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原発の街で反対運動をしていた女性。その末路ー基地問題も同じ背景?−3月5日 [「沖縄狂想曲」]

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原発事故の悲劇を描いた映画「朝日のあたる家」の公開時。もう10年前になる。東北のある街を舞台挨拶で訪れた。前日入りしたので、チラシを配りに繁華街に出た。

商店街でチラシを配っていると、ある中年女性にこう言われた。「街で有名な原発反対のおばさんがいるから、訪ねれば応援してくれるわよ」教えられた店を訪ねる。その人がいた。自己紹介し、チラシを渡し、映画の説明をした。

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だが、説明の間中。その女性の目は冷ややか。「ふーん、そーなの?」と薄笑いを浮かべる。「だったら、そこの人たちにも配ればいいじゃない?」と僕からチラシをもぎ取り、店にいた客たちに配り出した。「なんか、原発の映画なんですってー。ヒマだったら見てあげてー」明らかに馬鹿にした感じ。

後で分かったこと。その人は何年も反対運動を続けていたが、原発に近い街なので推進派も多かった。あれこれ嫌がらせ、批判を受けた。変人のレッテルを貼られ、店にも客が来なくなった。精神的に不安定になる。

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やがて「反対活動はバカがすること」ーと、その後は原発を反対する人たちを蔑むようになった。僕が訪ねたのは、その時期。悲しい話だ。先の記事で書いた件も同じ構図だろう。「沖縄狂想曲」を見た男性の感想だ。
       
「まあ、表現には間違いはないな(笑)」「でも、全部知ってたよ(笑)」「俺も映画撮ろうかな?(笑)」と、上から目線の皮肉ばかり。基地問題を深く知る人のようなのに、それを伝える映画を皮肉り、上から目線で批判していた。

東北の女性と同じ背景だろう。彼も最初は熱い思いで、基地反対を訴えていた。だが、周りから批判され、馬鹿にされ、心が折れた。「個人の力では、どうにもならない」ーと、今度は基地反対を唱える人たちを、馬鹿にするようになる。

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映画を見て「まあ、表現には間違いはないな(笑)」と皮肉を言う。「でも、お前には何も出来ないんだよ!」と続きを書きたいのだろう。基地問題に詳しいのに、反対する人に冷ややか、小馬鹿にする。以前は熱い思いを持っていた。が、多くは苦い体験で、心折れた人たちだと思える。

やがて同じ思いを持つ仲間が馬鹿に見えてしまう。批判、否定するようになる。推進派はその構図を使い、反対派を切り崩して行く。原発問題のそんな現実。基地問題でも同じことが起きていること。感じてしまう。

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