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今、沖縄戦の劇映画が作れない理由=再び戦争を始めたい人たちがいる? [沖縄戦]
今、沖縄戦の劇映画が作れない理由=再び戦争を始めたい人たちがいる?
今、沖縄戦の劇映画が作れない理由=再び戦争を始めたい人たちがいる?
先に紹介した日本史の教科書。昨年は文科省検定で不合格。一転、今年は合格。何ら修正はしていない。沖縄戦の記述は5行。信じられないものだ。「(戦争を)よく戦った」と褒めるような記述。驚愕する。これで子供たちに歴史を教えるというのだから信じられない。「作る会」と呼ばれる団体の教科書である。
以前にも「集団自決は軍の関与があった」と記述する教科書を文科省は指摘。その表現を変更させた事件がある。ある団体が裁判を起こし、文科省に圧力をかけたのだ。「大江、岩波裁判」弁護士の1人は稲田朋美。後援は「作る会」メンバー。しかし、裁判では「軍の関与がなかったとはいえない」との判断。だが、その決着が着く前に文科省は教科書から「軍の関与」を消させた。
なぜ、歴史を変えようとするのか?改竄しようとするのか?改竄と言えば、あの政権。森友事件への夫人の介入を公文書から消し去ったりしている。何をしても、あとでなかったことにするのは、あの方の得意技。同じことを歴史教科書でもしているのだ。
では、どうして歴史を改竄したいのか? つまり、沖縄戦で日本軍が行った非人道的な行動。住民をタダでこき使い(オリンピックでもやっている)避難計画も立てずに戦闘に巻き込んだ。14歳から70歳までの住民を徴用。軍に協力させたり。中学生を鉄血勤皇隊として戦闘に参加。挙句は住民に自決を強制している(集団自決ー今は、集団強制死と呼ばれる)県民の4分の1が死亡。そんな信じられないことを日本軍がした事実を封印したいのだ。
先の教科書に書かれているように「日本軍はよく戦い」「住民はよく協力した」ということにしたい。「日本軍は素晴らしかった。あの戦争はアジアを守る戦いだった」と歴史に刻みたいのだ。なぜか?もう一度、戦争したい人たちがいるからだ。だから、沖縄県民は捨て石にされて、軍隊に見捨てられて死んだのではなく、本土を守るために犠牲になったことにしたい。それを教科書を改竄することから始めたのだ。
教科書だけではない。今の日本映画界で沖縄戦の真実を描く作品は作れない。テレビドラマでも終戦記念日によく放送される戦争ドラマも減っている。戦争ものを作るなら「日本軍は素晴らしかった!」「勇敢だった!」「彼らが日本を守った!」という方向でないと、どこの企業も金を出さない。あるいは「戦争はいけませんよ?」という上っ面だけの作品でないと制作することはできない。原発事故の映画と同じ。大企業が出資するのは「東電職員は命がけで日本を守った!」という嘘800の「Fukushima」なんとかという映画だけだ。
なのに、どこかの映画監督は事実を抉る戦争ドキュメンタリーを作ったらしい。そこまでする必要はないーと関係者が大慌てという話も聞く。政府が「右!」というのを「左!」というマスコミや大企業や団体は存在しない。NHKだけではないのだ。塚本晋也監督が作った「野火」。父の遺産を注ぎ込んで製作。彼でさえ戦争ものを作るのに、どの企業も費用を出そうとはしなかったのだ。インタビューでこう答えている。「次第に戦争映画が作れない空気が広がっているのを感じた。早く作らないと作れなくなってしまう」その空気がもう日本に溢れている。
オリンピックがまさにそれ。緊急事態宣言下。感染者がどんどん増えているのに強行。国民の半分以上が反対しているのに政府は止めようとしない。これが戦争ならどうか? その戦争を進めるためには教科書を書き換え、戦争映画を作らせず、国民には「日本軍は素晴らしかった」「国を守った」と刷り込む。やがて始める戦争のための準備なのである。
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日本映画は「戦争は悲惨だ」と言いながら、「なぜ、戦争が起きるか?」「どのように推進されるか?」は描かないんだよね? [戦争について]
日本映画は「戦争は悲惨だ」と言いながら、「なぜ、戦争が起きるか?」「どのように推進されるか?」は描かないんだよね?
日本の戦争映画。多くはこう訴える。「戦争反対! 悲劇を繰り返してはいけない」それは間違っていないが、映画を見ていると「多くの日本人が死んだ。この悲劇を繰り返してはいけない」=「だから戦争反対!」と言っているように思える。
その犠牲者の多くはアメリカ軍に殺されたもの。その追求はほとんどされない。「米軍が悪い」ではなく「軍部の暴走」を強調する。悪いのはアメリカではなく、軍部だと言いたいかのようだ。そして「多くの日本人が犠牲になった。そんな戦争を繰り返してはいけない」と伝えるだけ。多くの日本映画はそこで立ち止まってしまう。
簡単にいうとアメリカへの配慮。悪役にしたくない、クレームをつけられたくないという思いが、敵を描かない戦争を映画にしていたのだろう。また、アメリカ軍による虐殺を描いても、憎しみを掻き立てるだけ。あえて描かないということもあるはずだ。その結果、戦場でどこからともなく弾が飛んで来て、日本人が死んで行くという、加害者のいない自然災害のような戦争映画になってしまったのだろう。。
そして「多くの日本人が犠牲になった。悲劇を繰り返してはいけない」というのなら、「戦争に勝ち日本人の犠牲が少なければ、戦争を続けてもいい!」という風にも聞こえてしまう。つまり、多くの日本人が死んだから戦争はいけないーだとそうなる。戦争を止めるには犠牲者の数だけなく、その背景を見つめるべきなのに「多くの人が死んだから」ということに集約してしまい、おかしな主張になってしまったのだ。
最終的には「戦争はいけない」と、責任を「戦争」に押し付けたものが日本映画には多い。「戦争が悪い」と言っても誰もクレームをつけないからだ。そんな風にあちこちに気を配り、忖度したので、戦争の実態や背景が描けなかったのだろう。
ただ、戦後。バブル崩壊辺りまではそれで良かった。日本人の多くが戦争を経験しており「繰り返してはいけない!」と感じていたからだ。それが近年は戦争を知らない世代が主流になり、過去の記録を改竄する人たちが現れた。「日本を守るための戦争だった」と美化する。教科書から醜い事実を消し去ろうとする。戦前の空気が漂って来た。戦後76年。もう一度、戦争を考える時ではないか?
