持ってしまう。
また、情報や知識がないことで、取材相手も初歩から分かりやすく話をしてくれる。これは重要。映画館に来てくれる観客と同じ知識量でインタビューすることで、観客も見やすくなる。インタビュアーがあれこれ知った上で質問しても、その前提が観客には分からない。専門的なドキュメンタリーでは時々、それに陥ってしまうことがある。知識がある観客しか見られなくなる。
しかし、知識がないと作品を仕上げることはできない。ナレーション原稿も書けない。だから毎回、取材後に徹底して勉強。背景を説明する場面を作る。記録映像や現在の風景。地図。それらにナレーションやテロップを入れる。沖縄戦の知識なしにそれら作業はできない。
そして基本は時系列で沖縄戦を紹介しながらも、一部は前後させてある。タランティーノの「パルプフィクション」もそうだが、時間の流れを前後させることで興味を引くという手法。ドキュメンタリーの場合。多くが教科書的であり、作家は「退屈でも大切な歴史だから、我慢してしっかりと見なさい!」と観客に求めがち。だが、なぜ、入場料を払い映画館まで来た人たちに、そんなことを強制するのか?
もし、テレビ放送なら、DVDなら、ケーブルなら、途中で見るのをやめてしまう。大切な歴史というのなら、最後まで見てしまう演出と構成で作ればいい。その努力をせずに「大切な歴史だから」と客に我慢を強要するのは努力不足としか思えない。だが、こちとら劇映画の監督。観客を退屈させるのは罪悪とさえ思っている。ドキュメンタリーであっても最後まで客を惹きつける作品を目指す。
もちろん、改ざんや脚色はご法度。最近、その種の劇映画が続けて制作されているが、過度な改ざんは劇映画でも許されるものではない。それでは大本営発表と同じ。誘導と印象操作でしかない。特に沖縄戦は難しい題材。勝手な思い込みや想像だけで作るべきではない。
ドキュメンタリー映画に戻る。シナリオがあり、撮影した映像をその通りに繋いで行く劇映画とは違う。毎回の取材があるたびに、その素材を吟味して、構成や流れをさらに考えること、大切なのだ。「沖縄戦」の時は、そんな感じで、取材と取材の合間も、資料読み込みと構成を考えていたこと。思い出す。
「10万人を超す命を救った沖縄県知事・島田叡」この本。かなり問題ある!テレビは美談を捏造する? [「島守の塔」疑惑]
「10万人を超す命を救った沖縄県知事・島田叡」この本。かなり問題ある!テレビは美談を捏造する?
この本。「10万人を超す命を救った沖縄県知事・島田叡」(TBS報道局「生きろ」取材班・著)を読むとノンフィクションのはずなのに、映画版と同じく事実ではないことを事実として話を進めている。「島田知事は素晴らしい人であった」とそれがスタート地点になっている。
「県民から神とも慕われる知事」とまで書いている。私は沖縄で数多くの専門家にあったが、そんな話は一度聞いたことはなく、むしろ彼も政府側の人間であり、戦争遂行を進めた1人であると言われた。美化するべきではないと何人からも聞いた。それが真逆のことを伝えている。では、「神とも慕われる」のであれば専門家や後輩知事から称賛されているはずだが、具体的な名前を挙げて「知事は素晴らしかった」と言う記述はない。
そして一番酷いのは、タイトルになっている「10万人を超す命を救った知事」という表現だ。これは既に沖縄戦の専門家にも聞いたが、事実ではない。この本の主張はこうだ。知事は疎開を推進した=>沖縄から本土に10万人疎開させた=>だから10万人を救った!と言うこと。それ仕事でしょう?「救った」ではなく「疎開させた」と言うべきもの。そこにシンドラーを重ね美談にしたい思惑を感じる。
シンドラーはナチスと付き合いながら、裏でユダヤ人を数多く国外に逃がしている。自費を投じて脱出させている。杉原千畝もドイツと同盟国である日本の外交官なのに、個人の判断でビザを出し、多くのユダヤ人を国外に出している。身の危険を顧みずの行動。これらこそが「救う」と言う表現なのだ。政府からの指示で疎開を進めたことを「救う」と言うのはおかしい。
例えば、昭和天皇は降伏を決意した。本土決戦にはならなかった。そのことで日本国民、数百万を救った!と称賛されているだろうか? これと同じ。島田知事は自分の任務である疎開を進めただけ。政府からの指示に従わずに、隠れて疎開をさせたのではない。島に残った人でも助かった人たちは数多くいる。なのに「県民を10万人救った」と賞するのはおかしい。美化していると言う言葉さえ違って、印象操作と言うレベルである。
