映画監督を目指し敵国。あっという間だった33年 −8月14日 [「沖縄狂想曲」]
映画監督を目指し敵国。あっという間だった33年
今回の病気。本当に苦しく辛いものだった(まだ闘病中だけど)が、あれこれ考える余裕が出来た。振り返ると、29歳でアメリカから戻った、映画監督を目指し。
それからの33年。あっという間に過ぎた最初は新宿の居酒屋でアルバイ。レンタルビデオでも働いた。夜はシナリオを書き続け、脚本家デビューが5年目。深夜ドラマを監督したのが7年目。映画監督デビューには15年かかった。もう、40代になってた。遅いデビューだった。
そこから18年。8本の映画を監督。「毎回、遺作!」と全力投球。ついに脳と心臓が壊れたのが今年。もう61歳。「ジジイ予備軍」?でも、気分はまだ10代。未だに「大人は信用できない」と言ってしまう。残り人生20年か?この機会にあれこれ考えてみたい。」
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