目が見えなくなっても、友人が心配しなかった理由 10月2日 [闘病日記]
目が見えなくなっても、友人が心配しなかった理由[?]
FB友達。あれこれ心配して、情報をくれる。食糧を送ってくれる。本当にありがたい。対して長年の友達。今回の病気での対応。何人かは首を傾げるものがある。優しくしてくれーというのではない。
今回は本当にひどい病気。初期段階、ほとんど目が見えなかった。外出も出来ない。呼吸も困難。3歩歩くと息が切れた。そのことを親しい友人だけに伝えた。が、誰も見舞いに来てくれなかった。まあ、僕が「見舞いには及ばない」と言ったのもあるだろう。
だが、あとで聞くと「声が元気そうだったから」と言われた。声が元気そうでも「目がよく見えない」と伝えている。ふらつきながら買い物に行った。小銭の選別もできず、とにかく財布にあった札を出した。ま、そこまでは説明しなかったが、目がよく見えない、息がし辛いとは伝えていた。
あれこれ考えて、人は「声が元気そう」というだけで、具体的な問題を伝えられても単純に「大丈夫だろう」と思ってしまうようだ。もう一つには、僕はこれまで数々の無茶をして来た。多くの友人に「それは無理だろう」「世の中甘くないからな」と止められたことがある。
でも、それらは全部、実現。「アメリカの大学ーUSC映画科で学びたい」「映画監督になりたい」「自力で商業映画を制作する」いずれも「無理だ」「不可能だ」「甘い」と言われた。が、全部実現した。なので「太田は大丈夫だろう」という安心感もあるようだ。だと想像するが、
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