なぜ、天下のTBSともあろう大テレビ局がこんな事実を歪めた本を発売するのか?ドキュメンタリー映画版では冷静に描いていたにも関わらず、捻じ曲げた美化をしたノンフィクション本を作ったのか? どうも、テレビが大好きな「美談」としてまとめたかったように思える。捏造してでも美談を作り上げるのがテレビが得意とするところ。
もう少し、読み進めてその辺を解明したい。とにかく、劇映画版はこの本をベースに作ったのだろうか? その辺を解明したい。
近況報告。2021年12月〜2022年8月 [2022]
近況報告。
体調は良くなりつつあるが、体力が低下したまま。リハビリのつもりではあるが、1日にやれる仕事量が通常の3分の1。次の動きまでには時間があるので、焦る必要はないが、夕方になると集中力が失われ、もうひと作業したくても限界なのが悔しい。
まあ、過労でダウンして、リハビリ中なのに日頃と同じだけ仕事しようという方がおかしいのだが、毎日の作業量がこれだけだとやはり悔しい。とは言え何もできない訳ではなく、単純作業をチキチキと進めている。来年の2月にすべき領収書の整理、貼り付けも既に終えている。9月分以降はこれからの仕事ではあるが、それも順次対応する。以前の作品。見つけたテロップの問題点も直した。書き出しておけばDVD化の時にすぐ対応できる。
「乙女たち」は日本最後の公開である沖縄市用の予告編を作った。女優の森田が今回も単身舞台挨拶に行くので、その告知が入った版でもある。予告見ると、少ししか変わっていないので「あ、**を足しただけね?」と思うだろうが、そのために3時間以上作業している。編集は足しただけではダメ。音や音楽の処理がある。一度、定着させると、やり直すにはゼロからということも多い。
立ち止まって考えているあれ。以前のように勢いで突っ走らず、あれこれ考えることが大切だと思えている。最初の時はよく分からずに勢いだけで進めた。あの時はそれが正解だったが、今回は予算も取材期間も半分以下。違う方法論が必要だ。節約やまとめることも大事。何よりも金かけた?時間かけた?ではなく、そのテーマを浮き彫りに出来ているか?が大切。
大ネタを追いかけていて、小ネタを見逃していることもある。料理と同じで、メイン・ディシュではないが、キャベツの千切りやパセリも大事。ポテト・サラダやトマトも大切。ハンバーグが美味しいと感じるのは、周りにある食材があるからだ。
ただ、大ネタを追いかけている時には精神的余裕がなく、終われば「よし!」と満足し安心しがち。ポテトサラダはいつでも用意できると思っていると、時間がないのに気づいたり。今回は初めてではない。その辺を注意深く考えながら進んでいかねば。
あれこれ役所的な手続き求める手紙が来ている。その辺が一番、煩わしいが、対応せねばならない。そのことで気づいたが、この夏までを振り返って見て、いかに困ったちゃんに振り回されたか?を痛感する。今年はやたら多い。
伝えたことをしない人。勝手なことをして問題を起こす人、自分の価値観を主張する人、違法スレスレの圧力をかけてくる人、やるべきことをやらない人、憎しみをぶつけてくる人、目先に囚われて言い張る人、プライベートに口出ししてくる人。この種の人たちと対応するだけで、イライラが募り、健康が損なわれる。9ヶ月で過労に陥った原因の一端(いえ、大半だと思うが)この種の人たちに労力と気遣いをせねばならなかったからだと思える。
それに加えて街に出れば「マスクしてください!」「検温してください!」「消毒してください!」と無意味なことを強要するアホな店員たちが声をかけてくる。「やかましい!」と、いつか怒鳴りつけてしまうのでは?との恐れを自身に感じるが、彼ら彼女らはショッカーの戦闘員のようなもので、自分の意志で行動している訳ではない。
そして、戦争が始まればその種の人々は何の疑いも持たず「米英鬼畜!」「欲しがりません勝つまでは!」と大合唱するのだろう。戦時中と同じ日本。それを見ているだけでも、また倒れそうになる。
独立系のドキュメンタリーが面白い理由=大手テレビがダメな訳? [映画業界物語]
独立系のドキュメンタリーが面白い理由=大手テレビがダメな訳?
