SSブログ

動画(295)フェイク映像を見抜く方法=ウクライナ、ロシア編 [戦争について]



(295)フェイク映像を見抜く方法=ウクライナ、ロシア編

平日ですが本日は午前10時から配信。このところの「戦争を見つめる」シリーズは大好評。今回はテレビやネットで流れるフェイク映像の見抜き方を説明。プロの映画監督が分かりやすく解説。フェイク映像に誘導されている人多いので、必見ですぞ。



チラシiD2.jpg
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:映画

ドキュメンタリー編集。それは心から血を流しながら現実を見つめる作業。 [映画「乙女たちの沖縄戦」]


275801084_7142863425787900_8789222480239173696_n.jpg

ドキュメンタリー編集。それは心から血を流しながら現実を見つめる作業。

ほとんどの素材はすでにタイムライン上。作業は8割終わっている。そこに手付かずで置いてあった最後の素材を加える。これで全ての素材が並んだ。その部分の詰め編集を行い。全体をさらに詰めれば編集作業は終了する。現段階で2時間15分ほど。これを1時間50分ほどにしたい。

ここまで来るのに2ヶ月半。分量が多いというより、まず題材が重いということ。数時間の作業でヘトヘトになる。インタビューなのだが、大きな悲劇を語るもので、その悲しみが作業する者にも、のしかかる。福島の原発事故、沖縄戦の体験者にインタビューした時もそうだったが、その苦しさ、耐えきれない思いを聞き手や編集者は受け止めねばならない。

他人事ではなく、自身のことのように追体験。でないとその悲しみや苦しみを第三者に伝えることはできない。俳優が悲劇の主人公を演じるときも、その役の悲しみを俳優自身が体験するので、撮影中はボロボロになる。心から血を流しながら演じる。それを「じゃ、お疲れ様ーーー」と笑顔で帰れる俳優には、悲しみを伝える芝居はできない。

ドキュメンタリー作家も同じ。その苦しみを自分のものとしながら、第三者に分かるようにインタビュー映像を編集する。地獄を体験した人たちの話なら、作家も地獄を感じなければならない。編集作業中はあえて、その苦しみに留まり、日常の自分に戻らない努力も必要。他人事になってはいけない。

だが、今回はその編集期間中に別の仕事がいくつもあった。さらにトラブル。頼まれごと。公的な作業。プライベートなこと。数えるとなんと11個の案件が3ヶ月の中で同時進行。不器用なので同時には対応できず、1つを片付けると、すぐに苦しみの中には戻れず、何日も何もできない。ようやく苦しみの中に戻ると、数日後にはまた日常に戻らねばならない。神経が切れそうになる。精神力の戦いとなった。

今回はカフェインやケミカルを多用し、自分を追い込むが、なかなか入り込めないことが多く。その内に次の仕事が始まってしまう。そんな時はFB記事を書き現実に戻る。自身を取り戻すようにする。が、編集で苦しみ、もがいている時に連絡が来て返事しなければならないことも。だが、そんな時は精神状態は普通ではない。

思っても無いことを言ったり書いたりしそうで危険。冷静な時に対応。が、そこまで相手を待たせることになる。以前「返事くらい5分でできるでしょう!」とある人に注意された。「あんた常識ないね」とか「ルーズな奴だよなあ」とも言われたが、これは説明しても理解できないだろう。

一時は本当に気が変になりそうで、あるいは心が壊れてしまいそうな予感さえした。「いい加減にせーやー!」全てを投げ出しそうになる。いつもは精神力強くて、大概なことでは挫けないのだが... .。以前も

「監督を取り囲む過酷な状況見ていると、うつ病になってもおかしくないですよ」

と言われたこともある。八方塞がり。悪意に満ちた連中と毎日の戦い。胃が切れる思い。何度殴り倒してやろうか?と思ったことか? しかし、その瞬間に作業中の映画は終了。僕の手から離れる。あるいは御倉入りだ。

だが、そのときは怒りを抑えるだけでよかった。今回は苦しみの世界に自ら飛び込み、血と涙と心の叫びを見つめる。かと思うと翌日には日常に戻り、トラブル処理や打ち合わせ。そこであれこれ進めるほどに、苦しみの世界には戻れなくなる。難しい役を演じる俳優も同じような気持ちなのだろうなあ。だから、ヒース・レジャーはドラッグに走り、死んでしまった。アホキン・ホプキンズはよく死なずにあの役を演じたなあ。

血圧を測ると危険値を軽く超えていた。イライラが頂点。数日前はちょっと限界で、もうダメか?とも思えたが、11個の案件が2ヶ月の中で少しずつ片付き。あと数個になっていた。編集も全ての素材がタイムラインに乗ったことで、あとは客観的な詰め編集パート2だけ。ようやく出口が見えた....。それが先週後半。

ここまでやっても今回は編集料なし!会社がケチなのではなく、超低予算。全く余裕がない。ただ、この題材は誰が編集するより、取材もしている僕が作業することでいいものになる。だから、自ら手をあげた。しかし、2ヶ月半もかかるとは思わなかった。

いや、11個もの案件がなければ1ヶ月半で済んだはずだ。そして11の案件も、誰にも悪意はなく、それぞれが自身の仕事の中で期日があり連絡してきたこと。あるいはトラブルがあり伝えてきた。編集以前に引き受けた仕事もある。僕は対応する義務があった。

ただ、目の前には心から血を流して、かからねばならない作品があった。ギャラや時間は関係ない。毎回、遺作。命を削ってこそ、観客の心を震わす作品になる。でも、次は考えよう。本当に壊れてしまう前に。そして編集作業の精神状態の理解を求めるのも無理だとも悟った。が、自身の記録のために書いておく。でも、それが編集という仕事なのだ。


1028_okinawa_B5_omote.jpg
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:映画