日本の戦争映画が描いてこなかった背景を見つめる時期だ。これまで国民は軍部の犠牲者という扱いだったが、国民の多くが積極的に戦争を推進している。その背景にあるものは何か?前面の悲劇しか描かれて来なかったが、その背景やカラクリを見つめることで、戦争の正体が見えてくる。それこそが「悲劇を繰り返さない」に繋がる。
東京リバイバル公開が終了。残るは8月の京都のみ。 [2021]
映画監督の仕事は娯楽作品を作るだけではないーマスコミが伝えない真実を伝えるのも仕事? [映画業界物語]
映画監督の仕事は娯楽作品を作るだけではないーマスコミが伝えない真実を伝えるのも仕事?
僕はジャーナリストではない。映画監督だ。映画館で2時間の間、ドキドキ、ワクワクして、感動。泣ける作品を作る。文芸作品と言っても退屈なものは作りたくない。テーマは「親子に伝える大切なこと」「幸せって何だろう」というもの。題材はエンタテイメントでも、そのテーマを毎回語っている。
原発事故の悲劇を描いた映画「朝日のあたる家」を作ってからは社会派作品も手がけるようになった。昨年公開の「ドキュメンタリー沖縄戦」もその路線。劇中で紹介したエピソードは新しく発掘したスクープではないが、多くの人が知らない衝撃の事実が多数あった。いかにマスコミが報道しないか?伝えないか?ということ。毎年、夏になると終戦記念日前後にいろんなドキュメンタリー番組が放送されるが、多くが上部だけ。政権に都合の悪いことには触れない。悲しい歴史の1ページ的なノリで、責任追及や原因解明はしない。
映画でも沖縄戦で有名な作品は「ひめゆりの塔」と「沖縄決戦」しかない。他にも少しばかりあるが、多くの人は知らない。「沖縄決戦」でさえ映画ファンでも知らないことが多い。広島、長崎の原爆。東京大空襲。真珠湾奇襲、ミッドウェイ海戦。多くが映画やドラマ、漫画になっているのに、沖縄戦が描かれないのはなぜか? だから現在も続く沖縄の苦悩に多くの人が無頓着なのだ。
その背景にあるのがマスコミも、映画も、ドラマも、漫画も、沖縄戦を伝えないということ。伝えると都合の悪い人たちがいるということでもある。当時、軍は沖縄で何をしたのか? その軍に命令した大本営は何を考えていたか? それを多くに知られたくない人たちがいる。封印しておきたい団体がある。再び戦争をしたい勢力にとっては、その辺を知られることを危惧する。歴史を書き換え、日本軍は素晴らしかった!としたい人たちもいる。
だから映画も、ドラマも、漫画も、沖縄戦に触れずらいのだろう。テレビや大手映画会社はしがらみがある。基地問題にも繋がる。だから慰霊の日も上部だけしか報じない。「ドキュメンタリー沖縄戦」はそれを破る作品を目指した。実はかなり危険な作品。テレビでは絶対に作れないドキュメンタリーだ。それを映画館で全国公開すれば、嫌がる人たちも出てくるだろう。邪魔もされるはず。
ましてDVDにして全国でレンタル。地上波、ケーブルで放映されたら堪らない。映画館公開どころでない反響がある。多くの日本人が沖縄戦を知ってしまう。実際、見てくれた人のほとんどが「知らなかった。ここまで酷いことが行われていたなんて...」と驚愕したという。そして誰もが「多くの人が見るべきだ!」という。逆に「これを見せてはヤバイ」と思う人たちもいるだろう。「主戦場」も未だにDVDになっていない。あちらはあれこれ事件になり、話題になったが、内容的にはこちらも近いものがある。よく、特殊な団体が街宣車で来なかったなあ?と内心思っていた。
公開をほぼ終えたとき考えた。映画監督の仕事はエンタテイメントでお客を楽しませることだけではなく、封印された、多くが知らない現実を全国に伝えるという仕事もあるのだと。本来、それはジャーナリズムの仕事だが、テレビ、新聞はすでに、その使命を果たすことができない。巨大組織は管理され、政府の広報機関でしかない。が、フリーの映画監督がインデペンデントで作るなら、真実を伝える作品作りがまだ可能だ。
そんな仕事も、今の時代は映画監督の仕事の一つなのだろう。幸い、僕は失うものはない。妻も子もいない。コンクリート詰にされて東京湾?ーーでも、止める気はない。「朝日」のときから、その覚悟でやっている。だが、敵は様々な手で足を引っ張り、真実を伝えるのを止めようとする。心なき人たちがあれこれ、陰口を振りまいている。でも、心ある人たちの支援や応援があれば出来る! 戦いは続く。