8月の終わり頃から急に涼しくなり、エアコンを1日つけてなくてもいい日が続いている。エアコンはつけたり消したりする方が電力が必要で電気代が高くなるというので、今年はなるべく消さないようにしてみた。果たしてお値段は?秋のお楽しみ?あるいは恐怖となっている。
過労でダウンして1週間が過ぎ、今回は9ヶ月の戦いだったので1ヶ月も寝込むことはなさそう。とは言え、今も近所のスーパーやコンビニに行く程度の体力しかない。以前なら新宿や渋谷に行けるようになるのが回復の目安だったが、最近では大都会に行く必要がない。映画館も、家電量販店も、居酒屋も小さな衛星都市に揃っているからだ。
おまけに居酒屋も滅多に行かない。567を恐れているのではなく、感染以前から外で飲むことが減った。ただ、部屋では毎晩。1人で飲んでいる。過労のせいで缶ビール1本で頭がグルグルするが、1日が終わりビールを飲むと夏を感じることができる。
リハビリ中ではあるが、仕事も少しづつしている。今の予定で行くと来年の2ー3月頃に編集真っ最中ということになる。申告のための準備を今からしておく。また、あれこれ考えるのも大事なこと。作業するばかりが仕事ではない。取材、撮影、シナリオ、編集、という作業をしていると他のことを考える余裕がない。それらのない期間に考える。
まだ、あまり詳しくは書けないが、構成を考えるというのも大事。え? 構成って企画段階で考えるんでしょう?と言われそうだが、そうばかりと言えない。テレビドキュメンタリーは最初に決めた通りに進める。でも、そのことでリサーチと現実が違うことも出てくる。なのにリサーチ通りの結論でまとめ要することがある。地元の人に『:::と証言してほしい」などと用意したコメントを求める。
上層部が承認した案件なので変更できないということなのだ。が、そんな馬鹿な話はない。要は後で上から注意を受けたくない。上は上で、急に変更されて問題になったら責任を取らされる。という、どちらも責任逃れが背景にある。なので取材中に新しいネタと出会う。重要な証言を得ても、企画通りでなければパス。スルーということにもなる。
これらは大きな組織でありがち。慎重に間違うわないで、作品を作ろうとしながらも、その姿勢が「責任を取りたくない」という逃げにつながり、与えられたことを確実にするというだけの番組作りになってしまう。当然、クレームが来るのを恐れる。NHKなど最たるもので、どこからもクレームが来ない番組作りをしている。
NHKでは沖縄戦を扱っても「アメリカ兵に住民が殺された」「日本兵に住民が殺された」という表現を避ける。「戦争によって犠牲者が出た」的な言い方をする。つまりアメリカからも日本からもクレームがつかないようにしている。戦争が悪い!と言っても戦争からクレームは来ない。両国の残酷な行為はできる限り描かない。それが巨大組織NHK的な番組作りである。
しかし、弱小のプロダクションなら上のようなしがらみに縛られる必要はない。スタッフは少なく上司もいない。取材中にいいネタが見つかれば取り入れられる。上から文句は来ない。リサーチと結論が違えば変更すればいい。近年、独立系のドキュメンタリー映画が面白いにはそれが可能だからではないか? テレビと違いあれこれクレームを気にせずに制作できるからだろう。
製作費やギャラは安くても本当に大切なことを伝える作品を作ることができる。組織のルールや上司の顔色を気にする必要がない。だから、面白いものができる。そんなことも考えながら、この段階でまた構成を考え直している。ま、そもそも、最初に決めた通りに行く方がおかしい。そして結果、いつもそれでうまく行く。へへへ。
「乙女たちの沖縄戦〜白梅学徒の記録〜」これからの上映館 沖縄市 [2022]
「乙女たちの沖縄戦」
横浜ジャック&ベティ
3週間のロングランで終了
ありがとうございました!
沖縄市ミュージックタウン音市場
9/12(月)~9/22(木)